鬼を継ぐ者 〜磔右近奮戦記〜

西一三

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三、信州騒乱

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 仙千代は金山城へと帰ってきた。たった三ヶ月離れただけなのに懐かしいとさえ感じるのは、甲賀の伴屋敷での暮らしが、あまりに新鮮なものだったからであろう。
 里の子供たちと共に川で遊ぶなど、何事もなく城中にいれば生涯経験することもないであろう体験だった。
 そんな夢か現か分からぬ暮らしも終わり、またこれからは城での生活が始まる。仙千代が最も楽しみなのは、兄の勝蔵長可に会えることであった。
(勝蔵兄上が、また戦さ場の話を聞かせてくださる)
 鬼武蔵とも称されるほどの男の話であるから、内容は実に血生臭く、また豪快である。そんな兄と同じ血が自分にも流れていることを誇りに思うし、ゆくゆくは兄と肩を並べ、戦場を駆けたいと思っている。
 だが、仙千代と対面した長可の第一声は、思いもよらぬものであった。
「お前はなぜ生きているのだ?」
 長可は、心底不思議そうに、仙千代に尋ねた。
 これは何も、なぜ主君の後を追わなかったか、などと言うような皮肉を言っているわけではない。信長の側仕えとして上がったはずの仙千代が、なぜ一人だけ助かることができたのか疑問に思っているのである。
 つまり長可は、仙千代が側仕えをやめさせられたことをそもそも知らなかったのだ。知らせは行っていたはずだが、混乱の最中、まともに書状に目を通してもいなかったのだろう。
「実は……」
 と、仙千代は側仕えをやめさせられた顛末から話さねばならなかった。
「……ふむ、なるほど」
 大方の話を聞き終えた長可は、ようやく得心した表情になった。しかし、その次に長可の口から飛び出した言葉は、またしても仙千代の予想もつかない言葉だったのである。
「仙、お前はな、乱暴にすぎる」
 仙千代は開いた口が塞がらなかった。乱暴だ、などとは他の誰に言われても、この兄にだけは言われたくない。
 仙千代は、ついカッとなって扇で同僚の頭を叩いただけにすぎぬが、この兄はカッとなると槍で人を突き殺すのである。乱暴だ、などとは、決して、そんな天性の殺人鬼のような人間が言って良い言葉ではなかった。
 仙千代は、訳のわからぬ兄の言葉を無視し、話題を変えた。
「それより兄上、川中島では何があったのでしょうか。私と母上は三ヶ月も待ちました。兄上らしからぬ遅参ではありませんか」
「生意気なことを言うやつだ」
 長可は苦笑している。仙千代はさらに続けた。
「だってそうでしょう。いつもの兄上ならば、敵などすぐに破って迎えに来られたはず。母上など、どれほど心配なされていたことか……」
「わかっている」
 長可は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「兄上、本当に何があったのです」
 長可の目には、はっきりと憤怒の色が見て取れる。その感情が、川中島での出来事に対して向けられていることが、仙千代にははっきりと感じられた。
「奴らは裏切ったのよ」
 長可は、吐き捨てるようにそう言った。
「それも一揆などという生易しいものじゃない。国をあげて、この俺に逆らいやがった」
 信長が死んだという知らせは、川中島にも大きな波紋を投げかけた。
 そもそもこの地は、つい数ヶ月前まで武田の支配下にあったのである。一度は屈服させられたとは言え、新たな領主である長可に心から信服しているわけではなかった。織田信長という強大な力が、長可の川中島での天下を約束させていたに過ぎないのである。
 その信長が斃れたとなれば、しぶしぶ長可に従っていた武田の残党たちが息を吹き返すことも不思議ではなかった。先の一揆と違うところは、そう言った組織だった行動が可能な者たちが、長可に対して一斉に反旗を翻してしまったことである。
「なかでも許せぬのは高坂昌元こうさかまさもと
 高坂昌元は旧武田家臣である。甲州陥落以降は織田家に降伏し、長可の配下として支えていたが、信長の死を知ると信濃の国人衆を取りまとめ、反長可の中心人物となったのである。
 それだけでも許せぬことだが、昌元はかつて降伏の際長可に、自らの息子の烏帽子親になってくれるように頼んでさえもいた。長可はそれを了承し、昌元の息子に『勝助』の名を与えている。
 そこまで媚を売っておきながら、信長が死んだ瞬間掌を返すとは、武人の風上にもおけぬやつだ、と長可は言うのであった。
 その上、敵は高坂ら反旗を翻した信濃衆だけでは無かった。北の上杉景勝うえすぎかげかつが、信長の死をこれ幸いとばかり、信濃へと侵攻する動きを見せ始めたのである。
 まさしく四方は皆敵で、味方は僅かしかいない。長可はそんな絶望的状況に立たされたのであった。
「……よく生きて帰れましたね」
 そこまでの話を聞いて、仙千代は心の底からそう思った。自分がその状況に立たされたならばどうだろう。全く生還する未来が見えないのである。
 仙千代は知らないことであったが、この時全く同じ状況に立たされてしまった河尻秀隆かわじりひでたかは、蜂起した一揆衆にあえなく殺されてしまっている。
「どのようにして乗り切られたのですか」
「どうもこうも無い。逃げるしか無かった」
 その逃げると言う行為が難しいのだが、幸いと言うべきか、先の一揆を鎮圧した時、長可は有力者たちから人質を取っている。その中には例の高坂昌元の息子、勝介も含まれていた。
