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前編
第五章 徹夜の掛け持ち-1
しおりを挟む「ディルクくん!」
「ふあっ!?」
突然の呼び声に身体を震わせ跳び起きる。同時に起こるクスクスという笑い声。
「はい、えーと……?」
ディルクはぽりぽりと頭を掻きながら起立し、状況を確認する。
黒板前で呆れ顔をする先生、机に着席しているクラスメイトに、机上の書物とノート。
「これ、この問の答えは?」
先生が痺れを切らし黒板を指でトントンとたたいた。そこには瞬時に暗算で解くには難しい算数の問題。
ディルクはまだ寝ぼけながら、しかし手元の教科書もノートも見ずに即答する。
「三七二六」
「……正解……」
ストンと落ちるように、彼は席に座り直した。
頭をブンブンと振ってなんとか目を覚まそうとする。それでも十の少年が成長に必要とする睡眠量分の睡魔が纏わりついて離れない。
この日は放課後、先生に職員室に呼び出されてしまった。
再度科学世界へ到着し、時差を把握するのは難しいことではなかった。
魔法世界オスフォード王国国内では、王都を基準とした同一時間を使っている。
そして隣国最東端クアラル・シティとの時差は十時間であった。聞けば隣国では、同一国内でも時差があるらしいが。
ディルクは夕方六時からの夕飯を終えると、就寝のふりをしつつ隣国へ飛ぶ。朝九時からの学校にギリギリ間に合った。
放課後遊んだりドクターに顔を出したりして、帰るのが夕方五時から六時頃、つまり魔法世界で朝の三時から四時なので、それからベッドに入っても三時間も寝られればいい方だ。
「ふあぁ~」
魔法鍛錬していても、科学世界の学校に行っていても、欠伸をすることが増えていく。
効率が良くないなぁと思いながらも、ディルクは両方とも捨てることは出来なかった。
このことを知っているのは科学世界のクラスメイト、ニーマだけである。
「で、どうだった? 先生なんて?」
いつしか溜まり場になった丘の樹の下で、いつものようにチェスなどやりながら、ニーマは目の前の対戦相手にさりげなく聞いた。
精霊が見守っていてくれるので、教室では憚れる話も遠慮なく進められる。
「最近居眠り多くてよくないって。夜更かしは程々になさいってさ。成績も落ちてるって」
はぁっとため息をつきながら、ディルクはチェスのコマを進める。
「三時間睡眠はまずいでしょ。もう週末だし、ゆっくり休みなよ。成績落ちたら元も子もないしさ」
「んー」
働かない頭で週末の予定を思い出してみる。
(確か城の呼び出しがあって、八番街のおっちゃんに顔出して、マナフィのところに頼み事していて……そういえば近いうちに王都主催魔法競技会なんてあったっけ。珍しく参加しろとかなんとか、そっちの対策も少しくらい……)
「ほんっとヤバイ。休む時間ない……スケジュールぎっちぎちだわ」
「君そのうちぶっ倒れるよ」
「はぁ……ナリィにもおんなじ事言われたよ」
ディルクはつい先日、魔法の鍛錬中に居眠りしてしまったときのことを思い出した。
シオネが国王に呼ばれておらず、一人で課題をこなしていた時。あの時も気がついたら眠ってしまっていた。
「ナリィ……さん?」
「そう、ばあちゃん……師匠の孫なんだけど、今度練習中寝ぼけたら救助魔法の刑とか言って……」
はっと慌てて口を噤み、顔がカッと赤くなりそうなのを慌てて抑える。
夜な夜なディルクが何処かに出かけていることくらい、師やナリィにはとっくにバレていた。だが二人とも年頃の男子の冒険心というものを尊重し、何も聞かないでいてくれる。
ただ、あまりに夜更かしが過ぎて怠けそうになると、さりげなく脅してくるのだ。
そう、「居眠りしたらキスするわよ」という具合に。
彼にとって、シャレでない人のシャレで済まされない言葉だからたちが悪い。
「救助魔法の刑……ねえ。それってまさか口移しだの人工呼吸だのベタな救助法じゃ……」
げふっとわかりやすく咽せこむディルクに、ニーマは容赦なく追い討ちをかけた。
「チェックメイト」
「うわ、やられた、二十三勝二十五敗……」
がっくりと肩を落とし、ディルクはコマを拾い上げる。
本当にいろいろ気をつけようと、睡眠不足をどうにかしようと心に誓いながら。
「そんな相手もいるんだな、向こうの世界には」
寝そべっていたニーマは言って、そんな彼を見上げた。
どう考えても対等とは言えない。力も重荷も期待も何もかも、この隣国の友人はいろいろ持ちすぎていると思う。
「ん? なんか言った?」
「ううん、ディルクは国王陛下とやったりもするんだよな、チェス」
「ああうん、ぼろ負けだけど。国王様強ぇんだよ。俺とどっこいのお前だって多分負ける」
今はシオネが相手をしているからいいが、もしも代替わりしたら、ずっとチェスの相手することになるのかなーなどとディルクは呟く。
「強くなればいいじゃん。いくらでも練習相手になってあげるからさ」
「ははっ、めっちゃ心強い! 明日は負けないからな」
言うと立ち上がり、転移魔法を広げる。そろそろ帰宅の時間だった。
ニーマは目を細めたり凝らしたりして見ようとするが、もちろんそれが見えることはない。
「ほんっと全然見えないや。悔しいよなー」
呟くニーマに魔法使いは苦笑し、手をあげる。
「じゃあな!」
その言葉と同時に彼の姿はかき消えた。
「本当にこの瞬間だけは、あいつの存在は夢なんじゃないかって思うな」
夕日の差し込む樹の下で、もう何度も見ているその光景に、残された方の少年は苦笑しながら呟いた。
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