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中学生編
師走から睦月へ2
その日はいつになく寒いせいか透明はこたつの中に首元までもぐっていた。隣にいるちーすけも透明と同じように顔だけ出していた。
「透明、白錆。縁側に出てみろ」
寒い中、黒鴇が障子を開けて声をかけてきた。
寒いことを訴えても黒鴇は「いいから出ろ」と言うばかりでしぶしぶ透明はこたつから出て縁側に出てみる。すると、そこにはシャボン玉のようにさまざまな色を放つ光がいくつも中を漂っていた。
ココアが入っているマグカップを差し出した椿にたずねた。
「珍しいですね、新種のホタルですか」
「違うわ。まあ、見ていると分かるわよ」
にこりと笑った椿に言われココアを飲みながら光虫が漂う暗い庭を見る。
菅山はココアを一気に飲み干すとその暗闇を見つめる。ふわりと光虫がだんだん集まってくると、いったいどこから現れたのか一人の少年が現れた。真っ黒髪は毛先だけ明るい橙色に染まっており、黒い着物には橙色や青緑といったように不規則な色が散っている。
「樒はどこだ」
「もう寝ているわ」
「そうか……。ここはいつきても懐かしいな」
少年はほのかに光を放ち、その光に引き寄せられるように光虫が集まる。それから透明たちを見るとわずかに眉を寄せた。
「そこにいるのは雪花か」
「えっ」
透明は思わず声を洩らすと少年が近づいてきた。そっと透明の膝に手を当てると小さく首をかしげた。
「雪花と同じ匂いだ。でも、お前の感触は雪花じゃない。雪花の……子供なのか」
「母さんを知ってるのか」
その少年の手を掴んで聞き返すと少年はわずかに眉根を寄せて黒鴇、椿、菅山の順に顔を向けていった。
「どういうことだ。雪花は……雪花が死んだというのか」
「おいおい、はっきり言うなよ」
「いいんだ。菅山」
菅山の諫める声に透明は小さく首を振った。
少年はしばし黙った後するりと透明の手から離れると透明の頬を撫で続けた。
「お前は生きたいか」
「えっ」
「生きたいか」
淡々と少年は続けた。その言葉に戸惑っていると少年がふっと笑う。
「我はまた来る。お前に少しだけ時間をやる。お前が本当に生きたいと望むなら我にその証を見せろ」
「瑪瑙(めのう)! お前勝手なことを」
「鬼天狗(おにてんぐ)が目を覚ました」
黒鴇の鋭い叫びはその言葉で声を失った。椿の表情も気のせいか青白い。
「鬼天狗だけじゃない、酒呑童子も九尾の狐まで目を覚ました」
「うそ……」
椿のかすれた声がそういうが、瑪瑙は小さく首を振った。
「雪花の子よ、気をつけるがいい。警戒することを忘れるな」
瑪瑙は低く呟くと透明から離れて踵を返し、暗闇の中へと消えていった。透明はただ瑪瑙にかけられた言葉に呆然としていた。けれど、その言葉に似たようなことをどこかで聞いた。そうだ、浩二郎が言っていたのだ。
その警戒心。忘れないようにするんだね、と。
瑪瑙といったあの人物も珍客なのだろうか。黒鴇や椿たちを振り返れば二人ともただ顔を青白くしているだけだ。隣にいる菅山さえも同じ表情をしている。自分が知らないところで何かが起きている。
「あの、椿さん」
戸惑った末椿に声をかけると椿は驚いたように透明を見た。透明は椿を見つめた。
「樒さんはどこにいるんですか」
その言葉に椿は困ったように眉根を寄せた。樒は寝ているといっていた。しかし、それは違う。理由は分からないけれど、直感的にそう感じたのだ。
「鬼天狗って何なんですか? それに酒呑童子と九尾の狐でしたっけ。そいつらは今までの妖とは違うんですか」
「それは……」
「菅山、お前は黒鴇たちと同じ存在なんだろ」
聞きたいことはたくさんある。受験なんかどうでもよく感じてしまう。けれど、椿も黒鴇も菅山も口を開こうとしなかった。
