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「さあ、飲め」
少しして戻ってきたティレクの手には白い湯気が立つ大きめのマグカップに匙がいれてある。
差し出されたそれを受け取れば、鼻先にはラズベリーやコケモモなどさまざまなベリーとミントの匂いがかすかにした。匙を手にとれば、鮮やかな赤い液体がとろりと流れる。その異様さに思わず眉がよった。
「これ。なにいれた?」
「ティベルクではウッルというとろみをだす樹液を使うのだが、ここでは手に入らないからな。葛というもので代用した。安心しろ、味の再現は完璧だ」
「いや、そうじゃなくて」
立ち上る湯気から香るにおいだけならむしろ好ましいほどだ。戸惑いながらも意を決して、一口すくって口に入れている。途端にアリウスの眉間に深いしわが刻まれた。
「甘すぎる……っ」
「だろうな。まあ、そういうと思って、これも持ってきたぞ」
ドンとサイドテーブルにポットを置かれたポットを見つめたまま尋ねた。
「今度はなんだよ」
「ホットヨーグルトだ。酸味が強いものだからこれで割るとちょうどよくなる」
「わかってるなら、最初からそうしろよ」
頭に響く甘みで顔をしかめながら、マグカップの中にホットヨーグルトを注ぐ。
鮮やかな赤い中身は柔らかい薄紅色へと変わり、試して一口食べればちょうどいい甘さだった。
「お、これなら食べやすい」
「そうか」
甘いのは好みではない。けれど、一口また一口と運んでしまう。
その様子を眺めていたティレクがベッドの脇にあるイスへ腰を下ろした。シンと静まる部屋は窓越しから聞こえる賑わった声と薪が小さく爆ぜる音だけが妙に響く。
いつもならさして気になることではないが、今は妙に気になってしまう。黙ってじっとしているティレクはあらためてみると、精巧な人形のようだ。声さえださなければ、男とも女ともいえない独特の雰囲気をまとっている。
「貴様はことあるごとに私を視姦してくるのだな」
「しっ……、はあぁ?! 自意識過剰にもほどがあるだろ!」
「自意識過剰なものか。この間言っただろ。貴様の視線はうるさいと」
ふっと息を吐くティレクに、顔に熱が集まってくるのを感じた。
マグカップに残っていたものを飲み干すと、勢いよくサイドテーブルに置く。そして、毛布を頭まですっぽりかぶってティレクに背を向けた。
「ごちそーさんっ、俺は寝るっ」
「全部食べたのか」
カラになったマグカップを覗いて意外そうにティレクが呟く。アリウスは布団をかぶったままボソリと答えた。
「甘ったるかったけど、うまかった」
「そうか」
その声音に再び顔が火照っていく気がした。
ティレクの声音がいつになく優しく聞こえたのも、胸を柔かく締め付ける痛みもきっと熱に浮かされているせいなのだ。
「さあ、アリウス。あなたの好きなマフィンを焼いてきたわ」
「ホットミルクもありますよ」
目の前へ並べられた黄金色のマフィンとホットミルクにアリウスは大きな青い瞳をキラキラさせた。
雲一つない晴天の下、暖かな風がアリウスの金髪を撫でていく。まだ幼いアリウスにとって、バルコニーにあるテーブルもイスも高く、足がぷらぷらと揺れて落ち着かなかった。
それでも帝都の工場地帯に並ぶ煙突からもくもくと空にのぼっていく煙や大通りをひしめく人の群れをはじめ、帝都の日常を見るのが好きだった。
そして、もっと大好きなのが、愛する母と母の作った蜂蜜がたっぷり練り込んであるマフィン。それと体の弱いアリウスを思っていつもホットミルクは用意してくれる乳母。それが幼いアリウスのすべてだった。
影で噂される自分の容姿も母が低い身分であることも気にしたことなかった。だから、これからもこの穏やかな日常がずっと続くと疑わなかった。いや、疑うことを知らなかった。
「おまえに土産をやるよ」
はじめて兄たちからもらった菓子は母のマフィンほどではないが、とてもキラキラと輝いて見えたのを今でも覚えている。
兄弟全員母が違う上に、末弟であり家族の中で唯一王家に伝わる神獣オガルスの特徴――稲穂を彷彿させる見事な金髪と空色――に近いアリウスを年の離れた兄たちは輪をかけて冷たかった。
廊下ですれ違うとき、足を引っかけられて何度転んだか。階段を下りているときに背中を押されて骨折したこともあれば、打ち所が悪くて数日間目が覚めなかったときもあった。そんな兄たちからはじめての菓子だ。
