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新章・王宮編
第39話:沈黙の夜会、仮面の微笑
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王妃選定の第一夜会が開かれる当日、王都は晴れわたる空の下にあった。けれど、王宮の大広間へと続く回廊には、厳粛な空気が張り詰めていた。
ゼフィリア・リューデルは、青灰色のドレスを纏い、その中央を歩いていた。
まるで湖面のように静かなドレス。宝石も過度な装飾もないその装いは、だが、逆に際立っていた。
誤魔化さない姿勢――それこそが、彼女が選んだ“答え”だった。
「ゼフィリア様。ご準備、整いました」
控えの間で声をかけたのは、付き添い役として任命された王宮女官のひとり。彼女は頷き、緩やかに立ち上がる。
(私は、ただ“王太子殿下の許嫁”としてではなく、ひとりの貴族令嬢として、この夜に立つ)
扉が開かれる音に、場の空気が一瞬揺れた。
大広間の奥、中央に設けられた円形のホール――そこには、すでに他の候補者たちが集まりつつあった。
ローゼンハイン家のサビーネ、北方の名家オブライエン家のユリエ、王族筋から縁のあるアルマ=グランツェ、そして商業貴族出身のティリア・エンリオ。
いずれも、容姿、家柄、教養、すべてにおいて申し分のない令嬢たち。
ゼフィリアの入場に、何人かがわずかに目を細めた。
「……やはり、本当に来たのね」
囁いたのは、サビーネだった。
視線が交差する。
ゼフィリアは、会釈ひとつでそれを受け流す。
(勝負をするならば、言葉ではなく“態度”で)
◇ ◇ ◇
やがて、場にエリオン王太子の姿が現れると、空気が一変する。
「諸君、よくぞ参集してくれた」
凛とした声が、大広間に響く。
「本夜会の趣旨は、貴族社会における見識、振る舞い、そして感性の共有を目的とする。即ち、“王妃”として王族を支えるに足る者か否かを見極める、第一の機会である」
その言葉に、誰もが背筋を正した。
エリオンの隣には、宰相代理も控え、その目は候補者たちを厳しく見定めている。
「各自、自由に動いて構わない。談話を交わし、見聞を広げたまえ」
その言葉と同時に、会場は社交の場として流れを持ち始めた。
◇ ◇ ◇
最初にゼフィリアに近づいたのは、意外にもアルマだった。
「あなたが……リューデル令嬢ね」
「はい。ゼフィリア・リューデルと申します。お目にかかれて光栄です」
「噂には聞いていたわ。“令嬢でありながら、魔法師階級認定を受けている”と。珍しいわね、そういうの」
「家の事情で学ぶ機会を得られたにすぎません。私より優秀な方は、きっと他にいらっしゃいます」
謙遜の態度に、アルマは一瞬だけ眉を上げる。
けれど、すぐにふっと笑った。
「興味深いわ。……今度、魔導式の話を聞かせてくれる?」
「喜んで」
丁寧に一礼を返し、アルマは去っていった。
(まずは……ひとつ、無難に越えた)
ゼフィリアは息を潜めるように、場の空気を観察する。
(あれが、ティリア嬢。……あの視線、完全に“下から上を探る”商人のそれ)
彼女の眼差しには、育ちや風習による違いがにじんでいた。
(場の支配者ではないが、空気を読む力はある。警戒は……必要)
一方――最も注意すべきサビーネが、ついに動いた。
「ゼフィリア様。ご機嫌よう」
「ご機嫌よう。ローゼンハイン様」
挨拶の言葉は完璧だ。
だが、そこにこめられた温度は、氷点の静けさを湛えていた。
「“選ばれる”立場にいる以上、油断はできませんわね。たとえどれほど清廉に見せても、“過去”は消せませんもの」
「ええ。誰もが過去を持っています。けれど、それに囚われるかどうかは――“今”をどう生きるかで決まります」
ほんの一瞬、サビーネの目が細められた。
けれど彼女はすぐに微笑みを浮かべる。
「その“今”が、どう評価されるかは……この夜の終わりに分かりますわ」
仮面のような笑みとともに、サビーネはその場を去った。
(今のは、“仕掛け”だ。私の反応を探るための)
ゼフィリアは、ふうと一度だけ小さく息を吐く。
(……あの人は、敵と見るにはまだ“表”が足りない。もっと裏がある)
◇ ◇ ◇
夜会の終盤、エリオンがふたたび場の中央に立った。
「諸君。今宵は礼を尽くしてくれたこと、感謝する。いずれ正式な選定に移るまでの過程で、今日の所作と言葉はすべて記録され、審査されることとなる」
その言葉に、場が少しざわめいた。
だがゼフィリアは、内心で一つの確信を得ていた。
(私は、この場で試されることを恐れてはいない。むしろ――)
この夜会で、自分が“誰の目”にどう映ったのかを、これからじっくりと問い続けていく。
それは、エリオンの目であり、アレクシスの目であり、レオナールの目でもあった。
仮面を被る貴族たちの視線の中で、彼女だけは仮面を脱ぎ捨てていたのかもしれない。
静かに、夜会の幕は下りる。
だが、恋と策略の幕は、ここからが本番だった。
――――――――――――――――――――
【あとがき】
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第39話『沈黙の夜会、仮面の微笑』では、王妃選定における最初の実地試験=夜会を描きました。ゼフィリアが周囲の思惑と対峙する一方で、それぞれの“視線”が交差し始めています。
次回は、夜会の評価が下される中で、思わぬ波紋が広がることに――どうぞお楽しみに。
