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〈十〉
侮られも蔑まれもせず心底ほっとしたが、そうなればなったで気になるのが
――このかたはいったい……?
男の来しかた、行くさきである。
「片腕では何かと不便だ。早く治さねば」
「焦りは禁物です。無理をすれば元に戻らなくなるやもしれません」
「うむ、気をつける」
やはり剣客だからだろうか。熱が下がってまず勝五郎は体を動かしたがった。折れた骨に響かない範囲で左手の指や肩をほぐしている。
道切りをかけなおすついでに里を見回るというと、勝五郎もついてきた。繕っておいた紺の長着を着流して大小を落とし差しにした姿は、当たり前だがもともと着ていたものだけに貴人のためにあつらえた丈の足りない寝間着よりしっくりくる。
薄明のなか、連れだって里の入り口へ向かう。進むにつれ灰色に霞む靄から朽ちかけた家々が暗がりに潜む妖魔のように姿を現した。近くで見ればただの廃屋なのだが。冬に向かって草木の勢いがいったん衰えているが春になればこうした家々も森に呑まれるであろう。
里の奥にあるるいの家にたどり着いたのが夜だったから目にするのは初めてで、勝五郎は里の荒みぶりに目を丸くしている。
「こちらには以前、権爺が住んでおりました。罠猟の手ほどきをしてくれて」
「権爺なる者はもう――」
「三年前になりましょうか。亡くなりました」
葛に呑まれこんもりとした塊にしか見えない家もある。るいの物心つく前に主を失ったそこでどんな暮らしが営まれていたのか、知るよしもない。
「夏までは御婆がいてくれましたが……」
貴人を迎えるための里だと教えられて育った。親の顔も知らない。同じ年頃の子どもと接したことはほとんどなかった。かれらとは山を下りた先の村や町に行かなければ会えず、打ち解けることより用心をたたきこまれたるいの家族も友も師も里の老人ばかりだった。
――貴人さま、もういらっしゃらないって、ほんとう?
もう顔も思い出せない老人のひとりに吹き込まれたことを、御婆に訊ねたことがあった。
――誰がそのようなことを……ッ。
厳しい顔が多かったけれど根はやさしく、辛抱強い質であった御婆が激昂したのを見たのはそのときが初めてだった。
――おさち、いや、……治兵衛か、それともおみねかッ、誰なのか……ッ。
荒れ狂う嵐を腹の底に飲み込んだ御婆は静かに冷ややかに、
――婆が戻るまで、外へ出てはならぬ。
言い置いて家から出て行った。御婆が帰ってきたからこそまた普段の暮らしに戻ったことは分かるが、るいの記憶は一部途切れている。その後、顔も思い出せない老人とふたたび会うことはなかった。
御婆はかつて貴人の妻だったのかもしれない。
そう思うこともあった。鶏の世話も畑仕事もいとわなかったが鄙の地には珍しく水茎の跡うるわしく、削げた頬の鋭すぎる翳りにも往年の麗容がうかがえた。
深山は配流の地だったのか、あるいは御婆がいっていたとおり乙女をはぐくむ里だったのか。ただの妄想だったのか。物心ついてから御婆が亡くなるまで――亡くなってからも訪れどころか、便りすらない。
隣をゆったりと歩んでいた勝五郎が口を開いた。
「ではこの里に――独りで暮らしておいでか」
「はい。道と畑だけでも、とは思うのですがなかなか手がまわりきらず、――お恥ずかしゅうございます」
「貴人か……、そういえば助けを求めて戸をたたいたとき、質されたな」
「もののけなれば朝までにはいなくなりますので、やり過ごそうかと迷ったのですが」
「や、開けていただきありがたかった。るい殿は命の恩人だ。あのときはどうなることかと」
「大袈裟でございます」
はは。
ふとぶととのどかな声で、勝五郎は明るく笑った。
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