透明は唇を強く引き結ぶと立ち上がって外へと出た。冷たい空気が露出されている肌を冷やし、熱を奪っていく。それでも、透明は闇雲に薄暗い街中を走り、気づいて足を止めたときには知らない家にたどり着いていた。
香灯も十分大きな家だが、たどり着いた家はさらに大きく古めかしい。なにより、その家からはひどく嫌な感じがした。
――逃げなさい。
どこからともなく声が聞こえてあたりを見渡すが、もう声は聞こえてこなかった。
透明はとりあえず引き返そうと思いその場から逃げるように走り出した。けれど、ずいぶん遠くまで来ていたのか走っても走っても見慣れない景色だった。それでも、足を止めずに走り続けていると向こうからなにか白い小さなものが透明に向かって走りよってくる。その姿を見た瞬間透明は安堵した。
ちーすけが透明の近くに来ると透明に勢いよく飛びついた。しっとりとわずかに湿り気を含んだちーすけの毛並みは少し冷たかった。小さく耳を震わし透明の頬に顔を摺り寄せるちーすけを抱きしめ歩き始めた。
ちーすけは道案内でもするかのようにまっすぐに前を向いて時折分かれ道などにあうと片方の方へと顔を向けて耳を小さく震わした。やがて見慣れた家が見えてくると玄関には黒鴇や椿がいて透明を見るなり安堵した表情をした。透明もそっと微笑もうとしたときだった。
背後から身の毛がよだつような低い唸り声が風と共に聞こえてきた。椿と黒鴇がなにかを言っている。けれど、その声は届くことはなかった。恐怖を感じているにもかかわらず透明は思わず振り返った。同時に視界が黒く塗りつぶされ、痛みが体を侵食していく。
「この馬鹿がっ」
声がすぐ傍で聞こえると共に視界が見えるようになると暗闇の中青白い顔をした白錆の顔がまず目に入った。白錆と目が合うと、白錆はホッと息を漏らした。そして、地面に落ちている真っ二つに切られた紙片を指先でつまむと黒鴇や椿を見せた。
「式神か……。よりにもよってこの呪詛かよ」
苦々しげに呟いた白錆はそれを握りしめた。また自分だけなにも知らない。尋ねたいのに、透明は口を開くことができず、そのまま意識を失った。
結局、聞きたいことが聞けないまま、式神に襲われたことなど嘘のようにいつもどおりの生活に戻った頃だった。
学期末テストが終わり、ほとんどのものが進路が決まった。三年生は少し早い冬休みを迎えていた。無事正月を迎えた透明は初めて食べる餅に感動していた。
柔らかく、弾力がある餅は湯で餅も焼き餅もおいしい。お雑煮にしたり、黄な粉にまぶしたり、砂糖醤油にからめていたりと食べ方は色々とある。その中でもお汁粉風に食べるのが一番おいしかった。
「ねえ、この後みんなで着物を着て、初詣に行かない」
「お、それいいな」
椿の言葉に菅山が餅を食べ終えたのか残った汁を飲み干して答えた。黒鴇はすでに食事を終えたのか静かに酒を飲んでいる。ちらりと樒を見れば、樒はゆるりと目を細めた。
「なら、私も久しぶりに行こうかな」
「いいのか」
黒鴇が樒を見てたずねれば、いつの間にか透明の膝から樒の膝に移っているちーすけをなでながら樒は答えた。
「雪があるから大丈夫」
「そうか」
やがてみんな食事が終わり、椿が片づけをしている間に樒についてくるように言われて素直に透明はついて行った。樒の部屋に着くと樒が桐箪笥の中から肌襦袢と長襦袢に紺色の着物に菫色の帯を出した。差し出された着物を受け取った。
着ていた服を脱いで下着姿になると肌襦袢を着ようとしたが、どう着ればいいかわからずにいると樒が近づいてきて教えてくれた。長襦袢を着終えて、ようやく紺色の着物を着て最後に帯を締めてもらう。その間はひたすら恥ずかしくて淡々と慣れた調子でやる樒の手際よさに見惚れていた。最後に黒い羽織を羽織るとよく似合うと樒が褒めてくれた。
「あ、まだ足袋履いてなかったね」
樒がそういうと紺色の足袋を出していつの間にかあった小さなイスに腰をかけるように言った。言われたとおりに透明がイスに座ると樒が屈んできて足袋を履かせてくれた。上から見たとき樒の艶やかな黒い髪の隙間から綺麗な白い項が見えてドキドキとしていればいつの間にか終わっていた。
