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先の未来は幸か不幸か

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 大樹海に近づくにつれ、その広大さがよく分かる。空から見るとちょうど大樹海の中心あたりに湖があるのが見えた。創造神はあの湖に住んでいるというおとぎ話もある。
 そんな大樹海を眺めながら、私はつぶやいた。
「この景色を見てると、人間なんてちっぽけな存在に思えてくるわね……」
 私の独り言をジルクが拾ってくれた。
「ちっぽけなんですよ、人間なんて」
 ジルクがおかしそうに笑う。
  「人間は愚かで浅はかで、自分の事しか考えてない……あの国にはそんな奴しかいなかった。でも、そんな人ばかりじゃないって気づかせてくれた人がいたんです」
 ジルクは私にふわりと笑いかける。私は優しく微笑むジルクに笑い返した。
「良かったわね、そんな人に出会えて」
 そう返したら、ジルクは呆気にとられたような顔をしてから苦笑いをした。
「やっぱり覚えてないんですね……」
 ジルクの残念そうな表情が気になって私が口を開こうとした時、ジルクが下を見下ろした。
「もうすぐ大樹海に差し掛かります」
 下を見ると、緑一面の大樹海が広がっている。
「魔力を少しだけ強めて」
 ジルクが魔力を強めると降下速度が落ちた。ふわふわと地上に近づいていく。
「そのまま魔力を維持して。地上に足をつけたら魔力を消して」
 木々の隙間を縫って、ジルクと私は大樹海の地面に足を降ろした。と、同時にジルクは魔法陣に送る魔力を止め、ふぅと息を吐く。
「無事、降りられましたね」
 ジルクが私に笑顔を向ける。私も微笑み返す。
「ジルクのおかげよ。ありがとう」
「お師匠の指導のおかげですよ」
「そんなことないわ。魔力コントロール、上手くなってきたし。ところでなんで手を離さないの?」
 地面に着いたのに、なぜかジルクは私の手を掴んだままだ。ジルクは無邪気な笑顔を見せる。
「迷子になってはいけませんから」
 そう言って私の手を引いて歩き出す。
「ちょっ、待って!それ、どういう意味?!」
「お師匠、方向音痴でしょう?はぐれたら危ないじゃないですか」
「そ、そんなことないわよ?!」
「前にベリー摘みに行って迷子になってたじゃないですか。目と鼻の先に家があったのに」
 笑うジルクに、私は顔が熱くなった。
「あ、あれは、だって!」
「でもそんなところも可愛いと思うので、そのままでいいですよ」
 言われ慣れてないことを言われて、私は焦る。
「か、可愛……っ!お、大人をからかうんじゃない!」
本気マジなんだけどなぁ」
 ジルクがクスクスと笑う。
「さて、これで僕もお師匠もお尋ね者になってしまいましたね」
「私はともかく、ジルクは良かったの?王子なんでしょ?」
 私が聞くと、ジルクは肩を竦めてわざとらしい口調で言い始める。
「別に構わないよ!お父さんは僕に興味ないしー!一番上のお兄ちゃんは嫌味とイタズラしかしてこない小物だしー!二番目のお兄ちゃんは何考えてるか分からないしー!あんなとこにいてもつまらないだけだよ!」
 ジルクは私を見つめて微笑んだ。
「だったら、どんな立場になってもお師匠と一緒にいるのがいい」
 その様子があまりにも大人びていてドキッとする。私は心の揺れを誤魔化すように咳払いをした。
「ま、まぁ……ジルクがいいならいいけど」
「とりあえず身なりを整えて、隣国に亡命しましょう。他国では魔導師は希少な人材ですからね。引く手あまたですよ」
「そ、そうなの?」
「知りませんか?カリシナ王国が魔法陣を独占してるって」
「は、初耳だわ……」
「ましてや、自国の市井にさえ魔法陣の普及を積極的にしない。王族と貴族が独占して魔法陣の恩恵を受けている。でも、そんなのはおかしいんですよ。国を豊かにしたいなら、まずは国民の生活を豊かにしないといけないのに」
 ジルクの声は静かに憤っていた。
 国を思い、国民を思い、今の王国の在り方に疑問を持っている。この歳でこの考え方ができるなんて、この子はやはり王族なんだ……王の素質がある子なんだ。
 そんな子の未来を、私は潰してしまった……。
 私の手を握り歩くジルクの小さくて、でもしっかりした手を見つめる。
 ……やっぱり、このままでいい訳が無い。何とかジルクに王族としての立場を取り戻してあげないと……。それが無理なら、幸せに生きられる平穏な生活ができるようにしてあげないと……。
