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第一章

葉月さんの過去【弐】

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 強大な神力を持つものがこの世で二人になれば──
 私はぎゅっと拳を握りしめた。

「神様の在り方が変わる……? 」

 人間にとって途方のない話である。
 唖然と呟いた私に、セドリックは満足そうに笑った。

「そうだ。両親を助けるといううたい文句の裏には、実はそういった事情が隠されている。そもそも、報告されていないだけで、偽神様の両親の多くは、子供を殺めることを拒否した」

 そんな暗い裏事情を聞いて、心がずんと重くなる。

「……それで、葉月さんが黄泉の妖を殺したというのは? 今の話に関係があるんですよね? 」

 そう尋ねれば、眼帯の男は笑いを零した。

「最近の若者は、辛抱強くなくていけない」

 そして、一呼吸あけて、男は再び話し始めた。

 ──今から10年前。
 野妖であった僕は、食い扶持を探すため、黄泉の町を彷徨っていた。
 そんな時だった。
 桃源郷で、野妖に仕事を募集していると知ったのは。
 掲示板に貼られたその募集要項には、こう書かれていた。
【一族の裏切りに粛清を】
 高天原にしては随分と物騒だと思ったよ。
 ……実際に、あの事件は血なまぐさかったがね。

 あの頃は、兎に角生きることに必死だった。
 仕事という名の金稼ぎができるのなら、野妖はどんな事でもやる。
 それは僕も例外ではない。
 迷うことなく、僕は桃源郷へ向かった。

 神の住む【出雲いずも町】の御屋敷には、僕以外にも沢山の野妖が集まっていた。
 仕事内容の説明を受け、僕は募集要項に書いてあった一族が何処かを知った。
 霊狐一族だ。
 偽神様を内密に育てていたことが判明したのだという。
 逃がした鑑定士が、見せしめに首を吊られて、事の重大さはすぐに理解した。

 霊狐は、代々神にお仕えする高貴な一族。
 大人になれば、常世と現世を行き来して、人々の願いを神の元に届ける役割を担っている。
 他にも、仮死状態でこちらへ送られてしまった人間を、下界に転送する仕事もしていた。
 神に最も近しい関係であったが故に、神の怒りはとても強かった。
 ……いや、正確に言えば、神の取り巻きだ。
 慈悲深い神は霊狐の粛清に反対するだろうと、取り巻きが勝手に始めたことだった。

 それは、九月の満月の夜だった。
 綿密に計画を立てた僕達は、とうとう霊狐の御屋敷に突入することとなった。
 丁度……仮死状態の人間を下界に転送する日だった。

 手始めに、森の中腹で転送の儀式の準備をしていた狐達を狩った。
 素手や武器で闘う僕らに、彼らは術で応戦。
 結果、全20匹の霊狐は全滅。
 野妖の犠牲はゼロだった。
 いくら術使いでも、一月間ずっと計画を立ててきた僕らには適わなかった。

 次に、御屋敷の周りを見張っていた狐を殺った。
 計画通り、万事順調。
 ほんの四半刻さんじゅっぷんの出来事だった。
 ここで、霊狐一族の3分の1が粛清された。
 野妖の死傷者、ゼロ。
 我々は次の作戦に移行した。

 御屋敷に突入し、僕らは只ひたすらに霊狐を狩った。
 泣き喚く赤子を狩った。
 逃げ惑う子供を狩った。
 術で一族を守ろうとする大人を狩った。
 屋敷の中は、それはもう地獄絵図となった。

 そんな中、僕は1匹の子狐に目がいった。
 窓から差し込む月光により、松葉色を纏う霊狐。
 周りの空気が澄んでいて、神聖なオーラを放つ子供だった。
 偽神様を見たことがない僕にも、すぐに分かった。
 嗚呼、この子が偽神様だ、と。

 その子供は、僕らの侵入に驚いていたが、すぐさま近くの人間の手を引いて逃げ出した。 
 どうやら宴の最中だったらしい。
 膳やその上の食事が倒され、床を汚していて、その合間を器用に避けて走っていた。

 霊狐の数が一桁になったとき。
 それは起こった。
 野妖の一人が、行く先を立ち塞がっていた霊狐を狩った。
 最後まで偽神様のことを庇っていた男女だった。
 そして、続け様に、偽神様の守っていた人間を手にかけた。
 その瞬間、辺りはシンと静まり返った。

 ……瞬きをするような、一瞬の出来事だった。
 僕らの周りが緑に染ったかと思ったら、いつの間にか、床一面に鮮血が散らばっていた。
 僕らが狩った狐のものだけではない。
 今まで生き残っていた野妖が死んでいた。
 霊狐の大人達が苦戦していたはずの野妖を、本当に呆気なく、その子は殺してしまった。

 それは、【神力の暴走】だった。
 目を見開いて、静かに涙を流す子供は、自分のしたことを理解しているのかすら分からないほど、無垢な瞳をしていた。

 その日、霊狐一族は壊滅した。
 たった一人の偽神様を残して。
 対して、襲撃を図った野妖も壊滅した。
 運良く生き残ったのは僕だけで、僕は逃げるようにして、神様のところに戻った。
 あまりにも、小遣い稼ぎにしては度が過ぎていた。

 報告と称して逃げ帰ると、僕は神の御前に通された。
 事前に取り巻きに渡されていた報告書を持って、僕は書かれている通りに読み上げた。
 随分と長く、そして嘘だらけの言い訳が並んでいた。
 要約すれば、野妖の存在が気に食わなかった霊狐たちが、野妖を屋敷に連れ去り、殺そうとした。
 必死に抵抗したが、霊狐一族でこっそりと育てられていた偽神様に皆やられた、と──

 私は口を両手で抑え、その話を聞いていた。 
 沢山言いたいことはある。
 聞きたいこともある。
 けれど、あまりにも辛すぎて、声が出ない。

(葉月さん、今までどんな気持ちで生きてきたの? どんな思いで笑ってきたの? こんなにも辛い思いをして、どうして他人を気にかけられるの? )

 思い出すのは、私が自分の過去を話した日のこと。
 悲しみの中に、少しの怯えが混じっていたことに、私は気づいていた。
 過去を話すことで、相手に嫌われるのではないかという、そういう怯えだった。
 私が「優しい」と口にしたときもそんな顔をしていた。

 私は、無性に幼い頃の葉月さんを抱きしめたくなった。
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