神託農園エルネスタ 〜外れスキル《雑草生成》から始まる、世界の種の物語〜

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第38話「祈りの根を編む夜と、語られぬ約束」

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夜ごとの焚き火に集まる人々が、少しずつ増えてきた。

名前を告げる者は、誰もいない。
ここでは、名はあまりにも脆く、ただの音に過ぎなかった。

けれど火を囲み、静かに座るうちに――
言葉より深い何かが人々の間を行き交っているのを、エルネスタは感じていた。

その晩、焚き火のそばにひとりの若い母親が座っていた。
膝には眠る幼子。
彼女は静かに炎を見つめていたが、やがて囁くように言った。

「この子には……まだ名前がないんです」

エルネスタはそっと頷くだけにした。

母親は少し笑って、また火に視線を戻す。

「名をつけるのが怖いんです。
呼んだその瞬間に、神さまに連れて行かれる気がして……」

彼女の声は小さく震えていた。

名は、存在を証明するもの。
同時に、神に気づかれる“呼び名”でもある。

だから名を持つことは、祝福と恐怖の入り混じる刃だった。

焚き火がぱちりと鳴った。

まるで、火そのものが返事をしたようだった。

母親はそっと幼子を抱き直し、微笑む。

「……でも、この子はもう祈られてるんですね。
名前じゃなくても、ここにいるって、火が教えてくれた気がする」

火は再び揺れ、その光が幼子の顔をそっと撫でた。

エルネスタは思った。

この畑はもう“名前を記録する場所”ではなくなりつつあるのかもしれない。
むしろ――名前さえ要らない祈りを、
ただ優しく抱きとめて土に返す、そんな土地へ変わり始めていた。

その夜遅く。
エルネスタは神枝苗《ネスタリア・コア》のそばに座り、根に手を置いた。

すると、土の奥から静かな感触が返ってきた。

《祈名循環系統:安定》
《非名祈願記録:累積1273件》
《祈名を必要としない祈念層の深化を確認》

名を記さなくても、祈りは生きていた。
むしろ、名に縛られないからこそ息づく想いが、
この農園の土の奥深くで無数に脈打っていた。

「ありがとう……みんながここに残してくれたから、
この土地は今も、まだ祈りを編んでくれてる」

神枝苗はわずかに揺れた。
その葉先が土をくすぐり、小さな芽がまたひとつ顔を出す。

それは無名の花だった。
けれど、そこには確かに“誰かが願った温度”があった。

夜が白み始めるころ、マルタが火の残骸を見つめながら呟いた。

「おぬし、この地はこれからどうなると思う?」

エルネスタは火の名残に目をやった。

「祈りは名前を捨てても、どこかで必ず芽吹く。
名があってもなくても、それを受け止める土さえあれば――」

彼女は神枝苗の根をそっと撫でた。

「この場所はきっと、誰かの“帰る理由”になる。
名を忘れた人も、名を捨てた人も、またここへ戻ってくる」

マルタは短く笑う。

「そうじゃな。
名などいらぬ。
ただ帰ってくる場所さえあれば、それでいいのかもしれぬな」

その言葉に、エルネスタも笑みを返した。

夜明けの光が畑を照らす。
無数の無名花が露をまとい、土から伸びる細い葉がそっと揺れた。

名を呼ばなくても、
祈りを口にしなくても――

それでもここには、確かに“祈りが生きている”という証が、
ひそやかに根を張り続けていた。

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