Lunatic tears _REBELLION

AYA

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act1

1-7 Stranger Than Fiction

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 詩応が真と呼んだ少女……鶴舞真。詩応とは同じ学校に通うが、1つ下の後輩。詩応がスポーティでボーイッシュなだけに、相対的にお淑やかに見えるが、長めのポニーテールが彼女も似たような属性に見せる。
 詩応が陸上部に入っていた頃にマネージャーとして入部し、それ以来の仲だ。尤も、詩応の退部と同時に彼女も退部したが。
 名駅のペデストリアンデッキは、朝の事件の影響で封鎖されていた。立入禁止のテープを張ったポールが最上段に立てられている。その直前に2人は移動した。金時計の前は騒がしく、そもそも立ち話をするような場所ではなかった。
 階段の端からは遠目に見えるが、一部の植え込みとタイルは少し焦げていて、それが犯人の自爆を物語っている。
「……しかし、タワーで出会すなんて、どえりゃあ偶然でにゃあの……」
と真は言った。所謂標準語を意識しないと、つい地元名古屋の方言が出てくる。ただ、特に詩応相手の時は意識する必要も無い。
「アタシも驚いた」
と言った詩応の、男勝りな口振り。女らしくない、と言われたりもするが、意に介した事は無い。
 「……どうやら、2人だけで旅行らしい。ただ、早速此処で事件に遭遇して……」 
と詩応が言うと、真は返す。
「事件……まさか名駅で起きるとは思えせんでよ……。それも、まさかうちらの教団の……」
 詩応と真が、同じ宗教の下にいることを知ったのは、真の入学から1週間後のこと。大教会での礼拝で偶然再会した。そして、2人が急接近するきっかけでもあった。これも、2人が恋人同士として結ばれるための導きだった……と敬虔な信者2人は思っていた。
 「最初からあの幹部を狙っていた……あの少年がそう言ってた」
と詩応が言うと、真は
「あの少年……ルナって名前の?」
と問う。ボーイッシュな少女は頷いた。
「フランス人との混血……そう言ってた。……最初から狙っていたことが本当なら、日本でも迫害が……、そう云う話もしていた。一体何者なんだ……」
思わず洩らした最後の一言、それが詩応の本音だった。
 ……思い出せば思い出すほど、詩応は流雫が何者なのか判らなくなる。ただ、動画で見たように自分の姉の死であれだけ泣き叫び、昼間でも自分を気に懸けている様子から、敵とは思えない。だが……。
 「……油断禁物だがね」
と言った真に詩応は頷く。ポニーテールの少女は、無意識に険しくしていた表情を緩めて言った。
「……ところで、明日は中日本の司祭が集まって、葬儀をするらしいがね、栄の大教会で」
 詩応が2人と出逢ったチューブタワーから、歩いて2分の場所に位置する、中日本支部の中枢となる大教会。そこで殺害された地域幹部の葬儀が行われる。
 地域幹部は各支部の大教会に5人ずつ在籍し、管轄の地域を纏める役割を果たす幹部職員。行事の調整から財務面まで見なければならない、大変な業務だ。そして、今回はその1人が殺害されたと云う、事態が事態だけに、今後の宗教活動に関する重要な話も有るだろう。
 ……想像するのを避けたいが、もしあのシルバーヘアの少年が言ったような迫害の脅威が迫っているとするならば。いや、それだけは無いと願いたかった。今はただ、平和裏に明日1日が終わることを願うだけだ。

