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第二章 忌み者たちの出会い

第十話 秘密が明く前、明いた後

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「いつまで立ち聞きをしとるんだ、優しいと謳われた小僧よ」

 ルゥが去って暫く。他には誰もいないはずの部屋に、カオス老人の声が響く。

「……優しいとかそういうのじゃねーよ。それくらい、あんたも分かってんだろ?」

 扉の陰、部屋の中からは見えない位置に俺はいた。
 そのまま踏み入った俺は、カオス老人の嫌味にそう返すと黙って見つめる。

 カオス老人も何も言わない。互いに睨み合うような時間を経て、再度俺が口を開く。

「それより何だよ、さっきの話は。詭弁にもほどがあるだろ」

 ため息混じりにそう言うと、カオス老人はニヤリと挑戦的な笑みを浮かべてきた。

「ほほぉ、青二才が言いよるな。どれ、話してみろ」

「まず、信じる前に相手を理解しろってのが無理な話だ。どこまでいっても他人は他人。理解できる――なんてのは有り得ない。それはあくまでも、『貴方はこうである』と分かったような口をきいて押し付けているに過ぎないんだよ」

 そんなものを俺は『理解』とは呼ばない。もっとおぞましく、度し難いものだ。

「だが、押し付けや思い込みから生まれるものだってあるぞ? 間違って、その誤りを認めて、改めて取り込むことで理解は深まるのではないか?」

 カオス老人は含みのある笑みを浮かべて、そう聞いてくる。その言い方と表情にちょっとした苛立ちを覚えるも、我慢し、返事を返した。

「それでも同じだ。深めたところで、本当の意味では理解できていない。あくまでも推測に過ぎないんだよ。そして、それが推測である以上、生み出されるものは『信頼』という名で彩られた醜い決めつけでしかない」

「ふむ……。……まぁ、決めつけが悪という考え方には儂も賛同する」

 肯定的な様子をみせるカオス老人はそこで一度言葉を切ると、続いて不思議そうに尋ねてくる。

「――が、ならば、なぜ小僧はそこまで信頼という言葉に否定的なのだ? 一般的には印象の良いものであり、多くの者が得ようとするものでもあろう?」

 その疑問は至極もっともであった。仕事をするにしても、生活をするにしても、人と関わる以上『信頼』というものが必要になってくる。

 多く持っていればそれだけ過ごしやすく、不利になることなんて殆どないはずだ。

「……信頼されていると、相手が思っていた事と違う行動・発言をした時に裏切られたような顔をするだろ?」

 悲しみ、驚き、怒り……胸に渦巻く感情は千差万別だろうが、それが意味する内容は共通している。

「その度に思うんだよ。勝手に傷付いてんじゃねーよ、って。だって、そうだろ? 勝手に思い込んで、勝手に一人で裏切られて、勝手に傷ついて……それなのに、まるで俺が悪いみたいだ」

 珍しくも、俺の口が回る。普段から胸の中で抱え込んでいたものであるため、際限なく言葉が生まれた。
 少し歯止めが効いていないのを、冷静な自分が客観視する。

「――ふざけるなよ! なにが『信じていたのに……』だ。一人相撲をとっておいて、他人を巻き込むな。被害者面をするな。勝手に一人でやったことなら、全て一人で抱え込め!」

