彼と彼女の365日

如月ゆう

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August

8月18日(日) おさがり

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 恐らく……いや確実に、生涯で一番押しているであろう呼び鈴に指をかけた俺は、ボタンをそっと押し込むとしばらく待つ。

『――あら、そらちゃん……ちょっと待っててね』

 機械越しに伝わる女性の声。
 そこから一分とかからずに、玄関の扉は開けられた。

「いらっしゃい、かなたの様子を見に来てくれたの?」

 出迎えてくれたのは言わずもがなであろう。
 我が自宅のその隣に住む倉敷家の奥さん、そして幼馴染であるかなたの母――倉敷乃彩のあさん、その人だ。

「えぇ、まぁ……その本人から連絡があったものですから」

「……それ、本当? もう、あの子は……またそらちゃんに迷惑かけて……」

 肩を怒らせ、階段の先を振り向いて見上げたかなたのお母さんであったが、すぐに向き直り、笑顔で迎えてくれる。

「取り敢えず、どうぞ上がって。多分、自分の部屋で横になってると思うから……あとはお願いね」

「分かりました、お邪魔します」

 頭を下げて玄関へと踏み込めば、靴を端に揃えて家に入った。
 その間に、かなたのお母さんはリビングへと姿を消しており、俺は完全に自由な状態である。

 …………娘が寝ているというのに、年頃の男を招き入れたまま放置して大丈夫なのですか……倉敷家は。

 長年の付き合いによる信頼ゆえの行動なのかもしれないが、その辺りの危機感の薄さは非常に心配だ。
 加えて、何ならちょっとくらい間違いを起こしても全然大丈夫――なんて思ってる節があの両親にはあるからな。怖くて仕方ない。

「まぁ、別に何もする気はないんだけどな……」

 自嘲気味にそう呟けば、俺は慣れ親しんだ階段を上り進めて行った。


 ♦ ♦ ♦


「よっす、元気かー?」

 一応の礼儀でノックをすれば、扉を開いて部屋の中へと入る。
 するとそこには、ベッドで寝たきりの少女が一人存在し、何故かピクピクと身体の節々を震わせるだけで動こうとしない。

「元気…………じゃない、かも」

「全く、昨日ははしゃぎすぎなんだよ……」

 その容態に呆れてため息を吐くと、手近なクッションを手に取ってベッドの脇に腰を下ろした。

 どうやら、予め本人から聞いていた通りの状態らしい。

「しかし、アホだろ……。疲労で動けなくなる――って、そんなになるまで遊ぶなっての」

「うぅ……だって…………」

「だっても何もあるか。体力がないのは承知のくせに……何のための浮き輪だったんだよ」

 ――というわけで、事の顛末はこうである。

 つい先日、俺とかなたと翔真と菊池さんでプール施設へと遊びに行ったわけであるが、そこで自身の限界も考えずに遊びまくり。
 結果として、そのツケが今日へと響き、寝たきりとなってしまったわけだ。

「……取り敢えず、色々と買ってきたから何か食え。身体、起こすぞ」

 とはいえ、そんなに重い症状というわけでもない。
 感覚としては倦怠感で体が重く、全身に力が入りにくい状態……らしい。本人がそう言っていた。

 だから、無理をすれば動けなくもないのだけど、面倒だからと、こうなった時はいつも俺が介護役に回される。
 ちなみに、かなたのお母さんは自業自得だと言って、娘を完全に放置。

 とまぁ、そんなわけであるから、俺は彼女の背中を支えて壁に寄りかからせるように、起こしてあげた。

 そのまま持ってきた袋からゼリー飲料を取り出すと、キャップを開けて口に含ませる。
 チューっと息を吸い、美味しそうに飲む姿はまるで雛の餌付けでもしているようだ。

 ――そう思っていると、気になる点が一つ。

 恐らく、腹部から下を隠すように羽織っていたブランケットが、身体を起こした時にズレたのだろう。
 どうにもその下腹部にはズボンと呼ばれる衣類が着用されてないように見える。