乳母は絶対に毒が入っているから食べない方がいいと不安そうにしていた。それでも、自分を疎ましく思っている兄たちからの贈り物がただ嬉しかった。たとえ、毒が入っていてもかまわない。そう思えるほど幼いアリウスは純真だった。
乳母の警告通り、菓子には毒が入っていた。毒を盛られるのはなにもはじめてではない。だが、菓子に練り込まれていた毒はオガルスでは手に入らない毒だった。
生死の境を一週間さまよったが、母の友人である医者のおかげで一命を取り留めた。けれど、生還したアリウスを待っていたのは残酷な現実だった。
母と乳母が事故で亡くなったと父の執事から聞かされたのだ。
なぜ継承権から遠い自分が見た目だけという理由でこの扱いを受けなければならないのか。兄たちがいる城はいつしかアリウスにとって檻のように思えた。どんなに力をつけても城の中は兄たちの仲間がたくさんおり、多勢無勢だ。
それならば、少しでもその檻にいる時間を減らすために外へ赴き、そして自分の強さを確かめるために戦へと身を投げた。
脳が都合よくみせた幻なのか、亡き母と乳母が大きな川を挟んで泣いているように見えた。何度も謝る母とそんな母の背を優しくさする乳母の姿に思わずためらうことなく川へと駆け寄った。
川はアリウスが思っていたよりもずっと深く、幅が広かった。どんなに泳いでもいっこうに距離は縮まらない。それどころか体が沈んでいく。
「母さんっ、ばあやっ!」
アリウスが叫んでがむしゃらに手を伸ばす。そうすれば、なにかを掴んだ。目の前の景色が揺らいでハッと目が覚めた。
「夢、か」
ドキドキと心臓が早鐘を打ち、汗をかいたのか服が吸い付いて不快だった。
深呼吸をして起き上がろうとすれば、ぐいっと手が引っ張られる。不思議に思って引っ張られた方へと視線を向ければ、ぎょっとした。
「お前、寝てたんじゃないのかよ」
「寝てたが、貴様があまりにもうるさいから様子を見にきたら、このとおりだ」
ティレクが見せつけるように手首を持ち上げた。
そうすれば、アリウスの手もつられて持ち上がる。ようやくアリウスはティレクの手首を握っていたことに気づいて、慌てて手を離した。
ティレクの手首には、くっきりと手形がつき、強い力で握っていたことがわかる。ティレクは手首を軽くさすりながらベッドサイドにあるイスへ座り直した。
「ずいぶんうなされていたな。母と乳母を呼んでいたようだが」
「……気のせいだろ」
「なら、なんで泣いているんだ」
ティレクの指摘にはじめて自分が泣いていることに気づいた。気づいた途端、魔法が解けたかのように次々と涙が溢れて頬を伝っていく。必死に止めようとしても余計に溢れるばかりだ。
鼻を啜って、少しでも早く止めようと色々なことを考えてみるが止まらない。
「くそっ、なんで」
「これで目を押さえとけ」
差し出されたハンカチを受け取って目元を押さえれば、ひんやりとして心地よかった。震える息を一つついてぽつりと呟いた。
「助かる……」
「たいしたことではない。で、貴様が夜泣きするほどの夢とはなんだ」
「夜泣きじゃねえし。つーか、俺のこと嫌いなくせになんで知ろうとするんだよ」
相手を知れば知るほど、さまざまな感情がどうしても湧いてしまうことを現在進行形で体験している。
ティレクにとってアリウスは部下や親族を奪い、辱めを受けた憎い相手だ。ならば、それでいい。それ以外知る必要はない。だが、ティレクはなんてことないように返した。
「私は貴様が嫌いだ。が、ほんの少し興味がわいた。だから知りたいと思うのは自然だろう」
「意味分かんねえし……」
ティレクの言い分はまったくもって理解できない。少なくともアリウスは嫌悪している兄たちのことを知りたいとは思わない。できることなら、一生顔を合わせずにいたいぐらいだ。
眉を寄せてうんざりとした顔を浮かべるアリウスにティレクは淡々と続けた。
「なら、それでもかまわない。どちらにせよ、私が話せと言っているのだから、貴様は大人しく語れ」
「語れって……簡単に言うなよ」
過去を語るのはすなわち弱点を晒すということだ。頑ななアリウスにティレクは「ならば、こうしよう」と提案してきた。
「貴様が過去を話せばお前が知りたいであろう私のことを一つ応えよう」
「なんで俺がお前のことを知りたい前提で話すんだよ」
