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がつ子、天使と出会う
3.
しおりを挟むうきうきと斜向かいの席に戻ってきた反木が机の上のバインダーをがささ、と脇に避けて和田から預かった書類の束に猛然と取りかかった。
「反木さん、あの――」
「あ?」
眉間に皺を寄せて反木が顔を上げた。
明らかに反感を買っていると分かる。
「お願いしていたファイリングは――」
「やりますよ。やりゃあいいんでしょ?」
文句あんのか、といわんばかりに反木は樹子を睨みふん、と目を逸らした。
三十代に入ったばかりだという反木は横道と同じく就業一ヶ月と少しの派遣社員だ。事務職の経験が横道以上に豊富でてきぱきとこなすが新卒の樹子から仕事の指示をされるのが厭で仕方がないらしい。ひらひらふわふわ、営業社員たちの席が集まる島へ何かと理由をつけては飛んでいき「何かあ、お手伝いすることありませんかあ?」と声をかけてまわる。手が空いているなら依頼したい仕事は他にいくらでもあるというのに。頼んだ仕事はやらないのに営業に直接声をかけてまわる反木に、樹子は手を焼いている。
「ちょっと、和田くん!」
受話器を置いたりりちゃん先輩がメモを片手につかつかと営業の島へ向かう。外出中の営業の席に伝言メモを置くと
「勝手に事務に仕事振らないでくれる?」
肩を怒らせた。
「いやだって――」
「だっても明後日もないっての! 事務には事務で割り振りとかペース配分とか――とにかくいろいろあるんだから、仕事振るんだったらちゃんと大路さん通して!」
「ええ、直接頼むほうが面倒なくないっすかー?」
「そっちはよくてもこっちは困るっての。だいたい和田くん、溜め込み過ぎだってば。外出しないんだったらきりきりぱきぱきやんなさいよ! 反木さんも勝手に仕事引き受けないでください。何度もいってますけど指示は上長の大路さん経由で。――ああもう、時間!」
りりちゃん先輩がぎりぃ、と歯噛みしながらオフィスの時計を見上げた。
四時過ぎている。
「あの、あとはだいじょうぶ、です。こちらでやっときます」
「大路さん、ほんとごめん」
「いえ、こちらこそその、いつもありがとうございます」
出過ぎたことをしたと思っているのだろう。りりちゃん先輩は目に申し訳なさそうな色を浮かべている。樹子としてはいいづらいというより、どう言語化したものかまだ分からないわけで、間に入ってもらえて助かった。とはいえ、新入社員で不慣れであろうとなかろうと事務方の作業を捌くのは樹子の仕事だ。
このままではいられない。早く慣れなければ。
かちかちかち、ばたたた、と慌ただしく支度をすませたりりちゃん先輩が
「よし。そんなによくはないかもだけどひとまずよし!」
顔を上げた。眼鏡の奥のくりりとした目に映っているのは間違いなくオフィスのはずなのに、心はすでに違うところ――おそらくは学校から帰り塾へ行くお子さんがた――へと向かっている。
「お先に失礼します!」
「お疲れさまでした」
「おつかれっしたー」
ショルダーバッグを肩にかけ慌ただしく帰路につく後ろ姿を見送り視線を事務の島に戻し
――はあ。
樹子は溜め息を堪えた。今日も、ろくすっぽ作業がすすまない。
定時まで一時間強。りりちゃん先輩が退勤したことで明らかに気の緩んだ横道は手を止め隣に向かってぺちゃくちゃと話しかけている。生返事で応える反木の手は猛然と動いているものの、二日前に一人日未満と見越して樹子が依頼したファイリングの仕事は横に押しやったままだ。
――それに、そろそろ……。
先ほど、どの隙間に他人の作業をつっこもうかと悩みながら眺めたスケジューラにびっちりと作業の予定が詰まっている。
締日が近い。
必要な書類が集まるにしても集めてまわるにしてもわやくちゃに忙しくなることが確定している締日は、天気図上を近づいてくる台風に似ている。あらかじめ「ここまで作業が進んでいれば大丈夫」ラインがあり(あるとりりちゃん先輩から教わった)、締日の書類仕事でわやくちゃになってもなんとかなるはずだったのに作業が押している。
駄目なんじゃないか。
目の前が暗くなりそうだが仕事は待ってくれない。
「管理部、行ってきます」
樹子は書類をまとめ、腰を上げた。
「いってらっしゃあい、ごゆっくりい」
「うーい」
できれば作業に集中してほしい横道がにこにこと手を振り、ファイリングを優先してほしい反木は和田の仕事にかかりきりで生返事を寄越す。
溜め息を堪え、樹子は管理部へ向かった。
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