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前編
第七章 血の接吻-1
しおりを挟むナリィはそのまま医療施設で経過を見守ることになった。
起きていても生気が感じられず、眠っている時間の方が多かったが、ディルクは空いた時間を見つけては彼女の元を訪れた。
最初のうちは何とかならないか、彼なりに調べまわった。
だが何をどうしようとも変化は見られず、頑張れば頑張る程、もう再起不能なのだと思い知らされていく。
自分がしでかしてしまった重みが、ずしりずしりと増していく。
「化け物ーーか」
個室の壁にもたれ俯き、誰にも聞こえないような小さな声でディルクは呟いた。
目を閉じれば今でも彼女の満面の笑顔が思い起こされる。
そして自分のとてつもない龍のオーラも。それが彼女の精神を容赦なく葬り去ってしまったことも。
「どうしたらいい……ナリィ……俺、俺はーー化け物はーーどうすればいい?」
守ろうと思っていた、一番守りたかったその人が、自分のせいで倒れてしまったーーその事実は、ディルクの今までの自信を全て消失させた。
「なにが……東聖だよ……街を、王子を守るだよ……大事な人一人守れていないじゃないか」
それどころか、己の魔力は人を傷つけると思い知ってしまった。
怖いーー怖くて堪らない。
いつまた誰かを傷つけるかと思うと、人に会うことがどんどん恐ろしくなっていった。
シオネはディルクを責めることはなかった。
それが余計に罪悪感を感じさせる。師の顔がまともに見られなくなって、どのくらいになるのだろう。
いっそ罵ってくれる方が楽かもしれない。破門にでもしてくれる方が良かったのかもしれない。
ディルクは手に取った鎖に、ありったけの宝石を括り付けると、それを自分の額にぐるぐるに巻きつけた。
ズシッと頭が重くなり、魔力が抑制されたのがわかる。目眩と頭重でふらつき、鈍痛が走る。
しかしそれがかえって思考を鈍らせ、今は心地よかった。
◇◆◇◆◇
毎晩通っていた隣国にも行かなくなり、街にも出なくなり、修行と勉強とお見舞いをただ淡々とこなしていくだけの日々がふた月ほど続いただろうか。
ある日、そんな引き篭もろうとするディルクを、シオネは敢えて連れ出した。
久方ぶりの王都の街中、皆の姿はすぐ目の前にあるというのに、彼には酷く遠いもののように思えた。
「あっ、シオネ様、こんにち……うわっ、ディルク!」
「えっ、嘘、ディルクもいるの?」
傍の師の姿を認め、笑顔で挨拶をしてきた人は皆、少年に気づくと驚異の目を向け、僅かに距離をとる。
和やかだった空気が一瞬で張りつめた。
ディルクは東聖シオネ様のお孫さんを、そのオーラで再起不能にしたらしいーーーー。
あの悪夢の日、王都の空を暗雲が一瞬覆ったその日、一夜にしてそんな噂が王都中を駆け巡っていた。
同時に次期東聖の少年は街に姿すら現さなくなりーー明るく元気な彼を知る者も、長らく姿を見せないことで不安を募らせ、皆不信感を隠せなくなっていた。
「ディルク、顔を上げなさい」
シオネの言葉に少年はそっと顔を上げるが、その視線は地面に向いたままだった。
ジャラッと石が重なる音が響く。
「すごい……宝石……」
誰かがあまりの驚きに声をもらした。
少年の額には、大小数種類もの宝石が無造作に鎖で括り付けられている。これではそよ風の魔法すら使えないのではないかとヒソヒソ声が聞こえた。
間違っても、もう大きな魔法やオーラを出したくないーーーー。
しかしガチガチに魔力を封印したその姿は、ただでさえ下を向き表情が見えないのに、更に少年の顔も隠してしまっている。
そして妖しくも美しく輝く宝石の山は、かえって人々の不安を煽っていた。
「ほれ、少し宝石を外して皆に顔を見せなさい、ディルク」
師の言葉にも少年は顔を横に振り、上を向くことも話すこともしなかった。
やがて皆の視線に耐えきれず、その場から病院へ逃げるように走り去っていく。
「まさか、自分であれだけつけているの? 流石に魔法、使えない? わよね?」
「宝石がこわい。あれだけの魔力を持っているってことでしょう? そんなの直に浴びてしまったら……」
「シオネ様、あんな状態のディルクに東聖など務まるのでしょうか」
「うっかり機嫌を損ねでもしたらまずいんじゃないか」
あちこちから不安や恐怖が湧き起こる。
「あたしは後継を変える気はないよ」
現東聖の言葉に、その場がピタリと静まり返った。皆の視線が集まり、シオネは真っ直ぐそれらを見返す。
「あの子は……あの力は、必ずこの街の、皆のためになってくれる」
愛弟子の魔力は強大で、最盛期のシオネをも上回る程である。
しかしそれも使い方次第だ。味方ならば、助けになるのならば、こんなに頼もしいことはない。
そして少年が王都を愛し、思いやりがあることをシオネは十分すぎる程知っていた。
優しいからこそ、孫を傷つけたことを悔やみ、皆を傷つけることを恐れ、今は顔を上げられなくなってしまっているのだ。
「すまないね、みんな」
「い、いえ」
「そ、そう……ですか」
するとシオネと同じくらいの老人が前に出てきて、手を叩いた。
「ほれ、シオネ様がそう言うんじゃ、ワシらは信じていればいいんじゃい。さあ散った散った!」
言いながら彼も皆と共に去って行く。
「ありがとね、ボン」
シオネの呟きに、老人は振り返ることなく片手を上げて応えた。
「ここが、踏ん張りどころだよ、ディルク……そして」
ナリィ……愛する孫よ、お前が戻ってきてくれたらーーと願わずにはいられない。
シオネが引退しこの世を去っても、愛する孫が愛する弟子の傍にいてくれると思っていた。
例え何が起こっても、辛いことが続いても、ナリィとディルク、最も信頼する二人ならば王都はーーこの国は大丈夫だと。
それなのに、真っ先に潰れてしまった。
その目のために。力が足りなかったためにーーーー。
立ちつくすシオネに、一人の中年の男が近づいた。そして二言三言交わすと、静かにその場を去っていく。
「……そうかい……」
シオネはゆっくりと真っ青に透ける空を仰ぎ、一筋の涙を零した。
◇◆◇◆◇
「ディルク」
広場から離れ、そのままナリィのいる貴族街の医療施設へと向かっていた少年は、知った声に呼び止められた。
王都の住民ではない。はるか西方に住む昔からの悪友だ。
「が……る?」
「お、おお。ガルデルマ君だ。久しぶりだな! てかその宝石の山はなんだよ? どうせならもっと石を美しく並べてだなぁ……」
少し戸惑いながらも、いつもの調子で無造作に額に伸ばしてきた手を、ディルクは即座にぱしっと払った。
額に、宝石には誰も触って欲しくないーーーー強い、拒絶。
「わ、悪いな」
流石のガルもからかうことをやめ、素直に謝罪する。
聞いてはいたが、彼の豹変ぶりにガルは驚きを隠せなかった。これでは話そうと思っていたことも切り出せない。
しかしディルクは、彼が何を話そうとしたのか察したようであった。下を向き、何かに耐えるように身を震わせ、やっとのことで指を広場へ向ける。
「ばあちゃんなら……あっちにいるから」
ディルクはそれだけ言うと悪友の顔も見ず、すっと横を抜け貴族街へと走り去ってしまった。
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