彼と彼女の365日

如月ゆう

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November

11月27日(水) 第一次・勉強ブーム①

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 クラスの雰囲気が明らかに変わった。
 ……いや、クラスだけではない。学校の持つ空気そのものが変わっていた。

 普段ならもっと騒がしく、生徒数およそ二千人の規模を見せつけるほどに、至る所で騒ぎ声が聞こえてくるというのに、最近はめっきり静かになっている。

 それは、この特進クラスのひしめく実習棟で特に顕著に表れており、昼休みにもかかわらず机に齧りつく生徒が多かった。
 時折耳に入る話し声も勉強のことばかりであり、しかも他の人の邪魔にならないほど小さい。

「――悪い、翔真。ここ、教えてくれないか?」

 そんな中、とあるクラスメイトが声を掛けてくる。

「えっと……あぁ、この問題は――」

 席位置が俺の右隣であり、テニス部に所属している彼は、この学校で演習テキストとして利用されている市販の問題集を開くと俺に差し出した。

 内容は生物。
 今回の定期考査の試験範囲でもあるその問題は、テキストの中でもかなり難しいひっかけ問題だ。

 選択問題であるため、答えとなる根拠だけを教えてもいいのだが、それでは理解がどうしても浅くなってしまう。
 なので、俺は先に他の選択肢のどの部分が誤っているかを解説し、解答へと到る筋道を説明した。

「――っていうことになるから、答えは三番になるんだよ」

「あー、なるほどな! さんきゅー、翔真」

 一通りの講義を終え、言葉を締めれば、そんなお礼を告げられ俺は一息つく。

 何とか言いたいことが伝わったようで良かった……。
 学年一位という成績から人に頼られることも多いが、自分の理解を他人に言葉で教示するというのは存外に難しく、いつになっても慣れない。

 この言い回しで理解してくれるかという不安。
 自分はこの考え方で理解できたけど、それが相手にも当てはまるかは分からないという恐怖。

 それらと常に向き合い、工夫する『教師』という職業は本当に凄いと思う。

「あっ――けど悪いな、翔真」

 などと考えていれば、満足げにテキストを閉じた彼は急に謝罪する。

「…………? 急にどうしたんだ?」

 突然の出来事に、俺は困惑した。

「いや……自分の勉強もあるだろうに、そうやって人に教えてさ。時間を奪って、申し訳なく感じた――っていうか……」

「何だ、そんなことか。別に気にしなくていいよ。俺が自分で引き受けたことだし、それに『他人に教える』っていうのは良い復習にもなるからな」

 人に教えるというのは難しい。
 それは、相手に説明し理解させるという工程で、その事柄についてたくさんの言い回しをしなければならず、一から十まで理解する必要があるからだ。

 また、自分の理解を言語化するうえで、これまでに曖昧な感性で受け入れていた事柄を定義・理論付けすることになり、より具体的な理解へと繋げることができる。

「――だから、謝る必要はない」

「そうか……なら、良かったよ」

 そう返すと、彼は安堵したように息を吐いた。
 自席に戻る彼を視界の端に捉えつつ、自分の勉強に戻ろうと机に向き直ると――。

「あの……翔真くん、私も聞きたいところが……」
「悪い、俺も分からないところがある!」
「……復習になるのなら、僕も行こうかな。遠慮して、聞けなかったことがあったし……」
「翔真先輩、私たちにもお願いします!」

 予想だにしない人数の生徒が訪れる。
 クラスメイトから、挙句の果てにはすぐ隣に教室がある一年生たちまで……その種類は千差万別。

 この猛烈な勉強への皆のやる気は、一体どこから生まれたのだろうか。

「ていうか……」

 確かに気にしなくていいとは言ったけど、数を考慮してほしかったなぁ。
 ――と、そう嘆く俺であった。
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