「なんでもなにも、貴様は私のことが好きだろう」
なんてことないようにティレクは言ってきた。
ずっと抱えていた感情の正体をティレク本人から指摘されるとは思っていなかった。絶句していると、ティレクは足を組んで続ける。
「なにを驚いている。私は何度も貴様に言っただろう。貴様の視線はうるさいと」
「べ、べ、別にっ、お前のことなんか好きじゃねーよっ! 自意識過剰もたいがいにしろっ!!」
図星をつかれて反射的に怒鳴るものの声が裏返り、顔が火照ってしょうがない。
じっとりと背中や額に汗ばむのを感じながら、顔真っ赤にして歯を噛みしめた。反対にティレクは顔色一つ変えずに続けた。
「試しで言ったつもりだったが、ほんとうに好意を寄せていたのか」
「――っ!」
まじまじとアリウスを見つめてくるティレクにもはや言葉が出てこなかった。誘導尋問もいいところだ。悔しさと情けなさとどうしてこんな相手に惚れたのか自分の感性を疑ってしまう。
それでも理由はすぐに浮かんでくる。たとえ裏切られたとしてもなお悲しむ愛情深さと傲慢ともとれる揺るぎない自信に惹かれたのだ。
黙り込んだアリウスにティレクは「ふむ」と小さく呟くと、アリウスを見据えた。
「まあそれはおいといて、夜泣きの原因を話す気になったか」
「ならねえよ! どうやったら今の流れでなるんだよ! そもそもお前は俺のことが好きなのかよ!」
「さっきも言ったとおり、嫌いだが」
息をするように言い返すティレクにぎゅっと手を握りしめると、頭から毛布をかぶった。途端にティレクが毛布越しにアリウスを揺すった。
「おい、なぜ毛布をかぶる」
「うるせぇ! お前なんか嫌いだ!」
「無関心よりましだろ」
「俺にとってはどっちも同じだっつーの!」
毛布の中から抗議すれば、ティレクがそっとため息をついた。かすかにベッドが沈み、寄りかかってきたのか毛布越しにティレクの体重を感じた。
「元気なのはいいことだが、熱がぶり返すぞ」
「だったら病人に寄りかかんじゃねえよ」
口ではそう言いつつも、布団越し伝わるティレクの体温に安堵としてしまう。
きっとそう思ってしまうのは、昔の夢を見たからだ。決してティレクのことが好きだからではない。そう自分に言い聞かせて不貞寝した。
少しして戻ってきたティレクの手には白い湯気が立つ大きめのマグカップに匙がいれてある。
差し出されたそれを受け取れば、鼻先にはラズベリーやコケモモなどさまざまなベリーとミントの匂いがかすかにした。匙を手にとれば、鮮やかな赤い液体がとろりと流れる。その異様さに思わず眉がよった。
「これ。なにいれた?」
「ティベルクではウッルというとろみをだす樹液を使うのだが、ここでは手に入らないからな。葛というもので代用した。安心しろ、味の再現は完璧だ」
「いや、そうじゃなくて」
立ち上る湯気から香るにおいだけならむしろ好ましいほどだ。戸惑いながらも意を決して、一口すくって口に入れている。途端にアリウスの眉間に深いしわが刻まれた。
「甘すぎる……っ」
「だろうな。まあ、そういうと思って、これも持ってきたぞ」
ドンとサイドテーブルにポットを置かれたポットを見つめたまま尋ねた。
「今度はなんだよ」
「ホットヨーグルトだ。酸味が強いものだからこれで割るとちょうどよくなる」
「わかってるなら、最初からそうしろよ」
頭に響く甘みで顔をしかめながら、マグカップの中にホットヨーグルトを注ぐ。
鮮やかな赤い中身は柔らかい薄紅色へと変わり、試して一口食べればちょうどいい甘さだった。
「お、これなら食べやすい」
「そうか」
甘いのは好みではない。けれど、一口また一口と運んでしまう。
その様子を眺めていたティレクがベッドの脇にあるイスへ腰を下ろした。シンと静まる部屋は窓越しから聞こえる賑わった声と薪が小さく爆ぜる音だけが妙に響く。
いつもならさして気になることではないが、今は妙に気になってしまう。黙ってじっとしているティレクはあらためてみると、精巧な人形のようだ。声さえださなければ、男とも女ともいえない独特の雰囲気をまとっている。
「貴様はことあるごとに私を視姦してくるのだな」
「しっ……、はあぁ?! 自意識過剰にもほどがあるだろ!」
「自意識過剰なものか。この間言っただろ。貴様の視線はうるさいと」
ふっと息を吐くティレクに、顔に熱が集まってくるのを感じた。
