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新章・王宮編
第34話:薄明の囁き、蠢く影
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夜が明けた王都は、舞踏会の余韻をまだその街角に残していた。
昨夜の艶やかな装いは姿を消し、石畳の朝靄が王城をゆっくりと包み込んでいる。そんな中、ゼフィリア・リューデルは一人、王妃修業の朝礼へと向かっていた。
(静かだな……)
ここ数日、彼女の周囲は騒がしかった。恋人として正式に発表されたクラヴィスとの関係、舞踏会での所作舞への賛辞、貴族令嬢たちの視線――それらすべてが彼女を取り巻く環境を微妙に変化させていた。
だが今朝の静けさは、逆に胸にひっかかる。
風が止まる前の森のような、妙な不安。
「ゼフィリア様」
控えめな声が彼女の名を呼んだ。声の主はメアリ・ヴェステリア。王妃修業を共にする令嬢の一人であり、時折、ゼフィリアに親しげな視線を向けてくれる存在だった。
「おはようございます。……舞踏会、素敵でしたね」
穏やかに微笑む彼女の笑みはどこか薄氷を張ったような冷たさを孕んでいた。
「……ありがとうございます」
ゼフィリアは、ぎこちなく礼を返す。
気づいていた。最近、メアリを含む令嬢たちの空気がどこか変わり始めていることを。
「わたくし、クラヴィス様のご婚約の報を知ってから、夢を見るのです」
「夢、ですか……?」
「ええ。とても美しい夢。けれど同時に、醜い現実を忘れる夢でもあるのです」
意味深な言葉に、ゼフィリアは返す言葉を見失う。
だがそのとき、メアリの瞳がふっと揺れた。
「貴女は強くなりましたね。昔とは別人のように」
「……そんなふうに、見えますか?」
「ええ。とても。……だから、少しだけ妬ましいのかもしれません」
メアリの言葉は、柔らかく微笑んだままだった。
だがその背後に、もう一人、別の令嬢が現れた。
「メアリ様、時間ですわ」
声の主はカリーナ・エヴァレット。王妃修業生の中でも有力候補と噂されている、老舗名門の令嬢である。
「ゼフィリア様、あなたのご活躍、拝見しておりました。とても……参考になりますわ」
その言葉は礼儀正しかったが、決して好意的とは言えない色が混じっていた。
ゼフィリアはそれを感じ取りながらも、微笑みを崩さなかった。
(何かが、変わってきている)
ただ注目されるだけの立場ではなく、
嫉妬や敵意の“的”として、これから向き合わなければならない。
◆ ◆ ◆
一方、クラヴィス・ヴァレンティウスは、王城の裏庭で訓練を終えたばかりだった。
汗を拭いながら、側近の騎士アデルが近づく。
「団長、最近ゼフィリア嬢に向けられる視線が妙です。何者かが、意図的に情報を流しているようにも思えます」
「情報……?」
「“王妃修業生の中で最も王太子に近しい”という噂が、根拠もなく広まっているのです」
クラヴィスの眉がわずかに動いた。
(それは、明らかに彼女を“標的”にするための話題だ)
「誰がそのような噂を流したか、心当たりはあるのか?」
「王妃修業担当官の周辺から、いくつか名前が挙がっています。内密に調査を」
「頼む」
クラヴィスの声には、怒りではなく、冷静な危機感があった。
(彼女を守るために、傍にいると誓った。ならば、こうした陰も排除せねばならない)
守るとは、剣を振るうだけではない。
影から彼女を覆う黒い手を、確実に払うこと。
◆ ◆ ◆
その夜。ゼフィリアの部屋に、一通の手紙が届けられた。
差出人は不明。
封筒には香料の香りが染み込んでおり、王宮の貴族階級のものであることがわかる。
だが中を開けると、そこにはただ一言。
「貴女の座は、長く続きません」
筆跡は整っていたが、無署名。
ゼフィリアは手紙を握りしめ、冷たい息を吐いた。
(このまま、“巻き込まれる”だけではいけない)
自分を守ってくれる誰かの影に隠れているだけでは、
いずれ“王妃候補”という戦場に立つ資格さえなくしてしまうかもしれない。
「――逃げない。わたしは、ここに立つと決めたから」
その言葉は、部屋の中にしか届かないものだった。
だが確かに、ゼフィリア・リューデルの中で、小さな覚悟が育ち始めていた。
◆ ◆ ◆
そして翌日。
王宮の文官室では、別の動きがあった。
机に広げられた文書に目を通していたのは、アシュレイ・ベレスフォード。
その表情は、いつものように冷静だったが、手元の紙にある名が載っていた瞬間、わずかに表情が動いた。
――ゼフィリア・リューデル、後見人不在。推奨評価:下位
「……これは、誰の手によるものだ」
アシュレイの声は低く、そして静かだった。
彼はゆっくりとその文書をたたみ、立ち上がる。
彼の胸中で、静かに火が灯る。
「私の知る彼女は、“下位”の器ではない」
微熱ではない、確かな“感情”が、
彼の心を揺らし始めていた――。
──つづく。
あとがき
今回は、ゼフィリアの“恋”の先に待ち受ける“王妃候補”としての現実と、
それに伴って起こる人間関係の変化、そして水面下の脅威を描きました。
恋物語の裏で、“政”の影が確実に物語を動かし始めています。
それでもゼフィリアは逃げずに、まっすぐに前を見つめ始めました。
