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1-4 Radical Strategist
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開業から60年以上を迎えた世界初の高速鉄道、東海道新幹線。日本の三大都市圏を2時間半未満で結び、1日あたり45万人を運ぶ日本の大動脈だ。
年明け最初の3連休。朝日を浴び、西へ向けて直走る白い列車、その2人掛けの指定席に揺られる高校生2人。
窓側の女子高生がミルク多めのホットコーヒーを啜る隣で、通路側の男子高生は青いアルミのスプーンを武器に格闘していた。相手は、跳ね上げ式のテーブルに置かれた固くて有名なアイスクリーム。
……2ヶ月前、流雫が開業したばかりの河月のアウトレットでテロ犯に撃たれた。その一報を聞いてレンヌから駆け付けた母、アスタナ・クラージュは1週間後、流雫の退院を機に帰国することになった。
そして、流雫の見舞いに来ていた澪も一緒に、流雫のリハビリを兼ねる形で3人でアウトレットへ行った。アスタナはショッピングを満喫していたが、その時に開かれていたオープニングキャンペーンの抽選に流雫の名前で応募していた。
その一等、国内旅行券が当選していたのが判ったのは3日前。アウトレット曰く発送ミスが有ったらしく、急遽送られてきた。しかし、使用期限は1月中。ペンションを営む親戚、鐘釣夫妻に渡してもよかったが、あまりにも急過ぎる話で、折角だから流雫が使えと云うことになった。警察の捜査協力で修学旅行に行けなかった……元から行く気は無かったが……代わりだと思うことにした。
とは云え、ペア旅行券。1人では使えない。急な話だと知りながら、東京に住む恋人を誘うことにした。彼女は少しだけ驚いたが、両親も賛成した。
……澪は流雫とは異なり、修学旅行には行った。当初の予定は北部九州だった。しかし、到着地の福岡で自爆テロと暴動に遭遇し、その取調で1人だけ最終日まで福岡市内のホテルに軟禁状態だった。ただ飛行機で東京と福岡を往復しただけだ。
特に父は、修学旅行さえ事件に囚われて楽しめない娘を、その取調に携わりながら不憫に思っていただけに、2人だけの遅い修学旅行と云う感覚で送り出そうと思った。高校生2人だけなのは少し不安だが、1人で何度も日本とフランスを往復している恋人がいるだけに、心配は要らない……そう思っていたかった。
乗車券に印字された目的地は、日本三大都市の一角、愛知県名古屋市。流雫にとっては、東京以外で初めて行く街だ。そして澪にとっても、修学旅行を除けば山梨の次に訪れる県。
近隣の自動車産業の発展に伴う商業都市として栄えている反面、観光地としては弱いと云う特性を抱えた名古屋を中心とする愛知は、しかし織田、豊臣、徳川の三英傑の故郷と云う共通点が有り、歴史が好きな人にとっては天国だ。
2人揃って日本史はそこまで詳しくないが、触れてみるのも悪くない。初日は名古屋市内を回って、2日目は近隣の歴史巡りをして、最終日は2日目の夜に決めれば問題無いだろう。後は何事も無く帰り着ければ……しかし、これが何より難しいことは判っているが。
濃厚なバニラのアイスクリームを、感嘆の溜め息混じりに堪能した流雫は、アイスクリーム専用のアルミスプーンを綺麗に拭いて鞄に入れる。それと同時に、もうすぐ名古屋に着く車内放送が流れた。
名駅と略される名古屋駅のプラットホームに入った新幹線のドアが開くと、多数の乗客が吐き出される。それに混じって、色違いながらお揃いのスーツケースを持って降りた高校生2人。車内の暖房が少し暑かっただけに、全身を急襲した1月の空気の冷たさは余計に厳しく感じられる。尤も、ベージュのケープ型コートの澪に対して、流雫はフロントオープンの白いUVカットパーカーとネイビーのシャツだけだから、当然ではあるのだが。
ただ、雲一つ無い快晴。小旅行は幸先よく感じられた。
ごった返すコンコースから改札へ辿り着くと、リニア新幹線の工事が進む名古屋駅の西側……太閤通口に下りる。目の前には銀時計と呼ばれる時計のモニュメントが設置されている。
「着いたわね……」
と、背伸びしながら澪は言った。車内であまり話をしなかったのは、単に朝早くの出発で互いに少し眠かっただけだ。
特に流雫は6時台の列車で都内に出る必要が有った。八王子で乗り換えて新横浜へ向かい、新幹線に乗るのが本来は早い。しかし、少しでも長く澪といたい、と云う理由だけで新宿で合流し、品川から新幹線に乗ると云う遠回りを厭わなかった。
未だ9時半にもなっていない。駅ナカのカフェか何処かでモーニング……が無難なところか。2人は目の前の空いているカフェに入った。
バターを塗った厚切りトーストに餡子を乗せた、小倉あんトーストに歯を立て、コーヒーを啜る。一見異質な組み合わせだが、これが意外とハマる。そして、今からの観光に向けてのエネルギーはチャージした。
目指す観光地、先ずは近場から……となると、向かい側の展望台、ミッドランドプロムナード。其処に行くには東側、桜通口から出る必要が有る。
その桜通口のシンボルは、先刻見た銀時計よりも大きな金時計のモニュメント。その周囲に人が集まる。どうやら待ち合わせの定番らしい。尤も、定番過ぎて誰が何処にいるか逆に判りにくいが。
10時に近付くと、入口の百貨店前には開店待ちの人集りができる。あと数分で、ガラスのドアが開かれ、店員の挨拶を尻目に買い物客が一目散に目当てのフロアへ急ぐ……大都市故の慌ただしくも平和な光景。何時もの週末が、本格的に始まろうとしていた。
ホテルは栄と云う、名駅から少し離れた界隈。一通り回った後、名駅に戻ってスーツケースを引き取り、栄に向かえばいい……と2人は思っていた。
