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第1巻 ダーク・テミス編
第三章 邪神の住む館 前編
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異能の共鳴 第一巻 ダーク・テミス編
第三章 邪神の住む館 前編
久住『果那さんの両親の事件か…確かに不審な点が多い…調べてみる必要があるな。』
久住晴翔はダーク・テミス早乙女果那と話してから、果那の両親の事件の事がずっと気になっていた。久住がまだ高校生の時に起きた事件で、発生当初は報道でも大きく取り上げられ、毎日のように現場に報道陣が取材の為に集まっていた。それが…数日たって犯人が特定されると、被疑者死亡のまま送検され何もなかったように報道も収まっている。明らかに警察や検察、報道機関に何らかの圧力があったとしか思えなかった。
果那の両親の事件があった当時の久住晴翔は、自分の持つ異能を持て余していた時期で、事件や政治家の不祥事に興味を持つまでに至っていなかった。当時の事件報道をあらためて見返して、この不審な十九年前の果那の事件を調べる決心がついた。最初に取り組んだのは早乙女果那の父親、今泉信也についてだ。父親の事をまだ幼かった果那はほとんど覚えていない。外務省に勤務していた官僚だった事も、成長して事件を調べていくうちにわかった事だった。
果那は今までに調べた事は全て久住に伝えてあった。外務省に勤務していた父が関わったはずの国際開発援助…今泉家を襲った犯人が関係しているのは間違いないはずだと果那は言っていた。久住の直感もそう感じている。
久住『深夜に侵入した者達の目的が、果那さんの父親の仕事に関わっているとすれば。父親が担当していた国際開発援助がどの国のものだったのか、それを探っていくのが近道になるかもしれない。』
果那の父、信也は外務省で国際開発援助に関わる部署に勤務していた。事件と関係性があるとすれば当時の国際開発援助で、胡散臭い事が無かったという事になる。十九年前の国際開発援助は三つの国に対して、数十億規模で行われていた。この中で今泉信也が関わっていた事業がどれなのか…そこを探るのが糸口になるはずだった。
しかし外務省に問い合わせても、過去の職員の記録を応える事はない。開発援助については資料が残っており確認は可能だったが、携わった官僚の名前は上位職の者しか記載されていなかった。果那の父親から事件に迫るには時間が絶ち過ぎていた。
久住『どの国に関わっていたか調べるのは苦労しそうだな…事件から追うしかないか。』
事件の数日後に遺体となって発見され殺人犯として特定された男は、警察から被疑者死亡で送検され検察は追加調査を求めなかった。検察は被疑者死亡の為、不起訴処分として処理した。警察の捜査から送検、そして検察の不起訴処分まで三週間もかかっていない。ありえないスピード捜査だ。阿倍階元総理の疑獄事件では警視庁に圧力がかかり、捜査が中途半端で終わりそうになった。同じような事が果那の父の事件でも起きていた可能性も考えられた。
捜査資料・記録の保管期間は三十年となっており、警察署内に当時の資料は残っているはずだ。しかし久住は警察への協力を拒んだ事で、警視庁とは非常に仲が悪い。所轄には知り合いもいるが保管されているのは本庁だ。資料をみる事も調べる事も不可能だろう
当時の捜査員の名刺を祖父母が貰っており、その名刺は果那が大事に保管していた。久住は名刺の写しを貰って調査を進めた。果那が持っていた名刺は捜査一課と捜査二課の二名の刑事のものだった。本来、殺人事件であれば捜査一課だけだ。二課が出てきているという事は、贈収賄や汚職に絡んでいたと思われた。
久住『二課が捜査をしていたという事か。やはりODAに絡んだ不正があったと見るべきだな。果那さんの父親を捜査二課がマークしていたのか…それとも別の何かが…』
汚職の情報を入手できれば事件の動機に辿り着きやすい。捜査二課の名刺は一枚だけしかなかったが、警視庁捜査二課一係長の肩書の名刺だった。捜査一課の刑事は果那の両親が殺害された、殺人事件の捜査に加わった刑事だ。知り合いの所轄の刑事に頼み、四枚の名刺の刑事について調べてもらった。二課の刑事は十五年前に定年退職していて、三年前に七十二歳で亡くなっていた…病死だった。調査を頼んだ所轄の刑事の同僚がこの刑事をよく知っており、退職後の連絡を取っていたそうで亡くなった事がわかった。
捜査一課の刑事は捜査一課三係係長の名刺だった…階級でいうと警部になる…十年前に定年退職をしていて退職した後の、住所や所在の確認は出来なかった。警視庁の捜査一課であれば知っている者もいるかもしれない。ネットで名前を検索しても何も出て来なかった。どうしたものかと考えながら小説の執筆とコメンテーターを続けていたが、報道番組で一緒になった沢渡涼子が久住の微妙な変化に気づいた。
沢渡『…久住先生…どうかされましたか?』
久住『え?ちょっと考え事をしていただけですよ。』
沢渡涼子はしげしげと久住の顔を覗き込み、首を傾げながら少し嬉しそうに微笑んだ。いつも冷静な久住が考え込む姿が、彼女には可笑しかったようだ。
沢渡『そんな表情をされる先生は初めて見ました(笑)。何か悩み事でもあるんですか?』
久住『そんなに可笑しいかな~…悩み事では無いんですが…退職した刑事の所在を調べる方法はないかと考えていてね。』
沢渡『警察はこういった情報の漏洩は厳しいですからね。所轄ですか、本庁ですか?』
久住『本庁の捜査一課ですよ。十年くらい前に定年退職した係長です。』
沢渡『じゃあ、私が聞いてみましょうか。捜査一課長にインタビューの予定がありますから。その時に知り合いの刑事に聞いてみましょうか?なんて名前の方ですか。』
