彼と彼女の365日

如月ゆう

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October

10月3日(木) 心配する栞奈ちゃん

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「そら先輩! 昨日、倒れたって本当ですか!?」

 季節は秋。
 風が涼しくなってきたとは言え、最低限しか窓が開けられていない体育館の中はまだまだ暑い、この時分。

 控える新人戦のために用意されている、出場者のための練習メニューをこなしていた俺たちは、ただいま休憩に入っていた。
 そんな矢先に掛けられた言葉である。

 声の主は新人――というポジションからも脱却しつつあるマネージャーの栞菜かんなちゃん。
 かなたの代わりとしてドリンクとタオルを持ってきてくれた彼女は、鬼気迫る表情でそう問いかけてきたのだ。

「倒れた……? 俺が?」

「はい、私はそう聞きました」

 しかし、生憎と覚えがない。
 失神なんて生まれてこの方一度も経験のないことなのに、それが昨日だなんて――……ん? ……昨日?

 そこで一つの可能性に気が付く。

「……ごめんけど、その話、誰から聞いた?」

「えっと……クラスメイトで女子部の子です。その子は、先輩から聞いたって言ってました」

 なるほどな。
 つまりは、又聞きのせいで変に情報が伝わってしまったわけか。

「それ、倒れたわけじゃないよ。単に眠たすぎて学校で寝落ちした――ってだけだから」

「なんだぁ…………そうだったんですね」

 訂正し、真実を教えてあげると、彼女は安心したようにそう呟いた。
 何やら目尻には涙のような雫が浮かんでいるが、それは俺の見間違いだと信じたい。

 いや、だって……こうして話はするものの、そこまで仲が良いわけでもない普通の先輩・後輩の関係なのに、こんな話で泣かれても困るでしょ。

 それこそ、何か特別な感情でもあるみたいじゃん。

 そんなことない。あるわけない。
 すぐ隣には、菊池さんと話をしている畔上翔真とかいう優良物件だってあるのだから。

 勘違いでもして、もし違った時の恥ずかしさは尋常じゃないぞ、俺よ。

 というわけで、確かめてみよう。

「なぁ、栞菜ちゃんや」

「…………はい、どうしました?」

 ――大丈夫、大丈夫。
 ただ、目が痒かっただけ。もしくはゴミが入ったんだ、うん。

 目を擦り、返事をするその姿から視線を外しながら、俺は尋ねた。

「目の前に二つの家があります。一つは、高く、綺麗で、部屋の広いマンション。もう一つは、ボロくて、部屋も小さい一軒家。さて、どっちを買う?」

 十中八九、誰しもが前者を答えるこの問題。
 これは、いわゆる比喩問題というやつだ。

 建物の高さは身長を、外見はそのまま顔を、広さもまたそのまま器の大きさを表している。
 だから、これでどういった人物が好みなのかを一発で探ることができるはず。

 ちなみに、俺がさっき勝手に考えたもの。
 でも、多分当たっている。間違いない。

 ……さぁ、その答えや如何に!?

「え……!? えとぉ…………一軒家、です」

 ……………………はい?

「今、一軒家って言った?」

「は、はい……いけませんでしたか?」

「いや、別にいいんだけど……その心は?」

 思わぬ解答に、声が震えそうになる。
 それを押し殺し、さらに深く聞いてみると、おずおずとだが教えてくれた。

「私、家が一軒家だからなのか……常に地面に足が着く場所じゃないと落ち着かないんです」

「あー……そう…………なるほど」

 まぁ、うん。体質ってあるもんね。
 俺も左を向いて寝ないと落ち着かないし。

「あの……それで、今の質問の意味は……?」

「…………ん? あぁ、何でもないよ。気にしないで」

 それに、俺自身が地に足ついた人間じゃないから、これは問題が悪いわ。出題ミス。ノーカン。

 ……次から、今にも崩れそうな部屋の小さい地下室にしよう。
 次があるかは知らんけど。
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