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冤罪で国外追放なんてあんまりだ

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 人生なんてもんは選択肢の連続だ。

 それは例えば朝食の後にコーヒーか紅茶どちらを飲むかみたいな何の変哲もない日常の選択肢から、将来の夢を叶えるためにどちらの貴族に取り入るかみたいな人生を左右する選択肢もある。
 ただ一番最悪なのは、選択肢さえ与えられない場合だ。

 そして、そんな現実が今、私の身に降りかかっている。


「ソルティナ=アンバー。我が国の宝である魔法陣を他国に売り捌いていたな?」
 王様の謁見の間に呼ばれた私は、身に覚えのない罪を背負わられた。いきなりである。
 私は戸惑いながらも首を振った。
「い、いえ、やっていません!」
「嘘を申すな。確かな筋からの密告があったのだぞ」
 つまり、誰かの証言だけで私がやったと決めつけたってことだ。
「他国に数枚、魔法陣を売り飛ばしたと……間違いないのだろう?」
 まるで「お前がやった」と言わんばかりに糾弾してくるのはこの国の宰相。くすんだ茶色の髪と顔色が悪いせいで、端正な顔立ちがみすぼらしさを際立たせる。確か、名前はサルスク=カシータだったか。
「ソルティナ、と言ったな……」
 宰相の隣で偉そうに座っているのはこの国の王様だ。撫で付けた白髪の髪の上に王冠を乗せ、白い髭を口の周りに生やし、上下から押し潰したような顔立ちで眼光鋭く、どこか威圧的だ。
 アルドリュー=カリシナ。このカリシナ王国の現国王だ。
「君は魔導師としてとても優秀だと聞いている。この国の魔法陣は君の理論に基づいて作られたとも。そのおかげで我が国は魔法陣によって国益国力共に磐石のものとなった。尽力してくれた君には感謝している。なるべく情状酌量で刑を軽く出来ないかと話し合ったが……」
 王様は玉座から私を見下ろしてくる。
 その冷たい目にゾッとした。
「国外追放が妥当だと結論が出た」

 この時、私は絶望した。

 これはすでに決定されたことなのだと。



 着の身着のまま、国の関門の外まで連れ出された。自分の荷物を持ち出すことも出来なかったし、世話になった人達に挨拶も出来なかった。
「天才魔導師も堕ちたもんだな」
 鼻で笑ってくるのは関門を守る衛兵達だ。あまりの態度に私は噛み付いた。
「無実です!私はやってない!!」
「犯罪者はみんなそう言うんだよ」
「さっさと行った行った!」
 二人の衛兵は汚い野良犬を追い払うみたいに私に向かって手を振る。
 悔しくて、でも何も言い返せなくて、私は関門から逃げるように走った。

 走って。走って。走って。

 冤罪で国外追放されたのだという実感が、私を包んでいく。

 (なんで……なんで……なんで、なんでなんで!)

 突然降って湧いた出来事に、自分のことなのに選択肢さえ与えられなかった理不尽に涙が浮かんでくる。
 (なんで!!!)
 なりふり構わず、走り続けた。
 でも、すぐに体力を使い果たしてゼーゼーと息を切らし、足がふらつく。何かに足を取られて、私は転んだ。その拍子に髪を止めていたかんざしが落ちてカシャンと音がなり、赤い髪が顔にかかる。
 おもむろにかんざしを手にし、ふわふわに広がる赤い髪をまとめてかんざしで止めた。
 辺りを見渡すと、私はいつの間にか森の中にいた。
 見覚えがある。
「……アルテシスの大樹海……」
 アルテシスはこの世界を創ったとされる創造神の名前だ。見た目はドラゴンに似ていて、不思議な力を使うと言われている。そのアルテシスが地上に最初に作ったとされるのがこの大樹海だ。
 (この樹海なら、いても大丈夫かな……)
 アルテシスの大樹海は不可侵領域で、どの国にも属していない。ここにいても文句は言われないだろう。
 もうカリシナ王国には戻れないし、他の国に知り合いもいない。両親は一応隣国にいるけど、ほとんど家出同然に家を飛び出したから頼ることもできない。
 はぁ……とため息をつく。
 魔法陣の勉強がしたくてカリシナ王国に来て、やっと魔導師資格を得て本格的に魔法陣作成に関わることができたのに、まさかやったことのない罪で国を追い出されるとは……。
「なんでこんなことに……」
 いくら考えても分からない。寝耳に水だったんだから、分からなくて当たり前だけど。
 ザザッと木々の葉が風に揺れる。
 樹海の木々は密集していて、光は葉にさえぎられてほとんど地上に届かない。そのせいで昼間だと言うのに辺りは薄暗い。地面や木の根には苔が群生していて、うっかり踏んだら滑りそうだ。
 私は休めそうな場所を探した。久しぶりに全速力で走ったから疲れた。完全に運動不足。
 樹海の中を歩いていると水の流れる音が聞こえてきた。音のする方に行くと、そこには小川が流れていた。近くには少し開けた場所があり、陽の光も他のところより差し込んでる。
「水……」
 走ったから喉がカラカラだ。私は小川のそばにしゃがみ、水を手ですくう。ひやりとした冷たい水だ。
 飲もうとして、手を止めた。そういや自然の水は浄化した方がいいと聞いたことがある。浄化する時は魔法陣を使うわけだが、今手元にはない。
「背に腹はかえられないか……」
 腹を壊す可能性はあるが、喉が渇いて耐えられない。私は思いきって小川の水を飲んだ。
 冷たくて美味しい!
 喉が渇いていたせいか、小川の水はとても美味しく感じた。
「ふぅ……」
 喉を潤して、一息ついた。
 さて、これからどうしようか。
 近くの木にもたれて、私は小川の流れを見つめた。
 国を追い出されて、誰かに頼ることもできない。両親にもタンカを切って飛び出してきたため、この状態で帰ったら何を言われるか。
 完全に八方塞がりだった。
「どうしよう……」
 改めてのしかかる現実に、私はため息をついた。


