捨てられた私が今度はあなたを捨てる

nanahi

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1 置き手紙

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幸せだった。
あなたのそばにいられるだけで、毎日が夢のようだった。

それなのにあなたはもういない。
愛しいあなたは置き手紙を残し、ある日突然消えてしまった──


「もっと背筋を伸ばして。王妃の姿勢は国の品格そのものですよ!もう一度、ワルツの第一歩からやり直し!」
「はい、先生」

ああ、目が回りそう……。

エルザが生まれたヴァレンティーナ侯爵家は伝統ある名家で長い歴史の中で王妃を二人輩出していた。当然のようにエルザも王妃候補の一人として小さい頃から厳しい王妃教育を受けながら育った。

語学、ダンス、楽器、礼儀作法など過密なスケジュールにエルザは毎回根を上げそうになっていた。それでも名家に生まれたエルザにレースから降りることなど許されるはずもなかった。

エルザには姉が一人いたが後継だったため婿を取ることになっていた。それでエルザが王太子妃として選ばれるための過酷なレースに参加させられていた。

そんな息苦しい日々に一点の明かりを灯してくれた人がいた。

「エルザお嬢様。ただいま靴職人のグレイが到着しました」
「すぐに私の部屋に通して頂戴!」

執事ノアの知らせにエルザはわくわくした。評判の靴職人グレイがやってきたのだ。

貴族令嬢の間でグレイの作る靴は洒落ていて履きやすいと評判だった。グレイはとても腕がよく靴職人として18という若さですでに独立していた。母がその話を聞きつけある日エルザの靴を新調するタイミングに合わせグレイと引き合わせてくれたのだ。

「お初にお目にかかります。グレイ・コブルです」

そう言ってグレイは丁重に礼をした。

綺麗な顔……

それがエルザが抱いたグレイへの第一印象だった。

「お嬢様。右足をここに置いてください」

椅子に腰掛けたエルザは足元に置かれているクッションに右足を置いた。エルザの前で膝を折っているグレイはエルザの右足から靴を脱がせた。

グレイの長く形のいい指はあたたかかった。

エルザは一瞬どきりとした。男性に足を触れられるなど慣れていなかったエルザは足を触れられるたびに心臓がズクンとうずいた。薄い絹の布でエルザの足を包みながらグレイは足の状態を確認し始めた。

恥ずかしいけれど気になってエルザはグレイをちらと見た。艶のある栗毛色の髪。すっと通った鼻筋に長いまつ毛が紺色の瞳に影を落とし真剣な顔が格好良く見えた。

エルザは内心どきどきしながらグレイの触診が終わるのを待った。グレイは専用の計測器で左足まで確認した後こう言った。

「全体的に右足の方が少し大きいようですが、それに比べて靴のサイズが少し小さすぎるようです。いつも右足が痛んでいませんか?」

エルザは思わず声を上げた。

「そうなんです!いつも右足が痛んで。左は大丈夫なのにどうしてだろうと思っていました」

エルザの言葉にグレイは「やはり」と呟き、

「お嬢様に合うように右足には少し大きめの靴をお作りいたしましょう」

と微笑んだ。エルザはグレイに見とれた。もう恋に落ちていた。


しかもグレイの腕前は本物だった。グレイが届けてくれた靴は皮の靴底で全体がピンクのベルベットで仕立てられており、甲の部分に付けられた藤色のサテンのリボンが金糸の刺繍にとても映えていた。まだ十代のエルザに合うように可愛らしい色とデザインであまりの素敵さにエルザは胸が高鳴った。

そっと靴に爪先を入れるとすっと奥まで足が通った。エルザは両足とも靴を履いて数歩ダンスを踊ってみた。

「痛くないわ……!」

履くとこれまで痛くてダンスが苦痛だったのに、全く右足が痛まず、そればかりでなく疲れにくくもあった。

快適な履き心地に背中に羽をもらったように心が跳ねた。エルザは母に頼んで毎回靴をグレイに作ってもらうようになった。

愛してる。
グレイ、愛してる。

エルザは足の触診をしてもらいながら毎回グレイを見つめそう念じた。

そうして回を重ねるうちにグレイがエルザの熱い視線に気づいてくれた。

エルザが14になった日。

「かわいいエルザ。僕と結婚して欲しい」

グレイはエルザの手を握りそうプロポーズをした。

エルザは有頂天になった。恋に恋するまだ幼い少女だった。

「実は好きな人がいるの。私、グレイのお嫁さんになりたい」

ある日意を決して父と母にグレイと結婚したいと申し出た。

「は?何を馬鹿なことを言っているんだ?グレイは平民なんだぞ?結婚など絶対にありえん!」
「エルザ、冷静になって考え直しなさい」

両親は大反対した。エルザを激しく叱責し今すぐ別れろと毎日のようにエルザにきつく詰め寄った。そして靴職人が交代されグレイをもう家に呼んでもらえなくなった。

エルザは毎日泣いた。そしてグレイに会えないことに耐えられなくなり両親に直談判した。

「私グレイを愛してるの!このまま会えないと死んでしまうわ!」

母はひどく思い詰めている娘に一瞬同情を見せたが父は激怒した。

「王太子妃にするためにどれだけお金を注ぎ込んで教育してきたと思っているんだ!?こんなに聞き分けのない娘はもういらん!もう勘当だ!出て行け!」
「お父様、そんなこと言わないで。エルザは少し恋に夢中になりすぎているだけですわ」
「そうですよ、あなた。グレイにしばらく会わなければそのうち忘れるはずですわ」

大好きな姉のミランダと母が引き止めようとしてくれたが愛に盲目になっていたエルザはとうとう屋敷を飛び出した。

「グレイ。反対されて屋敷を出てきたの。でも私はあなたと一緒にいたいの」

グレイは最初目を丸くして驚いていたが、

「いいよ、一緒に暮らそう」

そう言ってエルザを受け止めた。

こうしてエルザは屋敷から離れた小さな村でグレイと一緒になった。





それから一年。小さな木の家でエルザは愛しい夫グレイとつつましく暮らしていた。夫婦の間に何も問題はないとエルザは思っていた。

「グレイ、グレイどこなの?」

朝起きても夫の姿が見えずエルザは家の隣にある小さな工房をのぞきに行った。昨日「この靴仕上げたいから先に寝てて」とグレイが言うのでエルザは先に眠ったのだった。

だがそこにも夫の姿はなかった。しばらく周辺を探したあとエルザは食卓の上に置かれた一枚の手紙を見つけた。

エルザは嫌な予感がして手紙を開いた。その手紙に書かれていたのはただ一言。

『ごめん』

それだけだった。確かにグレイの筆跡だった。

何がごめんなの?
私に何か不満があったの?

お料理も洗濯も一生懸命村の人に教えてもらって覚えたわ。
無理な注文を受けた時、夜通しあなたの手伝いだってしたわ。

どんなに考えてもエルザには原因が全く思い当たらなかった。

もしかしたら何か私に言えない事件に巻き込まれているのかもしれない。
だったら助けないと──!

そう思ったエルザは夫を探すことにした。




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