 長可はその人質たちを盾とし、川中島からの撤退を図ったのである。
 高坂らも、さすがに人質を無視して大規模な攻勢に出ることはできなかった。少人数での襲撃はあったが、その程度ならば長可の敵では無い。
 ひとまずは安全な場所まで辿り着いた長可は、もはや用済みだとばかりに、人質のことごとくを処刑した。
「勝助のやつは真っ先に叩っ斬ってやった」
 と、長可は得意そうに話した。
「では、その後は何事もなく?」
「いや、そううまくはいかなかったな。残念ながら、もう一悶着あった」
 そうでなければ、と仙千代は嬉しくなった。兄の戦話がそうあっさりと終わってしまっては興醒めである。
 人質を皆殺しにして木曾谷方面へ脱出した長可一行であったが、そこで新たな情報を耳にした。木曾福島城主の木曾義昌きそよしまさに不穏な動きがあると言うのである。
 木曾義昌はもともと武田に従属していたが、甲州攻めの直前に、織田家の誘いに応じて離反した男である。
 武田が滅び、信長も死んだ今、信州の混乱をこれ幸いと、自らの勢力を伸ばそうとしているのかもしれない。
 木曾は義昌の庭のようなものであるから、もし待ち伏せでもされれば、長可の命はまずないと言っていい。
「かと言って回り道をするのも癪だからなぁ」
 と話す長可を見て、仙千代はさすがの豪胆さに感心した。
「罠があるとわかっていて、飛び込んだのですか」
「覚えておけ、お仙。こういう時は少し頭を使うものだ」
 長可は、何も気づいていないふりをして、木曾義昌に知らせを出した。
「美濃への撤退の途上、そちらの領地を通過させていただきたく存じます。その際は城まで挨拶に伺いたいと思いますのでよろしくお願いします。なお、到着予定日は◯日の見込みです」
 と言った内容のものである。
 そう知らせておいて、長可の軍勢は到着予定日の前日、しかも深夜遅くに城門をぶち破り、義昌の居城に押し入ったのである。
 思いもよらぬ奇襲に、木曾軍は慌てふためいた。そして長可は首尾よく木曾義昌の息子、岩松丸を捕縛することに成功し、彼を人質としたのであった。
「鮮やかなお手なみです。さすが兄上」
「うむ。これこそが名将の知恵というものだ」
 長可は得意そうに話している。
 やはり今度も安全なところまで行けば人質を始末したのだろうか。仙千代がそう聞いたところ、意外にも長可は、岩松丸の命を助けたのだと言う。
「俺も恩を感じるくらいの心はある」
 と言うのも、木曾義昌は近隣の諸勢力にも、長可に手を出さぬよう懇願してまわったそうなのである。
「よほど息子の命が可愛かったのだろう。それに、考えてみればあいつも気の毒な奴だ」
 木曾義昌が信長の元へと降ったとき、武田の人質となっていた義昌の母や子たちは処刑されてしまっている。その上唯一残った嫡子の岩松丸まで長可の人質となったとあれば、必死になって助けを乞うのも当然であった。
 長可は、金山城のほど近くまで帰り着くと、そこで岩松丸を開放した。
「お前の父上に、此度は大変世話になった。かたじけない。と伝えておけ」
 岩松丸は、少数の家臣たちに連れられ、トボトボと帰っていったという。
「それが六月の二十四日のことだ」
 つまり長可は、金山に帰り着くまで二十日以上も要したことになる。実に苦難の道のりであったことが、仙千代にもよくわかった。
 だが、金山に帰っても長可の安息の時は訪れなかった。金山城のある美濃においてでさえ、長可の配下であったり、織田家中での同僚であった者たちが、あるいは独立し、あるいは他勢力と手を携えて、各々が好き勝手に力を伸ばし始めたのである。
 信長の死をきっかけにし、美濃は再び戦国時代に戻りつつあった。
 中でも長可のように、かねてより多くの恨みを買っている人間にとって、四方は全て敵と言っても過言では無い状況になっていた。
 とはいえ、それらを一つ一つ叩き潰して回ることができるのが、長可の鬼武蔵たる所以である。
 特に強みになったのは、金山城で家老、各務かがみ兵庫助ひょうごのすけ元正もとまさと合流できたことであろう。
 各務元正は本能寺の変が起こる直前、新たな金山城主となるはずであった蘭丸のために、一足早く帰還していた。そのため、川中島からの撤退戦には参加できていなかった。
 しかし、この男もまた、その仮名を持って鬼兵庫と呼ばれるほどの猛将であった。それが合流したのであるから、主従揃って二人の鬼が、戦場を蹂躙することになったのである。
「それでもひとまずの安定を得るには二ヶ月ほどかかった。許せよ、仙。迎えが遅れたのはそういうわけだ」
 迎えが遅れた、などとはとんでもない。それほどの苦難の状況から、わずか二ヶ月足らずで周辺を平定しているとは、それこそ電光石火の活躍である。仙千代は改めて、兄の武勇に舌を巻いた。
「なに、俺一人の力じゃない。兵庫や叔父御がいてくれたおかげよ」
 叔父御とは、仙千代らの母・妙向尼の弟の林為忠はやしためただのことである。彼もまた、二人の鬼たちに勝るとも劣らない猛将で、先の高遠城攻めの際には例の鬼兵庫各務元正を抑えて一番槍をあげている。
「私も早く兵庫たちのように、兄上の役に立ちたいものです」
「うむ。ならば早速役立ってもらいたいことがある」
 長可の言葉を、仙千代は不思議に思った。まだ初陣すら済ませていない自分が、今すぐ役立てることなどあるのだろうか。
「仙、人質に行ってもらいたい」
 兄は、何度自分を驚かせるのだろう。予想もできなかった言葉に、仙千代はしばらくなんの反応もできなかった。
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