コインロッカーにスーツケースを預け、それぞれ黒いショルダーバッグとトートボストンを提げた流雫と澪は、桜通口を目指す。コンコースの人通りも激しくなり、何度も人と当たりそうになる。
スーツを着た男が、バックパックを背負って小走りで向かってくる。澪は自分の進路上に男がいると判ると、左隣の流雫に寄り、同時に彼は少女を抱き寄せる。その直後、男が
「わっ!」
と声を上げながら派手に転んだ。しかしすぐに小太りの身体を起こして走り去っていく。
「何なの?」
そう呟いた澪の足下に、千切れたネックレスが落ちていた。今の人のだろうか。澪がしゃがんで手にしたゴールドのそれは、八芒星を象ったような形のチャームがアクセントになっている。
「珍しい形……」
と呟いた澪の掌を覗き込んだ流雫は、同時に眉間に皺を寄せた。見覚えが有る、どころか……。
「……まさか」
そう呟いた流雫に澪は
「流雫?」
と声を上げる。
……流雫は何を知っているのか。恋人が疑問を浮かべた瞬間、背後から甲高い悲鳴が聞こえた。それに続く
「誰か!!」
と叫ぶ声と同時に
「救急車を呼べ!」
「取り押さえろ!!」
と、その周囲から次々に声が上がる。
……何故、こうも出会すのか。しかし、今回は無関係だろう……。取り敢えず駅員にでもネックレスを引き渡して、早くミッドランドプロムナードに……。
そう思った流雫が周囲を見回す。その瞬間、銃声がコンコースの壁や柱に反響した。
「なっ!?」
と流雫が反応すると同時に、澪が
「流雫っ!?」
と声を上げる。2人の視線は、銃声の方向に向いていた。同時に、コンコースを無数の人が走ってくる。
名駅の動線は、基本的には桜通口と太閤通口を結ぶ太い1本の直線のみ。広小路口は桜通口の近くから分かれるが、そこまで太くない。何人かは自動改札機のゲートを飛び越えて避難する。
オープン寸前の百貨店も急遽ドアを開け、挨拶の代わりに警備員と店員が避難誘導を始めた。しかし入口は狭く、入ろうとした客で詰まり、結局は外に避難していく。そして一部は、金時計の後ろの4基のエスカレーターを駆け上がる。
桜通口隣の広場から延びる階段でもアクセスできる、ペデストリアンデッキに行ける。当然、そっちにも人は流れるだろうが、今はとにかく人の流れに乗るしかない。2人はエスカレーターを駆け上がり、ガラスの柵越しにしゃがみ、階下の混乱に目を向ける。
ネックレスを預けるのは後回し。取り敢えず逃げ……られない。大口径の銃を持った男が、次の標的を見つけたからだ。体育会系なのか鍛えられた身体で、黒いスーツを着ている。
……シルバーヘアに、左右で異なる色の目。それが目立つからか、他に理由が有るのか。とにかく、周囲を威嚇しながら山梨からの高校生に近寄ってくるのだけは判る。
「……澪、走れっ!」
と隣の恋人に向かって言った流雫は、黒いショルダーバッグからガンメタリックの銃を取り出した。スライドの右側には、Lunaとロゴが貼られている。
余談だが、流雫の名前は元々月に関連したルナだから、Lunaで合っている。流雫の字は、彼が日本人に帰化する時に母がルナの読みに対して当てた字で、彼が生まれた日に故郷パリで雨が降っていたから、と云う理由だ。
……1年3ヶ月前、政府はトーキョーアタックを機に、究極の自助努力として銃刀法を改正した。それにより、護身に限定した銃の所持と使用が認められるようになった。
共通仕様として、オートマチック銃で弾数は6発。弾数は、警察官のリボルバー銃に合わせた形だ。銃の大きさが数種類から選択できたが、流雫は最小最軽量のタイプを選んだ。
それは弾も小さいことを意味しているが、更に火薬の量も少なく、威力は低い。しかし反動が小さく扱いやすく、また音が小さいと云う利点も有る。
事実、流雫が撃った時も殆どが至近距離で、また相手を殺すのではなく動きを止められればよかった。それだけに、結果論だがこれが正解だった、と彼は思っている。
「流雫!」
澪は恋人の名を呼び、ブルートゥースイヤフォンをトートボストンから取り出す。そして右耳だけ挿した。
「澪!!」
もう一度声を上げた流雫に、澪は
「残る!」
と拒否した。その顔には、焦燥感と悲壮感が滲んでいる。
「流雫だけ残すなんて……!」
と続けながら、澪はシルバーの銃身を出す。
流雫と同じタイプの色違い。Mioのoをハートで遇ったシールが、左側に貼られている。
「でも……!」
と被せた流雫は、しかし言葉を途切れさせる。
……言い争っている時間は無い。流雫は覚悟を決めざるを得なかった。澪を殺されないために、僕が死なないために、と。
「流雫、来る!」
澪が声を上げた。男が銃を持ったまま、その距離を縮め始める。イヤフォンを耳に挿す間も無く、流雫は澪から離れた。
……男が狙ったのは、やはりシルバーヘアの少年だった。エスカレーターを駆け上がる男の目線は、完全に流雫に向いている。
逃げないと。ただ、何処へ?人混みの動線で、どうやって?
「待て!」
と2人の警察官が男の後ろから追ってくる。しかし、男は振り向いて銃口を向ける。……銃身の底部、弾倉にホログラムシールが貼られていなかった。
……銃の濫用を防ぐため、6発だけしか装填できないようになった弾倉だが、交換できないように封印としてホログラムシールが貼られている。
そして、警察から認可を受けた銃弾の販売管理者のみがシールを剥がし、装填し、再度シールを貼り付けることができる。
これが剥がされていると、護身目的であっても銃刀法違反となり、銃の没収と一生涯銃の所持禁止を含めた厳罰処分が例外無く下される。
その封印が無い。流雫はそれに気付く。……1ヶ月前、渋谷でも同じような銃を持った男と戦うハメになった。まさか、あの時と同じ……!?