「あ、りがとうございます……」
「どういたしまして。さて、彼らもそろそろ終わったと思うし、外にでようか」
樒に促されて一緒に部屋から出ると、外にはすでに着物に着替えた菅山たちがいた。椿が纏っている紅色の着物には辻ヶ花の模様があり、裾には細かな金彩が散らしてあった。白に近い金色の帯と橙色の帯止めが華やかでよく似合っていた。なにより首に巻いている白いファーが温かそうだった。
菅山は反対に苔色の着物に絣文様の生成り色の帯をつけていた。黒鴇は橡色の着物に薄茶色の青海波のような縞模様一本入った黒い帯を締めていて相変わらず黒かった。
「遅かったな」
「俺が樒さんの手を煩わしちゃって」
着物に慣れていないため一から着させてもらったことを言えば菅山にからかわれた。
五人で近くの神社へ向かう途中先に歩いていた三人より一歩下がった形で歩いている樒が気になり、透明は足の速さを緩めた。町の中もあるせいなのか透明たちが住んでいる一帯は車の通行が禁止となっている。そのため、足元には真っ白な雪があり、踏むたびにさくさくと心地よい音が聞こえた。
「あの、樒さん」
「なんだい」
最初会った時とは違って、今では樒を少し見下ろすぐらい透明の身長は伸びていた。樒がわずかに顔を上げて透明を見る際、ゆるりと細められた黒真珠のような瞳に見惚れた。白い樒の肌は雪よりも色づいているといえど、白いことに変わりはない。透明は首に巻いていた紫のマフラーを外して、そっと樒の首に巻いた。透明でさえ少し長いため透明よりも華奢な樒には長く感じるだろう。
「その、さっきから袖に手を入れていて寒そうだったので」
「ありがとう」
そういって微笑んだ樒に透明はぶんぶんと首を振った。先を歩いていた菅山たちがそんな透明を見ていてひっそりと口元に笑みを浮かべていたことに、透明は気づかなかった。
神社に着くと、たくさんの人がいることに驚いた。一体何千人いるのだろうと透明は思いながら、あたりを見渡していた。初詣のついでとばかりにところどころ屋台が出ていて、いいにおいがあたりに満ちていた。さっそくお参りをする場所へときて、ぎゅうぎゅうと人に押されながらもお金を入れてお願いをした。
――これからもみんなと一緒にいれますように。
単純かもしれないが、透明にとっては些細な願いだった。
やがて、お参りが終わると菅山が屋台を回りたいと言い出した。黒鴇は断固駄目だという姿勢を見せるが、樒と椿が許可を出したためしぶしぶ黒鴇は折れた。許可を得るなり、さっそく菅山は人ごみに消え、黒鴇も椿も消えた。樒と残された透明はちらりと隣にいる樒を見た。樒の目元や耳朶は薄紅色に染まっていて綺麗だなと思っていると、樒が声をかけてきた。
「立っているのも疲れるし、あそこで座っていようか」
樒が顔を向けた先は向こう岸に行くちょうど真ん中あたりが楕円型で広くなっている場所だった。樒の言葉に頷いてその場所に行けば、ベンチがあり二人で座った。屋根がついているせいかベンチには雪が積もっていない。けれど、子供が落ちないようにと狭い間隔で隙間があいているためほとんど吹き抜け同然だった。
ベンチからでも大きな池には鯉が泳いでいることが分かり、鮮やかな朱色の鯉や金色の鯉のほか黒い鯉など色とりどりの鯉が優雅に泳いでいた。
「あの、樒さん」
「なんだい」
「寒く、ないですか」
冷たそうな樒の手を見て、聞いてしまうと樒は「どっちだと思う」と意地悪く聞き返した。透明はその言葉に戸惑った末、そっと樒の手を握った。思ったとおり、樒の手は冷たかった。
「冷たいじゃないですか」
「冷たくても、寒いとは別だと思うんだけどな。でも、透明くんの手はあったかいね」
樒がそういってくると同時に透明に寄りかかってきた。途端に透明の顔は熱くなり、着物越しに伝わる樒の小さな温もりにドキドキした。ちらりと寄りかかっている樒を見れば、樒の瞳は真っ直ぐに池にいる鯉に注がれていた。
