彼と彼女の365日

如月ゆう

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August

8月27日(火) 畔上翔真の激白

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 静かな空間。響くシューズの擦過音。
 リズムよくラケットでシャトルを返し、あっちやこっちを行き来する。

 そんな現在は夕方。放課後。
 昨日の学園中が帯びた熱も冷めやらぬまま、いやむしろ、始まった体育祭の練習へと本当にカメラが入ってきたことによって、それ以上の盛り上がりを見せていた今日という日なのだが――まぁ、それは置いておいて……今回はこんなお話。

 夏休みが明けて、初めての部活動。
 それは体育祭の準備期間であっても変わらず行われる。

 しかし、各ブロック・各学年でそれぞれやるべき事は多いようだ。
 気が付けば、珍しくも俺と翔真は一番乗りに体育館へと到着していた。

 たった二人では練習を始める気にもなれない。かといって、何もしないわけにもいかない。
 そんなわけで、奥の用具室からネット等を持ち出し、一面だけコートを作れば準備運動も兼ねたラリーを行って、今へと到る。

「――あっ、そういえばさ」

 翔真は話しかけてきた。

 とはいえ、所詮はラリー。本気で打ち込むわけでも、激しく動くわけでもないため、この時間に雑談を振る者は結構多い。
 その例に漏れず、彼も声を掛けたようなので返事をした。

「何だ?」

「一昨日のことだけど、そらたち覗いてただろ?」

 思わぬ発言に、シャトルを地面に落としそうになる。

 いや、事実として一度は空振ってしまい、慌てて床スレスレで返したわけだけど……。
 おかげで、動揺したことはバレてしまった。

「……気付いてたんだな」

「生憎と人の視線には敏感なものでね。じゃないと、振ったからといってあの場に女性を放置はしないさ」

 カッコいいねぇ、その台詞。
 視線に敏感なのは色々な場所で噂されているからだろうし、人気者は辛そうだ。

「……それで? 勝手に覗くな、って怒るための話題振りか?」

「いいや、その逆。そらも、倉敷さんも……詩音さんはちょっと微妙だったけど、みんな普通に接してくれたから、その理由を知りたいんだ」

「理由、ねぇ……」

 問われた俺は、考える。
 答えるのが難しいためではない。たった一言、それだけで済む解答を持ち合わせてはいるけれど、それ故に窮していた。

「そうさ、あるんだろ?」

 まぁ、理由なく行動するやつなんていないだろう。
 いるとすれば、それは理由を自分で分かっていないだけだ。

 だから、答えがすでに出ている俺は少し迷って、正直に話す。

「単純に、興味がない」

 言った。言い切った。
 だがこれでは、言葉足らずで人でなしだと思われそうなので、付け足す。

「誰が誰を好きになろうが、翔真が誰と付き合おうが俺には関係ないからな。それは当事者だけの問題だ。第三者が介入するべきことじゃない。――なら、俺が気にする理由の方がどこにもないだろ?」

「…………はは、親友なのに冷たいな」

 笑われた。貶された。
 弁解するための発言だったのだが、どうやら言葉のチョイスを間違ったようだ。

 でもまぁ、そんな翔真の口調に棘はなく、むしろ明るく朗らかなものであるため問題ないのだろうけど。

「……だから、親友になれたんだけどな」

 ポツリと呟かれた一言。
 だけども、この静かな空間の中では悲しくも俺の耳に届いてしまう。

 その意味も、真意も理解しかねる。
 ただ一つ分かることは、その言葉に言及するときは今ではない――ということだけ。

「あっ……でも一つだけ気になることがある」

「何だ?」

 だから、俺は別のことを聞こう。

「橘先輩を振った理由、あれがよく分からん」

 そう尋ねれば、訪れるのは無言の時間。
 両者ともに黙り、シャトルの弾む音だけが体育館にこだまする。

「――そらはさ、俺のことをどんな人間だと評価してる?」

 そうして返ってきたのは、この話と関係のなさそうな問い。

 ……翔真の評価、か。

「顔が良くて、勉強ができて、スポーツもできる完璧超人。おまけに性格も温厚で、優しく、真摯で、紳士的で、女性にモテる要素しかない男」

「…………すごい褒めてくれるな」

「事実だからな」

 少し照れたように翔真は笑った。
 その行動さえも、きっと女子ウケするんだろうな……と俺は思いながら。

「――でもさ、それが全部紛い物だったらどうする?」

 ……………………は?

「えっ、何……その顔、整形?」
「いや、違うけど……」

「じゃあ何か、カンニングしてるとか?」
「してないよ。というか、してたら一位は取れないし……」

「まさか……ドーピング!?」
「だから、違うって――……そら、お前わざとだろ?」

 …………バレたか。

「ふざけたのはスマン。けど、さっきの翔真の発言は、それくらい荒唐無稽だぞ」

 紛い物とは、つまりそういうことだ。
 だが、そうではないと否定した以上は、それを得た過程が天賦であっても、努力による後天的なものであっても、本人の持つ本物の能力である。あらなければならない。

「…………あぁ、そうだな」

 俺の言い分が伝わったのか、頷いてくれる。

「そらの言っていることは正しい。この上ないほどに」

 しかし、その言葉を最後に彼はラケットを下した。
 シャトルの地面と跳ねる音だけが、虚しくこの場に反響する。

「――けど、そうじゃないんだ。そうじゃないんだよ、そら」

「…………翔真?」

 何を言っているんだ……?

 そう続けようとして、けれども、それよりも前に邪魔が入る。

「あっ……翔真くん、蔵敷くん、遅れてごめんね」

 いつもの学校ジャージに着替えた菊池さんを皮切りに、銘々の用事を済ませたのであろう部員たちが顔を出し始めた。

「――っ。…………いや、大丈夫だよ。じゃあ、ランニングから始めようか」

 そこにあるのは、普段通りの畔上翔真。
 苦しそうな、泣きそうな、辛そうな顔をしていた男の子はもう、どこにもいない。存在するのは慄然と立つ青年のみ。

 結局俺は、それ以上の話を彼から聞くことができなかった。
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