私の望む死に方

小笠原慎二

文字の大きさ
上 下
1 / 1

私が望む死に方

しおりを挟む
寿命が尽きるまで頑張って生きられたら本望だろう。
出来たら私だってそういう風に生きたかった。
しかし、私はそこまで強い人間ではなかった。
それだけの話だ。


昨年の秋口に、長年一緒に暮らしてくれていた愛猫が虹の橋へと旅立った。
両親もとうになく、この世に私を縛るものはもう何もない。
「これでいいかな」
すっきりした部屋を眺め回す。まさに必要最低限のものしかない。
冷蔵庫の中もすっきりさせた。食材を買わなくて済むように、近頃は店屋物や外食で済ませていた。さすがに使い切れなかった調味料が少量入っている。こればかりは後の人に処分を任せてしまおう。
好きだった本も全て売ってしまった。ついでに本棚も売ってしまったのでなんだか部屋が広くなった。
テレビはいつもの場所でどんと構えている。本を売ってしまったあとの娯楽はテレビくらいのものだった。
テーブルの上にはパソコン。その画面には今まで私がうんうん唸りながら考えた文章、言ってしまえば遺書が映っている。
私には血縁者はいないので無縁仏で葬ってしまって構わないとか、残った遺産はどこどこへ寄付してくれとか。
そんな他愛もないことだ。
パソコンの電源を落とし、窓を見た。
外は暗くなり始め、雪が舞っていた。今夜は死ぬには良い日だ。
時間を確認して、二通の封筒を手にした。そして家を出る。
下手な時間に出して早く郵便が届いてしまってはいけない。このタイミングは外せない。
ポストの前に到着して、時間をしっかり確かめる。うん。今日の集配はもう終わっている。
そして封筒を投函した。
積もり始めた雪に足跡を残しつつ、家へと帰る。さすがにお腹が空いている。今日は朝から何も食べていない。
手術前と同じだ。胃の中は空にしておいた方が綺麗に死ねるだろうと思ったからだ。
確証はないが。
「帰ったよ」
誰もいない部屋に向かって声を放つ。静寂だけが私を出迎えた。
あの子がいなくなって、よくここまで耐えてこられたなと本当に思う。寒い時期はお出迎えがまちまちではあったが、家にあの子がいてくれたから、私は生きてこられた。
出迎える者がいなくなって4、5ヶ月か?
途中で挫けそうになったけれど、出来るだけ綺麗に死ぬためにと生きてきた。
そして今夜それが叶う。
嬉しくて嬉しくて、久しく忘れていた笑顔が零れる。これでやっと終われるのだ。
禊ぎも兼ねて最後の風呂に入る。といってもシャワーで済ませてしまう。風呂も綺麗に掃除した。できるだけ汚したくはない。
昨日の夜のうちに最後の晩餐は済ませてある。今日はお腹がどんなに抗議してきても答える気はない。というかもう食欲も湧いてこない。それだけ生きる気力がなくなっているということだろう。
外は雪が舞っている。吹雪くというほどではないが、歩くのにちょっと困るくらいは積もるだろう。いい夜だ。
時間が来るまでコタツに潜り込み、なんとなく習慣となっているテレビを点ける。いつもの番組を見て、いつものニュースを見る。
天気予報だけはしっかりと耳を傾けた。今夜の天気が気になるからだ。
雪の少ない関東圏だが、今夜はあちらこちらで積雪となる模様だ。良かった。
見続けているドラマもアニメも今はない。今日この日の為にいろいろなものから遠ざかった。
そう、綺麗に死ぬためだけに。
携帯も解約してきた。連絡したい人がいないでもないが、私がいなくなって困る人も特にいない。
後で死んだと分かったら、少し泣いてくれるくらいだろう。
コタツの温かさに少しウツラウツラとする。決行の時間までもう少しだ。
食事の時間がないだけで、なんだか時間を持て余している。食事にどれだけの時間を割いていたのか今なら分かる。
ボンヤリと見ていたバラエティ番組が終わった。そろそろ22時。まだ少し早い。
この雪の日に好き好んで出掛ける人がいるとは思わない。しかし仕事で出掛ける人や帰ってくる人もいるだろう。
死ぬ場所はベランダと決めていた。家の中だとしっかり死ねるか分からないし、これから住む人、いるかは分からないが、家の中で死んでいたというよりも、ベランダの方が幾分かましではないかと思ったからだ。
万が一にでも見られて通報でもされたら、それこそ台無しだ。下手に助かっても、私にはもう生きる気力がないのだから。
つまらないなと思いながらもテレビを眺め、24時になるのを待つ。それくらいになればこの辺りは人通りもほぼなくなる。
待つとなると時間は遅く感じるものだ。23時を過ぎ、やっと23時半を回った。
そろそろいいかなとコタツの電源を落とす。火事になってしまってはいけない。
最期にもう一度トイレに行って、出来るだけ膀胱を空にする。
45分を回ったのを確認し、私は薬を用意し、コップに水を入れた。
ただの睡眠薬だ。ただし、一回一錠のところを、十錠ほどまとめて飲み込む。これだけで死ねたら楽だがそうはいかない。
家の明かりを全て落とす。ブレーカーも忘れない。冷蔵庫だけは腐って嫌な臭いが立ち込めるのも嫌なので、そこだけは電気を通しておく。
ベランダに出る窓を開ける。外は想像通りに極寒だ。これなら綺麗に凍死出来るだろう。
体が震え出す。歯がカチカチと鳴り出す。コタツに残っていた余熱も、風の中に消え去る。
出来るだけ軽装で白い服を着ていた。死に装束でもあり、雪に混じれるようにと。
窓を閉め、一応用意していたレジャーシートを広げた。なんとなくそのまま横たわるのに抵抗があったためだ。
ベランダにも薄く雪が積もっていた。これなら確実に凍死出来るだろう。そう思った。
体を横たえ、寒さに耐えながら、睡眠薬が作用してくれるのを待つ。あれだけ飲んだのだ。すぐに眠くなるだろう。
明日か明後日になれば、今夜出した手紙が先方に届くだろう。
一通は警察に。もう一通は寄付したい団体に。
警察にはここに死体があるので調べに来て欲しいという旨を書いた。放置されれば冬とは言え、死体は腐っていくだろう。そうしたら遺体処理をするのも大変だ。
警察が来たら私の死体を発見してくれるだろう。そして多分、パソコンに書いた遺書も発見してくれるに違いにない。
一応パソコンの上に「遺書はこの中に」と一言書いておいたからその辺りは大丈夫と思いたい。
寄付したい団体宛には、私は死ぬのでもし遺産が残ったら受け取って欲しいということと、念の為通帳の暗証番号を書いておいた。残った財産は微々たるものだが、一つの銀行にまとめてある。
眠気が差してきた。もうじき私は永遠の眠りに就ける。
「もうすぐそっちに行くからね…」
先に逝った愛猫の姿を思い浮かべる。虹の橋の袂で待っていてくれるという話は聞くが、こういう死に方でも会いに行けるのだろうか。それだけが少し心配だ。
体の震えが収まって行き、私の意識は深い闇の奥へと消えていった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

2023.08.14 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

解除

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。