Lunatic tears _REBELLION

AYA

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act1

1-14 Bitter Moonlight

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 流雫も大いに手伝ったディナー、今日のメインは地元河月の食材を使ったポトフだった。今日の宿泊客は、この大雪で足止めを食らった挙げ句連泊を余儀なくされた面々で、寒いからとフランスの家庭料理を振る舞うことにしたのだ。
 その後片付けは、しかし今日はしなくていいと言われた流雫は、手短にシャワーを済ませると部屋に戻った。澪がキッチンで何かしたいらしい。親戚夫妻に宿泊代代わりの手土産を用意できなかったから、何か振る舞っているのだろうか?澪のことだからやりかねない。
 流雫はドローイングペンを手にした。極細の樹脂製のペン先をノートに走らせ今日起きたことをまとめていく。キーワードは、やはり旭鷲教会のことだった。
 ……またしても、河月の教会が狙われた。1年で2回も、全壊と半壊だ。しかし、何故よりによって河月なのか。あれぐらいの規模の教会なら、他にも有るハズだ。
 旭鷲教会にとって、この人口15万人の地方都市に太陽騎士団の教会が有っては不都合なのか。だとすると何が……。
「流雫?入るよ?」
ドアのノック音に重なって聞こえる声に、流雫は反応しながらノートを閉じる。
「今日ぐらい、何もかも忘れないと」
そう言った最愛の少女は、皿に茶色のブロックを十数個も乗せている。
 「はい、バレンタイン」
その言葉に、流雫は
「えっ……?」
と声を上げた。まさか、初めてのバレンタインチョコが澪からで、しかも今年とは思っていなかった。
 市販の板チョコ数枚を溶かして生チョコにしただけだが、それでも手間だ。オンラインでレシピを探し、スマートフォンと睨めっこしながらどうにか形にした。
「初めていっしょに過ごすバレンタイン……先刻、ふとそう思ったから」
と澪は言った。
 ……河月署に向かう車に揺られながら、澪は今日がバレンタインの日だったことを思い出す。元々流雫には会えないのは判っていたから、またデジタルのメッセージカードを送る程度だと思っていた。
 しかし、結果として河月に行った。流雫と一緒にいられるのに何もしないのも癪だからと、彼の取調を待っている間に簡単に、早くできそうなレシピを探し、生チョコに辿り着いた。
 帰りがけのコンビニで売れ残りのチョコ、も有りだったし、それでも彼は満足するだろう。ただ少しぐらい、張り切ってもいいと思っていた。
 流雫はシルバーのフォークで1個だけ口に入れた。舌の上で溶け始めた生チョコのキューブは、流雫好みのビター寄り。
 昼前に発生し、昼過ぎに解放された事件のことが、料理中でも頭に浮かんでいた。それも苦味とほのかな甘さが包んで溶かしていく。
  「……サンキュ、澪」
その言葉に、ようやく何時もの流雫が戻ってきた気がして、澪は満面の笑みを浮かべた。
「難しい話は明日。折角あたしもいるんだし、今日はこのままゆっくりしなきゃ」
と言った澪は、空いていた恋人の背中に背をくっつける。
 「……覚えてる?1年前、僕が初めて銃を撃った日……」
流雫は小さな声で言った。
 ……あの夜、流雫は澪に告白した。自分が銃を撃ったことは思い出しても怖かったが、折角知り合った澪……ミオに見捨てられるのではないか、その恐怖が上回っていた。
 しかし、澪は流雫……ルナを見捨てなかった。そして流雫は少しだけ泣いた。それが、2人の今を決定付けた。
 あの日この世を去った美桜が、遺された僕が泣かないようにと、澪を引き寄せた……流雫はそう思っていた。
「覚えてる。驚いたけど、でもこれが現実なんだと思った」
と澪は言った。

 綺麗事じゃ生きられない。それが、たった一つの現実。そう、何度も思い知らされてきたし、言い聞かせている。
 護身のために人を撃つ、倫理上問題が有っても生き延びたいなら、そうするしかない。泣き言も、綺麗事も言っていられない。形振り構わず、死の恐怖に立ち向かうしか無いのだから。
 そう云う世界で、澪は流雫が独り抱える苦しみや悲しみに触れようとした。そしてこの1年、何度も泣き叫んでは立ち上がってきた。
 流雫。……ルナ。本来の名前の由来は月。優しい光を夜空に浮かび上がらせる一方で、寂しく冷たく凍える星。
 普段あたしに見せる優しさの陰で独り凍えて泣くのなら、優しく抱いてあげたかった。何度でも、流雫が拒絶したとしても。
 澪は目を閉じて、自分自身にも言い聞かせるように言った。
「……だから、あたしは決めたの。何が有っても、流雫を見捨てない。流雫の力になる。……だから今、こうしていられる」
 その言葉に、流雫は目を閉じる。不意に、目にほのかな冷たさを感じた。
「……澪……」
細い声で愛しい人の名を呼んだ少年に、澪は背を向けたまま言った。
「流雫……あたしは、流雫といっしょだよ」

 使い古された言葉で言えば、流雫が月なら澪は太陽。光を分け与え、温もりを授ける存在。それは流雫にとって、この1年半近く……今日まで生きてきた証でもあり、そして明日からを生きる希望でもあった。
「……僕も、澪といっしょだよ」
そう囁くような声で言った流雫は、頬を少し紅くしたまま、しかし目を開けることは無かった。アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳が映す視界が、滲んでいることがバレるから。
 最悪だった2人のバレンタインは、しかしハッピーエンドを迎えた……2人はそう思った。こうして背中合わせで、互いの生を感じていられるのなら、このまま夜が明けなくてもいい、とさえ思えるほどに。
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