月の守り人

リラ

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「何で……どうして、アースィム様」
 聖月としての記憶を取り戻した青年は、手の中のトパーズを握りしめたまま、声を上げて泣いた。
 最初は恐怖しかなかった。第一志望の大学に合格した嬉しさから、高校の友達と一緒にカラオケで馬鹿みたいに騒いだ帰り道で、突然空に浮かぶ満月から真っすぐに伸びてきた光に飲みこまれた。気が付けば、見知らぬ場所で怪しげなローブ姿の男たちに囲まれていた。辛うじて言葉だけは理解できたものの、皇女の身代わりとして訳の分からぬうちに服を変えられ、馬車へと押し込められた。
 そして何一つ事情を知らされぬまま送り込まれた王宮で、運命の半身ともいうべき相手に出会った。
「違う……僕はただ、貴方に愛してもらえないことが悲しかっただけなのに、何で、こんなことに」
 男ではあるが、聖月は男女どちらの子を成すことのできる、稀少な性の持ち主であった。この世界と違い、聖月の元居た世界には極稀に両性を持つ天人と呼ばれる者が生まれた。心を通じ強く結ばれた相手の性に合わせ、元の性を転化させることで子を宿す天人の子は総じて美しく聡明であるため、どの国でも丁重に扱われる傾向にある。聖月もまた、家族や友人に恵まれ幸せな日々を送っていた。
 その稀少な天人にまつわるお伽噺のような話が、運命の半身と呼ばれる唯一の相手との出会いだった。
 出会えば一目でそうとわかり、互いに惹かれあう心は唯一の相手以外は受け入れない。まるで都市伝説のような話を信じていたわけではなかったが、突然引き込まれた異世界で聖月はその運命の半身と最悪な形で出会ってしまったのだ。
 憎まれ蔑まれることは酷く悲しかったし、乱暴に扱われることは心も体も辛かった。それでも、唯一と認めてしまった相手を拒むこともできず、さりとて受け入れてもらうことも叶わない絶望にただただ泣き暮らしていた。慰み者でもいいから側に置いて欲しいと、半身への思慕を押し殺しながらただそれだけを願っていた。
 だが、妃に子ができたと聞いた瞬間、最後の望みも絶たれたことを悟った。
 子ができれば、天人という性の存在しないこの世界でこんな痩せた男を抱く必要もない。そうなれば、もうアースィムに触れることはおろか、その姿を見ることすらできないのだと思い、月を見上げて声もなく泣き続けた。優しい月の光の中で、見えない誰かの手でそっと抱きしめられたと思ったが、気が付いたら何もかもを忘れていた。
 そして、アースィムに優しく抱かれ、全てを受け止めてもらえる夢のような日々が訪れた。
「生まれなかったなんて……サシャ様があんなに楽しみにして、慈しんでおられたのに。死産だなんて、そんなこと僕は望んでなかった!」
 穏やかな日々は、始まり同様唐突に終わりを告げた。いよいよ産み月を目前に控え、妃であるサシャと共に生まれてくる子を育て、家族になって欲しいとアースィムに乞われ、嬉しさのあまり涙が溢れた。自分の子ではないけど、これ以上の幸せはないと思って喜びを噛みしめていたところを、再び月の光に視界が覆われた。そして、月明かりのベールで隠されていた現実を思い出した途端、自分が罪を犯したことに気づいた。
 運命の半身など、アースィムは知らない。だから、望まれない自分が側に居ては、彼とサシャの幸せを邪魔してしまう。子が生まれるのであれば、浅ましい欲望のままに側に残るのではなく、離宮の奥でひっそりと息をひそめ三人の幸せを祈るべきだったのに。
 アースィムに抱かれた喜びと、妻であるサシャを傷つけた苦しさから、思わず逃げ出してしまった聖月の頭の中には、慟哭しかなかった。振り返ってもう一度手を取られてしまったら、今度こそ諦められなくなる。このまま、自分だけを愛してほしいと望む浅ましい本能がようやく立ち直りかけたこの国を壊す前に、自分の手で幕を引かなくては。神子の末裔としての責任よりも、愛した相手との死を望んだ皇女の気持ちが、塔の石段を駆け上る聖月には痛い程よくわかった。
 最後に名を呼ばれたことで、もう十分だと思った。
 愛した男の声を耳に焼き付け、このまま消えて無くなろう。そう思い、もうこれ以上あの人を苦しめたくないと、誰かが伸ばしてきた手も払いのけた。地面に叩きつけられる前に意識は途絶え、そして聖月としての人生は終わりを告げたのだ。
「教えて下さい、東の君……僕は、どうして守り人になったんですか?どうして、アースィム様や皆が苦しまなければならなかったんですか!!」
 地面に蹲り泣きさけぶ青年を、銀色に輝く手がそっと抱きしめる。人の形をしたその銀色の輝きは、やがて徐々にその光を落とし、一人の美しい青年の姿へと変わった。
『どうか泣き止んでおくれ、私の愛しい守り人よ。そなたを神子と選び加護を与えたはずが、辛い思いをさせてしまった』
「……僕は、辛くてもいいのです。ですが、こんな結末なんて望んでなかった!どうして、この世界を見捨ててしまわれたのですか!?」
『そなたの命が潰えたことで、私が与えた加護は途絶えてしまった。この世界を管理する神には、もう全ての命を守るだけの力が残っていなかったのだ』
 銀色の髪と瞳を持つ人知を超えた美貌の青年は、鈴のような声で聖月と呼ばれていた守り人へと語りかけた。
『そなたの死後、あの者は深い悔恨と絶望から自分自身を呪ってしまったが故、死ぬことのできぬ不死者となってこの場に留まり続けた。そなたは覚えておらぬだろうが、あの者が嘆き続ける姿に心を痛めたそなたは、自分も輪廻の輪に戻ることを拒みこの世界を彷徨っていたのだ。それ故、私はそなたを人の理から切り離し守り人としての命を与え、全ての記憶を僕消し去った。しかしそなたを通し私が大地へ与えた祝福が絶えたことで、この世界の神は世界そのものを維持するために、この大陸を荒れ地として手放さざるを得なかった』
「そんな……では、どうして僕を守り人としてここへ送ったのです?どうして僕に、アースィム様の魂を砕けとお命じになったのですか!?」
 優しくも残酷な銀色の神の言葉に、聖月は思わず声を荒げた。全てを思い出しただけでなく、その幸せを願った唯一の相手の魂を砕いた衝撃で、すっかり人としての言動へと戻ってしまっている。その事実を頭の片隅で認識しながらも、聖月としての心は嵐の様に乱れ狂っていた。
 深い悲しみに彩られた聖月の叫びに、銀色の神の目が寂しさで染まった。
『人としての記憶を失っても、聖月であった頃の心はそなたの中に残っていた。あの者の魂を呪縛から解き放つには、聖月であるそなたの赦しが必要であった』
「僕の、赦し?」
『そなたも感じたであろう?何も覚えておらずとも、そなたはあの男が苦悩する姿を前に、その罪の終わりと解放を願った。あの鎖を断ち切る唯一の術は、男を救いたいと願うそなたの想いの力だけなのだ。そして、あの男がここに居る限り、この地の浄化はできなかった』
 銀色の神の言葉に、聖月は手の中のトパーズを見つめると愛おし気に頬を寄せた。溢れ出る涙は真珠となって地に広がり、再生を赦された大地に祝福を与え続けている。在りし日の王国の姿を思い出した聖月は、崩れ落ちた城壁を見上げ、更に大粒の涙を零した。
「東の君。どうか私にも、この方と同じ罰をお与えください。私はもう、守り人として魂を導くことはできません。アースィム様と同じように、私にも苦行をお与えください」
『そなたには、何の罪もない。それでもなお、その男と同じ苦痛を望むというのか?』
「それが、私にできる唯一の償いです」
 手の中のトパーズを胸に押し抱いた聖月の言葉に、銀色の神が静かに瞼を落とす。そして、緩やかに片手を掲げると、黒絹の髪をそっと撫でた。
『人の世の理を外れたそなたを、もう一度魂の輪廻に戻すのは難しい。同じように、魂の流れから切り離し、砕けたその男の魂を戻すことも容易くはない。そなたたちが再び人として出会い結ばれるには、相応の苦難を乗り越える必要がある。それでも、そなたは我が守り人ではなく人として責め苦を受けることを望むか?』
 銀色の神の言葉に、聖月ははっきりと頷いた。加護を貰うほど慈しまれたことに感謝はするが、今の聖月にとって何よりも大切なものは、長く苦しんだ運命の半身の魂だった。
 決意の強さを認めたのか、銀色の神は困ったように微笑むと、聖月の額にそっと口づけを落とした。
『そなたたちは、そうやっていつも互いに求めあい、時に傷つけあう。それでも、最後は必ず片割れを見つけ出し手を取り合うのだ。人という者は、脆弱でありながらなんと強き存在であることよ』
 別れの口づけを受けた聖月の体が、仄かな燐光を放つ。神の御許から再び苦悩に染まる人の世へと戻ることを選んだ聖月を見つめ、銀色の神は穏やかにほほ笑んだ。
『さあ、行くがよい。私の愛しい守り人よ。そなたとその男の魂は一つとなり、そして再び二つに別れ世界へと還る。いつの日か、そなた達が真に結ばれて心穏やかに生を終える日が来れば、再び私の元へ二人で戻ってくることができるであろう。私はその時を楽しみに待つとしよう』
「ありがとうございます、東の君。いつかきっと、私はアースィム様と一緒に貴方様の元へ戻って参ります」
『信じているよ、聖月』


