彼と彼女の365日

如月ゆう

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October

10月21日(月) 特別記念硬貨

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「…………枕がいない」

 それはお昼休みのこと。
 今日から朝補習が再開したせいか、眠たそうに目を擦るかなちゃんの様子を見て、私はあることに気付く。

「あれ……? そういえば、蔵敷くんは?」

 お昼ご飯を食べ終え、多幸感に満ち溢れるこの時間帯。

 普段なら、幼馴染である蔵敷くんの膝に頭を預けて、ムニムニと顔を遊ばれたり、髪を勝手に梳かれながらも、満更でもなさそうな表情で寛いでみせるかなちゃんだというのに、今日に限ってはそれがなかった。

 イジイジと拗ねるように机に顔を押し付けて、力なく答える。

「……知らない。どっか行った」

「へぇー……そうなんだ」

 平静を装いながらも、意外な事実に私は驚いた。

 まさか、『知らない』なんて単語が出てくるなんて……。
 お互いのことなら何でも知っている仲だと思っていただけに、何故か軽いショックを受けてしまう。

「翔真くんは知ってる? ……蔵敷くんの居場所」

「あー……何か用事があるって言ってたよ。詳しいことは話さなかったけど」

 かなちゃんとは別の意味で仲が良いということで、ダメ元で翔真くんにも尋ねてみれば意外や意外。
 出掛ける予定は告げていたらしく、ほんの少しだけ情報が得られた。

 ……とは言っても、何の用かもいつ帰ってくるのかも分からないような曖昧なものだけど。

「そっか……」

「あぁ~……まくら~」

 故にそう返事をすることしかできず、欲求の満たされない彼女は呻き声を上げる。

「…………詩音さんや」

「何、かなちゃん?」

「ちょいと、お膝を貸してくれやしませんか?」

 そうして何を思ったのか、私に代わりをお願いしてきた。

「えっ……私!?」

「……そう、わたくし」

 当然のように、私は驚く。
 だって、そうでしょう。そういうのは、蔵敷くんだからこそなせる技であり、本人的にも充実するというものなのであって、私なんかじゃ……。

「え、えっと……でも…………」

「いいから、いいから」

 どうにか断ろうとする私を強引に宥めたかなちゃんは、別に椅子を二つ用意すると、そこに足や腰を乗せて勝手に頭を預けてきた。

「ん……少し柔らかすぎる、かも」

「ちょ……ちょっと……かなちゃん…………!」

 初めての膝枕はほんのり温かくて、とてもくすぐったい。
 モゾモゾと動かれるせいでスカートの布地が肌の表面を撫で、自分の意思に関係なく脚がピクピクと反応してしまう。

「……けど、肌触りは悪くない」

「や、ダメ……! スカートが捲れちゃうから……」

 蔵敷くんは、毎回こんなことをしていたんだ……。

 その苦労と、やはりかなちゃんの相手は彼にしか務まらないという事実を理解した私は、生まれて初めて誰よりもその帰還を待ち侘びるのであった。


 ♦ ♦ ♦

「あっ……そら、おかえりー」

「おう、ただいま……って、何事?」

 それから十数分。
 ようやく帰ってきた蔵敷くんは、目の前の参事を理解できないでいた。

「詩音さんが倉敷さんのお守りを頑張ってた」

「あー……なるほどな」

 それに対して、これ以上ないくらいに的確な事情説明を翔真くんがしてくれれば、全てを悟った蔵敷くんは、申し訳なさそうに視線を落とす。

「それは、なんというか……ご愁傷さま。身内が迷惑をかけたようで申し訳ない」

「う、うぅん……大丈夫……」

 とはいえ、これは別に誰が悪いというわけでもない。

 蔵敷くんだって、自分のプライベートがあるわけだし、いつかは起きるべくして起きた、避けようのない事件だろう。
 ……何だったら、我儘を貫き通したかなちゃんが悪いまである。

「――てことで、頑張ってくれた菊池さんにはコレをあげる」

 机の上を滑らすように差し出されたのは……硬貨だろうか?
 けど、表に描かれた建物も、裏に大きく咲いた菊の紋章も見た事がない。

「…………これ、は?」

「今日の戦利品」

 したり顔でそう語られるも、何が何だかさっぱりだ。
 困り果て、翔真くんの様子を伺ってみれば、流石というべきか答えを教えてくれる。

「あっ……これ、天皇陛下の即位を記念した五百円硬貨じゃないか?」

「五百円玉……? ……記念の?」

「そうそう。先週の金曜日から全国の金融機関で両替が始まった記念硬貨で、ネットでも『デザインが良い』って評判なんだけど――って、そら」

 簡潔な分かりやすい説明に私が関心をしていると、彼は何かに気付いたようで、どんどんと言葉が尻すぼみになっていき、最後は疑問調へと変化した。

「何だ?」

「今さっき、『今日の戦利品』って言わなかったか?」

「言った。いやぁー、さすがは田舎だな。近くの郵便局に行っても、ギリギリまだあったわ」

 えっと……おさらいしてみよう。

 この硬貨は特別なもので、とある場所での交換が必要。
 そして、蔵敷くんはそれをお昼休みに調達してきたと……。

 それは、つまるところ――。

「…………そら、お前わざわざ学校を抜け出したのか?」

 ――と、翔真くんの指摘する通りのことだろう。
 しかし、一方の蔵敷くんは肩を竦めてしらを切る。

「さぁ……何の事だか。俺はちゃんと担任に許可を貰って、校門の外に建てられている部室棟まで忘れ物を取りに行っただけだぞ」

「……しかも、三枝先生も共犯なのか…………」

 「相変わらず、そらに甘すぎる人だ……」と落ち込む翔真くんの背中を撫で、宥め、私もまた事態の全容を把握した。

「……そら、私もそれ欲しい」

「別に数はあるから良いけど……ちゃんと五百円玉と交換だぞ」

「えぇー…………詩音にはあげたのに……」

「それはお前に関する迷惑料だ。何なら、その五百円分も払え。千円出せ」

「……だが断る」

 ――などと、遠くでは楽しそうな会話が響いている。

 が、それはそれとして……こんな硬貨一枚のためにあんな思いをしたのか。
 そう考えると、不思議とやるせない気持ちでいっぱいになる私なのであった。
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