餅は餅屋というか流石にジャーナリスト、沢渡涼子の取材力は侮れない。涼子は警視庁のインタビューの際に、捜査一課長に何気に聞いてみた後、ベテランの刑事を捕まえて聞いてくれた。一課長はその名前を聞いた時に、何か含みのある表情だった。ベテランの刑事は涼子の問いに、腕を組んで宙を見上げていた。
刑事『園田さんか…俺も世話になった方だよ、人情のある正義感の強い人だったよ。沢渡さん、何を知っているんだい?何を調べているんだよ。』
沢渡『何かあるんですか?じゃあ、正直にいいますね。久住先生が気にされているんですよ。先生は特別ですから気になるって事は、何かあるのかなって思ったんです。』
刑事『異能作家、久住晴翔か。いいよ、教えるよ。俺も心配でな。』
定年した刑事の名前は園田彰(そのだあきら)。捜査一課で傷害や殺人事件に従事した、正義感の強い熱血漢の刑事だったそうだ。十年前に定年した後は東京を離れ、上京する前に住んでいた田舎に移り住んだ。妻は定年前に亡くなっていて園田は一人暮らしだった。子供は二人いたがすでに結婚し、都内で家族と暮らしている。その園田が三年前に失踪していた。
園田が移り住んだのは長野県上諏訪町、高校卒業後、東京の短大に入る前まで両親と暮らした実家だ。両親は園田が定年する十年前に亡くなり、誰も住まない空き家になっていた。定年後、東京の官舎を出て実家に移り住んできたそうだ。子供の頃からの古い友人達も数人はまだ上諏訪に住んでいて、湖で釣りをしたりハイキングにいったりと、級友たちと楽しい余生を過ごしていた。
園田の捜索願いが警察に出されたのは、三年前の春先の事だった。突然、連絡の取れなくなった父を心配し、長女が上諏訪の実家を訪ねた。まるで直前までそこで生活していたかのような部屋の中に、園田の姿だけがなくポストに新聞が一週間分溜まっていた。近所の人に聞いても一週間ほど前から、姿を見ていないという話だった。
諏訪署に捜索願が提出されたが事件性の形跡はなく、一般の家出人に分類され捜査はされなかった。園田の家に出入りしていた人は数人いたが、近所の人や古い友人達ばかりで、誰も園田の行方はわからず不審な事もなかったと言っていたらしい。退職後七年が経ってはいたが、警視庁捜査一課の元刑事の失踪の連絡は警視庁にも入った。過去の事件絡みでの報復等の可能性もあり、園田が過去に関わった事件との関連性を調べたようだ。しかし…それらしき事件はなかった。
果那『久住先生、お呼びですか?』
久住『果那さん、先生はやめましょうよ。久住か晴翔でいいですよ。』
果那『じゃあ…晴翔かしら(笑)。年下なのに呼び捨ては駄目ですね。晴翔さんにします。』
今日の報道番組に出演した際、久住は時計を嵌めていた。果那への連絡の印だ。その夜、果那は久住の部屋に移動した。果那の両親の事件の際に担当した刑事、園田の失踪に関して久住が果那に話をした。失踪した時には両親の事件から十六年の歳月が流れており、関連性はかなり低いが久住は気になっていた。
久住『ジャーナリストの沢渡さん経由で警視庁の刑事に聞いたんだけど、人柄や周りの人達との接し方とか…失踪するような人には思えないんだ。果那さんの事件絡みなら退職後に捜査をしていた可能性もあるけど。それ以外の事に巻き込まれている可能性もありそうでね。』
果那『異能作家の直感ですか。どうされますか。』
久住『まずは上諏訪の実家に行ってみようと思う。彼の周囲の人に話をきいてみて…現場に行けば何か感じるかもしれないからね。果那さんの力が必要な時は…どうやって連絡しようか?』
果那『(笑)フリーアドレスです。ここにメールをください。』
久住は次の週、コメンテーターの番組の出演を見送り休暇を取った。いつもは隣に擦っている久住が、沢渡涼子には何の連絡も無しに欠席した。沢渡涼子は久住が園田の件を調べるのだろうと思っていた。
沢渡『一人で何かを調べているのね…私は蚊帳の外なんて…ちょっとな~。』
涼子は心の中で少しむっとした感じで呟いていた。園田の住む上諏訪は新宿から特急あずさで二時間ちょっとで着く。朝早く家を出て上諏訪には十一時に着いた。レンタカーを借りて一先ず園田の家を目指した。園田の自宅は駅から車で十五分くらいの住宅街の中にある。閑静な住宅街…というよりも人をあまり見かけない。
久住『諏訪市の人口は五万人弱か…中心部でも人はまばらなんだな。』
園田斧自宅前に着いた。平屋建ての一軒家だが屋根の上に、二階部分のような建物があり増築したような建築物だ。広さは一軒家としては普通というところか、庭も普通…広くもなく狭くもない、何処にでもありそうな田舎の一軒家だった。自宅前に車を止め玄関に向かうと、家の中から人の気配が漂っていた。久住の気の力は部屋の中に一人の女性の気を感じ取った。敵意のある悪しき気配ではない。久住は玄関の呼び鈴を押した。
女性『はい、どちら様ですか?』
久住『突然すみません。久住と申します。園田彰さんの事をお聞きしたくて、訪問させて頂きました。失礼ですが、貴女は?』
女性『私は娘の晶子と言います。…久住、作家の久住先生ですね。本は読ませて頂いています!大ファンなんです。先生にお会いできるなんて!』
玄関に出てきたのは晶子という名の女性で園田彰の長女だった。晶子は読書家で久住の書いた小説は全て読んでいるそうだ。倒れ込んできそうな勢いで、晶子は久住の腕にしがみついて話しかけていた。
久住『娘さんでしたか…えっと…』
女性『父の事を聞きたいって先生が仰るという事は、父が失踪している事も御存じの上で来ていらっしゃるんですね?』
久住『はい、お聞きしております。三年前から行方が不明とか。』
晶子『先生が調べて下さるなんて…感激です…お上がりください。中でお話ししましょう。』
園田の娘、晶子は月に一度は実家を訪れ、父が戻った形跡は無いかを確認し、部屋の掃除や空気の入れ替えを行っていた。二カ月に一度は弟の昭雄も来るそうで、今日は昭雄も間もなく到着するという事だった。アキラの娘でアキコ、息子がアキオ…安易な名づけではあるが…作家、久住晴翔にとっては疑問の名づけだったようだ。
