彼と彼女の365日

如月ゆう

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July

7月11日(木) 試験結果

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 怒っていた。

 私は、怒っていた。

 その理由は、今日の四限目にあったコミュニケーション英語。
 そこで先週行われた定期考査の結果が返されたのだけど、点数が芳しくなかったがために不満を禁じ得ない。

「な、何かさ……かなちゃん、怒ってる……?」

 そんな私の様子を見てか、お昼休みである現在、不穏な雰囲気のままにお弁当を囲んでいた詩音は畔上くんに耳打ちで話しかけていた。

「どうにも、コミュニケーション英語のテストで満点を取れなかったみたいだよ」

「それって、あの三枝先生の言ってた『お願いごとを叶えてくれる』ってお話?」

 尋ねる詩音に頷く畔上くん。
 けれど、私の怒りポイントはそこだけではない。

「うん、そう。――しかも、逆にそらは満点を取ってるっていうね……」

「えっ……!? じゃあ、先生の言ってた唯一の満点者って蔵敷くんなの? 翔真くんじゃなくて?」

「実はね。だからもう、空気が重くてさ……」

「そ、それはそうなるよね……」

 納得したような、呆れたような、そんなため息を吐く二人に対して、当の幼馴染は呑気にお弁当をかき込んでいる。
 …………ムカつく。

「で、でもさ……よく蔵敷くんも満点を取ったよね。今回は結構難しかったと思うんだけど……」

「それだけ叶えてほしいお願いがあったんじゃないかな。でないと、そらがまともに勉強するとも思えないし……」

「…………な、何をお願いするつもりだろう……?」

「そこなんだよなぁー。一応は聞いてみたんだけど、教えてくれなかった」

 そう話すと、彼らは一目そらを見た。
 その後にチラと私に一瞬だけ視線を向ければ、そっと再びため息を吐いて、二人だけの内緒話に戻っていく。

 ……まぁ、全部聞こえているんだけど。

「とにかく、倉敷さんをこれ以上刺激するような内容だけはやめて欲しいよ」

「そ、そうだね……。さすがに変なことをお願いしないと思うけど……」

 ――と、詩音はそう語るが、ならば問いたい。
 何のためにアイツは満点を取ったのか、と。

 他人に何かを求めることが少ないそらは、決してこの話に乗ってこないだろうと思っていた。
 なのに参加してきた。あまつさえ、得意分野の一つである物理でさえ成し遂げていないことをやってのけた。

 これは最早、碌でもないことを頼む前兆であろう。

 そう考えれば、怒りはまたフツフツと沸いてくる。
 …………こうなったら、そのお願いをする現場に私も居合わせてやろうか?

 幸いにも食事が終わったあとに先生から呼び出しを受けていることは知っているし……うん、そうしよう。

「――ごちそうさまでした。それじゃあ、先生のところに行ってくるわ」

 律儀に手を合わし、弁当箱を袋に片付けたそらは立ち上がる。なので、私も同時に椅子を蹴り、声を上げた。

「…………私も付いてく」

 嫌な顔をすることだろう。
 少なくとも、怪訝な表情にはなる――と、そう思っていたけれど、返ってきた言葉は思いもよらないものだった。

「あぁ、丁度いいや。誘おうと思ってたし、来い来い」

『……………………は?』

  私だけではない。詩音も畔上くんも予想だにしてなかった返答だったようで、固まる。
 だがしかし、事態は待ってはくれず、むしろ勝手に進んでいくため、私はその背中について行くしかなかった。

