若苗色の夏

夜雨

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若苗色の夏

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「懐かしいなあ」
 久し振りの母校。まあ、遊びに来た訳じゃないけど。
 花菜は職員室に行き、美術部の顧問に会いに行く。彼女が部活をしていた時と変わらず、豊崎先生が顧問をしていた。
「先生、お久し振りです」
「花菜ちゃん、久し振り。今日はどうしたの?」
「ええっと、大学のサークルで一人一枚絵を描いて来ることになって。高校の思い出がテーマになったんです」
 事情を説明すると、先生はぽん、と手を叩いて嬉しそうに笑った。
「そう、頑張ってね。今は夏休みだし、全員いるって訳じゃないけど、美術部にも顔出してあげて」
「はい。でも、私の事覚えてるのって三年生くらいじゃないですか?」
「何言ってるの。中文連で毎年良い成績残して副部長もやってたんだから、皆覚えてるわよ」
 ほんとですかね。不安げに言いつつも、花菜は美術室へ向かった。美術部は毎年部員もそんなに入らないので、夏休みに活動しに来る人なんているのかどうか心配だったが、そんな彼女の心配は杞憂に終わった。
 あ、あの後ろ姿って、もしかして。
 見覚えのある後ろ姿。花菜はガラリと戸を引いて中に入った。
「祐介くん、久しぶり!」
 祐介、と呼ばれた少年は驚いたように振り向いて目を見開いた。
「花菜先輩!なんでここに」
「大学のサークルで、絵を描くことになったんだけど、テーマが高校の思い出なんだよ。だから、学校来たら何か思い出すかなーと」
「へえ、それで。先輩、時間あるんだったら一緒に学校歩きます?」
「いいね、行きたい。祐介くんこそ、時間大丈夫?いきなり入っちゃったけど、絵描いてたんでしょう」
 彼はにこっと笑った。
「いえ、ちょっと描き悩んでただけなので。行きましょう、先輩」
 そう言って祐介くんは教室を出て行った。花菜も廊下に出ようとしたところで、描きかけのキャンバスが目に入った。まだ未完成だったが、ここから見た外の風景が描かれていた。
「綺麗……」
「先輩行きますよー」
「うん、今行く」
 彼の絵は昔よりさらに上達していて、凄く繊細に描かれていた。
 成長してるなあ、と感じつつ花菜はその場をあとにした。
「あー、私三年の時七組でこの教室使ってたなあ。懐かしい。祐介くんは今何組なの?」
「七組です。先輩と一緒です」
「お、一緒だね。私の落書き消されたかなあ」
「落書きなんてしてたんですか?」
 祐介は驚いた顔を花菜に向けた。花菜は悪戯っぽく笑って言った。
「あはは、友達と悪ふざけで椅子の裏にね。ちょっとした青春、かな」
「青春、ですか」
 高校生活の三年間で、彼氏は出来なかった。学校行事はクラスの子や友達と盛り上がったけど、好きな人は居たけど告白出来ないまま、卒業してしまった。
「何か残しておきたかったんだよ。高校の時彼氏とかいなかったし、まあ今もだけど。恋愛出来なかった代わりに、椅子の裏に自分の好きなイラスト描いたりしたっていう……」
 花菜は言って少し恥ずかしくなり、人差し指を立てて口の前に持っていった。
「内緒ね」
「……はい」
 祐介は少し顔を赤くして頷いた後、誤魔化すように別の場所に行くよう促した。
「わー!ほんと懐かしい」
 二階、三階を歩いて次に来たのは体育館だった。バスケ部やバレー部が練習をしている。
「まあ、私運動できなかったんだけどね」
「先輩絵は上手いのに」
 ぼそっと悪口を言う後輩の頭を掴む。
「何か?」
「いえ何も」
 頭から手を離し、ため息をつく。
「絵も全然だよ。気分乗らないと筆進まないから、よく行き詰るし」
「そこも先輩らしいんじゃないですか?気分乗った時にしか描かないから、大作が描けてるじゃないですか」
 そうかなあ、と呟きながら体育館を後にした。
「そろそろ美術室に帰ろうか」
「そうですね」
 二人で美術室に戻りながら、思い出話をする。昔の話、と言っても卒業してから半年くらいしか経っていない。それでも、会話が途切れることは無かった。
 祐介と花菜は部活で関わったのは一年程、その間でただの後輩と先輩の関係は変わることはなく、卒業の際に連絡先も交換しなかった。
 しなかったと言えば、交換する気がないように思えるが、花菜は違った。交換したかったのだが、勇気が出なかった。勇気も言葉も出なかった。
 卒業式の日、二人の会話は二言。
 卒業おめでとうございます。ありがとう。
 たったそれだけで、二人はそれ以来会ってなかった。
 ただの先輩後輩と言えども、部員も少ない美術部では他の部と違って学年関係なく会話することが多かった。二人は一緒に絵を描いたり、たわいのない話をするだけだったが、それでも花菜にとっては良い思い出だった。
「花菜先輩」
 祐介が立ち止まって花菜の名を呼ぶ。後ろを歩いていた花菜も立ち止まり、彼の言葉を促す。
「先輩、ずっと言えなかったこと言っていいですか?」
「うん、いいよ」
 緊張した。何を言われるか分からなかったから。悪口とかだったらへこむな。
「俺、先輩のこと、花菜先輩のこと好きです」
「え……」
 予想外の言葉に、びっくりして固まってしまう。
 花菜の反応を見て、祐介は悲しそうに目を伏せる。
「すみません、花菜先輩可愛いからもう彼氏いますよね。忘れてください」
 後ろを振り返らず、すたすたと教室へと歩いて行く。
 花菜は焦って、祐介のもとへ行く。そしてそのまま背中に抱きつく。
「先輩……!」
「可愛いなんて言うから、嬉しくて……」
 何やってんだろうと我に返り恥ずかしくなる。だけど、ずっと好きだった男の子の背中に、前より少し大きなっている背中から離れたいとは思わなかった。
「私も好きだから。ずっと好きだったの。今日来たのは絵もあるけど、君に、祐介くんに会えると思ったから」
 祐介が振り返って花菜を抱きしめる。
 お互い真っ赤な顔して、嬉しそうに笑った。
 彼は前より少し大きくなっていて、男の子なんだと感じる。
 と、後ろから咳払いが聞こえた。慌てて、二人は離れる。振り返ると、豊崎先生が恥ずかしそうに見ていた。
「微笑ましいんだけど、ここ学校だから他の先生に見つかったら大変だよ」
「すす、すみません!!でも私ちゃんと絵の為に来ましたから!」
「分かってるわよ。まあ、お菓子持ってきたし、二人で食べなさい」
 その後美術室へ戻り、二人で先生から貰ったお菓子を食べた。
「花菜先輩」
「ん?」
「連絡先交換しましょう」
 祐介と連絡先を交換した。卒業式の日には出来なかったので凄く嬉しかった。
「祐介くん」
「はい?」
「よろしくね」
「こちらこそ」
 開けていた窓から風が吹き、二人は外を見た。
「あ、いいかも」
 そう言って、祐介は筆を持ち描きかけの絵に取り掛かった。
 その姿を見てふっと花菜は微笑んだ。
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