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第二幕
ep.12 試行の陸 -王国に巣食う闇- (4)
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執務室で、クラウスは静かにルイーゼの話を聞いた。
「――そして、こちらが公爵にお渡しされた書面です。これ以上、国家に背き続けることは出来ない為、殿下に渡すようにとのことです」
感情を滲ませない声でルイーゼは淡々と告げる。魔装具を用いて公爵夫人を治癒したことで、公爵が良心の呵責に問われたのだと、この場ではそのような説明に留めた。
クラウスは無言のまま眉を寄せる。差し出された書面を受け取ると、執務机の隠し引き出しに入れた。
ルイーゼが一礼して部屋を去ろうとする。
正直なところ先の説明にクラウスが納得したとは思えず、魔装具による尋問があったことまでは察しているだろうが、しかしあの決定的な証拠があって公爵を見逃すような男ではないと理解していた。
ドアノブに手を伸ばした時、背後からため息の音と、クラウスが立ち上がる音がする。
ルイーゼは振り返り、まだ何かあったかと問う。
クラウスは無言のままルイーゼのもとへと歩み寄り、手を伸ばしかけて、それを引いた。
「ルイーゼ……苦労だった。後見人である公爵の叛逆、更には獣人を卑下するような者であったことは、お前には苦痛だったろう」
「いいえ。確かに多少の寂寞はありますが、しかし私にとって、クラウス様の御身が第一です。これでお命を狙う火種が一つ消えたと思えば、何ということではありません」
「そうか」
クラウスの手が再び伸ばされ、そっとルイーゼの頭に触れる。
指先に、大きく皮膚がひきつれたような感触。かつて獣の耳があったここには、ただ傷痕を残すのみだった。
頬へと滑り降りたクラウスの手が、ルイーゼの目尻をなぞる。災厄と揶揄される赤い瞳が真っ直ぐに向けられ、クラウスは少し困ったように笑った。
「それであれば、脅威が去った今のうちに、改革を推し進めねばならないな」
「はい。目下の強敵は宰相殿と、ブラント侯爵でしょうか。何でも、保守派のレンツ侯爵との縁談話があると」
「ああ、両家に結託されてはまず法案の類は通らない。しかも、ホーエンベルク公爵の後ろ盾がないばかりか、叛逆罪の影響がこちらにまで波及する可能性すらある。それこそ戦の後でもない限り、私の立場は暫くは低いままだな」
「そうですね、クラウス様は公爵と親しくされておりましたから」
ルイーゼの頬からクラウスの手が滑り降り、ルイーゼの左手をそっと掬った。
まるでこれから舞踊でも始めるかのように、クラウスがルイーゼの身を引き寄せる。
どうしたのかと顔を上げかけたルイーゼの耳に、クラウスの口が寄せられる。
「それで、『次』は戦の火種でも撒くか?」
静かにはっきりと囁かれた問いに、ルイーゼの肩が微かに揺れる。
無言のまましばらくがたち、やがて小さな笑い声が漏れた。
「ロズの仕業ですか」
「あの豆粒はそのような名前なのだな」
「ええ、良い名前でしょう。私が名付けました。かつて貴方に教わった花にちなんで」
クラウスがルイーゼの身体を解放する。
男の前にしっかりと両足で立ち、ルイーゼはやれやれと肩を竦めた。
「油断しました。思えば貴方が戦の前に、私に『怪我をするな』などと言ったことはない。記憶を保持されているのは、その前の試行からですか。テオを庇って怪我を負った失態を、覚えていらっしゃったのでしょう」
首を傾げるルイーゼに、クラウスは静かに問う。
「ルイーゼ、何故、繰り返す」
「貴方をお救いする為です」
「ルイーゼ」
はっきりと咎めるような声で名を呼ばれ、ルイーゼは首を横に振ってから、胸に手を当て軽く一礼した。
「理想の為です、クラウス様。貴方が火事の夜を生き延びて、力を増すことで、この国もより良くなる。現に、貴方の嫌う獣人差別主義者は破滅しました。これから保守派貴族たちも、ある者は力を失い、ある者は私たちに下ります。あと数回の試行で、きっと貴方の理想は叶う。それで……一体これ以上、何のご不満があるのですか」
嬉しそうに滔々と語っていたルイーゼは、目の前の男の表情を見て片眉を上げる。
クラウスは酷く苦々しい表情の中に、はっきりとした怒りを滲ませていた。
「ルイーゼ、それは理想ではない、冒涜だ」
それが何だと、そう答えようとした時、ルイーゼは腹に強い衝撃を感じた。
「かっ……は……」
苦悶の視線の先には、鳩尾を深く突くクラウスの剣の柄頭があった。