一瞬目を見開いた流雫のスマートフォンが鳴る。澪からだ。流雫は、慌ててブルートゥースイヤフォンを右耳だけ挿す。
「流雫!?」
澪が声を上げる。流雫は今見えたことをそのまま言った。
「封印が無い……」
「え?」
と小さく声に出した澪は、それが何を意味しているのか判る。あの渋谷の時と……同じ……!?
「それに、先刻の……」
と流雫が言った瞬間、エスカレーターで銃声が聞こえた。4発。寸分遅れて重なる太い呻き声……警察官が撃たれた。
その光景に周囲から悲鳴と混乱の怒号が上がり、コンコースに幾重にも反響する。思わず左耳を塞ぐ少年の反対の耳に、イヤフォン越しに
「流雫!」
と少女の声が届く。
「……またかよ……!」
流雫は思わず声に出した。
修学旅行代わりと云える、折角の小旅行。なのに、本格的に始まる前から水を差されるとは。苛立ちは禁物だが、禁じ得ない。
流雫は目の前の……階上から見て最も左のエスカレーターを駆け下りる。その先にはスーツを着た男。低めの足音に気付き、男が振り向いた瞬間、
「ほっ!!」
と声を上げた流雫は銃身で男の腕を殴る。
「ぐっ!」
と声を上げた男は、しかし落とさなかった銃を目の前の少年に向ける。
……安全ではないが、最も効果的な逃げ道は一つだけ。流雫は意を決して、エスカレーターの黒い手摺りを掴むと、その場で左に跳び上がり、膝を折り畳んで身体を宙に投げ出す。
「流雫っ!?」
と叫んだ澪は、ガラスの柵に手を突いてその様子を見守った。
……やりかねない、とは思ったが、やはり心臓に悪い。ほんの少しパルクールができるから、とは云え、こう云う時の流雫の戦い方は一言で言えばラディカルだ。しかし、だからこそ何度も生き延びてきた。そのことを、澪は誰より知っている。
そして、スーツの男が目の前から少年が消えたことに戸惑っているのが、澪には判る。
助走が得られず、腕の力だけで身体を投げ出したから、勢いは無い。つまり、ほぼ真下に落下する。
白いUVカットパーカーをはためかせる流雫は、咄嗟に足を揃えた。着地の瞬間に膝を曲げ、サスペンションのように勢いを殺し、しかしすぐに立ち上がる。
外の広場の階段を使えば、階上に戻れる。今は焦らせるしかない。そして、撃ってほしくはないが……。
「くそっ!」
と上から低い声が聞こえ、直後に銃声が3回響く。それは百貨店の入口上の強化ガラスを割る。破片が真下にいた、店内に避難しようと密集していた人たちに降り注ぎ、更に悲鳴が上がった。
……流雫が聞いた限り、これで撃ったのは8発。……ホログラムが貼られていない弾倉は、その時点で違法だ。しかし、それ以前に本来は6発に限定されている。密造されたか改造されたか……どちらにせよ、完全にアウト。あと何発残っているのか……?
男は自分が斃した2人の警察官が障害物となり、それ以上は下に行けない。ならば上から回るだけだ。
エスカレーターを駆け上がる男は、澪に銃口を向ける。ガラスの柵越しに、それに気付いた澪は、咄嗟に柵から離れた。それと同時に、火薬が爆ぜる音が聞こえ、ガラスに蜘蛛の巣状のヒビが走る。
「っ!」
あと1秒遅ければ……。その恐怖を振り切りながら、澪は立ち上がる。しかし、一気に距離を縮めた男の射程距離に既に入っている。
「澪!?」
流雫の声がイヤフォン越しに届く。
その流雫は外に逃げた……否、逃げたワケじゃない。外から回って戻ってくる気だ。この1対1を乗り切れば、2対1に変わるハズ。それまで、逃げ切る。
靴音を鳴らして踵を返した澪は、避難しようとする人を文字通り縫うように避ける。やがて、開かれたままのガラスドアが見え、そのまま突っ切ってペデストリアンデッキに飛び出した。冷たい空気に華奢な全身を包まれるが、緊張感と走ったことで火照り始めた身体には好都合だった。
「流雫!」
澪がマイク越しに発した一言に、流雫と呼ばれた少年は返す。
「……澪は逃げろ」
しかし澪は
「でも流雫が……!」
と引き下がらない。……自分だけ安全地帯から見守ることは、刑事の娘としての、何より流雫の恋人としてのプライドが認めない。
……澪は我が侭だ。彼女を止められない。だから、2人で男を止めるしかない。そう思った流雫の目に、コートのケープをはためかせて走る少女が映る。
「澪!」
「流雫!」
互いの名を呼び、澪はその場で踵を返して止まった。流雫はその隣で止まる。再会は1分ぶり、しかしその何倍にも感じられた。
……撃つのは最終手段。正当防衛が認められる場合にのみ撃つことはできる。その後の取調が多少面倒だが、問題はそれではない。
「来る……!」
澪がそう言うと同時に、銃声が響いた。
空へ向けての威嚇に、避難していた人が更に散り散りになる。しかし、本当に威嚇したい標的には通じない。
流雫のシンボル……アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳が、男を捉える。優しさの塊のような、少し頼りなげに見える普段の流雫からは想像できない表情は、しかし澪は何度も見てきた。
流雫は悪に立ち向かう騎士のようで、澪を護る悪魔のようでもあった。……そう、澪だけのメフィストフェレス。
流雫は銃を持ったまま、後ろへステップした。澪はその少年から一気に離れる。
……ペデストリアンデッキは障害物が無く、走りやすいが逃げにくい。しかし外階段と広場なら、段差を使えば銃口の延長線上に立つことは無い。
一度外に逃げて外階段を目にした瞬間、流雫は此処なら戦えると思った。……逃げられないなら、戦うしかない。全ては、逃げ延びるために。
