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ChapterⅡ 新たな闘い

第1話

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 月明かりに照らされた、街外れにある広場。
 傷だらけの顔に血を滲ませた男がいる。よく見れば顔だけではない。肩も、足も……

 もう一人は『D』——レスト。
 傷は、レストのナイフが付けたものだ。

 男の部屋で始まった争いだが、男が逃げたことによって場所を移すこととなった。
 簡単に仕留めないのが、今回の依頼人の希望だ。

「まったく。ツイてないぜ……。よりによって、ロードマスターが二人もいるなんて」

「二人?オレ以外にもいるってのか?」
 レストは僅かに顔を上げ、男を見る。

 依頼人から詳細を知らされないこと多いが、これは不快だった。
 雇われたのが自分だけでないと標的ターゲットから聞かされるのは。

「ハハ……知らないのか?なら、わざわざ教えてやる必要もないな」

「あっそう」
 レストがさげすみを含んだ笑いを浮かべる。

「オニーサンいじめっ子?」
 左目がキラーンと冷たく光る。
「そーゆー人はロクな死に方できないよ?」

「ふざけやがって……そ、それはっ……」
 レストの指輪が俄かに光を帯びるのを見て、男は明らかに動揺していた。
「魔法の剣?まさか冥界の⁈」

「知っているとは嬉しいね。でも、もらいものだけど」
 剣を手にしたレストが地を蹴って切りかかる。
「うわっ」

 その時、砂塵を巻き上げる強い風が二人を襲った。
 次第に砂煙が薄くなり、目を開けられるようになると、近づく人影が見えた。

 目があった瞬間、
「ちょっと!」
「私のエモノよ、それ!」

 獲物、と言われた男は薄笑いを浮かべ、切れた自分の口元を舐めた。
 圧倒的に不利となった自分の立場を悟った、諦めの笑いかもしれない。
「二人が揃ったわけか。説明が省けたな」
「する気なかったろ」

