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ヒデ渡辺

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不用意な発言や言葉の暴力による事件の多発。コンプライアンスの高まりを受けて、会話にパスワード入力が義務付けられた。

<本文>

PW入力:0801
「・・・ってことで、・・したんですわ。」
PW入力:1067
「なんでやねん。」
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「どぅも、ありがとうございましたー。」

義務付けられた「発言のPWロック制度」により、ボケとツッコミの間を遮られ、漫才のライブ鑑賞は激減した。


饒舌な政治家が不用意な発言で顰蹙を買い、リポーターに追い回される。
人気女優の一言が問題となり、既に撮影が進んでいた映画を降板する。

「言った、言わない」の食い違いで多発するトラブルを受け、国民は発言に責任を持ち、その全てをPWでロックすることが義務付けられた。
各個人がPWを持ち、相手のそれを知る者だけが聞くことができる。

全ての国民がウェアラブル端末を持ち、会話の内容が記録される。
裁判ではこの発言履歴をAIが分析し、法律に則って瞬時に判決を下す。

発言の真意と受け取る側の解釈は、AIが機会学習で進化中。
「そんなつもりじゃ…。」というケースも、杓子定規に判決が下される。
人々はトラブルを回避するために無口になった。

「過剰なコンプライアンス」「言論の自由の侵害」と正論を傘に攻め込みたい野党だが、可決済みとなれば革命でも起こさない限りかわらない。
そんな中でも人は暮らし続ける。


もともと口数の少ない彼女とは、これまでどおり気楽に過ごせる。
言葉にせずとも、その場の表情でわかりあえた。
互いに言えない言葉の一つや二つはある。
そこは詮索しないのが無言のルール。


彼女が不治の病と診断されたのは半年前。この2か月は病室に寝たきり。
仕事が終わると、彼女のもとにかけつける。
日に日にこけていく頬。それでも柔らかな笑顔が腹の底をほっこりさせる。
別れ際には毎回「これが最期かも」と覚悟する。


病院の外では「PW入力に反対するデモ」が続く。
そのシュプレヒコールもPWなしには聞こえず、ただの行列に見える。


ある日、彼女の病状が急変する。
治療を受けるその顔からは生気が消えて、表情が読み取れない。
今夜がヤマかと、親族も駆けつける。

最期の力を振り絞り、何か伝えようとする彼女。
それを察した看護師が、儀式のようにPW入力端末を差し出す。
震える指で彼女のPWを入力する。


「暗証番号の更新期限です。新しい番号を入力してください。」

#ほっこり
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