上 下
3 / 7

遭遇

しおりを挟む

 ギラリと光る牙の生え揃った大口を開けて突っ込んでくるのは、肉食恐竜とトカゲを合わせてニで割ったような、四足歩行の巨大な化け物だ。

 まるで大ヒットしていた恐竜映画みたいだと現実逃避の様に放心していたが、進行方向の巨木の幹をバキバキと削り取りながらこっちに迫り来る凄まじい音と振動で、俺は我に帰る事ができた。
 あの岩みたいにゴツい身体の化け物の顔は完全に俺の方に向いていて、明らかに俺を喰うつもりで突き進んできている。

(あ、これ死ぬやつだ)

 そう思った瞬間に生き物としての本能に従い、すぐさま巨大な化け物と真反対の方向に全速力で足を動かす。
 プライドも何もかも全部かなぐり捨てて、とにかく背を向けて全力ダッシュで逃げ続ける。

(ムリムリムリムリムリ! しになくない! しになくない! しにたくない!!!)

 ズシンと重くて早い轟音と共に突き進んでくる化け物から逃げる為に、走って、走って、走り続けた。
 そして必死で走り続けてふと気付くと、追ってきていた筈の足音がいつの間にか聞こえなくなっていた。

 あれ? と思い後ろを振り返ると、もう奴は俺への興味を失った様にこっちを見てすらいなかった。
 今、俺とあの化け物との距離は、おそらく50m以上は余裕で離れているだろう。
 回れ右して追ってきた道を引き返しているから、その距離はどんどん開いていく。

 あんな怪物から走って逃げきれたと言う不可思議な状況に思わず頭に? マークが浮かんだが、今の自分は人間離れした状態だった事を思い出した。

(これが魔人種に転生した俺のパワー……いや、逃げ足か。こりゃすげーや……!)

 あのバカデカい化け物から、走って逃げられるほどの常識外れなフィジカルのポテンシャル。
 気は早いかもだけど、今後の努力次第ではゴツいあんな怪物だって倒せる様な超人ハンターにだってなれるかも知れない……! 

(さすがに丸腰の今じゃ無理だろうけど、武器や道具が揃えばリアルモ〇スターハ〇ターだって名乗れるんじゃないか……?!)

 始まりは復讐の為の転生だったが、元の世界じゃ絶対経験できない異世界ライフを満喫するのだって、悪くない事かもしれない。
 とりあえず、リリスに転生させてくれた礼でも言うかと思った矢先、それまでの高揚感が嘘の様にサッと血の気が引いた。


 近くにリリスがいない。


 てっきり自分と同じ様にどこかに逃げているもんだと思っていたが、それは間違っていた。
 自分達がそれまでいた場所から、リリスはほとんど動いていなかったのだ。
 動かないリリスを素通りして俺を狙ってきた化け物は、今リリスのすぐ近くまできている。
 そして引き返してきた化け物の目と鼻のすぐ先にいるリリスは……何故か、突っ立ったまま動かない。

 何故逃げないのか? 何故棒立ちで動かずに奴を見てるのか? あの化け物はリリスなら問題ないのか? 
 様々な考えが頭を過ぎるがリリスが突然尻もちをつき、化け物がリリスを舐め始めた事で、最悪の考えが浮かんだ。

(逃げないんじゃない……逃げられないんだ……! リリスにとってアイツは化け物そのもので、腰抜かすほど本気でヤバい相手なんだ! それに、ベロベロと舐めてるのは友好の証とかじゃない。あれはきっと、リリスを喰う為の味見のつもりなんじゃないか……?!)

 怪物に舐められているリリスの呼吸は極度の緊張の影響か荒くなっていたが、震えながらも何とか口を動かしていた。
 魔人種に転生して五感も人間の頃より強化されていたからか、その口から漏れた言葉はハッキリと耳に届いた。



「た、すけ……て」



 視界の向こうで、リリスに涎が滴るのも気にせずに大口を開けた化け物を見た瞬間に、余計な考えは吹き飛んでいた。




「こっち向けやクソトカゲー!!!」




 大声で叫びながら、トカゲ野郎に向かって走り出す。

 むしった雑草、地面の土くれ、落ちてた石ころ、削れた木の破片。
 喰いつかれそうなリリスから少しでも狙いを自分に逸らそうと、目に付いた物を片っ端から化け物トカゲに投げつけながら、リリスを助ける為に走り寄って行く。