 栄のど真ん中に建つシティホテルにチェックインした2人は、部屋の壁沿いにスーツケースを並べた。高校生が泊まるには豪華だが、これも旅行券の力が有るからこその話だった。
 ツインベッドの部屋、少し大きめの窓からは名古屋の繁華街が一望できる。日没を迎えたが、カラフルな照明に彩られた栄はこれからが本番……にも思える。
「……ちょっと、連絡しないと」
と流雫が言うと
「弥陀ヶ原さんに?」
と澪が問う。彼は
「うん」
とだけ頷いた。そう言えば、澪も昼前に届いた父からの、安否を気遣うメッセージに無事だと返信したきりだ。
「あたしも父に……」
と澪は言った。
 2人はスマートフォンを取り出し、それぞれの相手にメッセージを送る。流雫は弥陀ヶ原に、澪はその先輩である父に。刑事2人の間でも、当然ながら既に情報共有はされているだろう。そして思われているに違いない、やはり2人揃って不運の持ち主だと。
 刑事からの情報は得られない。互いに個人的に関係が有るとは云え、そして澪は刑事の娘とは云え、高校生2人は所詮は部外者だからだ。それでも、自分たちの情報が事件の収束に少しでも役立つなら。
 詩応のことには触れず、ただ改めて見たことや思ったことを淡々と送る2人。点けたテレビは、ニュース番組が始まっていた。トップニュースで名駅の事件を伝えていたが、被害者は太陽騎士団関係者だと報じられていた。
 ……驚きはしなかった。流雫の妄想が的中していることは、これまでにも幾度となく有ったからだ。外れていてほしい、その願いは叶わなかった。
 先にスマートフォンをベッドに置いたのは、澪だった。それから少し遅れて流雫も続く。……互いに思うことは多い。今は旅行中だから、と思っても、つい引っ張られる。
 「……流雫と2人でいられる、それだけで幸せかな」
と澪は言った。流雫の少し曇った表情に、咄嗟に出た言葉は、しかしリップサービスではなく本音でしかない。
「……澪」
と、最愛の少女の名を弱々しく呼んだ流雫に、澪は
「……流雫には、あたしがついてる」
と言って、凜々しくも優しい表情を見せた。
 ……1年前まで孤独を抱えていた少年は、澪と出逢って漸く愛情と云うものを知った。そして、彼女の存在は流雫にとっての、生きる希望そのものだった。
 澪を失うことは、自分が死ぬことより怖い。それが、4月の夜に渋谷の展望台で、彼女の想いを受け入れ、澪への想いを解き放つ引き金だった。
 ……僕には、澪がついてる。そう思えるだけで、救われる。曇った表情は、少しだけ晴れた。

 ディナータイムは、ホテル近くの味噌カツ屋に入った。チェーン店だが、名古屋市内に数店舗だけのものらしい。全国区でないことが、選んだ決め手となった。
 歯切れよいロースカツに掛かった味噌のタレが、白米を急かす。ようやく安寧の一時を手に入れた2人は、ホテルへと戻った。その途中に通り掛かったスペース21、その上の展望フロアはレインボーカラーのライトアップが施されていた。明日の夜は、その場所に上がってみたいと流雫は思った。
 ベッドにショルダーバッグを置きながら
「明日は、何も起きないといいけど」
と言った流雫に、澪は
「あたしも、そう願うわ」
と返す。
 起きない、そう断言したいのにできない。それがもどかしい。だから、何が起きても死なないし、殺されない……そう思うしかない。
 流雫はふと窓際に立って、名古屋の夜景を眺める。何度も日本とフランスを往復している流雫は、しかし日本のホテルに泊まるのは初めてのことだった。それが澪と一緒なのは、何か感慨深い。
 部屋を出る前に消したテレビは点けなかった。部屋には空調の音だけが響く。だが今帰ってきたばかりだ、上着を脱ぐには少しだけ寒い。
「……流雫」
澪は最愛の少年の名を呼び、振り返った彼の腰に手を回した。
 ……詩応は流雫が苦手だと言った。人の死に、ナーバスになり過ぎている……それは澪も否定しない。
 しかし、流雫は人の死に目を何度も見てきた。そして、かつての恋人を失ったことで、人の死にナーバスになり過ぎている。東京の空港島で泣き叫んだ、2023年8月の惨劇は、今でも少年に深く突き刺さっていた。
 ……澪は流雫を好き……ではなく、愛している。何時しか、そうとしか言わなくなった。それは流雫も同じだったが。
 彼の強さも弱さも知り尽くした少女は、少年の悲しみも苦しみも全て抱きしめたかった。それで、少しでも流雫を救えるのなら。誰よりも、流雫の力になりたい。
 流雫には、ただ彼を全肯定して守ってあげられる存在が、甘やかしてあげられる存在が必要で、それがあたしなのだと、澪は思っていた。
「……澪……」
流雫は細い声で、少女の名を呼ぶ。澪が身体から離した左手と、少年の右手が触れて指が絡まっていく。
 ……澪に何度救われただろう?その全てを覚えている。だから、澪を失わないために。それが、僕が朝遭遇したようなテロに、絶対に屈しない原動力だった。
 少しだけ顔を上げた澪は目を閉じ、流雫と乾いた唇を重ねた。ほのかなくすぐったさが、切なさに変わる。
「ん……ん……ぅ」
少し苦しげな声を絞り出した澪は、唇を離して、少しだけ滲んだ視界で流雫を見つめる。
「……っ……はぁ……」
と切らした息は、少し熱い。
 ……拭えない不安の影が、またしても忍び寄ってくる。だから今は、ただ、願うだけだった。この甘く切ないキスが、最後にならないようにと。

