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〈二〉
しおりを挟む平気ではなかった。客先へ行った結果、危うくパンチリストが長くなるところだった。パンチリストはプロジェクト完了期のタスクリストなんであって、新規受注云々の話ではない。
――社に持ち帰ります。
――営業の斉藤からご連絡申し上げます。
顧客がどさくさに紛れてあれやこれややらせようとぶっこんでくるのでぜんぶチャラ男営業押しつけで乗り切った。乗り切れたはず。リストには半分以上パンチを入れられた。鮮やかに解決! とはならなかったが収穫は収穫、進展は進展だ。
――ひとまず、週末は休めるな。
客先を出て日の暮れた空を仰ぐ。ほっと肩から力が脱けた。
社に戻ると、オフィスは空だった。ホワイトボードにでかでかと
「十八時半より第三会議室にてパーティ!」
書かれている。クラッカーや飛び出す紙吹雪のイラストが描き添えられている。
――浮かれてやがる。
鞄を自席に置き、ネクタイを外す。
気がかりがいくぶん減ったからか、苦笑いする涌井の心からオフィスを出る前の棘が抜けていた。
会議室の後ろの扉からそっと中へ入ると
どっ……!
余興で盛り上がっているところだった。
「涌井さーん、お疲れさまでえええす」
紙コップを渡される。同じプロジェクトの別のチームのリーダーを勤める同僚がビールのロング缶を傾け
とぽぽぽぽ。
勢いよく注いだ。
「ちょうど今ね、プレゼント交換会やってますよ。射的でね、プレゼントを当てるんだそうです」
促されて前方を見ると、会議室の中央に段ボールの射的台がある。ディスプレイのようなラックにプロジェクトメンバーの似顔絵と番号の描かれた的が並んでいる。どうやらパーティ実行委員の中に手先の器用な祭り好きがいるもようだ。
真ん中の段、左から三番目。涌井の似顔絵が描かれた的もある。デフォルメされたイラストの涌井はリアルな本人よりさらに童顔、上目遣いにアヒル口で「きゅるん」と書かれた吹き出し付きだ。
「きゅるん、って……」
「涌井さんのイラスト、かわいいですね」
「いや、もう二十代も黄昏だってのにかわいいもへったくれもねえですよ」
アヒル口でもねえし。
苦笑いするも、いうほど厭ではない。しゅわしゅわと喉をビールがにぎやかに駆け下りていった。遅れてプロジェクト成功の喜びが安堵とともにやってきて涌井の頬を緩めている。「よく見えるとこに行きましょう」と同僚に促され、紙コップを手に移動した。
ぱしゅん。
間の抜けたくしゃみみたいな音とともにコルク弾が発射される。
「いやーん、残念!」
「五つ全弾ハズレでえええす!」
マイクを手にした進行の男女が明るく囃し立てた。
「平川さんにはこちら! 残念賞をプレゼント!」
「中身は何かな? 開けてみてください!」
女子社員平川がギフトバッグを開ける。個包装された色とりどりの菓子や飴がぎっしりつまっていた。仕事の合間のおやつにちょうどよさそうだ。平川はギフトバッグを手に仲間のところへ戻り「斉藤さんのがよかったあ」「惜しかったねー」「次はわたしが」などときゃっきゃしている。そんなにチャラ男営業のプレゼントがほしいか。途中で何度も仕様変更をねじこんでくる、嵐ならぬ火事場を呼ぶ男だぞ。
「はい次! 相沢さんでーす」
「一撃必殺! 行ってみよう!」
おもちゃの銃を受け取った相沢が片手でもっさりした前髪をかき上げた。もっさりの奥から切れ長の目が現れる。
あれ?
いつもと感じ、違う?
