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第2章 天然男子を巡る思惑とそうはさせない佐久間修
第31話 遺伝子編集 〜 コーディネート 〜
しおりを挟むそれは月曜日の午前六時半過ぎ…。
僕は研修の期間、宿泊させてもらっている警察署内の四階にある柔道場に戻るところだった。多賀山さんのバイクを見せてもらった後、エレベーターから降りると何やら気合いの声がする。あっ、この声は美晴さんに尚子さん。そして何回か見た事かある婦警さん、さらには久能さんもいる。
「あれっ?皆さん、お早いですね。どうしたんですか?」
僕がそう声をかけると六人の婦警さんが動画を一時停止したみたいにピタリと動きを止めた。まるで『だるまさんが転んだ』をしているかのようだ。
「つーか、お前ら何やってんの?」
警護についてくれている多賀山さんが僕の横からそんな風に声をかけた。それをきっかけに美晴さん達が動き出す。
「あ、ああ。シュウの顔を見にな…」
なんだか力無くというか、ガッカリしているような感じで美晴さんが応じた。
「ふ~ん、それにしちゃ全員なんだか疲れてねーか?」
大信田さんも横にやってきて声をかける。
「だ、大丈夫ですわ!それにしてもどこに行ってたんですの?」
「ああ、プリティ佐久間は随分と早起きでな。時間もあるし駐車場行ってバイク見せてたんだ」
「そーそー。昨日はなんだかんだカレーが大好評すぎてバイク見るヒマがなかったからな」
「凄くカッコ良かったです。あれで旅が出来たら最高ですね、北海道とか!」
「ああ。北海道みたいに広い所ならクルーザーでのんびり回るのも良いぞ。この辺とは風景が色々と違う、それこそ国道沿いの雑木林の木を見るだけでも本州との違いが分かるぞ。見かける木の種類が何か違うなってな」
「冬の厳しさが本州と段違いだからだろーな。木だって冬を越せなきゃ生き残れない。だからこの辺と生えてる木が違ってくるんだよ、関東でよく見かける木でも、北海道の寒さじゃ冬を越せないなら見る事はなくなる。だから寒い地域に強い木の割合が増えてくるんだよ。それよりさ、プリティは四輪《クルマ》に興味《キョーミ》無いの?」
「車は18歳にならないと免許取れないのもあってあまり意識してなかったです」
「そっか。んじゃ、18歳になってクルマの免許を考えるようになったら相談してよ」
「はい、その時はよろしくお願いします」
「よし、じゃあ柔道場に戻って買ってきたコーヒーでも飲むか。お前らも一緒に茶でも飲むなら自動販売機コーナーで買ってくるか?柔道場で待っててやるぞ」
そう言って多賀山さんは先程買ったばかりの缶コーヒーを手で振って見せた。
「わ、分かった!」
美晴さん達が頷いた。
「じゃあ、先に行ってる。プリティ、行こう」
「はい。じゃあ皆さん、お待ちしてますね」
「お、おう!」
美晴達が返事をする。
「そこのダンボール片しておけよー。それとお前ら、朝っぱらからはやめとけよー」
大信田さんが六人に何やら軽い感じで言っている。
「???」
「あー、気にしなくて良いよプリティ。アイツらまだ若くて元気が有り余ってるだけだから」
「そーそー、シメる時はシメとくから気にしなくていーよ」
「は、はあ。分かりました」
とりあえず僕はそう言ってダンボールを持って小走りに立ち去る久能さんと他五人を見送るのだった。
□
今日も研修の教官役は一山さんだった。
今は昼休み、今日の警護についてくれているのは浦安さんと崎田さん。一山さんも共に食堂に向かう。そこに署長さんが現れ、少し話をしながら食事をしないかという事になり僕達は定食のトレーを持ちながら署長室に向かった。
「それにしても昨日のカレーの反響は凄かったな。署の中だけでなく外も大騒ぎだ。県警に問い合わせが殺到したらしいぞ。マスコミだけじゃない、一般の市民の方からもな」
署長さんが昨日の出来事について語っていた。様々な問い合わせがあり、僕に是非取材をとかカレーを提供して欲しいなどというマスコミ。自分も食べたいという市民からの問い合わせ、日曜日だというのに県警本部としては緊急の対応窓口を設け早急に対応に当たったという。
普段なら日曜日と言う事で電話したとしても、自動音声で『月曜日の午前9時以降におかけ直し下さい』と再生させるだけだが今回は最優先案件として対応したらしい。
「そう言えば…だな。少年は医療センターでの各種検診の結果を見たか?」
署長さんがそんな事を口にする。
「あ、はい。健康状態も特に問題は無いみたいでホッとしています」
「そうか、それ以外の項目については確認してみたかい?」
「いえ、何かまずい事があったんでしょうか?」
ちょっと不安になり、何か知っているのであれば…そんな感じで僕は署長さんに問いかけた。
「不安にさせてしまったならすまない。むしろ逆だ」
「えっ、逆…?」
「むしろ良いんだよ、なんと言うか肉体的の面も感覚的な面も」
「どういう事ですか、署長?」
浦安さんが尋ねる。
「体の質が良いと言おうか…、体の使い方が上手いと言うべきか…。少年、君はその体の筋肉量と比較して想像以上の運動パフォーマンスをあげる事が出来るようだ」
「それはどういう…?」
「そうだな…、例えば少年ぐらいの筋肉量と体格からするとギリギリ20キロの砂の入った袋を持ち上げられるとする」
「はい」
僕は自分が砂の入った袋を地面から持ち上げる姿を想像する。ゲーム風に言うなら『最大HP』ならぬ『最大持てる重量』といったところか。
「だが、少年は上手に体を使い、かつ無駄の無い動作で同じ体格や筋肉量でも25キロの物を持ち上げる事が出来る…といった感じだな」