 それが、巻き込んでしまった私の責任だから……。
「お師匠」
 ジルクが私を呼ぶ。私は顔を上げた。ジルクはじっと私を見つめていたが、ニコッと微笑んだ。
「不安ですか?大丈夫ですよ。僕がそばにいますから」
 安心させるように繋いでいる手をぎゅっと握ってくる。私は顔が熱くなるのが分かった。その熱さが何なのか自覚しないまま、私は反論する。
「べ、別に不安とか、怖いとか思ってないから!ほら、早く行きましょ!」
 私はジルクの手を握り直し、ジルクを先導するように前を歩く。ジルクはくすくすと笑った。
「では、ログハウスの場所までお願いします」
 そう言われて、私はピタッと足を止めた。
 ログハウスの場所……はもとより、今いる場所がどこかも分からない。
 ……なんて、言えない。
 沈黙する私に、ジルクは堪えきれずに笑い出す。
「わ、笑わないでよ!」
 場所が分からないことがバレたと分かって、私はムキになる。ジルクはひとしきり笑ってから。
「世話が焼けるお師匠ですね。ほら、こっちですよ」
 と、手を引っ張られて歩き出す。
 私は自分の役立たずさに落ち込んだ。そういや大樹海での生活もジルク頼りだったな……もっとしっかりしなきゃ。
 密かな決意をしている間にログハウスの場所に着いた。
 ログハウスは近衛騎士団に燃やされ、真っ黒に崩れていた。
「そうだ……あの時、燃やされたんだ……」
 私がジルクを誘拐したという罪で連行される時、近衛兵がログハウスに火を放った。二人で生活していたすべてを燃やされ、ジルクに騙されたと思い込み、深い喪失感に囚われた。
 あの時のことを思い出し、顔を俯かせる。
 私が立ち止まっていると、ジルクは燃えて崩れたログハウスの柱に近づき、そっと触れた。
 何も言わず、ただ煤けた柱を撫でるジルク。その姿がなんだか痛々しく見えた。
 なんて声をかければいいか分からずにいると、ジルクが何かを見つけたのか煤けた瓦礫を退かし始めた。近づいていくと、ジルクは見つけた何かを拾う。
「それは……」
 ジルクが手にしているのは、私のかんざしだった。
「これ……燃えなかったのね……」
「お師匠のかんざしですよね?」
「うん。このかんざしは母から受け継いだものなの。母も祖母から受け継いだと言っていたわ」
「代々受け継がれてきたものなんですね」
「でも、なんで燃えずに残ったのだろう……」
 ジルクはかんざしを光に透かしながら見つめる。
「おそらく原材料は杖の材料と同じ、魔石ですね……それもかなり質がいい」
「分かるの?!」
「そりゃあ、魔法陣を極めたいために杖の原材料についても勉強しましたので」
 事も無げに言うジルク。ちょっと待って……それはあまりにも本格的すぎる……。魔導師でもそこまでやる人はいないのに。
 魔法陣を描く際に使う杖も原材料の質に左右される。目利きが利く職人は数える程度だ。
「でも無傷なのはすごい。普通なら粉々に砕けるはずなんですが……」
 ジルクは手で丁寧にかんざしの汚れを拭き取って、私に渡してくれた。私は安堵して息をついた。
「良かった……このかんざしは母から大切にするよう言われていたのだけど、あの時は外していて、もう手元には戻らないと諦めてたの」
「……お師匠」
 ジルクは俯く。その表情は苦痛に歪んでいる。
「本当に、すみませんでした……まさか、お師匠が連行されるとは思わず……」
「そうだ。それ、どういう事なの?」
「国王は……父上は、僕を支配したくて気を許しているお師匠を殺そうとしたんだと思います」
 ジルクの説明にゾワッと背筋に悪寒が走る。
「支配欲の強い父上で、普段僕を放置している割には行動を制限してくるのです。でも貴女が国外追放されたと知り、いてもたってもいられず黙って城を飛び出したんです」
 ジルクは私を見つめる。
「師事する魔導師は、あなただけと決めていましたから」
「ジルク……」
 ジルクは改まって私に向き合った。
「僕は強くなります。あなたを守れるぐらいに強くなってみせます。魔法陣の勉強も頑張ります。ですから、ずっとそばにいさせてください。僕にあなたを守らせてください」
 そう言って、胸に手を当てひざまずく。
「あなたに、騎士の誓いを……」
 騎士の誓い。
 それは一生涯その人のそばにいて、命をかけて守ることを誓うもの。本当に心から守りたい存在に対して自分自身を捧げる誓い。一度誓いを立てればそれはもう取り消せない。誓いを破れば、惨い最期を迎え、死してなお苦しむと言われている。
 そんな誓いをまだ十二歳の子供に立てさせる訳にはいかない!
