25 / 26
Ep.2-20
「ヴィ──」
アレクが驚愕の目を向ける。
「何をしている、ヴィヴィアン!??」
ヴィヴィアンは激痛に耐えながら、うろたえているジェハスを睨んだ。
無理やり手籠にされそうになった時、かけたのは身代わり人形の呪文、そしてもう一つは。
「あなたには……ゴールダー家最大の禁呪:”破滅の呪い”をかけておいたのよ」
胸に突き立てたナイフを震える両手でつかみながら、ヴィヴィアンは声を振り絞って、呪いを完成へと導く古代魔語を詠唱した。
Krai'sel meru-thal:「咎ある魂よ、裁かれよ」
kar'dren ifen vel:「刃よ、今こそ契約を穿て」
一瞬、ジェハスの胸に赤い閃光がきらめいた。
ブシュウッ!!
突如、ジェハスの胸から血が吹き出した。
「ぐあああ!!」
剣も銃弾もものともしない強靭な肉体が、内側から破られた。
ジェハスの手から槍が落ちた。ジェハスは心臓を押さえ、引き裂かれる痛みに悶絶している。
これはゴールダー家に伝わる秘技である。
自分の心臓に刃を突き立てることで、呪った相手の心臓を確実に切り裂くという魔法だ。
その代償として、魔女本人が命を落とす危険性があったが、ヴィヴィアンはジェハス打倒のため、その身を差し出したのだ。
「俺を……愛すると、言ったはずじゃ……」
ジェハスは初めて心から愛した女に裏切られ、呆然としている。
「魔道は我がゴールダー家の誇り。それを軽んじたお前を、私が愛するはずないじゃない!!」
ジェハスはもうすぐ消えかかっている命を前に、失恋とはこういう気持ちなのかと、ぼんやり考えていた。
愛されないのは、自業自得だったのかと。
「アレク……今よ!!」
「ヴィヴィアン、傷の手当てを!」
アレクはヴィヴィアンを一刻も早く助けたかった。だがヴィヴィアンは言った。
「お願い、みんなの未来のために……」
痛みで食いしばっているヴィヴィアンの口から、鮮血が一筋流れ落ちた。
ヴィヴィアンは身を挺してジェハスに傷を負わせてくれたのだ。
アレクは覚悟を決めたヴィヴィアンの目を見て、振り切るような思いで、ジェハスの噴き出る血をしたたるほど布にしみこませ、松明の火であぶってみせた。
「血が燃えない!?」
聴衆も、兵士たちも、目を疑った。
ほんの少し火を近づけただけでも、王の血筋のものなら、血が発火するはずだった。そのことは、みなにも知れ渡っている常識だった。
「みんな見たか!?ジェハスの血は燃えない!偽王なんだ!!!」
ジェハスは出血と失恋のショックでぼんやりとした頭で「偽王?誰が?」とつぶやいた。自分の出生の秘密をジェハスは母から知らされていなかった。
アレクの言葉に聴衆は地がうなるほどの怒号を発した。
「偽王?先王の子じゃなかったのか!」
「なんだって!?あいつのせいで俺たちが今までどれだけ大変な目にあったことか!」
「そうだ、いつもいつもいばりやがってこの偽物が!!」
これまでの圧政で恨みを募らせていた人々は、最大の裏切りについにブチ切れ、壇上に駆け上がって次々とジェハスを殴り始めた。
ついに破滅の時がきた。
ジェハスは最後は民衆の手で葬られた。
「やっと、やっと倒せた」
「ヴィヴィアン!!」
アレクは倒れかけたヴィヴィアンを抱き止めた。
胸に刺さったナイフが痛ましい。
「なんでこんな無茶なことを……」
アレクの目から大粒の涙がいくつも落ちた。
「アレク……ゴールダー家の魔女には……心臓がふたつあるの」
「えっ」
ヴィヴァンは驚くアレクに魔女の秘密を明かした。
「二つの心臓が魔力の源なの。私はもう魔女の力を失ったわ。でも、一つがダメになっても、もしかしたら、命だけは──」
ここまで言って、ヴィヴィアンはがくりと気を失った。
「早くヴィヴィアン様を治療院へ!!」
アーシャがヴィヴァンの元へ駆けつけた。
「僕が運びます!」
アレクはヴィヴィアンを抱き抱えて、偽王さわぎで興奮気味の民衆の間をぬけ、走り出した。