弟が来る前に訪問の理由を簡潔に伝えた。勿論、十九年前の事件については伏せて、園田の失踪に関して気になった事だけを伝えた。姉の晶子は弟が来てからの方が良いだろうと、家の中の様子を先にみる事を許してくれた。一階は十二畳の和室の居間、寝室は八畳の和室と八畳の客間があり、奥に六畳の納戸があった。二階部分と思われた場所は、園田が定年後に増築した書斎だった。久住は一階を見回った後、二階部分の書斎に入っていった。
久住『綺麗に整理された書斎ですね。』
晶子『父は職業柄か、書類の整理はきちんとしてましたから。どうぞ、お好きに調べてください。私達はみてもわからないものばかりで、殆ど読んでいません。』
久住『では、お父様の行方がわからなくなってから、この部屋の状態は変わっていないという事ですね。』
晶子『はい、そのままの状態です。一階の居間とかは片づけましたが、電気ポットも炊飯ジャーも電源は入ってましたし、居間の座卓には湯?みも置いてあって。本当に消えてしまった感じだったんです。』
部屋は整理され荒らされた形跡は無かった。書類もファイルもきちんと並んでおり、何かを抜き出した痕跡も無い。卓上にパソコンが一台とプリンタが置いてあった。机の上の本棚には何冊かの本とノートが置いてある。久住は本棚から本を抜き出しノートも抜きだした。本は刑法と民法の本で後は小説だった。ノートは四月始まりの三年日記、園田がつけていた日記のようだ。定年後から書き始めたのか《三》と書かれてあった。三年日記で三という事は一と二もあるはずで、定年後から失踪する七年間の日記があるはずだ。手元にある日記は定年後の七年後、失踪する約一年前から書かれてあった。
久住『日記が他に二冊あると思います。探してもいいですか?出来れば日記をお貸し頂ければ。』
晶子『ええ、勿論です。父の捜索に久住先生が乗り出してくれるなんて、弟もきっと驚くでしょうし喜ぶはずです。』
書斎の中を久住が捜索し、二冊の日記を見つけ出した。それ以外で目ぼしい資料は確認できない、パソコンはパスワードがわからないそうで、失踪後、家族が起動させたことは一度も無いそうだ。そんな話を書斎でしていると、一階の玄関から弟の昭雄が入ってきて、姉の晶子を下から呼んでいた。
昭雄『姉さん、上に居たんだ、父さんの部屋にいるなんて珍しいね。あれ?どなた?』
晶子『作家の久住先生だよ。父さんの事を調べに来てくれたのよ。』
昭雄『ええ、あの久住晴翔…さんですか!』
久住『初めまして。』
姉弟が揃ったところで事情を聞く事になった。園田彰は退職後、刑事時代の資料を纏める為に田舎に引っ越し、実家の二階に書斎を増築した。元々、本が好きで刑事時代の資料を元ネタに、刑事ものの小説を書こうと思っていたらしい。そういえば書斎には様々な種類の本があった。歴史小説から推理小説、自伝的な本や童話まで揃っていた。
それ以外にも気になったニュースは、自身の手で調査もしていたらしい。刑事の捜査というよりは小説の為だった。気になるとどんな所にも出かけていく事が多く、旅に出る事も多かったと姉弟は言っていた。
昭雄『だから最初、近所の方から連絡があった時も、何処か旅に行ったと思ったんですよ。でも部屋に入ったら旅に出た様子も無かったので。携帯に電話しても、電源がはいっていないのか繋がらないし。』
久住『携帯電話の最期の基地局はわかっているんですか?』
晶子『それは警察が調べてくれて。旅先ではなく近くの公園の辺りだったんです。そこからは湖にも山の方にも行けますから、ひょっとしたらって。』
昭雄『父は泳げないですから。湖に落ちたのかもしれません。先生はどう思われているんですか?』
久住『まだ確かな事は言えませんが…ただの失踪にしては不可解な点が多いです。部屋は失踪時から殆ど変わってないという話でした。書斎の様子を見る限り、今まで椅子に座っていたという感じです。晶子さんの話では居間もそんな状態だったそうですし。突然…何らかの理由で家を出る必要が出来たか、何者かに拉致された可能性は捨てきれません。何日か諏訪に留まって調べてみようと思います。』
晶子『それでしたらこの家をお使いください。私達は夕方には東京に戻りますが、鍵は先生が東京にお戻りになった時に、お返し頂ければ結構ですので。』
その後も世間話を交えながら、園田の人生を子供達から聞いていた。沢渡涼子が警視庁の刑事から聞いた通り、正義感が強く熱血漢という印象の男だった。子供達は園田の刑事時代の事はあまり知らなかった。家では仕事の話は殆どしなかったそうだ。晶子は父が三度だけやけ酒を飲む場面を見たといった。捜査が思い通りに出来ずに、悔しそうな感じで呑んでいたそうだ。
晶子『未解決で終わった事件はないって言ってました。けど…何でしょうね?悔しそうで…一番、憶えているのは私が会社に入って、半年も経っていない時でした。事件は解決したって言ったんですけど、何故か悔しそうで。もう二十年近く前ですよ。』
晶子の言う時期と果那の事件は一致する。恐らく果那の両親の事件の事だろう。夕方、晶子と昭雄は久住に見送られて東京に戻っていった。二人が帰った後、久住は果那にメールを入れた。果那の《特殊能力》を全て知っているわけではないが、彼女の力が必要だと直感的に感じた。メールを発信して一分後、居間に座る久住の前に果那が実体化した。
果那『晴翔さん、ご飯は食べましたか?』
久住『あれ…お腹が空いているのかい?』
果那『はい、夕食の準備をしようと思ってたら呼び出されましたから…ちょっとご機嫌斜めです。』
久住『じゃあ、僕が何か買ってくるよ。二人でいるところを見られても困るから、果那さんは家で待っていてよ。家の中を見て周ってもいいよ。二階が園田さんの書斎になっていて…パソコンはパスワードがわからなくて起動しないけど…部屋の中は見てもいいって娘さん達から承諾は得ているから。じゃあ何か買ってきますよ、リクエストはあるかい?』