流雫は男が走り出すのを見て、一気に方向転換して走り始めた。靴音を鳴らしながら、左右にスラロームを始める。
相手が照準を合わせにくいように、つまり撃たれにくくするためには、直線上に立たないことが重要だった。しかし、難しいのは曲がる時に速度を落とさないこと。それは、そのタイミングで撃たれないと云う運に任せるしかない。
そして澪は、男の気を逸らすべく、流雫と重ならないように走る。しかし、既にスーツをはためかせる男の狭まった視界に、澪は入っていない。シルバーヘアの少年を仕留めることに、意識が向けられている。
「っ……」
それに気付いた澪は、踵を返して前に向かって走り始めた。少しだけ顔を向けた男と一瞬目が合うが、銃は向けられない。やはり、目的は流雫……。
視界から男が一瞬消えた、その瞬間に澪は斜め後ろを振り向く。流雫が大きな外階段に辿り着くのが見えた。澪は再度踵を返した。
一瞬後ろを振り返った流雫は、しかしこのまま走って階段を下りるだけではダメだと思った。速度が落ち、スラロームもできない。
左手で階段中央の手摺りの端を掴んだ流雫は、
「ふっ!」
と左足に力を入れ、跳び上がった。膝を折り曲げると、腕を軸に身体は強制的に左回りで方向転換する。
海外の科学番組専門チャンネルが動画サイトで無料配信している、3分間動画で得た知識の見様見真似と、今まで何度もテロから逃げ延びてきた中で得た経験則。それだけしか、流雫が犯人に勝るものは無い。
逃げようとしたが、諦めた……としては、オーバーアクション。しかし、この目障りとすら思える少年を仕留められるなら、どうでもいい。観念したか……、と男は思いながら銃を向ける。
……この不可解さこそ、流雫の最大の武器であることは澪以外知らない。
左足から着地した少年は、男に正対し……しかし一気に前に向かって走り出した。
「何!?」
飛んで火に入る何とやら……しかしそれは予想外だった。男は声を上げた1秒後、シルバーヘアの少年と交錯し、同時に脇腹に激痛が走る。
「ぐっ……!」
男は顔を歪める。しかし、血の感触は無い。
……流雫は走り出した瞬間、銃を左手に持ち替え、ガンメタリックの銃身のグリップを強く握る。そして弾倉を右の掌底で突いた。何時かフランスから帰る時に機内で見たアクション映画で、好きな俳優がやっていたものの見様見真似。撃たなくても十分凶器にした。
男が左後ろで立ち止まった少年に対して振り向いた瞬間、今度は銃を握った手の甲に激痛が走る。
「がっ……!!」
男は思わず銃を手放し、反対の手で殴られた患部を覆う。
踵を返した流雫が再度振った銃身が、手の甲を直撃した。恐らく骨が折れたか、男の手には力が入らない。
「おい!!」
と声を上げながら、階段から警察官が上がってきた。後数十秒耐えられれば。
しかし男は
「退け!!」
と叫びながら逃げようとした。捕まるワケにはいかない。今来た道を逆走すれば、人混みに紛れられれば。……その願いは、すれ違った少女に打ち砕かれた。
「っ!!」
すれ違いざまに、流雫が殴った脇腹を今度は澪のシルバーの銃身が狙った。
「おっ……!!」
三度鍛えられた肉体を襲った激痛に、男は思わず膝を突く。その隙に警察官が近寄るが、男は澪を睨みつつ、口角を上げる。まさか。同時に流雫が
「澪っ!!」
と叫んだ。
澪の右耳にはイヤフォンを通じて、左耳にはダイレクトに、声が聞こえる。……流雫が叫んだ意味、澪はこの瞬間に思いつく最悪の事態に、流雫に顔を向けて一目散に走り始めた。
……振り返りは厳禁。そして……。
「逃げて!!」
澪は叫んだ。その言葉に警察官は止まり、周囲で事態の顛末を見届けようとしていたヤジ馬は困惑しながらも男から遠ざかっていく。
「澪っ!!」
と再度叫んで突き出した流雫の腕が、走ってくる恋人を捉えた。その勢いのまま、澪の背中を抱きしめると男に背を向けた。澪は咄嗟に目を閉じて、両手で耳を塞ぐ。
同時に、背後から耳に突き刺すような爆発音が聞こえた。その爆風が僅かながら、流雫の背中に吹き付けた。
「……くっそ……!」
流雫は声を上げた。
……最悪……どころの話ではない。日本三大都市の一角の中心、最も人が集まる場所で起きた発砲事件は、犯人の自爆で決着した。
……何故何時も遭遇するのか。そして、何故狙われるのか。不運……で済むような問題ではない。
「……流雫……」
周囲の悲鳴と怒号と喧噪、そして近付いてくる緊急車両のサイレンに掻き消されそうな声で、最愛の少年の名を呟く澪。
折角の小旅行のスタートを台無しにされたこと、まさかの結末を迎えたこと、そして流雫の力にならなかったこと……交錯しては複雑に絡まる感情に震えていた。奥歯を鳴らす小さな音が、少年の耳に届く。
「澪……」
と囁きながら、強く抱きしめる流雫。
……澪があのタイミングで犯人を殴らなければ、最悪駅のコンコースで自爆が起きていた。
自爆そのものは避けられなかっただろう。しかし、コンコースではなくペデストリアンデッキで起きたことで、周囲への被害は最小限に留まった……。男の動きを止める意味では、澪はMVPだった。
だが、やはりこう云う目に遭うこと自体、本来は好ましくない。僕は仕方ないとしても、澪には経験してほしくなかった。だから、本当は澪だけでも逃げてほしかった。2人で止めるのは、最終手段でしかなかった。
言葉を失い、互いの名を呼ぶことしかできない2人は、しかし互いに撃たれること無く、怪我すること無く生きていることを感じては、ただ安堵していた。交錯する感情に、険しい表情を浮かべたまま。