透明は慎重に羽織から片腕を出してこの際はとばかりに割り切り、樒を思いっきり引き寄せると羽織の中に入れた。先ほどよりも近くなった温もりに透明の心臓はいっそう高鳴ったが、心地よくも感じた。
「あ、あったかいですか」
「うん、暖かいね」
小さく笑って樒は答えた。すぐ傍から香る白檀の香りはすでに馴染み深く、透明はその香りを嗅げば樒が傍にいるのだと思うようになっていた。おずおずと樒のしっとりとした髪に触れれば滑らかな髪が指を通り抜けていく。そうしてどのくらい経ったのか遠くから菅山たちの姿が見えた。三人はどうやら途中で合流したらしい。
菅山の腕の中にはチョコバナナと綿飴のほか、じゃがバターとから揚げが二つずつ通されている串が三本あり、椿の腕の中にはおうばん焼きやたい焼きに焼き栗のほか鼈甲飴が四つに林檎飴が一つあった。また、黒鴇の腕の中にはたこ焼きや焼き鳥のほかお好み焼きがあった。三人が来て、透明は顔を真っ赤にすると椿が口元に笑みを浮かべて小さく首をかしげた。
「あら、お邪魔だったかしら」
「そ、そんなこと、ないですっ」
「おい、樒。これやるよ」
嬉々として菅山がチョコバナナを樒に渡すと樒は礼を言って食べ始めた。ふだんは菓子を食べている姿を見ていないせいか妙に新鮮だ。まじまじと透明が見ていると、菅山が透明の耳元に囁いた。
「バナナって卑猥な形をしてるよな」
「菅山っ」
透明は菅山の言葉に思わず怒鳴ると菅山は「照れるなよ」とにやにやと笑いながら真っ赤になっている透明のわき腹を小突いた。菅山の言葉で透明はしばらくバナナは食べるの愚か見るのが苦手になりそうだった。広いベンチに三人も背中を合わせるように座り、軽食をとることにした。
「透明くんにはこれ上げる」
椿から差し出されたのは焼き栗の袋だった。すでに剥かれている焼き栗は少し熱いぐらいだったが、口に入れると栗の甘みが口いっぱいに広がる。
「ほら、この唐揚げも食えよ」
栗を食べていた途中にもかかわらず、菅山はホクホクと湯気を立てている小ぶりなジャガイモと唐揚げが通されている串を口に押し込まれる。串から唐揚げを外して、もごもごと口に押し込まれた唐揚げを食べた。出来立てなのか表面は香ばしくて少し塩気は強いがおいしい。透明が半分ほど食べたのを見計らって黒鴇が立ち上がった。
「そろそろ帰るぞ」
「しょうがねえな」
菅山が小さく文句を言いながら大量に買い込んだ荷物を持った。帰る途中も相変わらずあたりは人が多く賑わっていた。ひやりと首筋に冷たい感触がして驚けば、空から再び雪が降り始めていた。
家について「さむさむ」と言いながら菅山は真っ先に食事の間にあるコタツに入った。その様子に黒鴇は眉間にしわを寄せていたが、留守番をしていたちーすけが抗議をするような鳴き声をあげながら、玄関に来ると黒鴇の表情が和らいだ。ちーすけを抱き上げると黒鴇はある程度荷物をもって食事の間にいった。
玄関に残された透明と樒と椿も食事の間に行こうとするとくすくすと椿の小さな笑い声が聞こえて透明は思わず振り返った。
「どうしたんですか」
「だって、透明くん神社で樒の手を握ってからずっと離さないんだもの」
そのことを指摘されて思わず自分の手を見れば顔が一気に熱くなり、慌てて手を離した。確かに椿が言っていたとおり、しっかりと樒の手を握っていた。
そのことにまったく気づいていなかった透明は無性に恥ずかしくなった。日頃から歩くのが早いといわれている透明だ。きっと樒に無理をさせてしまったのだろう。そう思うと申し訳なくなり樒に小さく謝った。樒はそんな透明を見て目を細めた。
「キミが心配することなんてないんだよ。先に食事の間に行って温まっていなさい」
「はい……」
透明はちらりと樒を見た後食事の間に行った。こたつに足を突っ込めば温かい。こたつの温もりにうとうとしていると、ちーすけがこたつから出てきて透明の膝の上に乗った。そんなちーすけを優しくなでているうちに透明は眠っていた。
