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前編
第十章 償いの道-2
しおりを挟む遥か西方、ラクニアの街のすぐ外の森で、雨が降りしきる中、人知れず号泣する者がいた。
先程まであった愛しい人の姿を探し求めるが、欠片も見当たらない。
「なんで……こんなことに……」
膝をつき、嗚咽するその者ーーガルに、雨は容赦なく降り注いだ。
彼女にここに来るよう呼ばれたのは、ほんの一時間前のことだった。
西聖の元を去って二年。
しかし挨拶もままならず、彼女はこの雨の中、突然一対一の本気の勝負を挑んできた。
ありとあらゆる魔法具を身につけ、凶器の槍まで構えて。
ーー私と戦え、ガルデルマ! 先生の……西聖の座をかけて!
鋭い咆哮を上げ有無を言わさず、訓練とは違う殺傷能力のある攻撃魔法を次々と繰り出してきた。
恩師である西聖が先日、天に召されたのだという。
過労に倒れてそのまま。五十七という若さで。
複数の弟子がいながら、最期まで後継を指名せずに。
ーー先生は最期の最期まで本心を……君を後継にって……言えなかったんだよ
国王陛下からの通達。しかし呼び出しがあったのは、弟子を降りたはずのガルデルマだった。
そして彼女は気づいてしまった、彼の実力に。今まで手加減されていた、突然弟子をやめた、その理由に。
それに気づかなかった自分の愚かさに。
ーーもう、私が西聖になるためには、君から奪いとるしかないんだ!
全力で織りなす高度な魔法、鍛えられた武術、学んできた戦略、全てを注ぎ込んで、彼女は泣きながら襲ってきた。
それでも全く本気で戦わないガルに、彼女は身につけていたありったけの魔法具を発動させた。
爆破の魔法に、二倍、三倍と威力を倍増していく魔法、発動阻止を阻止する魔法、そして範囲を広げる魔法。
その効果範囲は、後方のラクニアまで影響を及ぼすものだった。
ガルは信じられなかった。あの彼女がラクニアまでも犠牲にしようとするなんて。
彼女の前では決して見せなかったその魔力を、使わないわけにはいかなかった。
ガルは即座に息を整え、自分の背後に広がるラクニアを守る形で前方に一瞬で結界を張る。
火の結界、と思ったら水の結界、風の結界と、次々に属性を編み込んでいく。
それはもういない恩師の、一番美しい最強の結界魔法。
彼女はまさにこの魔法を覚えたかった。魔力が足りなくて、続かなくてどうしても出来なかった。
師が亡くなった今、もう見ることもできないと思っていたのにーー彼が今、それを再現している。
見事に師から継承されているその憧れの魔法を。
「やめろ、やめてくれ! 今すぐ離れて魔法具を捨ててくれ!」
ガルの必死の説得にも、彼女は手を緩めようとしなかった。
かといってガルが応戦しなければ、背後のラクニアは無傷ではいられないだろう。
激しい結界の衝突。彼女の魔法具も利用した全力の結界はどんどん破られ、その身体にも傷がついていく。
それでもなおも突進をやめない彼女は、遂に生身でその結界に触れーー。
「君にこの結界が破れるわけないだろうーー!!」
ガルの渾身の叫びとともに、一瞬にして彼女は塵へと化した。
王宮の門の前にガルは降り立った。
きちんとした身なりに王令の書状。これから自分は西聖への一歩を踏み出す。
国王陛下の直々の指名に逆らうことなどできない。
そしてもう辞退しようとも思わなかった。
私怨でラクニアを犠牲にしようとしたーー彼女はもう西聖ではなかった。
何故こうなってしまったのか。
師の元を離れなければ師も過労で倒れず、自分が後継になっても、彼女を死なせることはなかったのだろうか。
恩師がいなくなる前に、もっともっと教えを乞うことができたのだろうか。
考えても答えの出ない疑問がガルの頭の中をぐるぐる回る。
ふと、ディルクの噂を思い出した。
何があったのか東聖の内定は取り消され、親しかった彼女を失くし、それでも立ち直って再び東聖の目標へ向かっているという。
「遅くなってしまったなぁ」
目の前の王宮を見上げ、ガルは呟く。
それから程なく、西聖崩御とガルの就任が王国全域に知れ渡った。
◇◆◇◆◇
「ばーちゃん、今日は西六番街の見回り行ってくるよ」
晴れた日の東聖の館。最近声変わりし、十四歳の少年の低くなった声に応えたのは、
「ああディルクや……気をつけて行っておいで」
しわがれた、八十九になる老女の、年相応の弱々しい声だった。
隣国に行かなくなって二年。あの日から師は日ごとに衰え、寝台や椅子に座っていることが多くなり、そして彼女の代理として、ディルクの仕事は益々増えていった。
それこそいろいろ思い出す暇もない程に。
一時期ディルクを避けていた王都の民たちも、竜の髭で魔力を抑え、顔を上げてシオネの代理を務めるようになってからは、避けることも怖がることも次第に減っていった。
「ディルク、シオネ様はお元気かい? あとで差し入れよこすからね」
「ありがと、いつも悪いね。ばあちゃん喜ぶよ」
「おお、ディルクか。西聖が交替したんだって聞いたが、まだ東聖内定はでないのかい?」
「気長に頑張るよ。それより今日の調子はどう?」
そしてひたすらに仕事をこなしていく。一見非のうちどころのない立派な若者だ。
ただ、どんなに仕事が増えていっても、彼は決して人に頼ることはなく、従者もつけようとはしない。
見合いも夜会の招待も全て、東聖内定取り消しをいいことに断り続けていた。
もう誰も傷つけたくない、誰かに愛される資格など自分にはないからーー。
あの日の彼女を失ったトラウマは、二年たった今でも、ディルクの心に深く刻まれていた。
その日は珍しく王宮から呼び出しを受けていた。王子の調子が芳しくないので、顔を出して欲しいとのことだった。
「そういえば、ここんとこシルヴァレンに会ってなかったな」
先日、十九になってから、お付きの従者も増え、公務も増えて、なかなか自由にならなくなったと聞く。
彼の方も年々シオネの仕事が増え、双方で顔を合わす機会がなかったというのはあるが。
ディルクは宮殿用に少し身なりを整え、正門へとまっすぐ向かう。警備兵は全員顔なじみだった。
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