おおい、女子社員諸姉。チャラ男営業にきゃっきゃしている場合じゃないんじゃねえのか。俺の後輩、かっこいいんだが。
いやいやいや、見るな。そのまま気づいてくれるな。
す、り。
大きな手が確かめるように銃身をひと撫でし、銃口にコルク弾を詰めた。静かな目が射的台をゆっくりと薙ぐ。
ひた。
標的が定まったらしい。長机と射的台の間はせいぜい三メートル、長身の相沢が腕を伸ばせばぐっと標的は近くなるだろう。軽いコルク銃であれば片手でもさしてブレない。それなのに相沢は両手でしっかりホールドし銃を構えた。
――知ってる。
一見凪いだように見える相沢のその目は集中しているときのものだ。会議室のしらじらとした灯り。大きな仕事がひと段落して緩んだ空気。ピザを頬張る男。笑いさざめく女たち。紙コップの中でちりちりと泡が立ちのぼる飲みさしのビール。相沢には今、きっと何も聞こえていないし、見えていない。標的のほかは、何も。
きゅ。
胸の奥が捩れるように疼く。
相沢の集中をそのまま見守りたい気持ちと、声をかけてその集中をくちゃくちゃに解いてしまいたい気持ちとが交錯する。このプロジェクトで頼もしさが増した後輩が誇らしい。皆に見てもらいたい。知ってもらいたい。その気持ちに嘘はないのに捩れ裏返り、見るな見るな、両腕を振り回し前に出て皆の視線を遮ってしまいたい。どうしたんだ。いったい俺はどうしたってんだ。
ぱしゅん。
間の抜けたくしゃみみたいな音とともにコルク弾が発射される。
ぱたん。
射的台の上の的がひとつ、倒れた。上目遣いにアヒル口、リアルよりさらに童顔で「きゅるん」の吹き出しをくっつけた涌井の似顔絵の的だった。
「すごおおおおい、大当たり!」
「見事一発で涌井さんを仕留めました! ――プレゼントはこちらです。開けてみてください!」
リボンのかかった淡いグリーンのギフトバッグ、元恋人が用意してくれた誕生日のプレゼントがパーティの司会から大きな手へと渡る。
魔法が解けたみたいだ。
マイクがもごもごした相沢の「あっはい」というつぶやきを拾う。集中したときに見せる凪いだ、しかし熱いまなざしがもっさりした前髪の向こうに隠れてしまっている。
残念なような、ほっとしたような。
ベージュがかった白いリボンを解いた相沢が淡いグリーンのギフトバッグをのぞく。
びし。
ほんの一瞬、丸まっていても逞しいと分かる肩がこわばったように見えた。
「プレゼント、何でした? ――相沢さん?」
「あっは、い……、これです」
相沢がギフトバッグから出した布を広げた。
紫色のTシャツだった。
はっきりくっきりがっちり紫の地、胸のあたりにブランドロゴがプリントされている。
「あっ! このブランドで紫ってもしかして、下着のセットだったり?」
司会の女子社員が笑顔になった。
「ほらほら、昔の映画であるじゃないですか、車でびゅーんってタイムトラベルしちゃう――」
「車ってデロリアン、あの未来へ帰ってくるあの映画ね。――じゃあ若いころのお母さんがマーティのことをブランド名で呼んじゃうきっかけになった例のボクサーパンツも?」
「あっはい」
「……」
「……見せて、はもらえない、のかな?」
「あっ、はい」
すげなく相沢に断られ司会の男女が苦笑いする。
「――もしかして相沢さんなりのフォローかな? だってこのブランドのTシャツとパンツのセットだと一万円じゃきかないですよね」
「予算オーバーだ。しかも大幅な!」
「涌井さん、駄目ですよ! 三千円ってことになってるんですからあ」
いきなり矛先を涌井へ向けてきた。
金額の上限以前に、見た目はかわいいのにちょっとしつこい質だった元カノからもらったプレゼントだし中身自体知らねえし、ともいいづらい。選りに選って下着、しかも紫だなんて――恋人への誕生日プレゼントであれば不自然ではない。が、社内パーティの余興の景品としては適切と言い難い。だから誤魔化してくれたわけだ。さすが相沢、頼りになる。隣の的と誤って倒されて女子社員の手に渡りでもしたら大変だった。
涌井は内心焦りながら片手をひょい、と挙げる。
「ごめん、そうだったな。悪い」
「そうやってきゅるん! ってかわいく謝ったらゆるしてもらえるって思ってるんでしょ? んもう、――ゆるしちゃう!」
あははは。
会場内が笑いに包まれた。涌井も笑った。
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