 朝、アラームより先に目を覚ました2人は、ルームウェアから私服に着替えると、バイキング形式のモーニングのために部屋を出た。トーストとベーコンとスクランブルエッグにヨーグルト、オレンジジュースと云う組み合わせで小さなテーブルを囲む。
 昨日はあの後、少し早めに寝た……と云うよりは寝落ちに近かった。それだけ、移動と事件で疲れが溜まっていたのだろうか。ただ、夢を見ていなかったからか、目覚めはよかった。
 この日も同じホテルに泊まるため、スーツケースは部屋に置いたまま。ショルダーバッグ1つで身軽に動ける。2人は上着を羽織り、部屋を出た。
 セントラルパークスでの待ち合わせ3分前に着くと、それから数十秒遅れて詩応が着いた。彼女はワインレッドの服に白のデニムジャケット……昨日と同じ服装だった。
 一見、3人は何の蟠りも無く、平和に見える。後はそれが、夕方の別れまで続けば。澪はそう思っていた。

 今日最大の目的地、名古屋港水族館は栄から地下鉄でダイレクトに行ける。それから戻って名古屋城に行く……と云うプランだ。2人にとって初めての水族館は楽しみでしかない。
 「こっち……」
と言い掛けた詩応のスマートフォンが鳴る。着信の相手は真だった。
「ちょっと待って」
と言い、ボーイッシュな少女は手帳型ケースに包まれた端末を手にした。
「真?」
と詩応が相手の名前を呼ぶと、スピーカーから
 「詩応?今何処にいりゃあす?」
と聞こえてくる。
「栄。今から名港に行く」
と答えた詩応に、真は
「うち、大教会におるでね」
と返す。彼女の父が、昨日殺された地域幹部と個人的に交遊が有り、葬儀に出席している。そして、彼女はそれに帯同していた。だからスーツのような黒いジャケットを羽織っている。
 式は1時間後、11時かららしい。
 大教会は3階建て。1Fのエントランスにはオフィスや小さな売店が有り、2Fには会議室や小さな宿場が有る。そして3Fが礼拝堂だが、エントランス脇の広めの屋外階段を2フロア分上がれば、建物内を通らなくても外から直接入場できる。
 「……気を付け……」
と言い掛けた詩応の言葉を遮るように、スピーカーから激突音が聞こえ、1秒遅れて爆発音が耳に突き刺さる。それと同時に、僅かに地面が揺れた。地震……とは違う。
 ボーイッシュな少女は、ふととある方角を見る。昨日と同じ快晴の空に、黒煙が舞い上がっていた。咄嗟に
「真!?」
と後輩の名を呼んだ詩応は、最悪の事態を覚悟した。
 「なっ!?」
「何なの!?」
同時に声を上げた関東からの2人も、突然のことに驚いている。……爆発!?何処で!?
 「……チッ!!」
と舌打ちした詩応は、
「悪いけど、今日は無しで!!」
とだけ言い残し、2人を置いて走り出す。
 「伏見さん!?」
「詩応さん!!」
同時に声を上げた流雫と澪は、一瞬だけ互いに目線を向け、頷く間も無く地面を蹴った。

 ……彼女は、昨日自分が太陽騎士団の信者だと言った。そして、爆発音が聞こえた瞬間に、2人の帯同を取り止めると言って血相を変えて走り出した。……昨日の今日だ、咄嗟に弾き出された理由はただ一つ。
「また……!?」
澪は思わず声を上げる。その隣で流雫は
「くっそ……!!」
と声を漏らした。
 ……詩応が走り出したのは、恐らく顔を知っている人がいるからだ。例えば、直前に通話していた相手が爆発に遭遇している……!?
 歩行者信号に引っ掛かることなく走った2人の目の前には、人集りができている。その隙間からは炎と黒煙が見えた。
 白いワンボックスが建物に刺さり、燃える車体は大きく歪んでいる。消防は未だのようだ。
 ……1週間前、高速道路で見たのと似た光景に、澪は足が竦む。怒りより先に、恐怖が押し寄せる。その隣で、流雫は
「消火器を!」
と叫んだ。その声に澪は、唇を噛んで踏み出す。自分に向けられたものではないが、流雫も恐怖を抱えているのに、自分だけが安全地帯にいるワケにはいかない。
 近隣のビルや飲食店からも、消火器が持ち出され、消火剤が放たれていく。しかし、消防車が来なければ話にならないほどに、火の回りは激しい。流雫も消火器を受け取り、風上から消火剤を噴いていく。
 車が刺さったエントランスの上に見えたマークは……あの八芒星。太陽騎士団の施設か。……またも読みが当たるとは。そして、それよりも気になるのは。
 「伏見さんは……!?」
と流雫が言った。
 ……白いデニムジャケットの少女が見えない。まさか、教会の中に……!?
「るっ……流雫!?」
ふと、聞き覚え有る声がした。持っていた消火器が役目を終えると同時に、流雫はその声の主に振り向く。
 人集りの端で、詩応がポニーテールの少女を抱き寄せ、目の前の惨劇から目を背けさせていた。見た感じ、2人共怪我はしていないようで、それが流雫を安堵させる。
 「どうして……!?」
と詩応は問う。流雫は
「血相を変えてたから、つい……」
と、答える。詩応は思わず呆れ顔をしたが、宇奈月流雫とはそう云う男だ。
 その様子に気付いた澪が
「詩応さん!」
と駆け寄ってくる。思わず
「澪!」
と反応した詩応に、澪は
「怪我は……!?」
と問うた。ボーイッシュな少女の
「アタシも真も無い……」
と云う答えに、刑事の娘も安堵したが、同時に疑問が浮かぶ。
 「……何が……」
そう呟いた澪に、詩応は怒り口調で
「アタシが知りたい……!」
と重ねた。
 ……澪が悪いワケではないし、単に浮かんだ疑問を口にしただけだ。そこに他意は無い。しかし、無事だったとは云え真が遭遇したことに対する怒りが先走っていた。