久住が家を出た後、果那はバッグに入っていたお菓子を頬張りながら、二階の書斎に入った。果那は書斎の中で自分の身体を霧散化させ、部屋の隅々に至るまで調べ尽くした。果那の能力の一つだが細胞レベルに霧散化した状態で、自分が探したいと思うものに触れると認識する事が出来た。部屋の中には棚の奥に幾つかの捜査資料が隠されてあった。
果那『パソコンのパスワードね。』
パソコンを起動するとパスワードの入力画面ではなく、指紋認証の案内画面になった。しかしパソコンに指紋認証用のポートはなかった。USBタイプの指紋認証リーダーが発売されている。園田の机の中を探すとリーダーがあった。指紋認証リーダーの上に指を置き、指の表面を霧散化させていった。リーダーの表面を果那の霧散化した細胞が覆い、リーダーに残された園田の指紋を指に写し取っていった。園田の指紋は今、果那の指の指紋は園田の指紋になっていた。
果那『これで解除出来るわ。』
指紋を写し取った指を指紋認証リーダーに触れると、パソコンが解除され起動を始めた。果那はパソコンの認証システムを、指紋認証からパスワード認証に設定を変更して、新しいパスワードを登録した。これでいつでもパスワード認証で起動させる事が出来る。久住一人でもパソコンをみる事が可能になった。画面には幾つかのフォルダーのアイコンが並んでいた。定年後に気になって調べた案件毎にフォルダーを作り、資料と記録を保存していたようだ。
久住『果那さん、買ってきたよ。食べてからにしないか。』
一階から久住の声が聞こえた。果那はパソコンの電源を切って、階下の久住の元に戻った。増築した二階の書斎に続く階段は、小さな板で出来た階段だ。果那の降りてくる勢いで、階段は悲鳴を上げているようだった。居間に来ると何も言わずに、久住が買ってきた袋の中を覗いていた。
久住『なんか、果那さんというかダーク・テミスのイメージが変わってくるよ。本当にこんなのでいいのかい?』
果那『晴翔さんが私にどんなイメージを持っていたかは知りません。わ~美味しそうですね。』
果那は久住が買ってきたタイ焼きと今川焼にかぶりついていた。果那の大好物は小豆だ。小豆を使った食べ物なら何でも好きだが、特にタイ焼き今川焼系は大好物だった。久住は普通の幕の内弁当を食べ始めた。果那の為にサンドウィッチも購入していたがタイ焼き二つと今川焼を二つ食べたあと、ミックスサンドにも果那の手は伸びていた。久住はそんな果那の様子を優しく目を細めて視ていた。
果那『そうそう晴翔さん、園田さんの現職の頃の捜査資料が三つ、あとパソコンも解除してパスワードも変えておきましたよ。ご飯食べ終わったら書斎で確認してください。』
久住『…それもダーク・テミスの能力なのか…果那さんの力は凄く興味深いよ。』
夕食後、久住と果那は書斎に向かい捜査資料を手元に置き、園田のパソコンにパスワードを入力して起動した。最初に園田の残した三つの捜査資料に目を通した。資料の二つは傷害事件と暴行事件の捜査資料だった。二件とも検挙した被疑者は証拠不十分で釈放され、その後、犯人は特定されず迷宮入りとなっていて、すでに時効も成立していた。
久住『園田さんが悔しそうに酒を飲んでいたのを、晶子さんが三回ほど見たと言っていたが…この事件なのかもしれないな。容疑者は…やはり政治家の息子か…。』
傷害事件と暴行事件の容疑者として浮かび上がった男は二件とも同じ人物だった。久住はその男の苗字に見覚えがあった。時効になった事件でもあり調査をしても無駄だろう。そして三つ目は…十九年前の果那の両親の事件だった。園田は事件の幕引きに疑念を持っていたのかもしれない。当時の捜査資料を園田は大切に保管していた。
果那がずっと閲覧したかった当時の捜査資料…探す術もなく今までみる事は出来なかった。その捜査資料が目の前にある…久住は果那に資料を渡し内容の確認を任せた。果那は資料を受け取ると椅子に座り、瞬きするのも惜しい感じで資料を読みふけっていた。そして久住自身はパソコンのデータを確認する事にした。
果那『晴翔さん、やっぱり捜査に不審な点があったようです。犯人と思われる遺体の男の毛髪が家に中から見つかったのも、事件発生から数日経ってからだったそうです。紛失した資料もパソコンも見つかっていない。園田さん、かなり怒った感じで赤ペンを入れています。退職した後に記載したんでしょうけど。』
久住『そうか、何か上からの圧力が働いたという事かもしれないね。後は何かあったかい?』
果那『はい、二課も動いていたようで現場検証にも立ち会っています。園田さんのメモ書きだと父が何かを二課に密告したようで、二課の事情聴取を受ける前日に、あの事件があったと書いてありました。』
久住『二課がらみだと汚職か疑獄事件だね。ODA絡みで裏で不正があった可能性が高いね。慎重に調べてみようか。』
果那『でも園田さんの失踪とは関係なさそうですね。そっちはどうですか?』
久住『うん。定年後に追いかけていた案件が四つあったよ。資料はフォルダーに纏めてあった。小説の題材に考えて調べていたんだろうね、パソコンには小説もあったから。気になったのはこの《消えていく人々》というフォルダーだ。書きかけの小説も入っていた。』
《消えていく人々》小説のタイトルにもなっていた。小説のストーリーは様々な理由で、世間から忘れさられていった人達の物語だ。歳を取り一人暮らしになった人、貧しい中、何とか生き繋ぎ社会の隅っこでひっそりと暮らす人。親族や友達もなく忘れられた人々、そんな人達の物語だった。ある日、一人の女性がいなくなった、しかし、女性がいなくなった事さえ誰も知らない。日本の暗部を切り取る様な小説だった。