「ふむ。つまりは同じような体格、筋肉量の人と比べて出来る事が多い訳ですな」
署長さんの言葉に一山さんが補足するように続けた。
「あら凄い!佐久間君はスポーツとか得意なの?」
崎田さんが聞いてくる。
「いえ、僕はあまりスポーツは得意な方ではなくて…。正直、中学では並以下…って感じでした」
「そうなのか?ドクターの話ではもし君が幼い頃から体を鍛えていればおそらくは素晴らしいアスリート…、少なくとも県内でも有数の…あるいは国体でも活躍できるような肉体的素質があるとの事だ」
「えっ…、まさか…」
「それに関しては間違い無い。医療センターで健康診断だけでなく運動機能のチェックもしただろう?その際に判明したんだ、間違い無い。同時に視覚や聴覚等のチェック…これも脳波を取りながら行ったようだが、これに関しても同じような結果が出ている」
「でも、僕はそんなに視力とかも良くありませんけど…」
「これも筋力とかと同じだな、その質が良いようだ」
「視力が悪いけど、質が良い…?」
医者じゃないから詳しい事は分からないが…と前置きした上で署長さんは説明を始めた。
「それだけじゃないぞ。ものを視覚して、その後の判断と反応するまでの時間が異常に早い」
例としてドッジボールの試合中、自分が相手選手から狙われたとする。自分に向かって投げられたボール、それを狙われた側とすればそのボールを避けたりキャッチにいくなりする訳だ。
その避けるなりキャッチするなりの選択は飛んでくるボールと自分の位置なり運動能力なりを総合的かつ瞬時に判断して実際の行動に移す訳だが、どうやら僕はそのレスポンス能力が並外れているらしい。
目で見てどうするかを瞬時に判断し体を動かす…いわゆる反射神経とか反応速度というもののようだが、僕のそれらはオリンピックのメダリスト級。つまりは人類のトップクラスという事らしい。
極端な事を言ってしまえば五感で感じた事を脳に伝達し、脳がそれに対して体を動かす命令を出す時間、これが圧倒的なのだそうだ。
普通こういう事は、アスリートであっても厳しい鍛錬を長い時間をかけて培っていくものだ。それを運動の経験も特に無い僕が有していた。
また、その感覚的なものも全感覚的に優れているらしい。普通、アスリートであっても一番優れているのはその競技に関する感覚だ。それを応用して他の競技でも一般人より優れた反応を見せる、いわゆる運動神経のようなものだ。
しかしその感覚は普段自分が行っている競技から離れれば離れるほど、また訓練をしていないものになればなるほどその反応に速さは見られなくなっていく。しかし、僕にはそれは当てはまらずあらゆる感覚を脳に伝える速度と行動に移すまでが速いらしい。
こんな事があり得るのか、あり得るにしてもどうしたらこんな事が身につくというのか、ドクターはそんな事を洩らしていたという。
人工授精時に優秀な男性を得る為に国や地域によっては行う事があると言われる遺伝子操作、少なくなった人口に比例して弱くなった産業力を少しでもカバーする為に始まったという。
もっとも、その遺伝子操作…日本では操作と言うと聞こえが悪いので『遺伝子編集』と呼んでいるらしいけど…。
行ったとしてもここまで優れた運動神経になる…なんて事は起こらないとの事。ましてやそれが一切の遺伝子操作を受けていない男性…、いわゆる『天然』の男性が有している事にドクターは驚愕していたらしい。
「で、でも、署長さん良いんですか?僕にそんな事を教えてしまって…。国から口止めされてたりとかしないんですか?」
僕はおそるおそる署長さんに尋ねた。
「それは問題ない。これは既に一般公表されている事だからな」
「えっ?」
「佐久間君。君は行方不明になってから15年ぶりに元の姿形のまま戻ったミステリアスな『天然』男子という話題性抜群の存在だ。そして同時に優れた、そう…、傑出した能力と言っても良い素養を秘めた存在でもあるんだ。人口の維持…、そして種の保存の意味でもあるのだよ」
一山さんが静かに言った。
「だが、安心して欲しい。私達はしっかりと君を守るつもりだよ」
「一山さんの言う通りだ。それにしても、医療センターに迎えに行った時にこの事はドクターから聞いていたんだよ、その時はまだ一般公表前だったからオフレコでな。少年の事を『ケチのつけようが無い非常に整った遺伝子レベル』…、そんな風に言っていたよ」
「レベル…」
署長さんの言葉に思わず僕は呟くと共に、心に何か引っかかるものを感じた。何かを忘れているような…。僕の胸をチリチリと焦がすような…そんな違和感のようなものが生まれた。
何だ、何だ…?何がこの違和感を形作っている…?僕の胸に疑問が浮かぶ。
「そう言えば署長。昨日、連雀街で起きたトラックの衝突事故ですが…」
僕の話題がひと段落したようで一山さんが違う話題を始めた。この警察署の担当区域内でトラックの交通事故があったらしい…、怖いな。そう言えば僕が十五年前に交通事故に遭ってないかって聞かれたっけ…。
僕が目を覚ましたのは鴫田交番前交差点で…。
横断歩道…、トラック…。そうだ、十五年前のあの日、バイト帰りに青信号の横断歩道を渡っていたら…横合いからトラックが突っ込んできて…!
僕はあの日の事故の時の様子を思い出した、そして同時に…。
「佐久間君ッ!」
「どうしたッ、少年ッ!?」
僕は呼吸が苦しくなり同時に意識が遠くなっていく。心配そうにかけられる署長さん達の声がどこか遠くなっていくのを感じていた。
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