『初恋令嬢は鈍感すぎて、王太子・騎士団長・学園貴公子の胃を壊す』

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新章・王宮編

第37話:沈黙の令嬢、影に囁く

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 静寂の庭園。秋風が落ち葉を攫ってゆく。

 リューデル侯爵家の私邸の中庭。そこに、ゼフィリア・リューデルはひとり佇んでいた。

 晩餐会から一夜明けて、彼女はしばらく公務から身を引いていた。王太子との関係を、意図せず“世間”が勝手に騒ぎ立てていたのだ。良くも悪くも。

 しかし、ゼフィリア自身の心は、嵐の後のように静かだった。

「……風が変わる」

 呟いた声に、返事はない。いや、返事を必要としていなかった。

 彼女の沈黙は、ただの控え目でも、弱さでもない。それは、内に燃える意志と、計り難い“覚悟”の影だった。

「ゼフィリア様、お茶の支度が整いました」

 メイドのアメリアが声をかける。ゼフィリアは、静かにうなずいて踵を返した。

 そう、この静寂の裏では、既に“次の一手”が始まっているのだ。

     ◇ ◇ ◇

 その頃、王宮の一室では、王太子エリオンが書類を読みながら、眉をしかめていた。

「またか……」

 手元には、リューデル家を名指しで揶揄した匿名の風聞書が数通。明らかに誰かが意図的に噂を広めている。

「サビーネか……いや、彼女だけじゃない」

 エリオンの眼差しは冷静だった。

 ゼフィリアが表舞台に出るほどに、“嫉妬”と“思惑”が動く。だが、それは彼女が“本物”になりつつある証拠でもあった。

「エリオン様、件の報告がまとまりました」

 入室してきたのは、クラヴィス副長。彼が差し出した書類には――サビーネと西方大貴族・ル=シュヴァリエ家の密会記録が記されていた。

「外の派閥と手を組む気か……このままだと、ゼフィリアの身が……」

「守るおつもりですか?」

 クラヴィスの問いに、エリオンは書類を閉じる。

「――違う。“支える”んだ。あの人は、もう守られるだけの存在ではない」

     ◇ ◇ ◇

 夕刻、ゼフィリアは密かに一通の書簡を受け取っていた。

 送り主の名前はなかったが、彼女には心当たりがあった。

(リリアーナ・ローゼンハイン……)

 かつての婚約者であり、今や最大の政敵・サビーネの姉。

 そのリリアーナが、“直接話がしたい”と申し出てきたのだ。

 場所は、王都郊外の古い聖堂跡。

 ゼフィリアは同行者を付けず、その場に赴いた。

「リリアーナ様」

 聖堂に差し込む西陽の中、リリアーナは黒衣に身を包んで佇んでいた。

「……あなた、本当に変わったのね」

 その声は、嘲笑でも侮蔑でもなかった。

 リリアーナはゆっくりと歩み寄り、ゼフィリアと正面から向き合う。

「どうして、この私に会いたいと思ったのです?」

「確認しておきたかったの。あなたが、サビーネに“飲み込まれて”いないかどうかを」

 その言葉に、ゼフィリアのまなざしが鋭く光る。

「私は誰にも“飲まれない”。この意志だけは、誰にも明け渡すつもりはありません」

「……ならいいわ。あの子は、私の妹だけれど――破滅を選ぶ気配がある」

 リリアーナの声には、姉としての苦悩がにじんでいた。

「あなたにだけは、サビーネを“倒す権利”がある。だから、私が知る限りの情報を渡すわ」

 そう言って渡されたのは、サビーネが進めている“新しい貴族連合”の構成図だった。

「……これは」

「あなたが“本当に変わった”のなら、これをどう使うかは、あなたの自由よ」

 そう言い残して、リリアーナは聖堂を去った。

     ◇ ◇ ◇

 数日後、宮廷にて開かれた貴族女性の茶会の場。

 そこに、ゼフィリアは自ら足を運んだ。

 噂好きの貴族令嬢たちが集う、いわば“情報の泉”。

 かつては絶対に顔を出さなかった場だ。だが、ゼフィリアは敢えてその“巣窟”に自ら飛び込む。

「まあ、リューデル様!お珍しいこと」

「王太子殿下との仲は順調?」

 あちこちから意地の悪い声が飛ぶ。

 だが、ゼフィリアは微笑んだまま、静かにお茶を口に含み、言った。

「皆さまに気にしていただけるとは、光栄です。けれど、“真実”は、常に沈黙の中にあるものですわ」

「……沈黙?」

「はい。影の声に耳を澄ませれば、意外と“誰が何を望んでいるか”は明白なのです」

 言外に、“ここにいる誰かが”サビーネと通じていると示唆している。

 空気が、一瞬凍りついた。

 ゼフィリアはにこやかに立ち上がる。

「では、私はこれで。王妃教育の講義がございますので」

 その姿は、完全に“王妃候補”としての風格を備えていた。

     ◇ ◇ ◇

 その夜。

 ゼフィリアは再び中庭にいた。

 背後から、足音が近づいてくる。

「……来ると思っていましたわ、エリオン様」

「君は……本当に、変わったな」

 エリオンはそう言って、彼女の隣に立つ。

「“変わった”のではなく、“取り戻した”のです。昔の私が、心から思っていた“強さ”の意味を」

 風がふたりの間を抜けた。

「リューデル・ゼフィリア。お前に問う。……王妃となる覚悟はあるか?」

 彼女は静かに頷く。

「はい。その問いには、これから何度でも答えます。たとえ沈黙の中でも、私は自分の意志を語り続けます」

 ふたりは、もう迷わなかった。

 静かに舞い落ちる火種が、やがて大きな炎となる前に。

――――――――――――――――――――

【あとがき】

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本話『沈黙の令嬢、影に囁く』では、ゼフィリアが“影”と向き合い、自らの言葉で戦い始める姿を描きました。
リリアーナとの邂逅、そして“情報戦”の幕開け――この物語は、恋愛と策略、そして成長の物語でもあります。

次回、第38話『王妃選定前夜、交差する眼差し』も、どうぞお楽しみに。

――――――――――――――――――――

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