 そうして向かった先は、特別教員室。
 ノックをすれば、中からは「はい」と声が掛かり、開けてみると運が良いのか三枝先生一人しか見当たらない。

「あら……かなたさんも来たのですね」

 そう不思議そうに尋ねる先生の言い方が、「私はこの場に必要ないでしょ」という意味合いに聞こえて余計にムカつく。
 やはり、この先生は嫌いだ……。

「えぇ、俺が誘ったんです。……駄目でした?」

「いえ……別に構いませんよ。それで、満点のご褒美は決まりましたか?」

「まぁ一応…………決まった、というよりは最初から決めていたことですけど」

 来た……!
 得意分野でもない英語を頑張って勉強し、満点を取ってまで頼みたい願いとは何なのか。

 固唾を呑んで見守る私たちを前に、そらはゆっくり口を開く。

「――俺の代わりにかなたコイツの願いを叶えてあげてください、っていうお願いで」

 そう言い、後ろに控える私に親指を向ける空のセリフの意味を私は一瞬理解できなかった。

「……………………えっ?」

 一方で、お願いされた先生はため息を吐くだけに留まる。

「はぁ……かなたさんが居る時点で予想はしてましたけど…………そらくんはそれでいいんですか?」

「えぇ、先生に叶えて欲しいことなんて、特にないですし」

 念押しする先生であったが、そらがあっけらかんと語ることで話はすぐに終わった。
 先生の表情が固まる。心なしか、口調もワントーン下がった。

「それはそれで悔しい、と言いますか負けた思いなのですが……」

 ワナワナと肩を震わせる姿は、私にとってとても痛快だった。
 …………ざまーみろ。

「でもまぁ、そもそもとして満点を取られた時点で私の負けですしね。……分かりました。さぁかなたさん、何が望みですか?」

 向き直り、問われる私。
 けれど、こういう状況になるとは思っていなくて、言葉が出なかった。

「…………何で? ……………………特にお願いしたいこともなかったのに、何でわざわざ満点を取ったの?」

 代わりに出てきたのはそんな疑問。隣に立つ幼馴染へそう問えば、本人は頭を掻きながら当たり前のようにこう答える。

「いやだって、何かかなたはやる気あるみたいだったし……。そんなに叶えたいことがあるなら、俺も一緒に参加すれば可能性は倍だろ? ……それに、点数を上げとかないと先生に何されるか分かったもんじゃなかったしな…………」

「そらくーん、その発言は少し酷くないですか……?」

「いや、でも事実でしょ……」

「失礼ですね。ただ、夏休みの宿題を去年の二倍出そうとしていただけですよ」

「ほら、やっぱり……!」

 唐突に始まる漫才にも似たやり取り。
 でもそれは、私の耳には全く届かず、気にならず……彼の発言だけが反芻される。

 たった一言――その何気ない言葉が、心遣いが、何よりも嬉しくて、生まれていた蟠りを全て消してくれた。

「…………決めた」

 二人の会話を遮るように、ポツリと呟く。

「……このご褒美ありのテスト、もう金輪際やらないで」

 結果オーライとはいえ、私の悩みの種になったことには違いない。
 そらが今後、変なことを頼まないとも限らないし、この先生がムダにそらを煽る可能性も考えれば、元凶を潰しておくに越したことはない。

 そんな思いで告げれば、先生はうっすらと微笑み、仕方のないような雰囲気でこう語る。

「せっかく平均点も上がり、良い方法だと思ったのですが……残念です」

 まるで、この展開まで予想していたように。
 浮かべた笑みはいつものまま、肩を竦めて。

「でも、それこそ変なお願いがきても私が困るだけですね……。断腸の思いですが、かなたさんのお願いを聞きましょう」

 …………思えば、こうなった最初の原因って、そらの「ご褒美があれば頑張れる」っていう言葉を先生が聞いたからだっけ。

「でも、そらくんは自らかなたさんのお願いを私に頼み、そしてかなたさんは自らの意思でこのご褒美システムを排除したわけですから――」

 となれば、ここまでが先生の描いた筋書きだとするなら……。

「――今後はご褒美がなくても、同じようにテストを頑張ってくれます……よね?」

 その言葉に、私たちは顔を引き攣らせる。
 …………やっぱり、この先生は嫌いだ。
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