資料フォルダーに入っていたファイルは各地を取材した記録だった。新聞の記事を写した写メも数枚あり、各地で行方不明になった人の記事が並んでいた。そして…それとは別に《不明者リスト》というエクセルのファイルもあった。そこに掲載されていたのは七人の男女の名前だった。年齢も性別も場所も一切関連性がない男女。不明者リストというファイルであれば、行方不明という事なのだろう。
果那『行方不明者のリスト。園田さんがいなくなった件と関連性がありそうですね。捜索願いは出されているんでしょうね。』
久住『それはどうだろう?小説の内容だといなくなっても、わからない人々って感じだからね。いなくなっているけど、捜索願を出す人もいない。そういう事かもしれない。沢渡さんに警視庁のデータベースで、調べられないかお願いしてみるよ。』
果那『七人の人の住所もまちまちですね。失踪時期が記載されているのは三人だけですから、調査の途中って感じですね。この七人の調査は私がします。晴翔さんは園田さんの足取りをお願いします。』
果那は霧散化して自宅に戻っていった。久住は園田の日記に目を通していた。パソコンの記録や資料には園田が失踪する理由になるものは無かった。あるとすれば日記の中に、ヒントがあるかもしれない。七人の中で失踪時期の記載のある三人は、十年前の三十七歳の女性、七年前の六十九歳の男性、そして五年前の四十五歳の男性だった。フォルダーが作成された日付は五年前、園田が六十五歳の時だった。三年日記だと二冊目になる。久住は二冊目のフォルダーが作成される一月前の日記から読み始めた。そして沢渡涼子にも一報を入れた。
久住『沢渡さん、久住です。さっきメールでパソコンの方にファイルを送ったのですが、沢渡さんに調査をお願いしてもいいですか。』
沢渡『先生、番組の出演をキャンセルしてまで、一体何を調べているんですか。ああ、このファイルですね。これは何ですか?』
久住『前に調べて頂いた捜査一課の元刑事の、園田さんのパソコンにあったファイルです。多分…全員が失踪者のはずですが、捜索願いは出されていないと予測しています。警察のデータベースで照合できませんか。』
沢渡『失踪したという元刑事の方の資料ですか…わかりました。この間の刑事さんにお願いしてみますよ。ただし先生、条件があります。私にも教えてください、私も混ぜてください!それが条件です。』
久住『う~ん、仕方ないな。わかりました。でもまだ何もわからないから、もう少し待ってください。視えてきたら報道特集でやっていいですよ。』
翌日、沢渡涼子は警視庁の刑事を訪ねた。刑事に園田のパソコンにあった不明者リストを渡し、園田はこの件を一人で調査しているうちに、失踪した可能性が高い事を伝えた。データベースで家出人として捜索願が出ていないか、或いは犯罪歴や指名手配がされていないかの調査をお願いした。刑事は事の重大さを認識したようだ。すぐにデータベースで七人の検索を行い、捜索願いは出ておらず指名手配もされていない事が確認された。
刑事『沢渡さん。園田さんは事件に巻き込まれているって事なのか?』
沢渡『それはまだわからないと、久住先生は仰っていました。でも先生がこれほど気にされるという事は、ただ事ではない感じがします。』
刑事『この前にも話したが…園田さんには大変世話になったんだよ。何とか無事に見つけ出してくれ。』
久住は園田の日記を読みふけっていた。日記の中に初めて不明者の事が書かれていたのは五年前だった。フォルダー作成日の一カ月前の事だ。七年前に失踪した六十九歳の男性について記載されていた。小説の題材を求めて取材と調査に行った地で、たまたま園田はこの男性の話を耳にしたようだった。その話に不審なものを感じたのだろう。
人里から少しだけ離れた家に住んでいた男性が、ある日忽然と姿を消した。その男性を訪ねる者は殆どいなかったが、いなくなった事がわかったのは新聞受けに溜まった新聞だった。月に一度、男性の家に集金に行っていた配達員が、その事を近隣の住民に話をしていたようだ。園田はその後、その家を訪問している。日記に書かれた二週間後だった。
久住『二週間後、訪問して家の中に入ったのか。』
園田の日記に当時の事が書かれてあった。失踪から一年が過ぎた家は外観も荒れた感じだ。元々そうだったのか、住民がいなくなって荒れたのかはわからない。鍵も壊れており園田は家の中に入っている。不法侵入になるが仕方なかったのだろう。部屋は食事の支度がされていて、テーブルの上に干からびて腐敗したご飯とおかずが並んでいた。食事をしていた人間が出かけた気配もなく、忽然と姿を消した…まるで神隠しだ。
園田はこの事を皮切りに、同じような事はないか調べ始めていた。刑事時代の人脈も使って情報を集め、地道に調査を行っていたようだ。事件にもならない噂話程度でも警察の耳には入ってくる。そうして集まったのが七人の名前だった。四年前の日記に五年前、四十五歳で失踪した男性の名前があった。情報はその地区の元警察官から、園田の元に寄せられたらしい。そこからこの五年前の男性の失踪の調査を、情報を伝えた元警察官と始めていた。
久住『この五年前の失踪者の調査がキーになるかもしれないな。』
果那は特殊能力を使って七人の家を周っていた。部屋の中にも入り失礼ではあるが、写真も撮影し状況を確認した。ある家では部屋の中に洗濯ものが干されたままの状態だった。名簿の中には賃貸住宅に住んでいた人も三人いた。すでに部屋は整理され別の人が暮らしていた。残りの四人は自宅を保有しており、失踪後、誰も来る事も無く寂れて行くばかりになっていた。失踪時期の特定も手間取ったが、賃貸契約の者は不動産会社や大家に聞いた。そして失踪時期が全て判明した。
果那『晴翔さん。名簿に失踪時期を加えてみました。七人の失踪者で最初の一人は十三年前になります。その後、十二年前に一人、十一年前に一人、十年前に一人、そこまでは一年毎に一人ですね。そして七年前、六年前、五年前…一人ずつですね。ほぼ同じ月に失踪していました。』
