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プロローグ

期待を捨てにきた女 04

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「あの子を愛せるかもしれないから、まだ諦めるな、ってこと?」
「そうです、そうです。きっぱり期間を決めて、その間だけは頑張ってみて、やっぱりダメだったら諦めるとか」
「……あなた、毎回お客さんにこんなカウンセリングまがいのことしてるの?」
「まさか!」
 湯呑をテーブルに置き、喜子はにこりと笑った。
「自分は最低のおばあちゃんなのよって割り切れば冷静に振る舞えるはずだって、そう仰ったでしょう?」
「ええ」
「そんな発想、お孫さんを傷つけたくないって思ってる優しいおばあちゃんからしか出てきませんよ。だから少しお節介を焼いちゃいました」
 恵子は目を丸くした。
 あたしが、優しいおばあちゃん?
「きっと、どのような選択をなさるにしても、佐藤様がお孫さんを傷つけることはありません。あとは、佐藤様ご自身のお気持ちがどうなるかだけです。最初から心を殺すか、覚悟を決めるか。どちらも楽な道ではないのでしょうが」
「あなた、本当にとても愛されて育ったのね。善意と愛を疑いもしない。お人よし過ぎるわ」
「いやあ、それほどでも」
「手放しでは褒めてないわよ」
「あっはっは。ま、それはともかく。真面目なお取引の話をしますね」
 喜子はバインダーをするりと差し出した。恵子が書いた買取申込書が挟んである。
「当店の感情のお買取りは、言わば林檎の樹から林檎をもぐのと同じです。今ある林檎をごっそり収穫しても、栄養や時間次第で、基本的にはまた実がなります。今ここで佐藤様の仰る『ご自身への期待』をお買取りしても、また佐藤様の中に芽生えるでしょう。もちろん私のおすすめする『焦り』でも同じ話ですが」
 それでも、「今」焦りを捨てることに意味があるはずだと、恵子は不思議と素直にそう思えていた。目の前の若い娘が驚くほど毒気のない子だからかしら、と恵子は考える。
「なので、どの感情をお売りいただくにしろ、お客様の中でもうその感情が芽生えなくなるわけではないと、そこはご承知おきください」
「ええ」
「さ、いかがいたしましょ」
 私は血の繋がった孫しか愛せないと今のうちから諦めて、自分への期待を捨てて割り切るか。
 それとも。
「ペンを貸してちょうだい」

     ◇

「あとは、感情をきくするだけです。お部屋にご案内しますね」
 喜子はバインダーを胸に抱え立ち上がると、恵子をドアへ促した。
「『きくする』って、手で掬い取るような意味の『掬する』?」
「そうです。取り出すとかって言うより、なんかかっこいいでしょう」
「取り出すって、一体どうやるの?」
 かっこいい云々には特に言及せずにおいた。
「トンッとやって、スゥッ、って感じです」
「はい?」
「痛くも痒くもないですよ。すぐ終わります」
 面談室のドアを閉めた喜子がのんびりと笑う。これからお部屋とやらに連れていかれ、そこで、恵子の感情が摘出される。どのようにされるのか事前に調べずに勢いでここへやってきた恵子には、なにも想像ができない。その部屋につくまでの間に歩きながら心を落ち着かせようと、恵子は深呼吸した。
智彰ちあきくーん」
「……え、ここなの!?」
「ここですよ?」
 面談室の向かいのドアをノックした喜子はけろりと答えた。廊下もそう広くはない。両腕を伸ばせば両方のドアを同時にノックできるほど近い。
 心の準備などする暇もなく、中から小さく「どうぞ」と声がした。
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