「ま、ま、まま待って!」
 私は慌てて、ジルクを制した。ジルクはきょとんとした顔で私を見上げてくる。
「今、決めてしまうのはまだ早いわ」
 何とか考え直してもらおうと焦る私とは裏腹にジルクは首を振る。
「いえ、僕はもう決めたんです。僕が守るべき人はあなたただ一人だと……」
 私を見るジルクの目は真剣だった。英雄に憧れる夢見る少年の、そんなふわついたそれじゃない。
 ……この子、本気だ……。
 何となくそう思った。
 どうしよう……ここで拒否してしまうのはジルクを傷つけてしまうかもしれないし、かといって安易に受けるのは避けたい。
 私は考えた末に、ふと手にしているかんざしに目が行く。私は決意し、それをジルクに差し出した。
 ジルクが真剣なら、私も真剣に応えなければ。
「ジルクレール」
 私はジルクの名を呼んだ。
「あなたの気持ちは分かりました。しかし、あなたはまだ成人を迎えていません。十六歳になるまで、その気持ちはこのかんざしと共にジルクレールが持っていてください。そして成人した時、自分の気持ちが変わらなかったならば、かんざしと共に改めて伝えてください。その時は私も答えます」
 自分でもずるいと思う。ジルクの気持ちに対する答えを先延ばしにするのは。でも、成人まであと四年ある。その間、気持ちが変わるかもしれない。他に大切な人が出来るかもしれない。そうなった時、今日の決断を後悔しても遅いのだ。
 ジルクはまだ子供だ。もっと世界を見る必要がある。人と出会い、見聞を広めることで違った見方ができるはず。
 ジルクは目を見開いて、私を見つめる。心なしか頬が赤いような?
「……ジルク?」
 私を見つめたまま固まっているジルクに声をかけると、やっと気づいたのかジルクは慌てて顔を俯かせた。
「ぼ、僕が成人したら、その時は本当に答えてくれますか?」
「えぇ。その時は……」
 私は頷いた。
「しかし、そのかんざしはお師匠の母上様から受け継いだものだと……そんな大切なものを僕が持っていてもいいのですか?」
「大切だからこそ……あなたの気持ちを大切にしたいから、私も確かな約束としてかんざしを預けるの」
 ジルクは立ち上がり、私を見上げた。
「分かりました。その時までこのかんざしは僕が大切に預かります」
 ジルクはしっかりと頷いた。
 私は内心胸をなで下ろし、息をついた。
 良かった……とりあえずこれでいい。
「もし気持ちが変わった時はすぐに返してね」
 冗談ぽく言うと、ジルクは口を尖らせた。
「絶対そんなことありませんから」
「分からないわよー」
「分かりますー」
 そんな言い合いをして、私たちは笑い合った。
「では、お師匠。これからもよろしくお願いします」
 改めてお辞儀をするジルク。礼儀正しいジルクに、私は思わず微笑んだ。
「えぇ、こちらこそ」
 そう言って、私はジルクに手を差し出す。ジルクは私の手を掴んで笑い返してきた。

 こうして、私はジルクと共に生きていくことになったのだ。



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