裏切ったのはあなたですよね?─湖に沈められ記憶を失った私は、大公女として返り咲き幸せを掴みます

nanahi

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50 最後の仕事

「ブラックウッド大公殿下がお見えになったぞ!!」

その号令は瞬く間に王城に響き渡った。

「え!大公殿下が!?」
「お元気ではないか!誰だ、寝たきりでもう先は短いと言ったのは!」

礼服に身を包み、公爵を従え堂々と回廊を歩く大公は、体こそ痩せているものの、老いてなおみずみずしい威厳を放ち、まさに王者の風格だった。

「ああ……大公殿下に再びお目見えできるとは──!」

感動で涙ぐむ者が多くいた。大公が城に姿を見せたのは、数年ぶりだった。




叔父上を怒らせてしまった──!

王は私室で震えていた。

「王妃よ、私はどうすればいい!」

大公が病をおしてまで登城したのだ。
きっとアミアンへの仕打ちを知り、怒りのあまり私に会いにきたのだ。

「もう私はお終いだ!きっと私を王座から引き摺り下ろすつもりなのだ!」

王は王妃に取りすがった。

「あなた……全て大公に謝るのです」

王は悪評に加担したものの、罪には問われていない。信頼は失墜したが、王位を剥奪されるほどではなかった。 

王妃は神聖な王位を汚した夫を見捨ててはいなかった。悔い改めるよう諭そうと考えていた。

「ブラックウッド大公殿下とシャーウッド公爵がお見えです」

侍従の声に王はびくりと身を震わせた。

「突然の来訪、すまない。陛下」

大公は表情を崩さない。それでも王はすでに恐怖に囚われていた。

見ればわかる。
怒っているのは当然だ。
大公の大事な娘を傷つけてしまったのだから。

確かに大公は怒っていた。ベッドで横たわっている間に耳にした、イザークの件、謂れなき悪評の件、セドリックに会うことを禁じた王命の件、絶望したアミアンの自殺未遂の件。

しかし、大公の胸中には怒りが渦巻いているはずだというのに、その眼差しはどこまでも冷徹で、声音ひとつ乱れることはなかった。

これこそが、この男の真の恐ろしさであった。その氷のような冷静さは、戦時にあれば敵を打ち砕く無比の武器となる。だが平時においては、現王の王位をも容易に脅かす不穏な刃となる。

私はこの男に消される!

王にガタガタと抑えようのない震えが始まった。

「イ、イザークがちょっと先走ったようですが、婚約を前提に付き合っていたのですからどうか大目に──」
「それはもうよい」
「え、では、噂はあの小娘が勝手に流したもので。た、確かに私も少しだけその娘に知恵を貸してしまった節はありますが」

王は大公が何に怒っているのかわからなくなってきた。

大公は答えず王の目を見据え、淡々と告げた。

「陛下に申し上げる。セドリックとアミアンの婚姻を認めてやって欲しい」
「──ぐ!」

王は顔を歪めた。それだけは許せぬと、喉元から怒声が出そうになった時だった。

「私は王位継承権を放棄する」
「は?」

王は予想外の言葉に一瞬、思考が止まった。

今、何と……?

「私が王になることは永遠にない、ということだ。つまり、万が一私自身もしくは他の誰かが私を王位につけようと画策したとしたら、それは反逆罪となる。当然私も処刑対象に含まれる。そうだな、シャーウッド公爵」

大公は念押しのように息子に同意を求めた。

「おっしゃる通りでございます」

さらに大公は続けた。

「婚姻の暁には、私の大公領の半分をセドリック王子殿下に献上つかまつる」
「な!半分を!?」

領土は力だ。それを息子の公爵の継承分を減らし、半分も王家に献上すると言っている。

まだ戸惑っている王の前に、大公はすっと片膝をついた。それに倣うように、公爵はじめ、駆けつけていた貴族の全員が床に沈み臣下の礼をとった。

これが、私がお前にできる最期の手向けだ。

大公は愛娘アミアンの顔を思い浮かべながら、腹に力を込めた。

「我らは陛下に忠誠を誓います。永遠に!」
「永遠に!」

大公の号令に全員の声が呼応した。

大公が私の王位をおびやかすことは二度とない──

ことの全てを見守っていた王妃が静かにうなずいた。王に向けられたその視線は、まるで『これが大公があなたのしでかした幕引きのために準備してくれた最適解です』と諭しているようだった。

王は全身の力が抜け、ようやく全ての息を吐き出した。

長年の恐怖が去った瞬間だった。

もう大公を畏れる必要はない。これからは大公を王位継承権を持たない王族として列することができる。大公派はクーデターを起こす正統な理由ももはや持てなくなるのだ。

「よく言った……」

からからの喉から、王はやっとこの一言を絞り出した。

ただ、この王は忘れていた。

後世、賢王弟セドリックの愛する人を無理矢理引き裂こうと公女を貶めた『愚王』として、歴史にその名を刻まれることを。

これがアミアンを卑劣な罠に陥れた王への代償だった。




それから3日後、大公は眠るようにこの世を去った。

看取ったのは大公に見出され医師となったハンナの父だった。ハンナの父は、起き上がったのが奇跡であるほど大公は衰弱していたと、アミアンと公爵に涙を浮かべながら告げた。

葬儀では、国民のほとんどが参列したと言われるほど、何日も献花の列が絶えなかった。

かつて国を救った英雄。彼が王族として何よりも大事であるはずの王位継承権を放棄したのは、アミアンが彼にもう一度生きる喜びを与えたからだろうと、人々は噂しあった。




「あなた……」

葬儀より前、目を赤くした王妃が執務室で書類と向き合っている王に、大公の逝去を知らせに来た時だった。

「大公が死んだか……そうか……」

ようやく──

王妃が部屋を去った後、王の心にはぽっかりと穴が空いていた。

書類の上にふいにポタポタと涙が落ちた。王の心を占めたのは、勝利への喜びでも、脅威が去った安堵でもなかった。

尽きぬ涙の正体がわからず、しばらく王はペンを握ったまま呆然としていた。

『ロアン。お前なら大丈夫だ。私がついている』

父王が亡くなった日。この国を背負う重圧に押し潰されそうになった自分を力強く励ましてくれた大公の顔が浮かんだ。

叔父上……──!

王はここにきてようやく悟った。

自分が長年抱えてきた大公への畏怖、嫉妬……。

だが、渦巻く暗い感情の一番奥に潜んでいたのは、憧れあこがだったということを──


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