 いや、幸いにも丈の長いシャツを着ているため、具体的なブツが見えてしまったわけでもないので、その真偽は定かではないのだけど……。

「…………おい、かなた」

「…………ん、何?」

 しかし、こうなってしまってはその真理を問いただすのが理系の運命。聞かざるを得ない。

「お前、まさか…………その下は下着じゃあ……ないよな?」

 指を差し、回りくどいことは無しにして聞いてみる。
 すると、何を思ったのか――いきなり彼女は、シャツの裾をペロンと持ち上げた。

「…………ちゃんと履いてる……ショートパンツだけど」

 そこに御座しめすは、短い丈をした黒のパンツ。
 『パ』にアクセントのある下着類の方ではなく、『ビーズ』と同じ発音の衣服の方。

「マジか…………はぁ、焦った」

 安心でため息が零れる。
 注視していた目線をようやく外せた。

「……………………そんなに?」

「いや、普通に驚くだろ。いくら幼馴染といっても、下着を見せ合うような仲になった覚えはない」

 この娘もまた、危機感が足りていないのではないだろうか?
 ゴールデンウィークの時も、平然と人の風呂に乱入してきたし……もっと貞操観念を持て。

「…………でもさ、こういうの好きでしょ?」

 摘んだ裾を一度離せば、生まれるのは素足しか見えないもどかしさ。
 そこからまたペロンと捲り、チラとルームウェアを見せびらかす。

「…………ノーコメント」

 俺が言えたのは、その一言だけだった。

 まぁ、正直にいえば好きだ。
 チラリズムといえばいいのか、丈の長いシャツでズボンを隠すコーディネートスタイルは素晴らしいと賞賛するほかない。

 でもさ、そんなことを暴露できるわけもないだろ。

 見えていないのがいい。
 見えてなければ、そこにあるのが例えズボンであったとしても、隠れることであたかもその下には下着が眠っているような未知の状態を作り出してくれるわけで、ならば男として見てみたいという知的探究心とリビドーとで板挟みになりながら、しかし、グッと堪えてその行く末を見守るワクワク感がたまらないのさ。

 ――なんて、声高に伝えるのか?
 ただの気持ち悪いアホじゃないか、そんなの。

「……………………えっち」

 けど……うん、何故かそれが伝わっていたようだ。
 幼馴染パワーって怖いな。

 何となく空気がおかしくなり、居心地の悪さを感じ始めたので、適当に話題を変えることにした。

「…………あー……その着てるシャツって、もしかして俺のか?」

「……正解」

 かなたが着るにしてはやけに大きく、そして見覚えのあるシャツだな――とは、思ってた。
 が、しかし……まさか俺のとは…………。

「――っていや、おかしいだろ。なんでお前が、人の家の子の服をお下がりしてんだよ……」

 そういうのは兄弟姉妹がやるものだし、少なくとも同性間での行いのはず。
 異性の幼馴染がお下がりとか聞いたことないぞ。しかも、同世代だし……。

「……そらママから、時々もらってる。着古してないものだけだけど…………」

「聞いてるのはそこじゃないんだよなぁ……」

 ブローカーは誰とか、衛生面がどうのとかじゃなくて、貰う必要性を俺は問いているんだが。

 ……ていうか、ウチの母親は何をやっているんだ。

「……寝巻きに丁度いい。…………よく眠れる」

「…………さいですか」

 呆れて物が言えない。
 人の古着なんて着ても、大して変わらないだろうに。

「……それより、他のも食べたい。なに買ってきたの?」

「…………ん? あぁ……えっと――」

 そう問われ、ガサガサと袋の中身を漁り始める俺。

 取り敢えず本日は、知らなくていい幼馴染と親との密売を知り、知られなくていい俺の性癖の一部を知られてしまった日となった。
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