『初恋令嬢は鈍感すぎて、王太子・騎士団長・学園貴公子の胃を壊す』

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新章・王宮編

第31話:たとえばこの手が、誰かを傷つけるとしても

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 午前十時。王宮内、東庭の奥。
 白百合が咲き誇る静かな回廊の先で、ゼフィリア・リューデルは立ち止まっていた。

 手には、昨日エリオンから渡されたハンカチ。

 けれどその布を握る指は、どこか迷いを含んでいた。

 

(わたしがこの手を誰かに差し出せば、それは、誰かの手を払うことになる)

 

 恋に正解などない。
 でも、“選ばなかった誰か”がいる限り、それは等しく残酷な現実を連れてくる。

 けれども――もう、逃げるわけにはいかなかった。

 

(誰かの想いに応えるということは、誰かの想いに応えられないということ)

 

 その覚悟を、自分で持たなければならない。

 

 だから、彼女はゆっくりと前を向いた。

 彼女の足が向かったのは、騎士団長クラヴィスが訓練を行っているはずの中庭だった。

 

◆ ◆ ◆

 

 剣戟の音が響く。
 稽古場では、若手騎士たちが汗を流していた。

 その中心にいるのは、やはり彼だった。

 クラヴィス・ヴァレンティウス。
 白銀の髪に朝日が反射して、凛とした姿が誰よりも際立っている。

 

 ゼフィリアが近づいた瞬間、彼は気づいたように手を止めた。

 

「……ゼフィリア嬢?」

 

 騎士たちが一斉に礼を取る。ゼフィリアは軽く頭を下げ、クラヴィスを見つめた。

 

「少し、お話できますか?」

 

 その真剣な眼差しに、クラヴィスも静かに頷いた。

 

 二人は訓練場から少し離れた、誰もいない林の小径へ。

 

「……この前、花庭でおっしゃったこと。覚えていますか?」

 

「もちろん。……あれは、真剣な気持ちでした」

 

「はい。だからこそ、きちんとお返事したくて」

 

 ゼフィリアは、手にしていたハンカチをそっと見せる。

 

 クラヴィスの視線が、その白い布に落ちた。

 

「それは……殿下の」

 

「はい。でも、これは――“想い”ではなく、“思い出”です」

 

「……!」

 

 ゼフィリアは、まっすぐ彼を見つめる。

 

「エリオン殿下は、素晴らしい方です。とても優しくて、誠実で、わたしにはもったいないくらいの人」

 

「……」

 

「けれど、わたしがこれから歩く未来の中で、“一緒に悩んでくれる人”が、必要なんです」

 

 クラヴィスの眉がわずかに動く。

 

「殿下のように導いてくれるのではなく、アシュレイ様のように傍で見守るのでもなく――」

 

「……共に、歩む」

 

「はい。クラヴィス様。あなたの不器用で、まっすぐな言葉に、わたしは救われました。
 だから――」

 

 言葉が、少し詰まる。

 けれど、勇気を振り絞って、ゼフィリアは小さく手を差し出した。

 

「わたしでよければ……一緒に歩いてくれませんか?」

 

 風が、林を吹き抜ける。

 クラヴィスはその手を、震える手でそっと握った。

 

「……よろこんで。……何があっても、貴女を守ります」

 

 その言葉は、騎士としての誓いではなかった。

 一人の男としての、真摯な“恋の誓い”だった。

 

◆ ◆ ◆

 

 一方、王宮の書斎。

 エリオンは、報告書を手にしたまま立ち尽くしていた。

 その目には、薄い笑みと、ほんのわずかな陰り。

 

「……選んだのか。あいつを」

 

 背後から、アシュレイがそっと歩み寄る。

 

「殿下……」

 

「なに、わかってたよ。……最初から、俺じゃないんだろうなって」

 

 それでも。

 

「それでも、少しくらいは、期待してたんだ」

 

 その声に、アシュレイはただ黙って隣に立つことしかできなかった。

 

「クラヴィスは、強いな。あいつは“支えたい”って思ったんだろうな。
 俺は……“守りたい”ばかりだった。どこか、対等じゃなかったんだよ」

 

 静かに目を閉じて、彼は微笑んだ。

 

「……いいさ。あの子が笑っていられるなら、それで」

 

 彼のその言葉が本心であることを、アシュレイは誰よりも理解していた。

 そしてまた一人、選ばれなかった“優しさ”がそこにあった。

 

──つづく。

あとがき
ご愛読ありがとうございます!

ついにゼフィリアが“選ぶ”決断をし、恋が一つの形として結ばれました。
けれどその裏には、“選ばれなかった優しさ”が確かに存在していて……。

次回は、新たな関係の始まりと、少しずつ訪れる変化の兆し。
甘さと痛みの余韻が残る“恋のその先”を描きます。
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