上 下
42 / 53
第一章

送られてきたのは

しおりを挟む
 ふかふかの枕に質のいいシーツと毛布。
 ワインレッドを基調とした天蓋カーテンは、金のタッセルによってまとめられている。
 そんな気品溢れるベッドの縁に、私は腰をかけていた。
 着物ではなく、白いネグリジェを着て。

(……最悪)

 今日何度目かのため息をついて、ベッドに体を投げ出す。
 ボフッと鈍い音を立てて横になれば、ぼんやりと昨日の会話を思い出した。

 ──昨日の夕方。
 部屋を貸せという私の要求を、セドリックは案外簡単に承諾した。

「最期に過ごす部屋が牢屋では、確かに可哀想だからな。神力が抜けるまで、およそ1週間。居心地の良い部屋で、ごゆるりと過ごせばいい」

(……かなり胡散臭いんだけど。絶対なにか裏があるよね? )

 おいしい話にはなんとやら、というやつだ。
 身構えた私に気づいたのか、セドリックはねっとりとした笑みを浮かべて去っていった。
 その全ての動作に余裕を感じて、私は一気に手のひらで転がされている心持ちになる。
 だが、こちらも丸腰で挑んだ訳では無い。
 ふっと小さく息を吐いて、私は部屋の用意ができるまで待っていた。

 そうして、用意された部屋に向かった私は、心臓に冷たいナイフを突きつけられたような感覚に陥った。

(まさか隣が人魂生産社に繋がる渡り廊下だなんて……ここってもしかして、殺される直前に入れられる部屋なんじゃないの? )

 良く見れば、この部屋は違和感だらけなのだ。
 窓には格子が嵌められ、ドアには見張りが2人も付けられている。
 武器になりそうな尖ったものは置いていない。
 お風呂場とトイレはあるが、脱出に使えそうな点検口は釘で動かせないようにしている。
 私はそんな部屋を見て頭を抱え、そうして冒頭に戻る。

 徹底的に逃げられそうな穴は塞がれており、寧ろ牢の方が逃げやすかったのでは? と思わずにはいられない。
 どおりでセドリックがするりと提案を呑むわけだ。
 
(まあ、元々脱出は諦めていたんだけどね。あわよくばとは思っていたけど! 今はやれることをやるしかないか)

 私が決意を固めて、だらしなく寝そべっていた体を起こし、ぎゅっと手を握ったときだった。
 その手になにかが触れたのは。

「ん? 」

 首をかしげながら拳を開けば、その【なにか】はじわじわと緑をまとうようにして、姿を現し始めた。

(これは! )

 私は思わずベッドから立ち上がり、手のひらを凝視する。
 現れたのは、連絡符もとい手乗り狐だった。
 緑の神力ということは、葉月さんからの手紙で間違い無さそうだ。

 一瞬のうちに普通の紙へと戻り、代わりに、足元にもう1匹の狐が現れる。
 ポトリと加えていた札を落として、こちらを見上げている。
 その子犬サイズの狐は、以前変幻したときの葉月さんに似ていた。

「え……葉月さん? 」

 まさか乗り込んできたのかと思ったが、狐は話す素振りを見せない。
 なんだろう、と見つめ返せば、狐はぴょんと飛躍し、私の肩へと飛び移った。

「わっ! 」

 驚く私などお構い無しに、頬に擦り寄ってくる狐。

(……うん、これは葉月さんじゃないね! )

 常に慎ましい姿勢をとっている葉月さんとは、似ても似つかない仕草だ。
 本人でないと分かった私は、少し残念に思うと共に、勢いよくその狐を抱きしめた。

「可愛い! もふもふ!! 」

 長らくもふもふ不足だった私にとって、その時間は至福のひとときである。
 現世にいたときは、近所の飼い犬を撫でたり、友達の飼っている子で補充したものだ。

(あー幸せ! このもふもふ感! 柔らかくも滑らかな毛並み!! 無垢な瞳と、ツンと上を向く愛らしい鼻先!! ! )

 ドアの見張りさえ居なければ、今頃この思いを大声で捲し立てていたことだろう。
 暫く狐のもふもふを堪能したあと、私は我に返って手紙を見た。

(はっ! 手紙のこと忘れてた……)

 興奮しすぎて握りしめていたのだろう、若干シワのよった手紙を見てバツが悪くなった私は、そっと狐を降ろしてベッドに腰をかけた。

(葉月さん、無事だったんだね。よかった……)

 少なくとも術を使うくらいには回復したのだろう。
 最後に見た姿があの痛々しいものだったため、私はホッと胸をなでおろした。
 四つ折りの手紙を開けば、見慣れた筆跡がずらりと並んでいる。

(形式としては当たり前なのかもしれないけど、前略から入るあたり、律儀な葉月さんらしいよね)

 ふっと笑いをこぼして、私は読み進める。

【前略
  連絡が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
 そちらの状況がわからず、目隠しの術を使って送りました。周囲の者には見えないようになっておりますので、ご安心を。
 もう一つ、居場所を特定できるように、狐の術玉を送りました。
 術玉は、目で見たものを記憶してくれるので、見張りの配置や数、屋敷の構造などを知ることが出来るのです。】

 そこまで読んで、私はぎょっとして足元の狐を見た。

(ちょっと待って! 目で見たものを記憶する!? ……私、さっき思いっきり抱きついちゃったんだけど! 誰か消去する方法を教えて! )

 先程の己の奇行が記録されているのなら、当然葉月さんに見られてしまうことになる。
 それはまずい。
 かなりまずい。
 もふもふによる過剰反応は、今までずっと抑えてきた。
 耳と尻尾を無くせば、葉月さんは普通の人間と変わらない姿である。
 それが私の理性に働きかけて、もふもふ目掛けて突進するという醜態しゅうたいを今まで晒さずにいれたのに。

 捕まった時とは別の絶望を感じて、私は冷や汗をかいた。
 だが、やってしまったことは仕方がない。
 考えることを放棄して、私はとりあえず続きを読むことにした。

【貴方はきっと怒るでしょう。貴方の気持ちを考えず、私の我儘で行動しているのですから。
 それでも私は、誰がなんと言おうと、貴方を助けに行きます。
 これは、ある方との約束を守るため、そして何より、私の貴方を助けたいという意地です。貴方の気持ちを無視することを、どうかお許しください。】 

 私は思わず眉をひそめた。
 葉月さんは自分の行動を悪いことだと言っているが、違う。
 確かにあの時は、助けて欲しくないという意を伝えたけれど、本当は助けてもらいたかった。
 許すなど、実に烏滸おこがましい。
 我儘や意地と表現しているけれど、私からすれば、利他的な行動だと思う。
 優しくて、危うい行動。
 一歩間違えれば、それは自己犠牲と化す。

【必ず間に合わせます。決して諦めないで。】

 草々の下に書かれた【葉月】の文字を私はじっと見つめていた。
しおりを挟む

処理中です...