年明け最初の3連休。朝日を浴び、西へ向けて直走る白い列車、その2人掛けの指定席に揺られる高校生2人。
窓側の女子高生がミルク多めのホットコーヒーを啜る隣で、通路側の男子高生は青いアルミのスプーンを武器に格闘していた。相手は、跳ね上げ式のテーブルに置かれた固くて有名なアイスクリーム。
……2ヶ月前、流雫が開業したばかりの河月のアウトレットでテロ犯に撃たれた。その一報を聞いてレンヌから駆け付けた母、アスタナ・クラージュは1週間後、流雫の退院を機に帰国することになった。
そして、流雫の見舞いに来ていた澪も一緒に、流雫のリハビリを兼ねる形で3人でアウトレットへ行った。アスタナはショッピングを満喫していたが、その時に開かれていたオープニングキャンペーンの抽選に流雫の名前で応募していた。
その一等、国内旅行券が当選していたのが判ったのは3日前。アウトレット曰く発送ミスが有ったらしく、急遽送られてきた。しかし、使用期限は1月中。ペンションを営む親戚、鐘釣夫妻に渡してもよかったが、あまりにも急過ぎる話で、折角だから流雫が使えと云うことになった。警察の捜査協力で修学旅行に行けなかった……元から行く気は無かったが……代わりだと思うことにした。
とは云え、ペア旅行券。1人では使えない。急な話だと知りながら、東京に住む恋人を誘うことにした。彼女は少しだけ驚いたが、両親も賛成した。
……澪は流雫とは異なり、修学旅行には行った。当初の予定は北部九州だった。しかし、到着地の福岡で自爆テロと暴動に遭遇し、その取調で1人だけ最終日まで福岡市内のホテルに軟禁状態だった。ただ飛行機で東京と福岡を往復しただけだ。
特に父は、修学旅行さえ事件に囚われて楽しめない娘を、その取調に携わりながら不憫に思っていただけに、2人だけの遅い修学旅行と云う感覚で送り出そうと思った。高校生2人だけなのは少し不安だが、1人で何度も日本とフランスを往復している恋人がいるだけに、心配は要らない……そう思っていたかった。
乗車券に印字された目的地は、日本三大都市の一角、愛知県名古屋市。流雫にとっては、東京以外で初めて行く街だ。そして澪にとっても、修学旅行を除けば山梨の次に訪れる県。
近隣の自動車産業の発展に伴う商業都市として栄えている反面、観光地としては弱いと云う特性を抱えた名古屋を中心とする愛知は、しかし織田、豊臣、徳川の三英傑の故郷と云う共通点が有り、歴史が好きな人にとっては天国だ。
2人揃って日本史はそこまで詳しくないが、触れてみるのも悪くない。初日は名古屋市内を回って、2日目は近隣の歴史巡りをして、最終日は2日目の夜に決めれば問題無いだろう。後は何事も無く帰り着ければ……しかし、これが何より難しいことは判っているが。
濃厚なバニラのアイスクリームを、感嘆の溜め息混じりに堪能した流雫は、アイスクリーム専用のアルミスプーンを綺麗に拭いて鞄に入れる。それと同時に、もうすぐ名古屋に着く車内放送が流れた。
名駅と略される名古屋駅のプラットホームに入った新幹線のドアが開くと、多数の乗客が吐き出される。それに混じって、色違いながらお揃いのスーツケースを持って降りた高校生2人。車内の暖房が少し暑かっただけに、全身を急襲した1月の空気の冷たさは余計に厳しく感じられる。尤も、ベージュのケープ型コートの澪に対して、流雫はフロントオープンの白いUVカットパーカーとネイビーのシャツだけだから、当然ではあるのだが。
ただ、雲一つ無い快晴。小旅行は幸先よく感じられた。
ごった返すコンコースから改札へ辿り着くと、リニア新幹線の工事が進む名古屋駅の西側……太閤通口に下りる。目の前には銀時計と呼ばれる時計のモニュメントが設置されている。
「着いたわね……」
と、背伸びしながら澪は言った。車内であまり話をしなかったのは、単に朝早くの出発で互いに少し眠かっただけだ。
特に流雫は6時台の列車で都内に出る必要が有った。八王子で乗り換えて新横浜へ向かい、新幹線に乗るのが本来は早い。しかし、少しでも長く澪といたい、と云う理由だけで新宿で合流し、品川から新幹線に乗ると云う遠回りを厭わなかった。
未だ9時半にもなっていない。駅ナカのカフェか何処かでモーニング……が無難なところか。2人は目の前の空いているカフェに入った。
バターを塗った厚切りトーストに餡子を乗せた、小倉あんトーストに歯を立て、コーヒーを啜る。一見異質な組み合わせだが、これが意外とハマる。そして、今からの観光に向けてのエネルギーはチャージした。
目指す観光地、先ずは近場から……となると、向かい側の展望台、ミッドランドプロムナード。其処に行くには東側、桜通口から出る必要が有る。
その桜通口のシンボルは、先刻見た銀時計よりも大きな金時計のモニュメント。その周囲に人が集まる。どうやら待ち合わせの定番らしい。尤も、定番過ぎて誰が何処にいるか逆に判りにくいが。
10時に近付くと、入口の百貨店前には開店待ちの人集りができる。あと数分で、ガラスのドアが開かれ、店員の挨拶を尻目に買い物客が一目散に目当てのフロアへ急ぐ……大都市故の慌ただしくも平和な光景。何時もの週末が、本格的に始まろうとしていた。
ホテルは栄と云う、名駅から少し離れた界隈。一通り回った後、名駅に戻ってスーツケースを引き取り、栄に向かえばいい……と2人は思っていた。
コインロッカーにスーツケースを預け、それぞれ黒いショルダーバッグとトートボストンを提げた流雫と澪は、桜通口を目指す。コンコースの人通りも激しくなり、何度も人と当たりそうになる。