――――――――――――――――――――
【いいね・フォローのお願い】
本作の継続更新には、皆様からの「いいね」と「フォロー」が大きな力になります。
ぜひ応援いただけましたら嬉しいです。
『初恋令嬢は鈍感すぎて、王太子・騎士団長・学園貴公子の胃を壊す』、引き続きよろしくお願いいたします。
ゼフィリア・リューデルは、青灰色のドレスを纏い、その中央を歩いていた。
まるで湖面のように静かなドレス。宝石も過度な装飾もないその装いは、だが、逆に際立っていた。
誤魔化さない姿勢――それこそが、彼女が選んだ“答え”だった。
「ゼフィリア様。ご準備、整いました」
控えの間で声をかけたのは、付き添い役として任命された王宮女官のひとり。彼女は頷き、緩やかに立ち上がる。
(私は、ただ“王太子殿下の許嫁”としてではなく、ひとりの貴族令嬢として、この夜に立つ)
扉が開かれる音に、場の空気が一瞬揺れた。
大広間の奥、中央に設けられた円形のホール――そこには、すでに他の候補者たちが集まりつつあった。
ローゼンハイン家のサビーネ、北方の名家オブライエン家のユリエ、王族筋から縁のあるアルマ=グランツェ、そして商業貴族出身のティリア・エンリオ。
いずれも、容姿、家柄、教養、すべてにおいて申し分のない令嬢たち。
ゼフィリアの入場に、何人かがわずかに目を細めた。
「……やはり、本当に来たのね」
囁いたのは、サビーネだった。
視線が交差する。
ゼフィリアは、会釈ひとつでそれを受け流す。
(勝負をするならば、言葉ではなく“態度”で)
◇ ◇ ◇
やがて、場にエリオン王太子の姿が現れると、空気が一変する。
「諸君、よくぞ参集してくれた」
凛とした声が、大広間に響く。
「本夜会の趣旨は、貴族社会における見識、振る舞い、そして感性の共有を目的とする。即ち、“王妃”として王族を支えるに足る者か否かを見極める、第一の機会である」
その言葉に、誰もが背筋を正した。
エリオンの隣には、宰相代理も控え、その目は候補者たちを厳しく見定めている。
「各自、自由に動いて構わない。談話を交わし、見聞を広げたまえ」
その言葉と同時に、会場は社交の場として流れを持ち始めた。
◇ ◇ ◇
最初にゼフィリアに近づいたのは、意外にもアルマだった。
「あなたが……リューデル令嬢ね」
「はい。ゼフィリア・リューデルと申します。お目にかかれて光栄です」
「噂には聞いていたわ。“令嬢でありながら、魔法師階級認定を受けている”と。珍しいわね、そういうの」
「家の事情で学ぶ機会を得られたにすぎません。私より優秀な方は、きっと他にいらっしゃいます」
謙遜の態度に、アルマは一瞬だけ眉を上げる。
けれど、すぐにふっと笑った。
「興味深いわ。……今度、魔導式の話を聞かせてくれる?」
「喜んで」
丁寧に一礼を返し、アルマは去っていった。
(まずは……ひとつ、無難に越えた)
ゼフィリアは息を潜めるように、場の空気を観察する。
(あれが、ティリア嬢。……あの視線、完全に“下から上を探る”商人のそれ)
彼女の眼差しには、育ちや風習による違いがにじんでいた。
(場の支配者ではないが、空気を読む力はある。警戒は……必要)
一方――最も注意すべきサビーネが、ついに動いた。
「ゼフィリア様。ご機嫌よう」
「ご機嫌よう。ローゼンハイン様」
挨拶の言葉は完璧だ。
だが、そこにこめられた温度は、氷点の静けさを湛えていた。
「“選ばれる”立場にいる以上、油断はできませんわね。たとえどれほど清廉に見せても、“過去”は消せませんもの」
「ええ。誰もが過去を持っています。けれど、それに囚われるかどうかは――“今”をどう生きるかで決まります」
ほんの一瞬、サビーネの目が細められた。
けれど彼女はすぐに微笑みを浮かべる。
「その“今”が、どう評価されるかは……この夜の終わりに分かりますわ」
仮面のような笑みとともに、サビーネはその場を去った。
(今のは、“仕掛け”だ。私の反応を探るための)
ゼフィリアは、ふうと一度だけ小さく息を吐く。
(……あの人は、敵と見るにはまだ“表”が足りない。もっと裏がある)
◇ ◇ ◇
夜会の終盤、エリオンがふたたび場の中央に立った。
「諸君。今宵は礼を尽くしてくれたこと、感謝する。いずれ正式な選定に移るまでの過程で、今日の所作と言葉はすべて記録され、審査されることとなる」
その言葉に、場が少しざわめいた。
だがゼフィリアは、内心で一つの確信を得ていた。
(私は、この場で試されることを恐れてはいない。むしろ――)
この夜会で、自分が“誰の目”にどう映ったのかを、これからじっくりと問い続けていく。
それは、エリオンの目であり、アレクシスの目であり、レオナールの目でもあった。
仮面を被る貴族たちの視線の中で、彼女だけは仮面を脱ぎ捨てていたのかもしれない。
静かに、夜会の幕は下りる。
だが、恋と策略の幕は、ここからが本番だった。
――――――――――――――――――――
【あとがき】
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第39話『沈黙の夜会、仮面の微笑』では、王妃選定における最初の実地試験=夜会を描きました。ゼフィリアが周囲の思惑と対峙する一方で、それぞれの“視線”が交差し始めています。
次回は、夜会の評価が下される中で、思わぬ波紋が広がることに――どうぞお楽しみに。
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