 肌寒くて、体が震えた。
 私はふっと目を開ける。
 あれ……私、いつの間にか、寝てた……? 
 目をこすり、寝ぼけたまま辺りを見渡す。
 樹海だから元々薄暗かったけど、今はほとんど見えない。
 もしかして、今は夜……?
 夜だとしたら魔獣が出るかもしれない。
 あぁ、でももう生きてても仕方ないか……。
 国を追い出されて、夢も叶わなくなったのだ。
 魔法の研究も魔法陣の作成もできなくなった。夢中になれるものが見つかったのに……。
 いきなり冤罪をかけられて、いきなり国を追い出されて、もっと怒りを感じてもいいのだろうけど、あまりにも理不尽すぎて何の感情も湧いてこない。
 動く気力もなくぼーっとしていた時、唸り声が聞こえた。はっと顔を上げるが、辺りが暗くて何も見えない。
 しかし唸り声は数が増え、大きくなってくる。

 いる……魔獣が。それも複数。

 生きてても仕方ないと思ったばかりだけど、やっぱり死ぬのは怖い。しかし、身を守る術は私にはない。
 寄りかかっていた木に触れる。そうだ、この木の上に登ってみよう。そう思って木を撫でてみる。が、苔がびっしり生えていて湿り気があり、手や足をかけられるような凹凸もない。滑りやすそうだし、そもそも木登りなんて子供の頃以来してないから無理かも……。
 そんなことを考えていると、グルルグルルと唸り声がだんだん近づいてきた。その姿が暗闇に慣れた目がうっすらと捉えた。
 犬よりもふた周りも大きな魔獣だ。オオカミが魔力を取り込んで魔獣になった姿だ。体は大きく、凶暴性が増す。王宮騎士団でも倒すのは骨が折れると聞いたことがある。
 ……私、ここで死ぬんだ……。
 恐怖で支配された私の思考は、それだけを叩き出した。
 絶望と、諦めと、死の自覚を。
 魔獣たちは唸り声を高め、それが最高点に達した時。
「ガァアアアアア!!」
 一匹の魔獣が襲いかかってきた。
 私は襲いかかる魔獣の牙に引き裂かれる激痛を予想して、身を固くし目を閉じた。
 その時。
 ザシュッという肉を切り裂く鈍い音がした。
「……えっ?」
 殺られると思っていた私は予想外な音に目を開き、さらに目の前にいる誰かの背中を見て混乱した。
 ……だ、誰……?
 疑問符ばかりが頭をよぎる中、その人の腰にぶら下げたランタンのおかげで、辺りがよく見えた。
 魔獣たちは五匹。うち一匹は首から血を流して倒れている。
 魔獣たちはいきなり現れた人物に怯み、睨み合いの末逃げていった。魔獣たちがいなくなり、辺りは静かになる。
 魔獣たちから私を庇ってくれたその人物は、手に持っている剣をおもむろに鞘に戻した。
「良かった、間に合って……捜索の魔法陣が上手く動かなくて、どうしようかと思ったけど」
 その人物がつぶやく。私は座り込んでいたから、助けてくれた人物の背中が大きく見えたけど声の質からしてまだ若い、いやむしろ子供と呼べるぐらい幼さの残る声だった。
「……あ、あの……?」
 私は戸惑い、何と言ったらいいか迷った。もう死ぬのだと諦めた時に誰かに助けてもらうとか出来すぎな展開じゃないか。
 私の声に、少年と思わしき人物が振り向く。ランタンの明かりがその人物を照らした。
 透明感のある水色の髪が耳あたりで切り揃えられて、サラサラと音がなっていると錯覚するほどに美しい。洞窟の奥深くにある地底湖を彷彿とさせる濃紺色の瞳がキラキラと生気に満ちて輝いている。体は十歳前後の体格に見えるが、手に持っている剣が大きく見えるせいかひどく小柄な印象を与えた。少年ではあるが、顔立ちが整いすぎていて中性的だ。大人になったらどんな美男になるのか興味をそそられるほどに。
「お怪我はありませんか?」
 まだ声変わりをしていないのか高めの声で話しかけてきた少年。呆然と見つめていた私は慌てて頷いた。少年は安堵したように微笑む。その笑みがあまりにも大人っぽくて、不覚にもときめいてしまった。
「本当に良かった……貴女を探していたんです」
「わ、私を……?」
 少年とは初対面だ。知り合いでもない私をなぜ探していたのか。
 少年が私に近づいてきて、片膝をつき傍らに剣を置く。そして、まるで忠誠を誓うように胸に手を当て、少年は言った。

「僕の名はジルク。貴女の弟子にしてください」
「……………………はい?」

 あまりにも突拍子もない言葉に、私は完全に思考停止した。


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