久住『年に一人かもしれないね。園田さんが調べられなかったのかもしれない。そして三年前の園田さんの失踪か。果那さん、五年前に失踪した人の情報を提供した元警察官の方がいるらしくて、園田さんはその方と一緒に調査していたようなんだ。明日、僕も五年前の失踪者の自宅を見て、その元刑事にも会ってみたいと思う。甲府だから朝早く出れば夕方には戻って来られるだろう。』
果那『仕方ないですね。お連れしますよ、運搬料金は貸しておきます。』
久住『…?…特急で行っても一時間だから大丈夫だよ。沢渡さんも連れて行こうと思うんだけど。』
果那『私は会う訳にはいきませんね。現地で落ち合う感じですよね。私もそっとついてきます。』
沢渡涼子は一流のジャーナリストだ。こういった取材は彼女の得意分野、涼子の力は必要だと感じた。それに関わらせないと…そろそろ怒り出しそうな感じもあった。沢渡涼子とは現地、甲府の駅前で待ち合わせをした。朝十時、駅前のロータリーで待ち合わせてタクシーに乗り、園田の情報提供者の家に向かった。
その元刑事は園田の同期で、定年退職も一緒だったようだ。甲府と上諏訪、近いと言えば近い。たまに会っては?んだりもしていたらしい。タクシーの中で涼子に現時点の調査内容と、事実に基づいた内容の報告だけを行った。仮説はまだ久住の中に出来上がっていなかった。果那は…耳を久住の胸ポケットの中に実体化させていた。眼は必要な時に移動させるつもりでいるようだ。
沢渡『ここですね。洗濯物が干してあるから、いらっしゃるかもしれませんね。』
久住は気の感覚で家の中に、複数の人がいる事はわかっていた。不穏な気を持つ存在は感じなかった。沢渡涼子が元刑事の家の呼び鈴を鳴らすと、中から声が聞こえた後、初老の女性が玄関に出てきた。家の中からは子供の声が聞こえている。女性は沢渡涼子を見て唖然とした表情になった。
沢渡『こんにちは、突然すみません。私はジャーナリストの沢渡涼子と申します。こちらは作家の久住晴翔先生です。御主人にお話を聞きたくて参りました。お取次ぎ頂けますか?』
女性『主人にですか。あ!報道番組の!ちょっと、玄関に来て』
玄関口に出て来たのは園田の同期の元刑事、桂木の妻でたか子だった。たか子に呼ばれて玄関に出てきたのは息子の孝之だった。園田の同期の元刑事の名は桂木渉一…渉一には妻と息子と孫がいた。息子の孝之も涼子と久住を見て驚いている。いきなりテレビに出ている有名人が、家を訪問するとは思いもしないのは当たり前だ。涼子が息子の孝之にも桂木渉一(かつらぎしょういち)に話しを聞きに来た事を伝えた。
孝之『父は三年前に亡くなりました。』
沢渡『え?まさか、殺害されたのですか?』
孝之『え?…いえ事故です。出かけてくると言って家を出た後、夜になっても戻って来なかったんです。警察に連絡して捜索して貰ったんですが、川岸で倒れているのが発見されました。溺死だったそうです。川に何かのひょうしに落ちたんだろうと警察は言っていました。』
久住『詳しく聞かせて頂けませんか。あと御主人の遺品とか…何か書類的な物をみせて戴きたいんですが。孝之さん、お父さんは殺害された可能性が高いですよ。』
たか子『え?本当ですか。』
たか子は久住と沢渡を家の中に招き入れた。たか子がお茶の支度をしている間に、孝之が渉一の遺品であるノートや書類関係を持ってきた。園田彰のように日記を書くタイプの人間ではなく、残っていたのは捜査ノートと書かれたノートが一冊と書類が数枚だった。久住がノートを読んでいる間に沢渡涼子が、たか子と孝之に訪問した理由を話していた。
たか子は園田彰の事を憶えていた。何度かこの家にも遊びに来た事があり、五年ほど前からは二人で出かける事も多かったようだ。二人で話す時にはたか子や息子、孫も傍には寄せ付けずに、小さな声で真剣な顔で話をしていた事を憶えていた。桂木渉一の死因は溺死だった。付近に争った形跡も無く川に嵌って岸まで辿り着く前に、溺れたというのが警察の見解だった。
久住『このノートは園田さんと一緒に調べたんだね。園田さんのパソコンの中身と同じことが書いてあった。やっぱり一緒に調査をしていたんだ。奥様、御主人が亡くなった日はいつ頃ですか?』
たか子『三年前の三月二十二日です。寒い朝だったんですがね、駅に行くと言って出かけたんです。』
沢渡『三月二十二日ですか。その前日の午後、園田さんがいなくなりました。失踪しています。』
たか子『え?本当なの?主人の事を連絡しようと、携帯に電話をしたんですが繋がらなくって…そんな…まさか』
久住『奥さん、警察まで同行して戴けますか。遺族の方なら捜査資料もみせて貰えるかもしれません。』
久住と涼子を連れてたか子と孝之が甲府警察署に赴いた。当時の捜査の担当刑事を呼び、たか子が事情を説明した。桂木渉一は山梨県警甲府警察署の、刑事課勤務の刑事だった。定年する十五年前に甲府警察署に異動となり、その後は定年まで勤めあげていた。当時の所轄の警察署員は先輩の死を悼み、捜査には万全を期していた。今回も遺族の妻と息子が訪問した事に対し、警察署長まで出てきて対応してくれた。
署長『これは奥様、お久しぶりです。資料は本来、申請が必要ですが、ご遺族ですし桂木さんには世話になりました。お見せしましょう、後ろにいる方は…どこかで見た事が…あ、久住晴翔!あ、失礼しました、久住先生、それに沢渡さんですね。』
沢渡『突然押しかけてすみません。どうしても確認したい事があるんです。宜しくお願いします(笑)』
署長『そんな美人に微笑みかけられたら断れないでしょう。しかしあなた方が来たって事は、桂木さんの事に事件性があるという事ですね。もしそうだとすると警察の失態になりますが、先輩の事は私も知りたいですからね。協力します。』
