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第一章 さまよえる元令嬢
目覚め
しおりを挟むガタゴトと不快な振動にソフィアの意識が浮上した。
( なに……? )
ここが死後の世界なのだろうか。
真っ暗で固くておまけに狭い。まるで棺の中のようだ。
( ……棺? )
暗闇の中、ソフィアは両手で四方を取り囲むものが何かを探った。
わずかに年輪とささくれ立った木膚を感じ、本当に棺の中にいるのだと確信した。それも素晴らしく簡素なものだ。
( 私…あれからどうなったの…? )
毒杯をあおりマーカスの腕の中でこと切れたと思ったのに…まだ死んでいないのだろうか。
これから火葬か土葬のどちらかをされるのかもしれない。
ソフィアは力を込め上蓋を押し上げた。釘で軽く止めただけだったようで、蓋は思いのほか簡単に外れ、ソフィアは軋むからだをなんとか起こした。
棺は馬車の荷台に載せられていた。幌もなにもない質素な馬車だ。
御者台には小太りの男が乗っており、身を起こしたソフィアに気づいていない。
風にのってかすかに鼻歌が聴こえていた。
「あの、この馬車はどちらに向かっているのでしょう」
「どちらって、国はずれの大衆墓地でさぁ。身寄りのない仏さんはみーんなそこに…」
手綱がぐいっと引かれ、馬車が急停止した。
男がゆっくりと振り返る。ソフィアと目が合うと「ひいっ」と悲鳴をあげ、御者台から転げ落ちた。
「ま、ま、ま」
「ま?」
「魔女だぁぁぁぁぁ! 神よお助けを…!」
男は叫ぶと馬車を放り出し、一目散に逃げていった。
「あ…馬車は……」
荷台に取り残されソフィアは呆然とした。
日の傾き加減でいまが朝であるのはわかったが、ここがどこかはわからない。
うっそうと生い茂った森のなかで、前後に細い道が一本あるだけだった。
男は国はずれの大衆墓地へ行くと言っていた。
つまり進めば国境で、もどれば……。
きゅ、とくちびるを噛みしめソフィアは俯いた。……もどることはできない。ルシーダに見つかればただではすまないのだ。
マーカスの顔が脳裏をよぎったが、首を振ってそれを打ち消した。
彼はソフィアの無実を信じてくれていた。保護を求めればきっと匿ってくれるだろう。
けれど。
荷台から降り、馬車を牽引する馬におそるおそる近づいた。
8才の頃から軟禁生活を余儀なくされたソフィアは馬に乗ったことがない。
馬車も幼い頃に数度利用しただけで、生きている馬にこんなにも近づくのは生まれてはじめてだった。
馬車から伸びる木枠に紐で固定された馬はおとなしくその場に佇んでいた。
薄茶色のつややかな毛並みの馬だ。雄か雌かはわからないが、大きな黒目とけぶるような睫毛にソフィアは釘付けになった。
( とってもきれい… )
そっと手を差し出すと、大きな鼻面がすり付けられた。湿った感触とブルッという荒い鼻息が手の平をくすぐり、ソフィアは軽い悲鳴をあげクスクスと笑った。
「こんにちは、私はソフィア。ごめんなさい、すごく驚かせてしまったみたいで、あなたのご主人様はどこかへ行ってしまったの」
頬を撫で馬に語りかけた。思慮深い大きな黒い瞳がじっとソフィアを見つめている。
「でも探してる余裕はないし引き返すこともできないの。お願い。この国の外まで私を運んでちょうだい」
ブルッと馬が上下に首をふった。まるでこちらの言葉を理解しているかのようだ
その勇ましいしぐさにソフィアは微笑んだ。
「ありがとう」
荷台にあった棺を引きずり下ろし道の端に捨て置いた。少しでも軽くしたらそのぶん遠くまで進めるだろう。
荷台も切り離したかったが馬には鞍がつけられていなかったし、ソフィアは馬に乗れない。
仕方なく荷台はそのままに御者台に上がった。
手綱を拾い上げかすかな記憶をたよりにそれを振ると、ピシャンと馬の尻が鳴った。けれど馬は進まない。
ちらりと肩ごしに振り返られ、ソフィアは困った。力が弱かったのだろうか。
「もっと強く?」
今度は思いきって手綱で尻を打った。すると馬はゆっくり歩き出した。
この先に何があるかはわからない。
身一つで先立つものもなにもない。
けれど進むしかないのだとソフィアは固く決心し手綱を握る手に力を込めた。
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