「アーシャ様、ヴィヴィアンは言っていました。ゴールダー家の魔女には心臓が二つあると」
「まあ!では一つがダメでももう一つが残っていれば助かる可能性があるということですね!?」
察しのいいアーシャは、治療院の祖父や医師たちにテキパキと指示を出した。
「アレク様、祈りましょう。祖父たちがきっと助けてくれるはずです」
ヴィヴィアンは虫の息だった。
アーシャの祖父がヴィヴィアンのナイフの傷を触診したが、傷の下にあると言う二つ目の心臓の脈は止まっていた。
「このまま何もしなければ死んでしまうだろう。とにかく胸を開いて処置するしかない」
アーシャの祖父は帝王切開も任される名医だった。
魔女の血は輸血ができない。失敗したら終わりだ。
「始めよう」
助手たちがアーシャの祖父にてきぱきと器具を渡していく。
ヴィヴィアンの胸が切開され、心臓が姿を現した。
どくどく脈打つ心臓の隣に、灰色に石化した心臓がつながっている。
「片方の心臓が石のように固くなっている。その周りの臓器も石化しはじめている。原因の石化した心臓を取り除けば助かるかもしれない。摘出するぞ」
アーシャの祖父の額に汗がにじむ。
手術は暗くなるまで続いた。
ヴィヴィアンはうっすらと暗い森の中にいた。
歩いても歩いても、出口が見つからない。
不安でたまらなくなったとき、”ヴィヴィアン”と誰かが呼ぶ声がした。
そっちに行ってもいいのだろうか?
ヴィヴィアンの目の前に深い川が横たわっている。
どこまでも黒く、一歩でも踏み込むと、地の底に飲み込まれてしまいそうだった。
怖い……!
ヴィヴィアンが躊躇していると、後ろからヴィヴィアンの背中を押す手が次々と現れた。
”行きなさい”
ゴールダー家の歴代魔女たちの手だった。
”まだこっちにきてはダメ。あなたは生きるのよ。命の限りに”
亡くなった魔女だった祖母の声が聞こえた気がした。
おばあ様、と呼ぼうとしたとき、たくさんの魔女の手によって、ヴィヴィアンは川を越え向こう岸へと押し出された。
”ヴィヴィアン”
目の前に誰かが立っていた。
ヴィヴィアンを呼んだその人は────
ヴィヴィアンが光を感じて目を開けると、目の前にスカイブルーの瞳があった。
「アレク……私……」
「助かったんだよ。すべて終わったんだ、ヴィヴィアン」
治療院のベッドに横たわっているヴィヴィアンの手を硬く握りしめ、目を潤ませながら、アレクは言った。
王宮初の心臓摘出手術は、名医であるアーシャの祖父によって無事成功したのだ。
さっきの森の出来事は夢だったのか。
死の淵から、魔女たちの魂と、アレクの想いがヴィイヴァンをこの世へと引き戻してくれたのだ。
「私、さっきまで夢を見てた。私たち、やっと一緒になれるのね?」
「待たせてごめん」
アレクは柔らかくほほえんだ。
ヴィヴィアンの頬にとめどなく涙が伝う。
長い道のりだったような、一瞬で過ぎ去ったような、不思議な感慨がヴィヴィアンの胸に去来した。
アレクがヴィヴィアンの頬を包み込んで言った。
「もう、離さないから。僕と結婚しよう」
ふたりは見つめあった。
互いに目は涙で濡れて、朝日を受け、宝石のようにきらきら輝いている。
「ヴィヴィアン」
「アレク」
引き合うように、確かめ合うように、ふたりはそっと、唇を重ねた。
アレクが驚愕の目を向ける。
「何をしている、ヴィヴィアン!??」
ヴィヴィアンは激痛に耐えながら、うろたえているジェハスを睨んだ。
無理やり手籠にされそうになった時、かけたのは身代わり人形の呪文、そしてもう一つは。
「あなたには……ゴールダー家最大の禁呪:”破滅の呪い”をかけておいたのよ」
胸に突き立てたナイフを震える両手でつかみながら、ヴィヴィアンは声を振り絞って、呪いを完成へと導く古代魔語を詠唱した。
Krai'sel meru-thal:「咎ある魂よ、裁かれよ」
kar'dren ifen vel:「刃よ、今こそ契約を穿て」
一瞬、ジェハスの胸に赤い閃光がきらめいた。
ブシュウッ!!
