『初恋令嬢は鈍感すぎて、王太子・騎士団長・学園貴公子の胃を壊す』

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新章・王宮編

第78話:痛みは私の証、愛と誇りを抱きしめて

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 王都に戻ってからの日々は、目まぐるしく過ぎていった。

 国境都市で結んだ協定を基に、新たな流通網や治安維持のための計画が次々と王宮に持ち込まれる。
 エリオンは連日の会議で声を枯らし、それでも疲労を押し隠しながら笑ってみせた。

(殿下はいつも、私以上に無理をなさる)

 ゼフィリアは王宮の長い廊下を歩きながら、何度目か分からないほどその背中を想った。

(私が殿下を支えると決めたのは、この人の未来を信じたから)

 それは今も変わらなかった。

 でも同時に、胸の奥で疼くものも確かにそこにあった。

     ◇ ◇ ◇

 その日、ゼフィリアは夜遅くまで残務に追われていた。

 王宮の執務室に差し込む月光が、机に散らばる書簡の上に冷たく伸びる。

「……ふぅ」

 小さく息を吐いて目を閉じた。

(もうすぐこの計画が実を結ぶ。
 そのとき、この国はまた少し未来に近づく)

 それが嬉しくないはずがなかった。

 けれど心の奥底で、小さな痛みがまた囁く。

(アレクシス様……)

 あの人への想いは、どれだけ未来を重ねても薄れることはないのだろう。

 選んだ未来に罪悪感はなかった。
 でも愛してしまったその事実だけは、いつまでも胸を刺し続ける。

     ◇ ◇ ◇

 「ゼフィリア」

 背後から呼ばれ、はっと顔を上げるとそこにはエリオンが立っていた。

「殿下……もうお休みになられたのでは?」

「君がまだ戻らないから見に来た」

 苦笑する声が、どこか子どものように聞こえた。

 ゼフィリアは慌てて立ち上がり、軽く頭を下げる。

「申し訳ありません、すぐに――」

「いい」

 短く遮られた。

 次の瞬間、そっと肩を抱かれる。

 その温かさに胸がぎゅっとなった。

「こうしているだけでいい。
 君が隣にいてくれることが、私にとっては何よりの支えだ」

「……殿下」

「私は分かっているつもりだ。君が痛みを抱えていることも、その痛みが誰に由来するのかも」

 言葉が詰まった。

 でもエリオンはそれを責めるような目をしなかった。

「それでも私は君を信じる。痛みごと、全部含めて君を信じる」

 涙が込み上げた。

「ありがとうございます……殿下」

 それはいつだって、この人がくれる最大の優しさだった。

     ◇ ◇ ◇

 夜、リューデル邸。

 ゼフィリアは庭園に出て、薄暗い空を見上げた。

(私はなんて幸せなんだろう)

 痛みを抱えているのに、そう思った。

(殿下は私を信じてくれる。アレクシス様は私を愛してくれる。そしてこの国は、私が選んだ未来に向かって動いている)

 その全部が胸に広がって、涙が零れた。

     ◇ ◇ ◇

 「泣くのか」

 低い声が背後から響く。

「……アレクシス様」

「また泣き虫になったな」

「泣き虫です。私はいつまで経っても、弱い女です」

「そうだな」

 短く吐き捨てるくせに、その声はどこまでも優しかった。

「お前は弱い。でも、その弱さごと殿下の未来を選んだ。
 それは誰にもできない選択だ」

「……アレクシス様」

 小さく嗚咽が混じる。

「私はこの痛みをずっと抱えていきます。それでも殿下の未来を選び続けます。
 でも同時に……アレクシス様を愛したまま生きていきます」

「分かってる」

 その言葉と共に強く抱きしめられた。

 甲冑越しの冷たさの奥にある熱が、胸の奥にまで染みた。

     ◇ ◇ ◇

 「泣け」

「……はい」

「泣いて、泣き終わったら、また殿下の隣に立て。
 その痛みごと、お前は誇りだ」

 声が震えていた。

(この痛みは私の証)

 殿下への誓いも、この愛しさも、全部自分で選んだもの。

(だから私はこの痛みを抱きしめて、これからも生きていく)

 涙を拭い、そっと微笑んだ。

「ありがとうございます、アレクシス様。私はこれからもきっと泣きます。
 でもその度にまた立ち上がって、殿下の隣に戻ります」

「それでいい」

 夜風が二人を撫でていった。

(痛みを抱きながら誇りを胸に、私は選び続ける。それが私の幸せ)

 小さく息を吸い込み、未来を見据えた。
 その視線の先には、まだ見ぬ景色が確かに輝いていた。
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