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18 第二の視察デート
明るい顔で視察から帰ったセドリックが「カシム遺跡の視察にアミアン様をお連れしたい」と進言してきた時には、王妃は母として舞い上がるほどの喜びを感じていた。
シャーウッド公爵!
あなたの計画がうまくいったようですわよ……!
王妃は国王から王族たちの視察の采配を任されていたので、二つ返事で了承した。
陽光が白く降り注ぐ、古代の聖域『カシム遺跡』。セドリックとアミアンは、遺跡研究の第一人者であるカニンガム伯爵の熱心な解説に耳を傾けながら、回廊を歩いていた。
「この拝殿は神に祈りを捧げる場であると同時に、婚姻を結ぶ聖なる場でもあったと伝えられています」
伯爵が杖で示した先を見てアミアンは思わず足を止めた。ところどころ欠け蔦に覆われた石柱が整然と並んでいる。自分たち以外の気配はなく、悠久の時の間に迷い込んだような錯覚に陥った。
「ここで一体どんな婚礼が行われたのでしょうね……。古代のロマンを感じますわ」
アミアンがしみじみと呟くと、隣に立つセドリックが慈しむように柱の一角を見つめた。
「アミアン様。あの柱のレリーフをご覧になってください」
セドリックが指差したのは、石柱の基部に彫られた鮮明な花模様だった。アミアンは思わず顔を近づけ、歓喜の声を上げた。
「まあ……! 私、この可憐な花模様、大好きですわ。まるで風に揺れているようです」
「あれは幸せを運ぶ『レノウの星』と呼ばれる花です。古代、海を越えて貿易を行っていたレノウ王国から伝えられた花を、当時の石工が異国への憧れを込めて刻んだと言われているんですよ」
セドリックの澱みのない解説に、アミアンは感銘を受けたように頬を上気させた。
「素敵な逸話ですわ。 殿下、古代史にもとてもお詳しいのね。私も遺跡が好きですけれど、存じませんでしたわ」
「い、いえ、本で読んだだけの知識ですから……」
照れて視線を泳がせるセドリックだったが、その表情には誰にも理解されなかった孤独な趣味が、最も大切に思う女性に受け入れられた喜びが滲んでいた。
さらにアミアンが一段高い祭壇の跡へ足を踏み出そうとした、その時。 長年の風化で砕けていた床の凹凸に、アミアンの靴の踵が取られた。
「あ……!」
身体が不自然に傾く。しかし、地面を打つ衝撃は訪れなかった。 とっさに伸ばされた腕が、アミアンの腰と手をしっかりと支えたからだ。
「……大丈夫ですか!」
「──!」
至近距離で見つめ合う二人。アミアンは心臓が鷲掴みにされ、言葉が出なかった。
セドリックの指先は意外にも力強く、驚くほど温かかった。まだ雪が溶け残っているこの地の寒さを解きほぐすようなぬくもりだった。
自然と重なった手のひらに今更気づいたセドリックは慌てて手をアミアンから離した。
「し、失礼しました、アミアン様」
「い、いえ……助けてくださり、ありがとうございました」
恥じらい囁くような声でアミアンが礼を言った。セドリックは自分の心臓の音がアミアンに聞こえてしまうのではないかと思うほど、激しく胸を高鳴らせていた。
視察の後、セドリックは勇気を出してアミアンを王宮の自室に招いた。二人で紅茶を飲んだ後、セドリックはソファからおもむろに立ち上がった。
「実は、アミアン様にお聞かせしたい曲があるんです」
「まあ」
思わぬ贈り物に微笑んだアミアンをちらっと見た後、セドリックは中央に置かれたグランドピアノの前に座った。
「僕の視察にお付き合いくださったお礼です」
そう言って、鍵盤に置いた指を滑らかに動かし始めた。
それは美しい音が重なり合う、儚く胸に迫る旋律だった。セドリックは恥ずかしがり屋で人前で引くことを避けていたため知る者は少ないが、音楽の師がうなるほどのピアノの名手であった。
繊細でときに力強く、日頃のセドリックからは想起できないほど、その旋律は饒舌だった。
この曲はセドリックが密かにアミアンを想って書いた曲だった。何かしらその想いがアミアンに伝わったのか、その旋律はアミアンの心を激しく揺さぶった。
これまでの悲しみ、絶望、不安、希望。これらがないまぜになった感情が心に溢れていた。
いつの間にかアミアンの頬に光るものが伝っていた。
セドリックはピアノを弾き終えると、アミアンにそっとハンカチを差し出した。
「申し訳ございません。すばらしすぎて──」
「あ、ありがとうございます」
アミアンに褒められてセドリックは頬を染めた。
「殿下のピアノを聴いていますと、私、生きていてよかったと……そう思えたのですわ」
セドリックもアミアンの抱えてきた複雑な事情は聞き及んでいた。『生きていてよかった』……その言葉には、アミアンの辛い過去を乗り越えてきた健気さが滲み出ていた。
はらはらと流れる涙に濡れた瞳をセドリックはもう放っては置けなかった。
セドリックはアミアンの前にひざまずき、その手を取った。アミアンはわずかに目を見開いたが、そのまま何も言わず、静かにセドリックの瞳を見つめた。
セドリックは壊れ物に触れるような手つきで、アミアンの指先にそっと唇を寄せた。アミアンの手の甲に直接セドリックの唇は触れていない。そこに込められたのは、欲望ではなく純粋な敬愛だった。
殿下……。
アミアンはこの純朴なセドリックと共にいられるだけで満ち足りた幸せを感じていた。
もっと殿下と一緒にいたい。
アミアンはセドリックを愛し始めていた。
シャーウッド公爵!
