ア・ラ・カ・ル・ト

花野屋いろは

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君の幸せを祈っている

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 ローレンス・テイラーは、彼の弁護士であるアーサー・スミスがオフィスに
戻ってくるのを待っていた。最初は、応接室に通されたが、暫くすると
スミス弁護士の秘書より、彼の部屋に通された。

 弁護士の机の前に座るよう秘書に促され、落ち着かないながらも腰を
下ろした。弁護士は今、彼の婚約者の元に行っている。ローレンスは、
額に手を当て目を閉じた。

-- ミリィは、俺を許してくれるだろうか

 本当に馬鹿なことをした。何故あんなことをしてしまったのか自分でも
よくわからない。こともあろうに、最愛の女性に手を上げ、
大けがをさせてしまったのだ。悔やんでも悔やみきれない。
 ローレンスが、独り、悶々としているとオフィスのドアが開き
部屋の主である、スミス弁護士が入ってきた。思わず立ち上がろうとした
ローレンスを弁護士はそれには及ばないといって、自分のデスクに向かった。
 弁護士は、持っていた鞄から、書類を出すとローレンスの顔を
見ながら言った。

「早速だが、良い知らせから、」

ローレンスは、無言で弁護士を見返した。

「ミルドレッドは、君の謝罪を受け入れるそうだ。訴えは取り下げ
慰謝料は受け取ると言うことだ。」

ローレンスは、小さなため息をついた。そして、それでと弁護士が先を
続けるのを待った。

「君にとって悪い知らせは、接近禁止命令は、一年は取り下げないそうだ。
そして、婚約を解消することについては、考えを改めないとのことだ。」

「何故…。」

ローレンスは、思わずつぶやいた。

「ローレンス、ミルドレッドからの君への伝言だ。

 『さようならと、2年間とても幸せだったと。今度は、心から愛し、
信頼できる方とどうぞ幸せになって欲しいと願っている。』

と言っていた。」

「俺の幸せはミルドレッドとともに歩む人生だ…。」

ローレンスが力なく言うと、弁護士は頭を振った。

「ローレンス、ミルドレッドは、今回の件で私と話す時、度々

 『彼にとっては、所詮、自分はその程度の女なのです。』

と繰り返した。」

「その程度? 俺は、ミルドレッドをそんな風に考えたことなど無い。」

「いや、ミルドレッドの話を聞いて私もそれを否定できない事がわかった。
そもそも、君が、ミルドレッドを ”その程度” に扱わなければ、
こんな事にならなかった。」

「一体何を?」

「ローレンス、今回の件は、君がミルドレッドを疑ったことに端を発する。
君は、ミルドレッドが、何処に出張に行くと
言っていたのか覚えているか?」

「えっ…、シアトルだと言っていた。」

「そうだ、シアトルだ。君の友だちのダニエルが、”赤毛のミルドレッド” に
会ったのは何処だ? アトランタだ。そこがまず
違うだろう。君が、ミルドレッドを信頼していれば、人違いだと
考えるはずだ。」

「あ…。」

「ミルドレッドは、出張は、上司と同僚と一緒だといっていたそうだが?」

「あっ、ああ、そう言っていた。」

「一人で行ったわけではない、人に聞かれればすぐにばれそうな
嘘はつかないだろう。」

「…。」

「最後に、これが一番大切なことだ。ミルドレッドは、講演会の様子は、
ライブで配信され、見逃し配信もされるから後からでも見ることができる。
時々自分も映っていると思うと言ったそうだね。」

「…、そう言っていた。」

「それで、ローレンス、君はどうした? 講演会のライブは見たのかね? 
もちろん、君も忙しい身の上だ、ライブでなくても、ネットにアップされた
ものを後からだって見ることができたはずだ。見たのかね?」

「いいや…。見ていない。」

「そこだよ、ミルドレッドが、”所詮、その程度”と自身を貶めるように
言っていたのは、君が、講演会の様子をちゃんと見ていれば
ミルドレッドがどのぐらい、この講演会を成功させようと骨折っていたかを
見る姿勢さえあれば、こんなことにはならなかったんだ。」