 それが、守り人としての聖月が聞いた最後の言葉だった。


 黄金に輝く二つの魂を船首に掲げ、白銀に輝く月の船が緩やかに空へと舞い上がる。数多の世界を統べる銀色の神がその上で銀の杖を大きく振るうと、船は眩い光を放ち何処かへと消え去った。
 かつて、この地には神の末裔と呼ばれる皇族を抱く聖王国と、その周囲を護る東西南北四つの国が存在した。しかし、今は崩れた城壁がその名残を残すのみ。砂と岩に覆われた不毛の大地は、神子の祝福を受け再生の時を迎える。悲しい伝承の残滓は、森の奥深くで静かな眠りについた。



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みんなの感想(1件)

ふくねこ
2021.11.21 ふくねこ

リラさん、素敵な作品を読ませていたけて感無量です(*T^T)
聖月とアースィムの二人の...すれ違う心がなんとも言えず…生きていく上で綺麗事ではいかない部分を誰も責めることはできないし、受け止めきる事もできない中で、最後に聖月が選んだ道がぁ(>_<)そしてそれを受け入れ見守る東の君…感動です(*T^T)
つ、続きはあるのでしょうか?w
素敵な作品を本当にありがとうございました(*^^*)

リラ
2021.12.06 リラ

感想ありがとうございます!
一目見て惹かれながらも、立場と状況からそれを認められなかったアースィムの行いは、果たして許されていいのか?と内心ビクビクでした。
聖月もまた、耐え忍ぶ恋を選んでしまった事で生まれた悲劇です。本当に、対話は大事です(^_^;)
東の君から見れば、人の一生は瞬き一つ程の間なので、次は必ず二人一緒に戻ってくると信じてゆったり待っているはずです。
読んでいただき、ありがとうございました。

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