「透明、白錆。縁側に出てみろ」
寒い中、黒鴇が障子を開けて声をかけてきた。
寒いことを訴えても黒鴇は「いいから出ろ」と言うばかりでしぶしぶ透明はこたつから出て縁側に出てみる。すると、そこにはシャボン玉のようにさまざまな色を放つ光がいくつも中を漂っていた。
ココアが入っているマグカップを差し出した椿にたずねた。
「珍しいですね、新種のホタルですか」
「違うわ。まあ、見ていると分かるわよ」
にこりと笑った椿に言われココアを飲みながら光虫が漂う暗い庭を見る。
菅山はココアを一気に飲み干すとその暗闇を見つめる。ふわりと光虫がだんだん集まってくると、いったいどこから現れたのか一人の少年が現れた。真っ黒髪は毛先だけ明るい橙色に染まっており、黒い着物には橙色や青緑といったように不規則な色が散っている。
「樒はどこだ」
「もう寝ているわ」
「そうか……。ここはいつきても懐かしいな」
少年はほのかに光を放ち、その光に引き寄せられるように光虫が集まる。それから透明たちを見るとわずかに眉を寄せた。
「そこにいるのは雪花か」
「えっ」
透明は思わず声を洩らすと少年が近づいてきた。そっと透明の膝に手を当てると小さく首をかしげた。
「雪花と同じ匂いだ。でも、お前の感触は雪花じゃない。雪花の……子供なのか」
「母さんを知ってるのか」
その少年の手を掴んで聞き返すと少年はわずかに眉根を寄せて黒鴇、椿、菅山の順に顔を向けていった。
「どういうことだ。雪花は……雪花が死んだというのか」
「おいおい、はっきり言うなよ」
「いいんだ。菅山」
菅山の諫める声に透明は小さく首を振った。
少年はしばし黙った後するりと透明の手から離れると透明の頬を撫で続けた。
「お前は生きたいか」
「えっ」
「生きたいか」
淡々と少年は続けた。その言葉に戸惑っていると少年がふっと笑う。
「我はまた来る。お前に少しだけ時間をやる。お前が本当に生きたいと望むなら我にその証を見せろ」
「瑪瑙(めのう)! お前勝手なことを」
「鬼天狗(おにてんぐ)が目を覚ました」
黒鴇の鋭い叫びはその言葉で声を失った。椿の表情も気のせいか青白い。
「鬼天狗だけじゃない、酒呑童子も九尾の狐まで目を覚ました」
「うそ……」
椿のかすれた声がそういうが、瑪瑙は小さく首を振った。
「雪花の子よ、気をつけるがいい。警戒することを忘れるな」
瑪瑙は低く呟くと透明から離れて踵を返し、暗闇の中へと消えていった。透明はただ瑪瑙にかけられた言葉に呆然としていた。けれど、その言葉に似たようなことをどこかで聞いた。そうだ、浩二郎が言っていたのだ。
その警戒心。忘れないようにするんだね、と。
瑪瑙といったあの人物も珍客なのだろうか。黒鴇や椿たちを振り返れば二人ともただ顔を青白くしているだけだ。隣にいる菅山さえも同じ表情をしている。自分が知らないところで何かが起きている。
「あの、椿さん」
戸惑った末椿に声をかけると椿は驚いたように透明を見た。透明は椿を見つめた。
「樒さんはどこにいるんですか」
その言葉に椿は困ったように眉根を寄せた。樒は寝ているといっていた。しかし、それは違う。理由は分からないけれど、直感的にそう感じたのだ。
「鬼天狗って何なんですか? それに酒呑童子と九尾の狐でしたっけ。そいつらは今までの妖とは違うんですか」
「それは……」
「菅山、お前は黒鴇たちと同じ存在なんだろ」
聞きたいことはたくさんある。受験なんかどうでもよく感じてしまう。けれど、椿も黒鴇も菅山も口を開こうとしなかった。
透明は唇を強く引き結ぶと立ち上がって外へと出た。冷たい空気が露出されている肌を冷やし、熱を奪っていく。それでも、透明は闇雲に薄暗い街中を走り、気づいて足を止めたときには知らない家にたどり着いていた。
香灯も十分大きな家だが、たどり着いた家はさらに大きく古めかしい。なにより、その家からはひどく嫌な感じがした。