突如、ジェハスの胸から血が吹き出した。
「ぐあああ!!」
剣も銃弾もものともしない強靭な肉体が、内側から破られた。
ジェハスの手から槍が落ちた。ジェハスは心臓を押さえ、引き裂かれる痛みに悶絶している。
これはゴールダー家に伝わる秘技である。
自分の心臓に刃を突き立てることで、呪った相手の心臓を確実に切り裂くという魔法だ。
その代償として、魔女本人が命を落とす危険性があったが、ヴィヴィアンはジェハス打倒のため、その身を差し出したのだ。
「俺を……愛すると、言ったはずじゃ……」
ジェハスは初めて心から愛した女に裏切られ、呆然としている。
「魔道は我がゴールダー家の誇り。それを軽んじたお前を、私が愛するはずないじゃない!!」
ジェハスはもうすぐ消えかかっている命を前に、失恋とはこういう気持ちなのかと、ぼんやり考えていた。
愛されないのは、自業自得だったのかと。
「アレク……今よ!!」
「ヴィヴィアン、傷の手当てを!」
アレクはヴィヴィアンを一刻も早く助けたかった。だがヴィヴィアンは言った。
「お願い、みんなの未来のために……」
痛みで食いしばっているヴィヴィアンの口から、鮮血が一筋流れ落ちた。
ヴィヴィアンは身を挺してジェハスに傷を負わせてくれたのだ。
アレクは覚悟を決めたヴィヴィアンの目を見て、振り切るような思いで、ジェハスの噴き出る血をしたたるほど布にしみこませ、松明の火であぶってみせた。
「血が燃えない!?」
聴衆も、兵士たちも、目を疑った。
ほんの少し火を近づけただけでも、王の血筋のものなら、血が発火するはずだった。そのことは、みなにも知れ渡っている常識だった。
「みんな見たか!?ジェハスの血は燃えない!偽王なんだ!!!」
ジェハスは出血と失恋のショックでぼんやりとした頭で「偽王?誰が?」とつぶやいた。自分の出生の秘密をジェハスは母から知らされていなかった。
アレクの言葉に聴衆は地がうなるほどの怒号を発した。
「偽王?先王の子じゃなかったのか!」
「なんだって!?あいつのせいで俺たちが今までどれだけ大変な目にあったことか!」
「そうだ、いつもいつもいばりやがってこの偽物が!!」
これまでの圧政で恨みを募らせていた人々は、最大の裏切りについにブチ切れ、壇上に駆け上がって次々とジェハスを殴り始めた。
ついに破滅の時がきた。
ジェハスは最後は民衆の手で葬られた。
「やっと、やっと倒せた」
「ヴィヴィアン!!」
アレクは倒れかけたヴィヴィアンを抱き止めた。
胸に刺さったナイフが痛ましい。
「なんでこんな無茶なことを……」
アレクの目から大粒の涙がいくつも落ちた。
「アレク……ゴールダー家の魔女には……心臓がふたつあるの」
「えっ」
ヴィヴァンは驚くアレクに魔女の秘密を明かした。
「二つの心臓が魔力の源なの。私はもう魔女の力を失ったわ。でも、一つがダメになっても、もしかしたら、命だけは──」
ここまで言って、ヴィヴィアンはがくりと気を失った。
「早くヴィヴィアン様を治療院へ!!」
アーシャがヴィヴァンの元へ駆けつけた。
「僕が運びます!」
アレクはヴィヴィアンを抱き抱えて、偽王さわぎで興奮気味の民衆の間をぬけ、走り出した。
「アーシャ様、ヴィヴィアンは言っていました。ゴールダー家の魔女には心臓が二つあると」
「まあ!では一つがダメでももう一つが残っていれば助かる可能性があるということですね!?」
察しのいいアーシャは、治療院の祖父や医師たちにテキパキと指示を出した。