 ……教会の外にいた真は、ワンボックスが歩道に乗り上げる瞬間を目撃していた。思わず目を逸らしたが、次の瞬間に轟音が響いた。車が教会のエントランスに突入し、その直後に爆発を起こした。
 地域幹部の葬儀の準備がほぼ終わった後で、10人近くは礼拝堂にいた。慌てて別の非常口から脱出し、別のフロアにいた職員もどうにか全員が避難できた。
 ふと、消防車のサイレンが聞こえてきた。高校生4人は安堵の溜め息をついたが、想像を超えた事態に真は震えている。
 詩応は真の父親に断りを入れ、横断歩道を渡ってセントラルパークスの北側エリアに連れて行く。大教会の通りが目に入らないように、少し奥へ。其処なら、真を落ち着かせることはできるだろう。流雫と澪も、それに同行した。
 ベンチに座りながら
「……まさか……」
とだけ発した真に、隣に座った詩応は
「……全員、無事でよかった……」
と言った。流雫と澪はその隣に立ち、少年は腕を組んでいる。触れるのが二の腕ではなく脇の下なのは、昔からの彼のクセだ。
 「アンタたち……」
と関東からの高校生2人を呼んだ詩応は
「……これも、血の旅団の仕業だと……?」
と問う。数秒置いて、流雫は頷いた。
 ……車の爆発は、事故の影響ではなく最初から狙っていた。教会に突入したタイミングで爆発させるように仕組んだ、自動車爆弾によるものか。そうなると、恐らくは遠隔操作と遠隔起爆の合わせ技か。
 昨年12月に渋谷で起きたテロを彷彿とさせるその手口に、しかしその時との関連性を見出すことはできなかった。
 あの時は、左傾化する日本への警鐘と云う犯行動機だったことが、既に明らかになっている。しかし今回は、2人はあの大教会で何が行われようとしていたか知らないが、場所と今までの流れから、宗教絡みの問題だと容易に想像がつく。動機のベクトルが違う。
 そして、太陽騎士団を標的にした宗教団体……1つしか思い浮かばない。その答えに辿り着いた流雫の前で、
「……葬儀にまで……」
と、呟くような小声で言った詩応は、歯を軋ませる。無事だからよかった、では終わらない。
 そのボーイッシュな少女に何時かの流雫が重なる。澪は
「……どうして……!?」
と呟き、俯いて唇を噛む。
 刑事の娘として、そして詩応と少なからず知り合った仲として、危険な目に遭わせた犯人を容赦することはできない。
「……澪」
と恋人の名を呼んだ流雫も、思うことは同じだった。折角の旅行を潰された、それはもうどうだってよかった。
 「……水族館、行ってきなよ。折角名古屋まで来たんだろ?」
と詩応は言った。2人は爆発など気にせず、地下鉄に乗っていればよかった。
「でも、伏見さんが心配だから……」
と、流雫は返す。その、あたかも当然のような口振りに、詩応は思わず呆れ顔を浮かべた。
 ……しかし、だからあの渋谷の時でも、瀕死の姉に駆け寄ったのか。直後に犯人と戦うことになったが、それでも流雫にとってはあれが唯一の正解だったのだろう。
 優しいと云うか、甘いと云うか。しかしそれこそが、彼女が相容れず苦手とさえ思える少年が持つ強さだった。
「はぁ……」
と溜め息をついた詩応は、流雫が教会の方角を見つめていたことに気付く。
「……流雫?」
その声に、シルバーヘアの少年は顔を向けず
「……澪、2人を連れて逃げろ」
とだけ言った。