マグカップに残っていたものを飲み干すと、勢いよくサイドテーブルに置く。そして、毛布を頭まですっぽりかぶってティレクに背を向けた。
「ごちそーさんっ、俺は寝るっ」
「全部食べたのか」
カラになったマグカップを覗いて意外そうにティレクが呟く。アリウスは布団をかぶったままボソリと答えた。
「甘ったるかったけど、うまかった」
「そうか」
その声音に再び顔が火照っていく気がした。
ティレクの声音がいつになく優しく聞こえたのも、胸を柔かく締め付ける痛みもきっと熱に浮かされているせいなのだ。
「さあ、アリウス。あなたの好きなマフィンを焼いてきたわ」
「ホットミルクもありますよ」
目の前へ並べられた黄金色のマフィンとホットミルクにアリウスは大きな青い瞳をキラキラさせた。
雲一つない晴天の下、暖かな風がアリウスの金髪を撫でていく。まだ幼いアリウスにとって、バルコニーにあるテーブルもイスも高く、足がぷらぷらと揺れて落ち着かなかった。
それでも帝都の工場地帯に並ぶ煙突からもくもくと空にのぼっていく煙や大通りをひしめく人の群れをはじめ、帝都の日常を見るのが好きだった。
そして、もっと大好きなのが、愛する母と母の作った蜂蜜がたっぷり練り込んであるマフィン。それと体の弱いアリウスを思っていつもホットミルクは用意してくれる乳母。それが幼いアリウスのすべてだった。
影で噂される自分の容姿も母が低い身分であることも気にしたことなかった。だから、これからもこの穏やかな日常がずっと続くと疑わなかった。いや、疑うことを知らなかった。
「おまえに土産をやるよ」
はじめて兄たちからもらった菓子は母のマフィンほどではないが、とてもキラキラと輝いて見えたのを今でも覚えている。
兄弟全員母が違う上に、末弟であり家族の中で唯一王家に伝わる神獣オガルスの特徴――稲穂を彷彿させる見事な金髪と空色――に近いアリウスを年の離れた兄たちは輪をかけて冷たかった。
廊下ですれ違うとき、足を引っかけられて何度転んだか。階段を下りているときに背中を押されて骨折したこともあれば、打ち所が悪くて数日間目が覚めなかったときもあった。そんな兄たちからはじめての菓子だ。
乳母は絶対に毒が入っているから食べない方がいいと不安そうにしていた。それでも、自分を疎ましく思っている兄たちからの贈り物がただ嬉しかった。たとえ、毒が入っていてもかまわない。そう思えるほど幼いアリウスは純真だった。
乳母の警告通り、菓子には毒が入っていた。毒を盛られるのはなにもはじめてではない。だが、菓子に練り込まれていた毒はオガルスでは手に入らない毒だった。
生死の境を一週間さまよったが、母の友人である医者のおかげで一命を取り留めた。けれど、生還したアリウスを待っていたのは残酷な現実だった。
母と乳母が事故で亡くなったと父の執事から聞かされたのだ。
なぜ継承権から遠い自分が見た目だけという理由でこの扱いを受けなければならないのか。兄たちがいる城はいつしかアリウスにとって檻のように思えた。どんなに力をつけても城の中は兄たちの仲間がたくさんおり、多勢無勢だ。
それならば、少しでもその檻にいる時間を減らすために外へ赴き、そして自分の強さを確かめるために戦へと身を投げた。
脳が都合よくみせた幻なのか、亡き母と乳母が大きな川を挟んで泣いているように見えた。何度も謝る母とそんな母の背を優しくさする乳母の姿に思わずためらうことなく川へと駆け寄った。
川はアリウスが思っていたよりもずっと深く、幅が広かった。どんなに泳いでもいっこうに距離は縮まらない。それどころか体が沈んでいく。
「母さんっ、ばあやっ!」
アリウスが叫んでがむしゃらに手を伸ばす。そうすれば、なにかを掴んだ。目の前の景色が揺らいでハッと目が覚めた。
「夢、か」
ドキドキと心臓が早鐘を打ち、汗をかいたのか服が吸い付いて不快だった。
深呼吸をして起き上がろうとすれば、ぐいっと手が引っ張られる。不思議に思って引っ張られた方へと視線を向ければ、ぎょっとした。
「お前、寝てたんじゃないのかよ」
「寝てたが、貴様があまりにもうるさいから様子を見にきたら、このとおりだ」
ティレクが見せつけるように手首を持ち上げた。
そうすれば、アリウスの手もつられて持ち上がる。ようやくアリウスはティレクの手首を握っていたことに気づいて、慌てて手を離した。