彼女がどのように“自らの居場所”を守り抜いていくのか。
ぜひ、引き続き応援ください。
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昨夜の艶やかな装いは姿を消し、石畳の朝靄が王城をゆっくりと包み込んでいる。そんな中、ゼフィリア・リューデルは一人、王妃修業の朝礼へと向かっていた。
(静かだな……)
ここ数日、彼女の周囲は騒がしかった。恋人として正式に発表されたクラヴィスとの関係、舞踏会での所作舞への賛辞、貴族令嬢たちの視線――それらすべてが彼女を取り巻く環境を微妙に変化させていた。
だが今朝の静けさは、逆に胸にひっかかる。
風が止まる前の森のような、妙な不安。
「ゼフィリア様」
控えめな声が彼女の名を呼んだ。声の主はメアリ・ヴェステリア。王妃修業を共にする令嬢の一人であり、時折、ゼフィリアに親しげな視線を向けてくれる存在だった。
「おはようございます。……舞踏会、素敵でしたね」
穏やかに微笑む彼女の笑みはどこか薄氷を張ったような冷たさを孕んでいた。
「……ありがとうございます」
ゼフィリアは、ぎこちなく礼を返す。
気づいていた。最近、メアリを含む令嬢たちの空気がどこか変わり始めていることを。
「わたくし、クラヴィス様のご婚約の報を知ってから、夢を見るのです」
「夢、ですか……?」
「ええ。とても美しい夢。けれど同時に、醜い現実を忘れる夢でもあるのです」
意味深な言葉に、ゼフィリアは返す言葉を見失う。
だがそのとき、メアリの瞳がふっと揺れた。
「貴女は強くなりましたね。昔とは別人のように」
「……そんなふうに、見えますか?」
「ええ。とても。……だから、少しだけ妬ましいのかもしれません」
メアリの言葉は、柔らかく微笑んだままだった。
だがその背後に、もう一人、別の令嬢が現れた。
「メアリ様、時間ですわ」
声の主はカリーナ・エヴァレット。王妃修業生の中でも有力候補と噂されている、老舗名門の令嬢である。
「ゼフィリア様、あなたのご活躍、拝見しておりました。とても……参考になりますわ」
その言葉は礼儀正しかったが、決して好意的とは言えない色が混じっていた。
ゼフィリアはそれを感じ取りながらも、微笑みを崩さなかった。
(何かが、変わってきている)
ただ注目されるだけの立場ではなく、
嫉妬や敵意の“的”として、これから向き合わなければならない。
◆ ◆ ◆
一方、クラヴィス・ヴァレンティウスは、王城の裏庭で訓練を終えたばかりだった。
汗を拭いながら、側近の騎士アデルが近づく。
「団長、最近ゼフィリア嬢に向けられる視線が妙です。何者かが、意図的に情報を流しているようにも思えます」
「情報……?」
「“王妃修業生の中で最も王太子に近しい”という噂が、根拠もなく広まっているのです」
クラヴィスの眉がわずかに動いた。
(それは、明らかに彼女を“標的”にするための話題だ)
「誰がそのような噂を流したか、心当たりはあるのか?」
「王妃修業担当官の周辺から、いくつか名前が挙がっています。内密に調査を」
「頼む」
クラヴィスの声には、怒りではなく、冷静な危機感があった。
(彼女を守るために、傍にいると誓った。ならば、こうした陰も排除せねばならない)
守るとは、剣を振るうだけではない。
影から彼女を覆う黒い手を、確実に払うこと。
◆ ◆ ◆
その夜。ゼフィリアの部屋に、一通の手紙が届けられた。
差出人は不明。
封筒には香料の香りが染み込んでおり、王宮の貴族階級のものであることがわかる。
だが中を開けると、そこにはただ一言。
「貴女の座は、長く続きません」
筆跡は整っていたが、無署名。
ゼフィリアは手紙を握りしめ、冷たい息を吐いた。
(このまま、“巻き込まれる”だけではいけない)
自分を守ってくれる誰かの影に隠れているだけでは、
いずれ“王妃候補”という戦場に立つ資格さえなくしてしまうかもしれない。
「――逃げない。わたしは、ここに立つと決めたから」
その言葉は、部屋の中にしか届かないものだった。
だが確かに、ゼフィリア・リューデルの中で、小さな覚悟が育ち始めていた。
◆ ◆ ◆
そして翌日。
王宮の文官室では、別の動きがあった。
机に広げられた文書に目を通していたのは、アシュレイ・ベレスフォード。
その表情は、いつものように冷静だったが、手元の紙にある名が載っていた瞬間、わずかに表情が動いた。
――ゼフィリア・リューデル、後見人不在。推奨評価:下位
「……これは、誰の手によるものだ」
アシュレイの声は低く、そして静かだった。
彼はゆっくりとその文書をたたみ、立ち上がる。
彼の胸中で、静かに火が灯る。
「私の知る彼女は、“下位”の器ではない」
微熱ではない、確かな“感情”が、
彼の心を揺らし始めていた――。
──つづく。
あとがき
今回は、ゼフィリアの“恋”の先に待ち受ける“王妃候補”としての現実と、
それに伴って起こる人間関係の変化、そして水面下の脅威を描きました。
恋物語の裏で、“政”の影が確実に物語を動かし始めています。
それでもゼフィリアは逃げずに、まっすぐに前を見つめ始めました。
彼女がどのように“自らの居場所”を守り抜いていくのか。
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