 左右で異なる色の瞳が、異質を捉えていた。
 大教会前の道路は、1本丸ごと封鎖され、消防車や警察車両が群がっている。その通りから出てきた3人の男。横断歩道の手前でヤジ馬と化している群衆の奥に、並んで歩いているのが見える。
 ネイビーのスーツには、胸ポケットの辺りに白っぽい刺繍が施されている。タイミングからして、太陽騎士団の信者か。
 だが、遠目からだが連中に悲しみや怒りは見えない。気の切り替えが早いのか、そうでなければ……。昨日の今日で疑心暗鬼になっているだけ、思い過ごしであってほしい。だが、やはりそうは思えない。
「流雫……!?」
その顔を不安げに見つめながら、澪は最愛の少年の名を呼び、その視線が捉えるものを目で追った。
 ……あたしが2人を連れて……それって。
「やだ」
澪は精悍な目付きになり、遠くを見つめたまま流雫に返した。……遠目に見える3人が怪しい、彼はそう思っている。だから、1人で戦う気だ。
「澪!?」
と流雫が名を呼ぶと、澪は
「詩応さん、逃げて!」
とボーイッシュな少女に言い、流雫に顔を向けた。
「あたしは流雫と……」
「危険過ぎるよ!」
と澪の言葉に被せた流雫は、しかし彼女が一歩も退かないことは判っていた。
 その隣で
「……真、逃げな」
と詩応が隣の少女に言った。その瞬間、関東からの高校生2人はポニーテールの少女の名を知る。
「でも詩応は……!」
と言い返した真に、詩応は
「アタシなら任せろ」
と返す。その目は自信に満ちていた。根拠は無いが、自信なら有る。
 「……生き残らなかんで」
と言った真は立ち上がり、北へ向かって走る。
 その1人だけ残った様子に流雫は
「伏見さん!?」
と声を上げた。詩応は
「……流雫、何を見た?」
と問う。少年は
「……あの3人、イヤな予感がしたから……」
と答える。……外れてほしいと願う。無理なことだと判ってはいるが。
 スーツの男3人が横断歩道を渡り、セントラルパークスの地面に足を踏み入れた。
「……太陽騎士団の……」
「……見た事が無い……」
流雫の声に被せる詩応は、続けた。
「あの教会に通っているのに、あんな顔の連中は正月ですら見たことが無い」
 日本の新宗教でもマイナーな部類に入る太陽騎士団は、しかしそれでも10万人の規模を抱える。名古屋市内では2千人規模だが、休日に礼拝に出向く程度の末端の信者でしかない詩応にとって、名前も顔も知らない人の方が断然多いのは当然だ。
 そして、あのスーツは太陽騎士団の教会職員が着用するものだった。教団が設立されたフランスを彷彿とさせるネイビー、胸の部分には銀の糸で刺繍された八芒星。昨日流雫と澪が名駅で見た、あの盛大に転んだ男が着ていたものと同じだった。
 ……だから余計に、あの表情が不可解過ぎる。そう思った澪の脳に、ふととある男の言葉が浮かんできた。その名を思い出すだけでも吐き気がする、あの政治家が語っていたことだった。
 ……昨年の4月、澪は学校の帰りがけに駅前で偶然、演説会に遭遇した。そして聞こえてきた、聞くに堪えない演説。一言で言えば、愛国心の暴走と呼べるものだった。その中に出てきたフレーズ。
 「サイレントインベージョン……」
澪が呟いたその言葉に、流雫は目を見開く。
 ……有り得ない、と一瞬思った。しかし、事実は小説より奇なり、と云う言事が日本には有る。そして、その事実を何度も目にした。……今の日本なら、有り得る。
「どう云うことだ……?」
詩応は2人に目を向ける。しかし、その言葉を遮るように銃声が響いた。
 火薬が爆ぜる音を合図に、横断歩道から大教会の現場を見つめる群衆が悲鳴を上げた。
「こう云うことだよ!」
とだけ吐き捨てた流雫は、咄嗟にUVカットパーカーからブルートゥースイヤフォンを取り出す。澪もそれに合わせ、スマートフォンのホーム画面に置いた、流雫のアイコンを押す。
 イヤフォンから周囲の音が聞こえてくる。これで準備は整った。
 流雫は言った。
「澪、伏見さんと!」
「流雫は……!?」
その声に、流雫は答えた。何度、こう言って覚悟を決めただろうか。
「僕なら、死なないから」
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