スーツを着た男が、バックパックを背負って小走りで向かってくる。澪は自分の進路上に男がいると判ると、左隣の流雫に寄り、同時に彼は少女を抱き寄せる。その直後、男が
「わっ!」
と声を上げながら派手に転んだ。しかしすぐに小太りの身体を起こして走り去っていく。
「何なの?」
そう呟いた澪の足下に、千切れたネックレスが落ちていた。今の人のだろうか。澪がしゃがんで手にしたゴールドのそれは、八芒星を象ったような形のチャームがアクセントになっている。
「珍しい形……」
と呟いた澪の掌を覗き込んだ流雫は、同時に眉間に皺を寄せた。見覚えが有る、どころか……。
「……まさか」
そう呟いた流雫に澪は
「流雫?」
と声を上げる。
……流雫は何を知っているのか。恋人が疑問を浮かべた瞬間、背後から甲高い悲鳴が聞こえた。それに続く
「誰か!!」
と叫ぶ声と同時に
「救急車を呼べ!」
「取り押さえろ!!」
と、その周囲から次々に声が上がる。
……何故、こうも出会すのか。しかし、今回は無関係だろう……。取り敢えず駅員にでもネックレスを引き渡して、早くミッドランドプロムナードに……。
そう思った流雫が周囲を見回す。その瞬間、銃声がコンコースの壁や柱に反響した。
「なっ!?」
と流雫が反応すると同時に、澪が
「流雫っ!?」
と声を上げる。2人の視線は、銃声の方向に向いていた。同時に、コンコースを無数の人が走ってくる。
名駅の動線は、基本的には桜通口と太閤通口を結ぶ太い1本の直線のみ。広小路口は桜通口の近くから分かれるが、そこまで太くない。何人かは自動改札機のゲートを飛び越えて避難する。
オープン寸前の百貨店も急遽ドアを開け、挨拶の代わりに警備員と店員が避難誘導を始めた。しかし入口は狭く、入ろうとした客で詰まり、結局は外に避難していく。そして一部は、金時計の後ろの4基のエスカレーターを駆け上がる。
桜通口隣の広場から延びる階段でもアクセスできる、ペデストリアンデッキに行ける。当然、そっちにも人は流れるだろうが、今はとにかく人の流れに乗るしかない。2人はエスカレーターを駆け上がり、ガラスの柵越しにしゃがみ、階下の混乱に目を向ける。
ネックレスを預けるのは後回し。取り敢えず逃げ……られない。大口径の銃を持った男が、次の標的を見つけたからだ。体育会系なのか鍛えられた身体で、黒いスーツを着ている。
……シルバーヘアに、左右で異なる色の目。それが目立つからか、他に理由が有るのか。とにかく、周囲を威嚇しながら山梨からの高校生に近寄ってくるのだけは判る。
「……澪、走れっ!」
と隣の恋人に向かって言った流雫は、黒いショルダーバッグからガンメタリックの銃を取り出した。スライドの右側には、Lunaとロゴが貼られている。
余談だが、流雫の名前は元々月に関連したルナだから、Lunaで合っている。流雫の字は、彼が日本人に帰化する時に母がルナの読みに対して当てた字で、彼が生まれた日に故郷パリで雨が降っていたから、と云う理由だ。
……1年3ヶ月前、政府はトーキョーアタックを機に、究極の自助努力として銃刀法を改正した。それにより、護身に限定した銃の所持と使用が認められるようになった。
共通仕様として、オートマチック銃で弾数は6発。弾数は、警察官のリボルバー銃に合わせた形だ。銃の大きさが数種類から選択できたが、流雫は最小最軽量のタイプを選んだ。
それは弾も小さいことを意味しているが、更に火薬の量も少なく、威力は低い。しかし反動が小さく扱いやすく、また音が小さいと云う利点も有る。
事実、流雫が撃った時も殆どが至近距離で、また相手を殺すのではなく動きを止められればよかった。それだけに、結果論だがこれが正解だった、と彼は思っている。
「流雫!」
澪は恋人の名を呼び、ブルートゥースイヤフォンをトートボストンから取り出す。そして右耳だけ挿した。
「澪!!」
もう一度声を上げた流雫に、澪は
「残る!」
と拒否した。その顔には、焦燥感と悲壮感が滲んでいる。
「流雫だけ残すなんて……!」
と続けながら、澪はシルバーの銃身を出す。
流雫と同じタイプの色違い。Mioのoをハートで遇ったシールが、左側に貼られている。
「でも……!」
と被せた流雫は、しかし言葉を途切れさせる。
……言い争っている時間は無い。流雫は覚悟を決めざるを得なかった。澪を殺されないために、僕が死なないために、と。
「流雫、来る!」
澪が声を上げた。男が銃を持ったまま、その距離を縮め始める。イヤフォンを耳に挿す間も無く、流雫は澪から離れた。
……男が狙ったのは、やはりシルバーヘアの少年だった。エスカレーターを駆け上がる男の目線は、完全に流雫に向いている。
逃げないと。ただ、何処へ?人混みの動線で、どうやって?
「待て!」
と2人の警察官が男の後ろから追ってくる。しかし、男は振り向いて銃口を向ける。……銃身の底部、弾倉にホログラムシールが貼られていなかった。
……銃の濫用を防ぐため、6発だけしか装填できないようになった弾倉だが、交換できないように封印としてホログラムシールが貼られている。
そして、警察から認可を受けた銃弾の販売管理者のみがシールを剥がし、装填し、再度シールを貼り付けることができる。
これが剥がされていると、護身目的であっても銃刀法違反となり、銃の没収と一生涯銃の所持禁止を含めた厳罰処分が例外無く下される。
その封印が無い。流雫はそれに気付く。……1ヶ月前、渋谷でも同じような銃を持った男と戦うハメになった。まさか、あの時と同じ……!?