ぐらりと前向きに倒れた身体が、硬い腕に抱き止められる。
そのまま、一切の思考を許されず、ルイーゼの意識は真っ黒な闇に溶けた。
「――そして、こちらが公爵にお渡しされた書面です。これ以上、国家に背き続けることは出来ない為、殿下に渡すようにとのことです」
感情を滲ませない声でルイーゼは淡々と告げる。魔装具を用いて公爵夫人を治癒したことで、公爵が良心の呵責に問われたのだと、この場ではそのような説明に留めた。
クラウスは無言のまま眉を寄せる。差し出された書面を受け取ると、執務机の隠し引き出しに入れた。
ルイーゼが一礼して部屋を去ろうとする。
正直なところ先の説明にクラウスが納得したとは思えず、魔装具による尋問があったことまでは察しているだろうが、しかしあの決定的な証拠があって公爵を見逃すような男ではないと理解していた。
ドアノブに手を伸ばした時、背後からため息の音と、クラウスが立ち上がる音がする。
ルイーゼは振り返り、まだ何かあったかと問う。
クラウスは無言のままルイーゼのもとへと歩み寄り、手を伸ばしかけて、それを引いた。
「ルイーゼ……苦労だった。後見人である公爵の叛逆、更には獣人を卑下するような者であったことは、お前には苦痛だったろう」
「いいえ。確かに多少の寂寞はありますが、しかし私にとって、クラウス様の御身が第一です。これでお命を狙う火種が一つ消えたと思えば、何ということではありません」
「そうか」
クラウスの手が再び伸ばされ、そっとルイーゼの頭に触れる。
指先に、大きく皮膚がひきつれたような感触。かつて獣の耳があったここには、ただ傷痕を残すのみだった。
頬へと滑り降りたクラウスの手が、ルイーゼの目尻をなぞる。災厄と揶揄される赤い瞳が真っ直ぐに向けられ、クラウスは少し困ったように笑った。
「それであれば、脅威が去った今のうちに、改革を推し進めねばならないな」
「はい。目下の強敵は宰相殿と、ブラント侯爵でしょうか。何でも、保守派のレンツ侯爵との縁談話があると」
「ああ、両家に結託されてはまず法案の類は通らない。しかも、ホーエンベルク公爵の後ろ盾がないばかりか、叛逆罪の影響がこちらにまで波及する可能性すらある。それこそ戦の後でもない限り、私の立場は暫くは低いままだな」
「そうですね、クラウス様は公爵と親しくされておりましたから」
ルイーゼの頬からクラウスの手が滑り降り、ルイーゼの左手をそっと掬った。
まるでこれから舞踊でも始めるかのように、クラウスがルイーゼの身を引き寄せる。
どうしたのかと顔を上げかけたルイーゼの耳に、クラウスの口が寄せられる。
「それで、『次』は戦の火種でも撒くか?」
静かにはっきりと囁かれた問いに、ルイーゼの肩が微かに揺れる。
無言のまましばらくがたち、やがて小さな笑い声が漏れた。
「ロズの仕業ですか」
「あの豆粒はそのような名前なのだな」
「ええ、良い名前でしょう。私が名付けました。かつて貴方に教わった花にちなんで」
クラウスがルイーゼの身体を解放する。
男の前にしっかりと両足で立ち、ルイーゼはやれやれと肩を竦めた。
「油断しました。思えば貴方が戦の前に、私に『怪我をするな』などと言ったことはない。記憶を保持されているのは、その前の試行からですか。テオを庇って怪我を負った失態を、覚えていらっしゃったのでしょう」
首を傾げるルイーゼに、クラウスは静かに問う。
「ルイーゼ、何故、繰り返す」
「貴方をお救いする為です」
「ルイーゼ」
はっきりと咎めるような声で名を呼ばれ、ルイーゼは首を横に振ってから、胸に手を当て軽く一礼した。
「理想の為です、クラウス様。貴方が火事の夜を生き延びて、力を増すことで、この国もより良くなる。現に、貴方の嫌う獣人差別主義者は破滅しました。これから保守派貴族たちも、ある者は力を失い、ある者は私たちに下ります。あと数回の試行で、きっと貴方の理想は叶う。それで……一体これ以上、何のご不満があるのですか」
嬉しそうに滔々と語っていたルイーゼは、目の前の男の表情を見て片眉を上げる。
クラウスは酷く苦々しい表情の中に、はっきりとした怒りを滲ませていた。
「ルイーゼ、それは理想ではない、冒涜だ」
それが何だと、そう答えようとした時、ルイーゼは腹に強い衝撃を感じた。
「かっ……は……」
苦悶の視線の先には、鳩尾を深く突くクラウスの剣の柄頭があった。
ぐらりと前向きに倒れた身体が、硬い腕に抱き止められる。
そのまま、一切の思考を許されず、ルイーゼの意識は真っ黒な闇に溶けた。
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