「俺はそんなつもりは…。」

「いや、彼女を尊敬し、誇りに思っているなら、彼女が真摯に取り組んでいる
仕事の成果を垣間見ようとするのが、信頼し合っている婚約者ではないかね。
講演の内容は興味のあるものではないかも知れないが、婚約者の様子を
知りたいと思うのではないのか?」

「…。」

「君は、そういう姿勢を見せなかった上に、彼女に真偽を確かめることすらなく、
彼女に手を上げ、暴言を吐き、こともあろうに婚約を祝う宴に一人
置き去りにしたのだ。」

いいながら、スミス弁護士は、鞄から婚約指輪が入っている小箱を取り出し、
ローレンスの前に置いた。

「残念だ。ミルドレッドは、素晴らしい女性で、君の隣に立つにふさわしい娘だと
思っていた。しかし、君が彼女の隣に並ぶにふさわしくない男になって
しまっていた。私にできるのは、謝罪を受け入れて貰い、訴えを取り下げ、
慰謝料を受け取って貰うことだけだ。」

◇ ◇

 ローレンスは、自宅に戻ると、書斎に入りパソコンを立ち上げ、
くだんの講演会のサイトを見てみた。基調講演の動画を再生すると
会場のあちこちで奮戦するミルドレッドと彼女の上司、同僚の
姿を垣間見ることができた。

--どうして、俺はこれを見ようともしなかったんだろう。

 講演会の日は、久ぶりに仕事が早く片付いた。自宅に戻って、
ライブで様子をみようと思っていたが、友人から誘われてつい
飲みに行ってしまった。でも、別にライブでなくても、
翌日は休みだったんだから、見れば良かったんだ。
いや、見るべきだった。

-- こんなに生き生きと働く彼女の姿をどうして見ずにいられたんだろう。

 ローレンスは、言いようのない喪失感に胸が痛くなり、目の奥が熱くなった。
つまりは、彼女の生き方を尊重していなかったと
言うことだ。彼女を尊重していれば、あんな馬鹿げた誤解をすることもなく、
ミルドレッドを失うことはなかったのだ。

◇ ◇

 ローレンスは、その日、仕事を早めに終わらせ、自宅に戻ると
書斎に入り、パソコンを起動した。
 その日、ライブ配信されるある講演を見ることにしているからだ。
オープニングに間に合ったので、講演の様子をじっと見つめる。内容は、
そんなに興味のあるものではない。
しかし、そこで奮闘しているある女性の姿を食い入るように見つめる。
 やがて講演は終わり、エンディングを迎えた。赤毛の女性司会者は、
講演者をスタッフを労い、会の終わりを告げた。しかし、ステージ上の関係者は、
立ち去ろうとしない。
 リハとは異なる様子に戸惑う司会者、その時、ステージの袖から
白い薔薇の花束を抱えた男が現れた。ローレンスは、その花束を見て、
胸騒ぎを覚えた。
白い薔薇、ミルドレッドが大好きな花。
 頭の奥で警報が鳴る、このまま、この状況を見るのはダメだと。
 しかし、目が離せない。男が、ミルドレッドの前に進み出ると、
周りは、二人から2歩ほど下がった。ミルドレッドが怯えたような顔になる。
 止めろ、止めてくれ、それ以上は、ローレンスの口の中はカラカラになり、
心臓が痛いくらいに鳴っている。

 ローレンスの願いもむなしく、男は、ミルドレッドの前に跪き、花束を捧げ、
何かをおそらくは求婚の言葉を継げたのだろう。
周りの祝福と冷やかすような声、ミルドレッドは花束を受け取り、涙ぐんで頷いた。
男は、すかさずポケットから小箱を取り出し、指輪を取り出すとミルドレッドの
左手薬指にはめた。
 そして立ち上がると、彼女を抱きよせキスをした。

 ローレンスは、パソコンを閉じた。いずれは、この時がくるとはわかっていたが、
実際に目にすると辛い。自業自得の胸の痛みが堪える。

-- 君を幸せにできなかったのは、残念だが。君の幸せを願っている。

 ローレンスは、目頭を押さえると大きく深呼吸をして椅子に深く凭れ混んだ。
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