一瞬目を見開いた流雫のスマートフォンが鳴る。澪からだ。流雫は、慌ててブルートゥースイヤフォンを右耳だけ挿す。
「流雫!?」
澪が声を上げる。流雫は今見えたことをそのまま言った。
「封印が無い……」
「え?」
と小さく声に出した澪は、それが何を意味しているのか判る。あの渋谷の時と……同じ……!?
「それに、先刻の……」
と流雫が言った瞬間、エスカレーターで銃声が聞こえた。4発。寸分遅れて重なる太い呻き声……警察官が撃たれた。
その光景に周囲から悲鳴と混乱の怒号が上がり、コンコースに幾重にも反響する。思わず左耳を塞ぐ少年の反対の耳に、イヤフォン越しに
「流雫!」
と少女の声が届く。
「……またかよ……!」
流雫は思わず声に出した。
修学旅行代わりと云える、折角の小旅行。なのに、本格的に始まる前から水を差されるとは。苛立ちは禁物だが、禁じ得ない。
流雫は目の前の……階上から見て最も左のエスカレーターを駆け下りる。その先にはスーツを着た男。低めの足音に気付き、男が振り向いた瞬間、
「ほっ!!」
と声を上げた流雫は銃身で男の腕を殴る。
「ぐっ!」
と声を上げた男は、しかし落とさなかった銃を目の前の少年に向ける。
……安全ではないが、最も効果的な逃げ道は一つだけ。流雫は意を決して、エスカレーターの黒い手摺りを掴むと、その場で左に跳び上がり、膝を折り畳んで身体を宙に投げ出す。
「流雫っ!?」
と叫んだ澪は、ガラスの柵に手を突いてその様子を見守った。
……やりかねない、とは思ったが、やはり心臓に悪い。ほんの少しパルクールができるから、とは云え、こう云う時の流雫の戦い方は一言で言えばラディカルだ。しかし、だからこそ何度も生き延びてきた。そのことを、澪は誰より知っている。
そして、スーツの男が目の前から少年が消えたことに戸惑っているのが、澪には判る。
助走が得られず、腕の力だけで身体を投げ出したから、勢いは無い。つまり、ほぼ真下に落下する。
白いUVカットパーカーをはためかせる流雫は、咄嗟に足を揃えた。着地の瞬間に膝を曲げ、サスペンションのように勢いを殺し、しかしすぐに立ち上がる。
外の広場の階段を使えば、階上に戻れる。今は焦らせるしかない。そして、撃ってほしくはないが……。
「くそっ!」
と上から低い声が聞こえ、直後に銃声が3回響く。それは百貨店の入口上の強化ガラスを割る。破片が真下にいた、店内に避難しようと密集していた人たちに降り注ぎ、更に悲鳴が上がった。
……流雫が聞いた限り、これで撃ったのは8発。……ホログラムが貼られていない弾倉は、その時点で違法だ。しかし、それ以前に本来は6発に限定されている。密造されたか改造されたか……どちらにせよ、完全にアウト。あと何発残っているのか……?
男は自分が斃した2人の警察官が障害物となり、それ以上は下に行けない。ならば上から回るだけだ。
エスカレーターを駆け上がる男は、澪に銃口を向ける。ガラスの柵越しに、それに気付いた澪は、咄嗟に柵から離れた。それと同時に、火薬が爆ぜる音が聞こえ、ガラスに蜘蛛の巣状のヒビが走る。
「っ!」
あと1秒遅ければ……。その恐怖を振り切りながら、澪は立ち上がる。しかし、一気に距離を縮めた男の射程距離に既に入っている。
「澪!?」
流雫の声がイヤフォン越しに届く。
その流雫は外に逃げた……否、逃げたワケじゃない。外から回って戻ってくる気だ。この1対1を乗り切れば、2対1に変わるハズ。それまで、逃げ切る。
靴音を鳴らして踵を返した澪は、避難しようとする人を文字通り縫うように避ける。やがて、開かれたままのガラスドアが見え、そのまま突っ切ってペデストリアンデッキに飛び出した。冷たい空気に華奢な全身を包まれるが、緊張感と走ったことで火照り始めた身体には好都合だった。
「流雫!」
澪がマイク越しに発した一言に、流雫と呼ばれた少年は返す。
「……澪は逃げろ」
しかし澪は
「でも流雫が……!」
と引き下がらない。……自分だけ安全地帯から見守ることは、刑事の娘としての、何より流雫の恋人としてのプライドが認めない。
……澪は我が侭だ。彼女を止められない。だから、2人で男を止めるしかない。そう思った流雫の目に、コートのケープをはためかせて走る少女が映る。
「澪!」
「流雫!」
互いの名を呼び、澪はその場で踵を返して止まった。流雫はその隣で止まる。再会は1分ぶり、しかしその何倍にも感じられた。
……撃つのは最終手段。正当防衛が認められる場合にのみ撃つことはできる。その後の取調が多少面倒だが、問題はそれではない。
「来る……!」
澪がそう言うと同時に、銃声が響いた。
空へ向けての威嚇に、避難していた人が更に散り散りになる。しかし、本当に威嚇したい標的には通じない。
流雫のシンボル……アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳が、男を捉える。優しさの塊のような、少し頼りなげに見える普段の流雫からは想像できない表情は、しかし澪は何度も見てきた。
流雫は悪に立ち向かう騎士のようで、澪を護る悪魔のようでもあった。……そう、澪だけのメフィストフェレス。
流雫は銃を持ったまま、後ろへステップした。澪はその少年から一気に離れる。
……ペデストリアンデッキは障害物が無く、走りやすいが逃げにくい。しかし外階段と広場なら、段差を使えば銃口の延長線上に立つことは無い。
一度外に逃げて外階段を目にした瞬間、流雫は此処なら戦えると思った。……逃げられないなら、戦うしかない。全ては、逃げ延びるために。
