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〈十九〉
「黒江、勝五郎さま……、このような場合はご本名を名乗らないものでは」
「うむ、咄嗟に、その、つい」
勝五郎はとある小藩の出だ。
「所帯が小さいのだからちんまり仲良くすればよいのに、ぎすぎすしていて」
権力争いに巻き込まれ父親が殺されたという。勝五郎が跡目を継ぐためには、仇討ちを果たさなければならない。
「亡父は腕は立ったが厭な男でなあ」
「だからといって害されてよいわけがありません」
「それは、そうだ」
厳しい父だった、と勝五郎は寂しげに笑った。剣術の初めの手ほどきをしたのも父親で、体に残る古い傷は鍛錬と称してほどこされた折檻の痕だという。
明るくのびやかな性格に育ったのが不思議になる境遇だ。
権力争いに巻き込まれたというと大義のために何かしていたように聞こえなくもないが、実際のところ父親が殺されたのはしょうもない喧嘩が原因の衝動的な犯罪で、どちら側がよいとか悪いとかでもない。仇も父親と同じく感心できない質であったが、斬り殺してしまうほどの罪だとも勝五郎には思えなかった。出奔した仇は一生、仇討ちの影に怯え続ける。それでじゅうぶんだと考えたのだ。
母親はとっくの昔、勝五郎の幼いうちに離縁して他家へ再嫁しているし兄弟はなく、係累もない。
「許嫁がいたが、――待っていてくれるなと言い置いてきた」
――やはり。
勝五郎のときに見せる仕草にはこれまでの女の影が見えた。許嫁だけでなく仇を探す旅の間に懇ろになった女もあったかもしれない。
「諸国の剣術道場で食客として養っていただきながら、仇を探すでもなく探さぬでもなく」
数年の間旅をしていたという。今さら主家で身を立てようという気にもならない。
しかし黙っていられない者もある。
勝五郎の父親を斬った仇だ。
出奔当初は他国でおとなしくしていたようだが、返り討ちを企み動き始めた。
「鮫島、――という男にお心当たりは」
「ある。とある道場でしばらく、師範代を務めたとき居合わせた。腕が立つ。そうか、――仇は鮫島を雇ったのだな」
あらぬかたへ目をやり、勝五郎は眉を顰めた。
「俺は独り身で子がない。返り討ちにしてしまえば枕を高くして眠れると考えたのだろう」
「勝五郎さま……」
「そういうわけで、命を狙われる身だ。流れるようにこの地へきて、――紅葉があまりに美しく慕わしく、つい長居を」
勝五郎が寂しげにうつむく。膝を進め、るいはそっと抱きすがった。胸もとに頬を寄せ、背中に腕を回す。応えるように抱きしめられた。
「今日、あのまま山を下りればよかった。るい殿に迷惑をかけるのは本意でない」
「行ってしまわれるのですか」
「うむ」
るいはさらに身を寄せ、勝五郎のふとぶとと逞しい首に腕を回した。
「どうしても?」
「ああ」
勝五郎の目には迷いがなかった。代わりに執着と諦めが混沌としている。
――私の目に、何が映っているだろう。
迷いはない。執着は、隠せない。諦めは、どうだろう。
ちゅ。ちゅ。
口づけが深まる前に唇を離した。
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