ティレクの手首には、くっきりと手形がつき、強い力で握っていたことがわかる。ティレクは手首を軽くさすりながらベッドサイドにあるイスへ座り直した。
「ずいぶんうなされていたな。母と乳母を呼んでいたようだが」
「……気のせいだろ」
「なら、なんで泣いているんだ」
ティレクの指摘にはじめて自分が泣いていることに気づいた。気づいた途端、魔法が解けたかのように次々と涙が溢れて頬を伝っていく。必死に止めようとしても余計に溢れるばかりだ。
鼻を啜って、少しでも早く止めようと色々なことを考えてみるが止まらない。
「くそっ、なんで」
「これで目を押さえとけ」
差し出されたハンカチを受け取って目元を押さえれば、ひんやりとして心地よかった。震える息を一つついてぽつりと呟いた。
「助かる……」
「たいしたことではない。で、貴様が夜泣きするほどの夢とはなんだ」
「夜泣きじゃねえし。つーか、俺のこと嫌いなくせになんで知ろうとするんだよ」
相手を知れば知るほど、さまざまな感情がどうしても湧いてしまうことを現在進行形で体験している。
ティレクにとってアリウスは部下や親族を奪い、辱めを受けた憎い相手だ。ならば、それでいい。それ以外知る必要はない。だが、ティレクはなんてことないように返した。
「私は貴様が嫌いだ。が、ほんの少し興味がわいた。だから知りたいと思うのは自然だろう」
「意味分かんねえし……」
ティレクの言い分はまったくもって理解できない。少なくともアリウスは嫌悪している兄たちのことを知りたいとは思わない。できることなら、一生顔を合わせずにいたいぐらいだ。
眉を寄せてうんざりとした顔を浮かべるアリウスにティレクは淡々と続けた。
「なら、それでもかまわない。どちらにせよ、私が話せと言っているのだから、貴様は大人しく語れ」
「語れって……簡単に言うなよ」
過去を語るのはすなわち弱点を晒すということだ。頑ななアリウスにティレクは「ならば、こうしよう」と提案してきた。
「貴様が過去を話せばお前が知りたいであろう私のことを一つ応えよう」
「なんで俺がお前のことを知りたい前提で話すんだよ」
「なんでもなにも、貴様は私のことが好きだろう」
なんてことないようにティレクは言ってきた。
ずっと抱えていた感情の正体をティレク本人から指摘されるとは思っていなかった。絶句していると、ティレクは足を組んで続ける。
「なにを驚いている。私は何度も貴様に言っただろう。貴様の視線はうるさいと」
「べ、べ、別にっ、お前のことなんか好きじゃねーよっ! 自意識過剰もたいがいにしろっ!!」
図星をつかれて反射的に怒鳴るものの声が裏返り、顔が火照ってしょうがない。
じっとりと背中や額に汗ばむのを感じながら、顔真っ赤にして歯を噛みしめた。反対にティレクは顔色一つ変えずに続けた。
「試しで言ったつもりだったが、ほんとうに好意を寄せていたのか」
「――っ!」
まじまじとアリウスを見つめてくるティレクにもはや言葉が出てこなかった。誘導尋問もいいところだ。悔しさと情けなさとどうしてこんな相手に惚れたのか自分の感性を疑ってしまう。
それでも理由はすぐに浮かんでくる。たとえ裏切られたとしてもなお悲しむ愛情深さと傲慢ともとれる揺るぎない自信に惹かれたのだ。
黙り込んだアリウスにティレクは「ふむ」と小さく呟くと、アリウスを見据えた。
「まあそれはおいといて、夜泣きの原因を話す気になったか」
「ならねえよ! どうやったら今の流れでなるんだよ! そもそもお前は俺のことが好きなのかよ!」
「さっきも言ったとおり、嫌いだが」
息をするように言い返すティレクにぎゅっと手を握りしめると、頭から毛布をかぶった。途端にティレクが毛布越しにアリウスを揺すった。
「おい、なぜ毛布をかぶる」
「うるせぇ! お前なんか嫌いだ!」
「無関心よりましだろ」
「俺にとってはどっちも同じだっつーの!」
毛布の中から抗議すれば、ティレクがそっとため息をついた。かすかにベッドが沈み、寄りかかってきたのか毛布越しにティレクの体重を感じた。
「元気なのはいいことだが、熱がぶり返すぞ」
「だったら病人に寄りかかんじゃねえよ」
口ではそう言いつつも、布団越し伝わるティレクの体温に安堵としてしまう。
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