甲府警察署の署長は新人の時に桂木に世話になった男だった。捜査資料の閲覧だけではなく当時の捜査員も呼んでくれた。久住は捜査資料を読みながら、捜査員に幾つか質問していた。遺族は見るのも辛かろう遺体の写真をみて、身体に付いた傷や状態、発見された現場の状況を確認していた。果那が久住から離れ桂木の遺体発見現場の河原で実体化した。
果那『ここにうつ伏せで倒れていた。川に流されてきたという見解だったけど、額の傷は川底で擦れた感じじゃない、何処からか落下した時の裂傷に近かった。本当の殺害現場を探った方がいいわね。』
果那はたか子と孝之の話を思い出していた。桂木が家を出たのは朝十時だった。発見されたのは夜十一時、死後十二時間が経過していたと鑑定結果が出ている。桂木の自宅から川まではニ十分弱、殺害された時間は十時半から十一時の間だと推測できる。自宅から三十分で行ける範囲の上流の川沿い…そこが殺害現場のはずだ。
この川の遺体が発見された場所は、ちょうど折れ曲がったように川が曲線を描いており、そのせいで川岸に遺体が漂着したのだろう。川の水が増水していたら、そのままもっと下流に流されていたかもしれない。地図を見ながら桂木の自宅、遺体発見現場、自宅から三十分圏内の川の上流地点…三つの事象を重ね合わせた時、おおよその位置は思い浮かんだ。後は確認するだけだ。果那は眼だけを残し身体は自宅まで戻した。実体化させた目を上空に飛ばし、ドローンで撮影するように上から見ながら上流に飛んでいった。
果那『この辺りだわ…きっと此処よ。』
人が川岸に近寄れる該当の場所はそんなには無かった。目安をつけた場所で果那は再び自宅から霧散化し実体化した。川に突き落とされたという感じではない。恐らく川の中に落とされて、上から押さえつけたのだろう。その時に額に傷が出来た可能性が高い。事件から三年の月日が経過しているが、水の中でなければ血痕は残っているはずだ。久住に連絡し出来れば鑑識班をこの場所に派遣させたかった。
果那『ダーク・テミスの名前を使うしかないかしら。でも今はまずいわよね、久住晴翔との関係がばれるかもしれないし…』
考えた末に久住の耳元で声だけを届ける事が出来ないか試してみた。口を霧散化し久住の耳元で、視界で捉えられない程度に実体化させ、囁くように呟いてみた。試みは成功し久住に果那の声は届いた。久住晴翔も捜査資料を読みながら、捜査員の話を聞き同じことを考えていた。果那からの連絡で殺害現場が特定でき、署長やたか子、孝之に自分の考えを伝えた。
久住『皆さん、これは事故ではなく事件だと思います。そして桂木さんだけではなく恐らく…十人以上の被害者がいる殺人事件になるでしょう。桂木さんと園田さんはその事案を調査中に、犯人に襲われたのだと思います。』
署長『え?そんな大事件なのですか。』
久住『殺害現場はここではなくもっと上流でしょう。この額の怪我はその時の傷ではないかと思います。三年が経過していますが血痕は発見できるかもしれません。署長、鑑識班を出動して戴けませんか。』
署長『わかりました。おい、鑑識班に連絡してくれ。手の空いた刑事も同行だ。』
久住『沢渡さん、警察庁に知り合いはいませんか?この事件は幾つかの県にまたがっています。警察庁が主導してくれるのなら警察と協力しますよ。』
沢渡『刑事局にいますよ。わかりました、連絡を取ってみます。まずは現場検証ですね。』
刑事や鑑識班と一緒に久住達も現場に向かった。最初に遺体発見現場に行った後、果那が久住に示した場所に、鑑識班や刑事達を久住が誘導していった。鑑識班が来る前に果那は身体を霧散化し、周辺の殺人の痕跡を拾おうとしていた。事件から三年の歳月で風化した現場に、僅かな血痕の痕跡を発見していた。果那から久住にこの事も伝わっていた。
久住『この地形の感じだと…あの辺りが怪しいですね。鑑識さん、あの辺を中心にルミノール反応を調べてください。』
鑑識『あ!ありました。ルミノール反応です、血液も僅かに残ってます、これならDNA鑑定も可能です。採取します。』
刑事『周辺を捜索するぞ。チリ一つ見逃すな、必ず何かがあるはずだ。』
刑事達は遅くまで捜索を行い、周辺をくまなく捜索し幾つかの足跡を、川から登った林の中で発見した。それ以外にも被害者の物と思われる、ハンカチや靴なども発見に至った。鑑識と科捜研の捜査の結果、血痕は被害者と一致し、ハンカチや靴も被害者の物だった。靴跡は被害者の靴跡と別に二つが発見された。それを元に甲府署は事故死と断定した桂木渉一の事案を、殺人事件として再捜査する事を決定し山梨県警本部に連絡をした。
県警本部長『署長、報告を聞く限り、とてつもない事件になるという事か。』
甲府署長『は!あの異能探偵が出てきた以上、恐らくは。久住氏からはまだ連続殺人については極秘にとの事です。』
県警本部長『犯人の目星がつくまでは、慎重にしないといかんからな。記者会見の準備だ。事故死と見せかけた殺人事件…この件が発表されれば、真犯人にもプレッシャーがあるだろう。何か動きがあるかもしれん。』
翌日、山梨県県本部は本部長と刑事部長、甲府署署長が同席し記者会見に臨んだ。県警本部長の急遽の異例の会見は、多くの報道関係者が集まり、全国ネットの報道番組でも流された。三年前の甲府警察署の元刑事の事故死が偽装された殺人事件になった事で、報道陣からは現職時代の事件に関係する事かかとの質問も出ていた。
刑事部長『元刑事の現職時代の案件は全て調査しました。しかし彼が命を狙われるような事件には、関わっていない事は判明しています。』
報道陣『では犯人は元刑事と知らずに、犯行に及んだという事ですか?』
刑事部長『それもわかりません。ただ一つ言える事は通りすがりの殺人ではなく、明らかに彼を狙った殺人だという事です。特定の個人を狙った以上、必ず接点があるはずですので、我々は根気よく捜査を続けていきます。』