流雫は男が走り出すのを見て、一気に方向転換して走り始めた。靴音を鳴らしながら、左右にスラロームを始める。
相手が照準を合わせにくいように、つまり撃たれにくくするためには、直線上に立たないことが重要だった。しかし、難しいのは曲がる時に速度を落とさないこと。それは、そのタイミングで撃たれないと云う運に任せるしかない。
そして澪は、男の気を逸らすべく、流雫と重ならないように走る。しかし、既にスーツをはためかせる男の狭まった視界に、澪は入っていない。シルバーヘアの少年を仕留めることに、意識が向けられている。
「っ……」
それに気付いた澪は、踵を返して前に向かって走り始めた。少しだけ顔を向けた男と一瞬目が合うが、銃は向けられない。やはり、目的は流雫……。
視界から男が一瞬消えた、その瞬間に澪は斜め後ろを振り向く。流雫が大きな外階段に辿り着くのが見えた。澪は再度踵を返した。
一瞬後ろを振り返った流雫は、しかしこのまま走って階段を下りるだけではダメだと思った。速度が落ち、スラロームもできない。
左手で階段中央の手摺りの端を掴んだ流雫は、
「ふっ!」
と左足に力を入れ、跳び上がった。膝を折り曲げると、腕を軸に身体は強制的に左回りで方向転換する。
海外の科学番組専門チャンネルが動画サイトで無料配信している、3分間動画で得た知識の見様見真似と、今まで何度もテロから逃げ延びてきた中で得た経験則。それだけしか、流雫が犯人に勝るものは無い。
逃げようとしたが、諦めた……としては、オーバーアクション。しかし、この目障りとすら思える少年を仕留められるなら、どうでもいい。観念したか……、と男は思いながら銃を向ける。
……この不可解さこそ、流雫の最大の武器であることは澪以外知らない。
左足から着地した少年は、男に正対し……しかし一気に前に向かって走り出した。
「何!?」
飛んで火に入る何とやら……しかしそれは予想外だった。男は声を上げた1秒後、シルバーヘアの少年と交錯し、同時に脇腹に激痛が走る。
「ぐっ……!」
男は顔を歪める。しかし、血の感触は無い。
……流雫は走り出した瞬間、銃を左手に持ち替え、ガンメタリックの銃身のグリップを強く握る。そして弾倉を右の掌底で突いた。何時かフランスから帰る時に機内で見たアクション映画で、好きな俳優がやっていたものの見様見真似。撃たなくても十分凶器にした。
男が左後ろで立ち止まった少年に対して振り向いた瞬間、今度は銃を握った手の甲に激痛が走る。
「がっ……!!」
男は思わず銃を手放し、反対の手で殴られた患部を覆う。
踵を返した流雫が再度振った銃身が、手の甲を直撃した。恐らく骨が折れたか、男の手には力が入らない。
「おい!!」
と声を上げながら、階段から警察官が上がってきた。後数十秒耐えられれば。
しかし男は
「退け!!」
と叫びながら逃げようとした。捕まるワケにはいかない。今来た道を逆走すれば、人混みに紛れられれば。……その願いは、すれ違った少女に打ち砕かれた。
「っ!!」
すれ違いざまに、流雫が殴った脇腹を今度は澪のシルバーの銃身が狙った。
「おっ……!!」
三度鍛えられた肉体を襲った激痛に、男は思わず膝を突く。その隙に警察官が近寄るが、男は澪を睨みつつ、口角を上げる。まさか。同時に流雫が
「澪っ!!」
と叫んだ。
澪の右耳にはイヤフォンを通じて、左耳にはダイレクトに、声が聞こえる。……流雫が叫んだ意味、澪はこの瞬間に思いつく最悪の事態に、流雫に顔を向けて一目散に走り始めた。
……振り返りは厳禁。そして……。
「逃げて!!」
澪は叫んだ。その言葉に警察官は止まり、周囲で事態の顛末を見届けようとしていたヤジ馬は困惑しながらも男から遠ざかっていく。
「澪っ!!」
と再度叫んで突き出した流雫の腕が、走ってくる恋人を捉えた。その勢いのまま、澪の背中を抱きしめると男に背を向けた。澪は咄嗟に目を閉じて、両手で耳を塞ぐ。
同時に、背後から耳に突き刺すような爆発音が聞こえた。その爆風が僅かながら、流雫の背中に吹き付けた。
「……くっそ……!」
流雫は声を上げた。
……最悪……どころの話ではない。日本三大都市の一角の中心、最も人が集まる場所で起きた発砲事件は、犯人の自爆で決着した。
……何故何時も遭遇するのか。そして、何故狙われるのか。不運……で済むような問題ではない。
「……流雫……」
周囲の悲鳴と怒号と喧噪、そして近付いてくる緊急車両のサイレンに掻き消されそうな声で、最愛の少年の名を呟く澪。
折角の小旅行のスタートを台無しにされたこと、まさかの結末を迎えたこと、そして流雫の力にならなかったこと……交錯しては複雑に絡まる感情に震えていた。奥歯を鳴らす小さな音が、少年の耳に届く。
「澪……」
と囁きながら、強く抱きしめる流雫。
……澪があのタイミングで犯人を殴らなければ、最悪駅のコンコースで自爆が起きていた。
自爆そのものは避けられなかっただろう。しかし、コンコースではなくペデストリアンデッキで起きたことで、周囲への被害は最小限に留まった……。男の動きを止める意味では、澪はMVPだった。
だが、やはりこう云う目に遭うこと自体、本来は好ましくない。僕は仕方ないとしても、澪には経験してほしくなかった。だから、本当は澪だけでも逃げてほしかった。2人で止めるのは、最終手段でしかなかった。
言葉を失い、互いの名を呼ぶことしかできない2人は、しかし互いに撃たれること無く、怪我すること無く生きていることを感じては、ただ安堵していた。交錯する感情に、険しい表情を浮かべたまま。
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