あなたの計画がうまくいったようですわよ……!
王妃は国王から王族たちの視察の采配を任されていたので、二つ返事で了承した。
陽光が白く降り注ぐ、古代の聖域『カシム遺跡』。セドリックとアミアンは、遺跡研究の第一人者であるカニンガム伯爵の熱心な解説に耳を傾けながら、回廊を歩いていた。
「この拝殿は神に祈りを捧げる場であると同時に、婚姻を結ぶ聖なる場でもあったと伝えられています」
伯爵が杖で示した先を見てアミアンは思わず足を止めた。ところどころ欠け蔦に覆われた石柱が整然と並んでいる。自分たち以外の気配はなく、悠久の時の間に迷い込んだような錯覚に陥った。
「ここで一体どんな婚礼が行われたのでしょうね……。古代のロマンを感じますわ」
アミアンがしみじみと呟くと、隣に立つセドリックが慈しむように柱の一角を見つめた。
「アミアン様。あの柱のレリーフをご覧になってください」
セドリックが指差したのは、石柱の基部に彫られた鮮明な花模様だった。アミアンは思わず顔を近づけ、歓喜の声を上げた。
「まあ……! 私、この可憐な花模様、大好きですわ。まるで風に揺れているようです」
「あれは幸せを運ぶ『レノウの星』と呼ばれる花です。古代、海を越えて貿易を行っていたレノウ王国から伝えられた花を、当時の石工が異国への憧れを込めて刻んだと言われているんですよ」
セドリックの澱みのない解説に、アミアンは感銘を受けたように頬を上気させた。
「素敵な逸話ですわ。 殿下、古代史にもとてもお詳しいのね。私も遺跡が好きですけれど、存じませんでしたわ」
「い、いえ、本で読んだだけの知識ですから……」
照れて視線を泳がせるセドリックだったが、その表情には誰にも理解されなかった孤独な趣味が、最も大切に思う女性に受け入れられた喜びが滲んでいた。
さらにアミアンが一段高い祭壇の跡へ足を踏み出そうとした、その時。 長年の風化で砕けていた床の凹凸に、アミアンの靴の踵が取られた。
「あ……!」
身体が不自然に傾く。しかし、地面を打つ衝撃は訪れなかった。 とっさに伸ばされた腕が、アミアンの腰と手をしっかりと支えたからだ。
「……大丈夫ですか!」
「──!」
至近距離で見つめ合う二人。アミアンは心臓が鷲掴みにされ、言葉が出なかった。
セドリックの指先は意外にも力強く、驚くほど温かかった。まだ雪が溶け残っているこの地の寒さを解きほぐすようなぬくもりだった。
自然と重なった手のひらに今更気づいたセドリックは慌てて手をアミアンから離した。
「し、失礼しました、アミアン様」
「い、いえ……助けてくださり、ありがとうございました」
恥じらい囁くような声でアミアンが礼を言った。セドリックは自分の心臓の音がアミアンに聞こえてしまうのではないかと思うほど、激しく胸を高鳴らせていた。
視察の後、セドリックは勇気を出してアミアンを王宮の自室に招いた。二人で紅茶を飲んだ後、セドリックはソファからおもむろに立ち上がった。
「実は、アミアン様にお聞かせしたい曲があるんです」
「まあ」
思わぬ贈り物に微笑んだアミアンをちらっと見た後、セドリックは中央に置かれたグランドピアノの前に座った。
「僕の視察にお付き合いくださったお礼です」
そう言って、鍵盤に置いた指を滑らかに動かし始めた。
それは美しい音が重なり合う、儚く胸に迫る旋律だった。セドリックは恥ずかしがり屋で人前で引くことを避けていたため知る者は少ないが、音楽の師がうなるほどのピアノの名手であった。
繊細でときに力強く、日頃のセドリックからは想起できないほど、その旋律は饒舌だった。
この曲はセドリックが密かにアミアンを想って書いた曲だった。何かしらその想いがアミアンに伝わったのか、その旋律はアミアンの心を激しく揺さぶった。
これまでの悲しみ、絶望、不安、希望。これらがないまぜになった感情が心に溢れていた。
いつの間にかアミアンの頬に光るものが伝っていた。
セドリックはピアノを弾き終えると、アミアンにそっとハンカチを差し出した。
「申し訳ございません。すばらしすぎて──」
「あ、ありがとうございます」
アミアンに褒められてセドリックは頬を染めた。
「殿下のピアノを聴いていますと、私、生きていてよかったと……そう思えたのですわ」
セドリックもアミアンの抱えてきた複雑な事情は聞き及んでいた。『生きていてよかった』……その言葉には、アミアンの辛い過去を乗り越えてきた健気さが滲み出ていた。
はらはらと流れる涙に濡れた瞳をセドリックはもう放っては置けなかった。
セドリックはアミアンの前にひざまずき、その手を取った。アミアンはわずかに目を見開いたが、そのまま何も言わず、静かにセドリックの瞳を見つめた。
セドリックは壊れ物に触れるような手つきで、アミアンの指先にそっと唇を寄せた。アミアンの手の甲に直接セドリックの唇は触れていない。そこに込められたのは、欲望ではなく純粋な敬愛だった。
殿下……。
アミアンはこの純朴なセドリックと共にいられるだけで満ち足りた幸せを感じていた。
もっと殿下と一緒にいたい。
アミアンはセドリックを愛し始めていた。
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