――逃げなさい。
どこからともなく声が聞こえてあたりを見渡すが、もう声は聞こえてこなかった。
透明はとりあえず引き返そうと思いその場から逃げるように走り出した。けれど、ずいぶん遠くまで来ていたのか走っても走っても見慣れない景色だった。それでも、足を止めずに走り続けていると向こうからなにか白い小さなものが透明に向かって走りよってくる。その姿を見た瞬間透明は安堵した。
ちーすけが透明の近くに来ると透明に勢いよく飛びついた。しっとりとわずかに湿り気を含んだちーすけの毛並みは少し冷たかった。小さく耳を震わし透明の頬に顔を摺り寄せるちーすけを抱きしめ歩き始めた。
ちーすけは道案内でもするかのようにまっすぐに前を向いて時折分かれ道などにあうと片方の方へと顔を向けて耳を小さく震わした。やがて見慣れた家が見えてくると玄関には黒鴇や椿がいて透明を見るなり安堵した表情をした。透明もそっと微笑もうとしたときだった。
背後から身の毛がよだつような低い唸り声が風と共に聞こえてきた。椿と黒鴇がなにかを言っている。けれど、その声は届くことはなかった。恐怖を感じているにもかかわらず透明は思わず振り返った。同時に視界が黒く塗りつぶされ、痛みが体を侵食していく。
「この馬鹿がっ」
声がすぐ傍で聞こえると共に視界が見えるようになると暗闇の中青白い顔をした白錆の顔がまず目に入った。白錆と目が合うと、白錆はホッと息を漏らした。そして、地面に落ちている真っ二つに切られた紙片を指先でつまむと黒鴇や椿を見せた。
「式神か……。よりにもよってこの呪詛かよ」
苦々しげに呟いた白錆はそれを握りしめた。また自分だけなにも知らない。尋ねたいのに、透明は口を開くことができず、そのまま意識を失った。
結局、聞きたいことが聞けないまま、式神に襲われたことなど嘘のようにいつもどおりの生活に戻った頃だった。
学期末テストが終わり、ほとんどのものが進路が決まった。三年生は少し早い冬休みを迎えていた。無事正月を迎えた透明は初めて食べる餅に感動していた。
柔らかく、弾力がある餅は湯で餅も焼き餅もおいしい。お雑煮にしたり、黄な粉にまぶしたり、砂糖醤油にからめていたりと食べ方は色々とある。その中でもお汁粉風に食べるのが一番おいしかった。
「ねえ、この後みんなで着物を着て、初詣に行かない」
「お、それいいな」
椿の言葉に菅山が餅を食べ終えたのか残った汁を飲み干して答えた。黒鴇はすでに食事を終えたのか静かに酒を飲んでいる。ちらりと樒を見れば、樒はゆるりと目を細めた。
「なら、私も久しぶりに行こうかな」
「いいのか」
黒鴇が樒を見てたずねれば、いつの間にか透明の膝から樒の膝に移っているちーすけをなでながら樒は答えた。
「雪があるから大丈夫」
「そうか」
やがてみんな食事が終わり、椿が片づけをしている間に樒についてくるように言われて素直に透明はついて行った。樒の部屋に着くと樒が桐箪笥の中から肌襦袢と長襦袢に紺色の着物に菫色の帯を出した。差し出された着物を受け取った。
着ていた服を脱いで下着姿になると肌襦袢を着ようとしたが、どう着ればいいかわからずにいると樒が近づいてきて教えてくれた。長襦袢を着終えて、ようやく紺色の着物を着て最後に帯を締めてもらう。その間はひたすら恥ずかしくて淡々と慣れた調子でやる樒の手際よさに見惚れていた。最後に黒い羽織を羽織るとよく似合うと樒が褒めてくれた。
「あ、まだ足袋履いてなかったね」
樒がそういうと紺色の足袋を出していつの間にかあった小さなイスに腰をかけるように言った。言われたとおりに透明がイスに座ると樒が屈んできて足袋を履かせてくれた。上から見たとき樒の艶やかな黒い髪の隙間から綺麗な白い項が見えてドキドキとしていればいつの間にか終わっていた。
「あ、りがとうございます……」
「どういたしまして。さて、彼らもそろそろ終わったと思うし、外にでようか」