 俺以外のロードマスターか。
 彼女——おそらく——は、俺と男を睨み付けながら歩いてくる。少し気取った足取りで。

 ホルターネックの露わになった肩の上で、緩くカールしたセミロングの毛先が揺れている。
 迷彩色のカーゴパンツと編み上げブーツは、まるでどこかの国の軍用品のようだ。

「あのね、そんな目で見ないでくれる?」
 こちらを睨み見、尖った声を発した。

 そんな目って……どんな目だ?決してそんな目では見ていないはずだけど。

 それから、男のあごに細い剣先をピタと突き付けて言う。
「私にくだりなさい」
「はぁ?……ふ、ふざけるなっ」
 男は剣先から逃れると、自前の剣で応戦の態勢をとる。

「無駄だと明確に分かっていることを……理解に苦しむわね」
 何か、その言葉には違和感を覚えた。
 だがいずれにしろ、女性と争う気はない。

「オレは降りる。後は好きにやってくれ」
 すっかり戦意を失ったレストは剣を戻し、シガレットケースを出した。

「待ちなさいよ」
 背後で呼び止める声とともに、男の呻きとカプセルの閉まる音がした。

「ちょっと!」
「無視する気?」
 迷彩ロードマスターは、何か用があるのか追いかけてくる気だ。

 レストは、足を止め振り向いた。
「何かな?お誘いなら大歓迎だけど」

「誘われる気があったの?」

 相変わらずの怒ったような顔が近づいてくる。

「同じロードマスターとして、自己紹介しておこうと思って。またどこかで会うかもしれないでしょ」

「あぁ」
 そういうことか。


 レストにとって驚くべきことを雄風の如く彼女は語った。

 彼女は風の精霊、の女王。

 本当の名前は人間では発音できないため、めんどうだかr……いや、便宜上、クイーンと呼ばれているらしい。

 精霊が本来、人間の世界に介入することは珍しいが、冥界からのたっての依頼により、ロードマスターを引き受けたという。

 他の元素との繋がりはないとのことだが、四大元素の精霊が魂の回収に協力すれば、どれだけ効率が上がるだろう。

 そもそも精霊は、エーテルの身体を持つ擬人的な霊だが、女王であれば、エーテル以外で実体を創造するのはとても簡単なことらしい。


 丁寧な説明に対し、レストの自己紹介は簡潔極まりなかった。
「オレは、レスト。『D』と呼ばれてるらしい」
 それでも、それは彼女を驚かせた。

「あなたが、あの『D』?……意外ね。もっと強そうなのイメージしてた」

 彼女は正直者のようだが、不躾で傲慢。
 どうやら、人間世界のマナーというものに疎いと見える。

 クイーンはレストに近寄ると、顔をじっと覗き込む。

「……気持ちわるっ」

「え?」

「女みたいにキレイな男なんて」

 そういう意味で言われたのは初めてだったから、正直驚いた。

 そして、彼女の嫌悪感がひどく表面的で薄いものだと気づいた。
 もっと激しい、本当の嫌悪というものを知っているレストには、その言葉はただ胸の上を滑っていくだけで、突き刺さることはないし、傷をつけることもできなかった。

 懐かしさを感じるくらい、馴染みのある言葉だった。

 褒め言葉と受け取って笑ってみせると、何かに気づいた様子で、クイーンは少し首をかしげた。

「その左目は……」
 無遠慮に前髪に触れようとする。

 その手首をそっと掴むようにして止めた。
「初対面で秘密をすべて知ったらおもしろくないだろ」

 手首を押さえられ、クイーンは明らかに面白くなさそうな顔だ。

「初めからずっとそんな顔してる。もしかして、精霊は笑えない?」

 レストは、パっと手を放すと、自分の手をそのまま彼女の頬にすべらせた。

「なっ……」
 クイーンは、怒りからかその頬を上気させている。

 女王に触れるなんて死罪ものだ。
 だが当然、レストは精霊の世界の法律など知る由もない。

「怒ったのか?さっき、オレの髪には触ったのに」

 無邪気に笑っている彼に、咎めるような視線を投げつつ言う。
「とにかく、次に会った時には、エモノを譲ろうなんて思わないで」

 自分のものだと主張したのは彼女なのに。

「譲ってほしかったんじゃないのか?」

「私が女だから譲った。……女を、女としか見ていないでしょ。そういうのは嫌いなの」

 そう断定されて、先ほどの違和感が蘇った。
 レストには分からない。
 自分の感じるままに、相手のありのままを受け入れる。だからこそ、自分に偏見があるとは思っていななかった。

 その基本スタイルでいえば、女王だろうと精霊だろうと女性は女性。それ以外に見られたいなんて、明らかに彼の理解を超越している。

 だが、彼女なりの理念なのだろう。それには敬意を払うべきだ。
 彼は分かった振りをした。

「そうか……。では仰せのままに、陛下」
 父王にするようにお辞儀をする。実際に謁見が許されたことなんてなかったけど。

 彼女は不遜にも似た態度で「もういいわ」と言った。

 打つ手もなく、ここは彼女に倣おうと、不敵な態度で笑ってみた。
「じゃあ、次はオレから奪ってみなよ」

「その余裕は、その指輪のせい?なぜ、あなたが冥界の王家の剣を?」

「それも秘密だよ。大切な、ね」

 自己紹介は終わりとばかりに、レストは歩き出した。

 彼女は強い。
 さっきの強風を止める術は俺にはない。
 ロードマスターは、ソウルマスターの中でも選りすぐりの強者(つわもの)たちだ。

 ただ暗殺の仕事だけ受けていた頃から、数週間が経っていた。
 まさか、冥界の仕事まで請け負うことになるとは。

 依頼人に文句を言いに行きたかったが、明朝はメイカーと約束があった。
 これを渡すために。
 球状のカプセルの中には、俺が壊した魂。

 どんなに罪深き者も、魂は無色透明だ。
 自分のものは見ることはできないが——俺のも、そうなんだろうか。




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