「アレク様、祈りましょう。祖父たちがきっと助けてくれるはずです」
ヴィヴィアンは虫の息だった。
アーシャの祖父がヴィヴィアンのナイフの傷を触診したが、傷の下にあると言う二つ目の心臓の脈は止まっていた。
「このまま何もしなければ死んでしまうだろう。とにかく胸を開いて処置するしかない」
アーシャの祖父は帝王切開も任される名医だった。
魔女の血は輸血ができない。失敗したら終わりだ。
「始めよう」
助手たちがアーシャの祖父にてきぱきと器具を渡していく。
ヴィヴィアンの胸が切開され、心臓が姿を現した。
どくどく脈打つ心臓の隣に、灰色に石化した心臓がつながっている。
「片方の心臓が石のように固くなっている。その周りの臓器も石化しはじめている。原因の石化した心臓を取り除けば助かるかもしれない。摘出するぞ」
アーシャの祖父の額に汗がにじむ。
手術は暗くなるまで続いた。
ヴィヴィアンはうっすらと暗い森の中にいた。
歩いても歩いても、出口が見つからない。
不安でたまらなくなったとき、”ヴィヴィアン”と誰かが呼ぶ声がした。
そっちに行ってもいいのだろうか?
ヴィヴィアンの目の前に深い川が横たわっている。
どこまでも黒く、一歩でも踏み込むと、地の底に飲み込まれてしまいそうだった。
怖い……!
ヴィヴィアンが躊躇していると、後ろからヴィヴィアンの背中を押す手が次々と現れた。
”行きなさい”
ゴールダー家の歴代魔女たちの手だった。
”まだこっちにきてはダメ。あなたは生きるのよ。命の限りに”
亡くなった魔女だった祖母の声が聞こえた気がした。
おばあ様、と呼ぼうとしたとき、たくさんの魔女の手によって、ヴィヴィアンは川を越え向こう岸へと押し出された。
”ヴィヴィアン”
目の前に誰かが立っていた。
ヴィヴィアンを呼んだその人は────
ヴィヴィアンが光を感じて目を開けると、目の前にスカイブルーの瞳があった。
「アレク……私……」
「助かったんだよ。すべて終わったんだ、ヴィヴィアン」
治療院のベッドに横たわっているヴィヴィアンの手を硬く握りしめ、目を潤ませながら、アレクは言った。
王宮初の心臓摘出手術は、名医であるアーシャの祖父によって無事成功したのだ。
さっきの森の出来事は夢だったのか。
死の淵から、魔女たちの魂と、アレクの想いがヴィイヴァンをこの世へと引き戻してくれたのだ。
「私、さっきまで夢を見てた。私たち、やっと一緒になれるのね?」
「待たせてごめん」
アレクは柔らかくほほえんだ。
ヴィヴィアンの頬にとめどなく涙が伝う。
長い道のりだったような、一瞬で過ぎ去ったような、不思議な感慨がヴィヴィアンの胸に去来した。
アレクがヴィヴィアンの頬を包み込んで言った。
「もう、離さないから。僕と結婚しよう」
ふたりは見つめあった。
互いに目は涙で濡れて、朝日を受け、宝石のようにきらきら輝いている。
「ヴィヴィアン」
「アレク」
引き合うように、確かめ合うように、ふたりはそっと、唇を重ねた。
あなたにおすすめの小説
【完結】私を裏切った不倫夫に「どなたですか?」と微笑むまで 〜没落令嬢の復讐劇〜
恋せよ恋
恋愛
「早くあんな女と別れて、可愛い子と一緒になりたいよ」
不倫中の夫が笑う声を聞き、絶望の中で事故に遭うジェシカ。
結婚五年目に授かったお腹の子を失った彼女は、
「記憶を失ったフリ」で夫と地獄の婚家を捨てることを決意。
元男爵令嬢の薄幸ヒロインは、修道院で静かに時を過ごす。
独り身領主の三歳の男の子に懐かれ、なぜか領主まで登場!