樒に促されて一緒に部屋から出ると、外にはすでに着物に着替えた菅山たちがいた。椿が纏っている紅色の着物には辻ヶ花の模様があり、裾には細かな金彩が散らしてあった。白に近い金色の帯と橙色の帯止めが華やかでよく似合っていた。なにより首に巻いている白いファーが温かそうだった。
菅山は反対に苔色の着物に絣文様の生成り色の帯をつけていた。黒鴇は橡色の着物に薄茶色の青海波のような縞模様一本入った黒い帯を締めていて相変わらず黒かった。
「遅かったな」
「俺が樒さんの手を煩わしちゃって」
着物に慣れていないため一から着させてもらったことを言えば菅山にからかわれた。
五人で近くの神社へ向かう途中先に歩いていた三人より一歩下がった形で歩いている樒が気になり、透明は足の速さを緩めた。町の中もあるせいなのか透明たちが住んでいる一帯は車の通行が禁止となっている。そのため、足元には真っ白な雪があり、踏むたびにさくさくと心地よい音が聞こえた。
「あの、樒さん」
「なんだい」
最初会った時とは違って、今では樒を少し見下ろすぐらい透明の身長は伸びていた。樒がわずかに顔を上げて透明を見る際、ゆるりと細められた黒真珠のような瞳に見惚れた。白い樒の肌は雪よりも色づいているといえど、白いことに変わりはない。透明は首に巻いていた紫のマフラーを外して、そっと樒の首に巻いた。透明でさえ少し長いため透明よりも華奢な樒には長く感じるだろう。
「その、さっきから袖に手を入れていて寒そうだったので」
「ありがとう」
そういって微笑んだ樒に透明はぶんぶんと首を振った。先を歩いていた菅山たちがそんな透明を見ていてひっそりと口元に笑みを浮かべていたことに、透明は気づかなかった。
神社に着くと、たくさんの人がいることに驚いた。一体何千人いるのだろうと透明は思いながら、あたりを見渡していた。初詣のついでとばかりにところどころ屋台が出ていて、いいにおいがあたりに満ちていた。さっそくお参りをする場所へときて、ぎゅうぎゅうと人に押されながらもお金を入れてお願いをした。
――これからもみんなと一緒にいれますように。
単純かもしれないが、透明にとっては些細な願いだった。
やがて、お参りが終わると菅山が屋台を回りたいと言い出した。黒鴇は断固駄目だという姿勢を見せるが、樒と椿が許可を出したためしぶしぶ黒鴇は折れた。許可を得るなり、さっそく菅山は人ごみに消え、黒鴇も椿も消えた。樒と残された透明はちらりと隣にいる樒を見た。樒の目元や耳朶は薄紅色に染まっていて綺麗だなと思っていると、樒が声をかけてきた。
「立っているのも疲れるし、あそこで座っていようか」
樒が顔を向けた先は向こう岸に行くちょうど真ん中あたりが楕円型で広くなっている場所だった。樒の言葉に頷いてその場所に行けば、ベンチがあり二人で座った。屋根がついているせいかベンチには雪が積もっていない。けれど、子供が落ちないようにと狭い間隔で隙間があいているためほとんど吹き抜け同然だった。
ベンチからでも大きな池には鯉が泳いでいることが分かり、鮮やかな朱色の鯉や金色の鯉のほか黒い鯉など色とりどりの鯉が優雅に泳いでいた。
「あの、樒さん」
「なんだい」
「寒く、ないですか」
冷たそうな樒の手を見て、聞いてしまうと樒は「どっちだと思う」と意地悪く聞き返した。透明はその言葉に戸惑った末、そっと樒の手を握った。思ったとおり、樒の手は冷たかった。
「冷たいじゃないですか」
「冷たくても、寒いとは別だと思うんだけどな。でも、透明くんの手はあったかいね」
樒がそういってくると同時に透明に寄りかかってきた。途端に透明の顔は熱くなり、着物越しに伝わる樒の小さな温もりにドキドキした。ちらりと寄りかかっている樒を見れば、樒の瞳は真っ直ぐに池にいる鯉に注がれていた。
透明は慎重に羽織から片腕を出してこの際はとばかりに割り切り、樒を思いっきり引き寄せると羽織の中に入れた。先ほどよりも近くなった温もりに透明の心臓はいっそう高鳴ったが、心地よくも感じた。