「リリス! しっかりしろ! リリスー!!」

 大声で近づく俺にトカゲ野郎が気付き、リリスも俺の声に気づいたのかハッと顔に力が戻ったリリスは、懐から何かを取り出した。

「ヨシヒト目ぇ閉じて! ピカーッてなるから!」

 俺が目を閉じるのと同時に、瞼を挟んでいても分かるほどの強烈な眩しい光が数秒続いた。
 その後、うっすら目を開きながら状況を確認しようとした瞬間、柔らかくも息苦しくて懐かしい感触に襲われた。

「お、おいリリス! 嬉しいけど、今はそんな場合じゃ…………」
「ひゃう! う、動かないで! 今の内に、アイツから少しでも遠くに逃げないとだからぁ!」

 そう言うとリリスは背中の羽をバサァッと広げて、すぐさまこの場を離れる為に飛び上がった。
 俺への転生サポートの影響か、俺を胸に抱きしめながら飛んでいる影響か、左右にフラフラと安定しないフライトではあったものの、そのおかげでトカゲ野郎が見えないほどに離れた巨木の上の方にまで、どうにかたどり着けた。

 巨大な木の枝にゆっくり降りると、二人揃ってその場にへたり込んでしまう。
 俺にとってはあんなのに遭遇するなんて初めての事で、途中からはリリスを助けようと無我夢中だったからか、無事に生き延びられた事への安心感で気が抜けてヘロヘロになってしまっていた。
 だが、とりあえず二人とも無事に、あの化け物トカゲから逃れられる事ができた。

 リリスは大丈夫かと顔を向けると、同じくこちらを見ていたリリスと目があった。

 あの化け物は何だったのか。どうしてあの場から逃げなかったのか。怪我はないのか。あのめちゃくちゃ光るアイテムは何だったのか。
 聞きたい事は山の様にある筈なのに、上手く言葉が口から出てこない。
 何とか気の利いた話題をと思いながらも、少し視線を逸らしながら思い付いた言葉を口にする。

「………………なあ。アイツの涎で、身体ベトベトになってるぞ」

 何ともアホらしい言葉だが「身体がベトベトの液体に濡れた女の子」と言う図は、俺の様な健全な精神性を持つ男性的には非常によろしくない。

 別に嫌いではないがな。
 別に、嫌いでは、ないがな! 

「………………キミだってそうじゃん。ボクに運ばれてたんだから。………………あ! もしかして、トカゲのベトベトが付いてるボクの身体でこーふんしてるのぉ? えっちだな~! やらしいんだ~♪」
「んな! そ、そそそんな訳ないだろ! 今、状況的には緊急事態なんだぞ!」
「え~ほんとーかなぁ? ヨシヒトってば、さっきからボクの身体えっちな目でチラチラ見てるじゃ~ん♪ さっきも、またボクのおっぱいにギューってされちゃったもんねー♪」
「いやそれは……て言うか! 俺はリリスの身体が傷付いていないか心配しているだけであって! 別に、やましい気持ちでチラチラ見てたりなんか……」
「えーほんとかな~? そんなに真っ赤な顔しながら言われてもな~♪ 信ぴょー性がないな~♪」
「仕方ないだろ! 女性の身体なんて元妻しか知らなかったんだから…………って、何言わせてんだバカ!」


 お互いにあーでもないこーでもないと言い合っている内に、何だか腹の底からよくわからない可笑しさみたいなモノが込み上がってきた。

 お互いにトカゲの涎でベトベトだった事が可笑しかったのか、慣れない柔肌に抱かれて真っ赤になった俺の顔が可笑しかったのか。
 そんなお互いの姿がお互いに可笑しくなったからか、ついに二人して吹き出してしまった。

「………………ヨシヒトありがとう。助けてくれて」
「…………こちらこそ。何せ、大事な契約相手だからな」

 お互いに言い終わると可笑しくなったのか、またクスクスと笑い始める。

 まあ、とりあえず今のところは、あの巨大化け物トカゲのおやつにならなくてすんだ。それで良しとしよう。


しおりを挟む

処理中です...