世界最強の俺は正体を明かさない ~眠れる獅子のもがれた牙が生えるまで~

ケムケム

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誘拐事件

32 優しい炎

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 5人の魔法がヒュドラを襲う。ファーゼンにも負けずと劣らない攻撃がヒュドラを覆い尽くした。だが、

 「アイリーン様のゴッドジャベリン。Aランクモンスターでさえ瞬殺する威力です。これで無事なはずが………」

 「いえリンネル。SSランクにはそんな…… ハァ…… ものよ。」

 ゴッドジャベリンは現在世界で使われている魔法の中でも、最上級に位置する攻撃魔法だ。実はアイリーンは将来を約束される程有能な魔法使いであり、そんなアイリーンを持ってしても1日1回しか使えない。使い手が少な過ぎることから、半ば伝説となりかけている攻撃魔法だ。だが、そんな魔法をもってしても、致命傷と呼べる傷をつけることは出来ない。

 「そもそもSSランクなんて、大国の存亡の危機に匹敵する化物よ。…… ハァ…… 私たちだけでどうにがしよう、なんて考えが不遜だわ。」

 ヒュドラが嘲笑うかのように口から炎を漏らしている。

 (どうやらこれまでね。でも、伝説の存在に逢えたのよ。悔いは…… いいえ、それは野暮というものね。)

 もはやこの場で、立っている者は1人もいない。地に膝をつき、現実に打ちひしがれていた。
 ヒュドラの口から吐かれた炎が迫りくる。熱いなんてレベルでは無く、触れた瞬間から木々は炭と化す。それはまるで、この世の最後を見ているようだった。皆はその光景を見逃すまいと、瞬き一つせずに見つめる。すると視界に1点の黒点が現れる。

 皆は俺が守るよ。アイリーンにはエリックがそう言っているように感じた。事実、エリックは心の中ではそう思っていた。エリックの思いが伝わったのだ。

 迫り来る炎の中、エリックの詠唱は轟音にも掻き消されず、皆の心に響く。

 『古に沈んだ蛟竜の丘
 焔獄で凍える聖炎の峰
 銀楼の淵にて苦しまず
 天の橋立へと下る』

 『広耀翼焔(こうこうよくえん)』

 詠唱とともに、エリックから膨大な魔力が放たれた。頭上には金色に燃えた炎輪。背に広がる翼、その紅く輝く羽根に目を奪われる。
 
 エリックらしき人がヒュドラの炎を食い止めている。

 エリックが手を振るうと炎が掻き消される。空を舞うエリックは、全身に金色に輝く炎を纏っていた。神秘的に輝く炎は、明らかにヒュドラを圧倒していた。だが、ヒュドラの炎とは違い、優しく温かい。エリックの炎が傷を癒してくれるようにさえ感じる。

 「煌炎」

 神々しい炎の柱がヒュドラを貫く。ゴォーという音が心地好く響いた。

 (まるで天使のようだわ)

 誰が思ったのだろう。恐らく皆同じような感想を抱いただろう。

 ギシャァァァァァアアア!

 ヒュドラが悲鳴をあげる。もともと火には耐性があったヒュドラだが、エリックの炎のヒュドラ耐性をも上回る。だが、SSランクにダメージを与える程の攻撃だ。エリックも簡単に繰り出せる訳でなく、もう肩で息をしている。見るからに辛そうだ。だが、誰も声をかけない。否、かけることができなかったのだ。この場にいる誰もが金縛りにあったように、身動きが出来きず、ただただ眺めることしか出来なかった。

「これで……終わりだ……。」

 最後の詠唱が始まった。

 『天園に散る薔薇の花
 邪悪が心に突き刺さる
 忘虚の果てに
 痛みを恐れる嘘者がいた』

 『ラファエル(師匠)の祈り』

 エリックの目からは一筋の赤い涙が。

 淡く輝く透明な炎がヒュドラを包み込んでゆく。優しい光に包まれたヒュドラが、安らかな表情で目を閉じた。重たい首を下ろすと動かなくなる。

 それはまるで、寿命が尽きたように穏やかな死だった。ヒュドラは成仏されたのだ。

 東の空から昇る朝日が、エリックを照らす。光を反射したエリックの赤い翼が、幻想的に輝いていた。
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