「あ、あったかいですか」
「うん、暖かいね」
小さく笑って樒は答えた。すぐ傍から香る白檀の香りはすでに馴染み深く、透明はその香りを嗅げば樒が傍にいるのだと思うようになっていた。おずおずと樒のしっとりとした髪に触れれば滑らかな髪が指を通り抜けていく。そうしてどのくらい経ったのか遠くから菅山たちの姿が見えた。三人はどうやら途中で合流したらしい。
菅山の腕の中にはチョコバナナと綿飴のほか、じゃがバターとから揚げが二つずつ通されている串が三本あり、椿の腕の中にはおうばん焼きやたい焼きに焼き栗のほか鼈甲飴が四つに林檎飴が一つあった。また、黒鴇の腕の中にはたこ焼きや焼き鳥のほかお好み焼きがあった。三人が来て、透明は顔を真っ赤にすると椿が口元に笑みを浮かべて小さく首をかしげた。
「あら、お邪魔だったかしら」
「そ、そんなこと、ないですっ」
「おい、樒。これやるよ」
嬉々として菅山がチョコバナナを樒に渡すと樒は礼を言って食べ始めた。ふだんは菓子を食べている姿を見ていないせいか妙に新鮮だ。まじまじと透明が見ていると、菅山が透明の耳元に囁いた。
「バナナって卑猥な形をしてるよな」
「菅山っ」
透明は菅山の言葉に思わず怒鳴ると菅山は「照れるなよ」とにやにやと笑いながら真っ赤になっている透明のわき腹を小突いた。菅山の言葉で透明はしばらくバナナは食べるの愚か見るのが苦手になりそうだった。広いベンチに三人も背中を合わせるように座り、軽食をとることにした。
「透明くんにはこれ上げる」
椿から差し出されたのは焼き栗の袋だった。すでに剥かれている焼き栗は少し熱いぐらいだったが、口に入れると栗の甘みが口いっぱいに広がる。
「ほら、この唐揚げも食えよ」
栗を食べていた途中にもかかわらず、菅山はホクホクと湯気を立てている小ぶりなジャガイモと唐揚げが通されている串を口に押し込まれる。串から唐揚げを外して、もごもごと口に押し込まれた唐揚げを食べた。出来立てなのか表面は香ばしくて少し塩気は強いがおいしい。透明が半分ほど食べたのを見計らって黒鴇が立ち上がった。
「そろそろ帰るぞ」
「しょうがねえな」
菅山が小さく文句を言いながら大量に買い込んだ荷物を持った。帰る途中も相変わらずあたりは人が多く賑わっていた。ひやりと首筋に冷たい感触がして驚けば、空から再び雪が降り始めていた。
家について「さむさむ」と言いながら菅山は真っ先に食事の間にあるコタツに入った。その様子に黒鴇は眉間にしわを寄せていたが、留守番をしていたちーすけが抗議をするような鳴き声をあげながら、玄関に来ると黒鴇の表情が和らいだ。ちーすけを抱き上げると黒鴇はある程度荷物をもって食事の間にいった。
玄関に残された透明と樒と椿も食事の間に行こうとするとくすくすと椿の小さな笑い声が聞こえて透明は思わず振り返った。
「どうしたんですか」
「だって、透明くん神社で樒の手を握ってからずっと離さないんだもの」
そのことを指摘されて思わず自分の手を見れば顔が一気に熱くなり、慌てて手を離した。確かに椿が言っていたとおり、しっかりと樒の手を握っていた。
そのことにまったく気づいていなかった透明は無性に恥ずかしくなった。日頃から歩くのが早いといわれている透明だ。きっと樒に無理をさせてしまったのだろう。そう思うと申し訳なくなり樒に小さく謝った。樒はそんな透明を見て目を細めた。
「キミが心配することなんてないんだよ。先に食事の間に行って温まっていなさい」
「はい……」
透明はちらりと樒を見た後食事の間に行った。こたつに足を突っ込めば温かい。こたつの温もりにうとうとしていると、ちーすけがこたつから出てきて透明の膝の上に乗った。そんなちーすけを優しくなでているうちに透明は眠っていた。
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