無実の罪をなすりつけ、私を使い潰した報いを受けなさい。
記憶喪失を装った没落令嬢による、「ざまぁ」が幕を開ける!
※本作品には、馬車事故による流産の描写が含まれます。
苦手な方はご注意ください。主人公が絶対に幸せになる
物語ですので、安心してお読みいただければ幸いです。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。
四季
恋愛
明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。
「奇遇ですね。私の婚約者と同じ名前だ」
もちもちほっぺ
恋愛
侯爵家の令嬢リリエット・クラウゼヴィッツは、伯爵家の嫡男クラウディオ・ヴェステンベルクと婚約する。しかし、クラウディオは婚約に反発し、彼女に冷淡な態度を取り続ける。
学園に入学しても、彼は周囲とはそつなく交流しながら、リリエットにだけは冷たいままだった。そんな折、クラウディオの妹セシルの誘いで茶会に参加し、そこで新たな交流を楽しむ。そして、ある子爵子息が立ち上げた商会の服をまとい、いつもとは違う姿で社交界に出席することになる。
その夜会でクラウディオは彼女を別人と勘違いし、初めて優しく接する。
ベールを上げた新郎は『君じゃない』と叫んだ
ハートリオ
恋愛
結婚式で新郎に『君じゃない』と叫ばれたのはウィオラ。
スピーナ子爵家の次女。
どうやら新郎が結婚する積りだったのは姉のリリウム。
ウィオラはいつも『じゃない方』
認められない、
選ばれない…
そんなウィオラは――
中世ヨーロッパ風異世界でのお話です。
よろしくお願いします。
幼馴染が最優先な婚約者など、私の人生には不要です。
たると
恋愛
シュタイン伯爵家の長女エルゼは、公爵子息フィリップに恋をしていた。
彼の婚約者として選ばれた時は涙を流して喜んだが、その喜びもいまは遠い。
『君は一人でも大丈夫だろう。この埋め合わせは必ずする。愛している』
「……『愛している』、ですか」
いつも幼馴染を優先するアルベルトに、恋心はすっかり冷めてしまった。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
手放したくない理由
もちもちほっぺ
恋愛
公爵令嬢エリスと王太子アドリアンの婚約は、互いに「務め」として受け入れたものだった。貴族として、国のために結ばれる。
しかし、王太子が何かと幼馴染のレイナを優先し、社交界でも「王太子妃にふさわしいのは彼女では?」と囁かれる中、エリスは淡々と「それならば、私は不要では?」と考える。そして、自ら婚約解消を申し出る。
話し合いの場で、王妃が「辛い思いをさせてしまってごめんなさいね」と声をかけるが、エリスは本当にまったく辛くなかったため、きょとんとする。その様子を見た周囲は困惑し、
「……王太子への愛は芽生えていなかったのですか?」
と問うが、エリスは「愛?」と首を傾げる。
同時に、婚約解消に動揺したアドリアンにも、側近たちが「殿下はレイナ嬢に恋をしていたのでは?」と問いかける。しかし、彼もまた「恋……?」と首を傾げる。
大人たちは、その光景を見て、教育の偏りを大いに後悔することになる。