 久々の吐露に熱が入る。けれども、そのすぐ後には「なにを熱く語っているんだ」と指摘する冷静な自分の存在を感じ、早くも熱は冷めた。

「……だから、俺は信頼されるのが嫌いだ。それを本気で良いことだと信じている人類にも腹が立つ」

 俺の思いを静かに聞いていたカオス老人は、否定するでも肯定するでもなく、別の言葉をかける。

「なるほどな。……だが、それは小僧の行いが原因となっているところもあるのではないか? あの小童も言っていたであろう――優しくしてくれる、と」

「だから、俺は優しくなど――」

 首を振って否定する。そんな俺の言葉を遮るように、間髪をいれずにカオス老人の発言は続いた。

「ならば、それは一体なんだ?」

 そう聞かれて、俺はしばらく沈黙を通した。これ以上に自分の考えを発言すべきか、迷ったためだ。

 俺は自分がどこかしら変だということを自覚している。それは、誰からも理解されない考えであり、言っても無駄なことを知っていた。

 数瞬の思考を経て、俺は心を決める。

「……ただ、あらゆる事に等しく興味が無いだけだ。無関心だからこそ、誰にでも同じように接することが出来るし、大抵のことに肯定的になれる」

 それが俺を彩る全てだ。
 興味が無いからこそ関与せず、無関心だからこそ選ばない。流れるままに身を任せるのみ。

 目の前で奴隷が虐げられようが、人が殺されてようが、基本的には手を出さない。
 唯一、俺の感情が動いた時を除いては。

「だが、傍から見ればそれは優しさであり、博愛だ。それを続ける以上、小僧は永遠に勘違いされるぞ?」

 そんな問いは、とっくの昔に解決した。
 だから、自信を持って答えられる。

「いいよ、別に。今回はなんとなく話したが、普段は黙って胸に溜め込んでいる。なら、それは俺の責任だ。我慢して受け入れるさ」

 俺から始めたのだが、この話はもう十分だろ。
 そう俺は感じ、見つけた設計図と預かっていた鍵を机に置いた。

「なんだ、それは?」

 心底不思議そうに尋ねるカオス老人に対し、得意げに俺は笑う。

「見つけたんだよ――この家の秘密を」


 ♦ ♦ ♦


「……なるほど、そうだったか」

 事のあらまし、見つけた経緯を俺が説明すると、カオス老人はゆっくりと発見された設計図を手に取った。

 一枚目、二枚目と順に捲り、感慨深そうな様子で眺めている。
 その手が三枚目に向いたあたりで止まる。

「…………レイネス?」

 それは誰もが客室だと思っていた謎の部屋。
 そこに書かれた文字を見て、カオス老人はポツリと呟いた。だけども、知らない単語を読むかのように辿々しい。

「その様子だと、アンタも誰か知らないようだな」

 俺の言葉に、カオス老人は黙って頷く。
 ジッと、何度もその文字を目で追う姿は、困惑して佇む寄る辺のない子供のようにも見えた。

「まぁ、知らないのならしょうがない。重要なのはそこじゃないからな」
「……どういうことじゃ?」

 手に持たれた設計図を指差し、俺らは答えを教える。

「その設計図、実は四枚あるんだよ。そして、次の四枚目が秘密とやらの正体だ」

 俺の言葉を聞き驚いたように手元へ目線を落とすと、ゆっくりとその一枚を捲った。
 しばらく見つめ、その設計図の意味を理解するやいなや、カオス老人は慌てて腕輪とその土台を持ってくる。

 そのままひっくり返してみれば、図に示されたように、中央にひっそりと鍵穴があった。

「……まさか、こんな近くに存在していたとはな」

 見つけた時の俺と似たようなことを言うカオス老人に、鍵を差し出す。

「おいおい、まだ気を抜くのは早いだろ?」

 そう茶化すようにして声をかけると、カオス老人も笑って鍵を受け取った。
 その鍵を鍵穴へと差し込む様子を見ながら、「いよいよか」という思いに刈られる。

 ――カチャリ。

 鍵を回すとそんな音が聞こえ、底ブタは開いた。


 ♦ ♦ ♦


 中身を確認し終えた俺たちは、互いに沈黙を貫いていた。

 入っていたのは手紙だった。両親が息子へと宛てた、最初で最後の手紙。
 それは、部外者の俺が興味本位で覗いて良いものなどではなく、悪気はなくとも罪悪感で圧し潰されそうだ。

「……なんか、すまん」

 つい口から零れ落ちる。

「……なぜ、謝る? 小僧は何か悪いことでもしたか?」

 カオス老人にそう問われ、俺は答えに窮した。
 理由はない。だから、尋ねられても答えなど出ない。それはカオス老人も分かっていることだろう。

 だが、そう尋ねる気持ちも分かる。逆の立場だったら、俺も同じことを言うに違いない。
 
「……いや、別に…………」

 そこで俺の言葉は切れる。
 内容が内容だっただけに、俺から言えることなど何もなかった。

「…………すまんな。少し席を外すぞ」

 いつまでも動かない――否、動けない俺の代わりにカオス老人は立ち上がると、ドアの方へと歩いていく。
 
 独り静かな部屋に取り残された俺は、背もたれに身を預け、窓から覗く太陽の死に際――橙から青紫へと変わる世界を力無く見つめていた。

 俺には親という者がいない。
 正確には存在しているだろうし、いなければ俺はどこから生まれのかという話になるのだが、残念ながらそういう話ではない。

 物心がついた頃から俺は一人で過ごしていた。
 だから、親からの手紙がどういうものなのか、正直言ってよく分からない。

 本などを見聞きし、一般的な解釈に基づけばそれはとてつもなく嬉しいことなのだろう。
 けれど、そんなもの貰った覚えもなく、ましてや親の顔すら知らない俺にはその価値を見出せない。

 カオス老人は嬉しかったのだろうか?
 それとも、あの告発に心を痛めているのだろうか?

「――飯でも作るか」

 雰囲気に当てられ、変にセンチメンタルな気分となった俺はそう呟く。

 夕日が沈んだ後の世界には、均しく永遠に闇が続いていた。
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