この事件は各テレビ局が取り上げ、事件の真相を追う報道が増えていった。一方で沢渡涼子の紹介で久住は、警察庁刑事局長と面会していた。警視庁の刑事に連行されたり、テレビ局に入り込んで受信傍受した件で、久住は警視庁への協力を拒んでいた。警察庁としても異能作家、久住の力は認めており、関係の修復と協力体制の構築を望んでいた。久住の申し入れは警察庁にとって有難く、特例中の特例だが刑事局長、羽生浩二(はぶこうじ)が直接会うことになった。
警察庁刑事局長に会う前に、久住と果那は園田のリストを完成させ、時系列に並べるだけではなく、被害者の住む地域、最後に目撃された地区をマップ上に記していた。七人の失踪者は長野県、群馬県、山梨県、栃木県、新潟県、福島県の六つの県が所在地だった。時系列でみると最初の十三年前から一年毎に県が変り、七年目に最初の県に戻っていた。
羽生局長『七年目に最初の件に戻ったという事ですか。何の為に…しかも一年後だったり三年後だったり…そこに法則性が無いという事ですか』
久住『いえ、恐らくはそこも法則性があるはずです。園田元刑事の調査では見つからなかった失踪者がいるはずです。一年に一人であれば一年で一県、七年目に最初の県に戻る事になりますからね。被害者がいない年にも必ず失踪者がいるはずです。そして恐らく…これは今も続いている可能性があります。』
羽生局長『わかりました。極秘で六県の県警と合同で捜査し、久住先生の予測された失踪者を探してみます。それとリストの失踪者の捜査も行います。』
久住『有難うございます。私達は私達の視点と切り口で、犯人のプロファイルをして調査します。わかった事があれば情報交換をしながら、次の犯行が起きる前に。』
羽生局長『ええ、早く犯人を確保しましょう。』
果那の両親の事件を調査して事が、結果的に大きな連続殺人の捜査に繋がった。現時点でわかっている事は少ないが、警察庁が協力し六県警の合同捜査になった。事件は大きく動き出した。
第三章 邪神の住む館 後編に続く。
第三章 邪神の住む館 前編
久住『果那さんの両親の事件か…確かに不審な点が多い…調べてみる必要があるな。』
久住晴翔はダーク・テミス早乙女果那と話してから、果那の両親の事件の事がずっと気になっていた。久住がまだ高校生の時に起きた事件で、発生当初は報道でも大きく取り上げられ、毎日のように現場に報道陣が取材の為に集まっていた。それが…数日たって犯人が特定されると、被疑者死亡のまま送検され何もなかったように報道も収まっている。明らかに警察や検察、報道機関に何らかの圧力があったとしか思えなかった。
果那の両親の事件があった当時の久住晴翔は、自分の持つ異能を持て余していた時期で、事件や政治家の不祥事に興味を持つまでに至っていなかった。当時の事件報道をあらためて見返して、この不審な十九年前の果那の事件を調べる決心がついた。最初に取り組んだのは早乙女果那の父親、今泉信也についてだ。父親の事をまだ幼かった果那はほとんど覚えていない。外務省に勤務していた官僚だった事も、成長して事件を調べていくうちにわかった事だった。
果那は今までに調べた事は全て久住に伝えてあった。外務省に勤務していた父が関わったはずの国際開発援助…今泉家を襲った犯人が関係しているのは間違いないはずだと果那は言っていた。久住の直感もそう感じている。
久住『深夜に侵入した者達の目的が、果那さんの父親の仕事に関わっているとすれば。父親が担当していた国際開発援助がどの国のものだったのか、それを探っていくのが近道になるかもしれない。』
果那の父、信也は外務省で国際開発援助に関わる部署に勤務していた。事件と関係性があるとすれば当時の国際開発援助で、胡散臭い事が無かったという事になる。十九年前の国際開発援助は三つの国に対して、数十億規模で行われていた。この中で今泉信也が関わっていた事業がどれなのか…そこを探るのが糸口になるはずだった。
しかし外務省に問い合わせても、過去の職員の記録を応える事はない。開発援助については資料が残っており確認は可能だったが、携わった官僚の名前は上位職の者しか記載されていなかった。果那の父親から事件に迫るには時間が絶ち過ぎていた。
久住『どの国に関わっていたか調べるのは苦労しそうだな…事件から追うしかないか。』
事件の数日後に遺体となって発見され殺人犯として特定された男は、警察から被疑者死亡で送検され検察は追加調査を求めなかった。検察は被疑者死亡の為、不起訴処分として処理した。警察の捜査から送検、そして検察の不起訴処分まで三週間もかかっていない。ありえないスピード捜査だ。阿倍階元総理の疑獄事件では警視庁に圧力がかかり、捜査が中途半端で終わりそうになった。同じような事が果那の父の事件でも起きていた可能性も考えられた。
捜査資料・記録の保管期間は三十年となっており、警察署内に当時の資料は残っているはずだ。しかし久住は警察への協力を拒んだ事で、警視庁とは非常に仲が悪い。所轄には知り合いもいるが保管されているのは本庁だ。資料をみる事も調べる事も不可能だろう
当時の捜査員の名刺を祖父母が貰っており、その名刺は果那が大事に保管していた。久住は名刺の写しを貰って調査を進めた。果那が持っていた名刺は捜査一課と捜査二課の二名の刑事のものだった。本来、殺人事件であれば捜査一課だけだ。二課が出てきているという事は、贈収賄や汚職に絡んでいたと思われた。
久住『二課が捜査をしていたという事か。やはりODAに絡んだ不正があったと見るべきだな。果那さんの父親を捜査二課がマークしていたのか…それとも別の何かが…』
汚職の情報を入手できれば事件の動機に辿り着きやすい。捜査二課の名刺は一枚だけしかなかったが、警視庁捜査二課一係長の肩書の名刺だった。捜査一課の刑事は果那の両親が殺害された、殺人事件の捜査に加わった刑事だ。知り合いの所轄の刑事に頼み、四枚の名刺の刑事について調べてもらった。二課の刑事は十五年前に定年退職していて、三年前に七十二歳で亡くなっていた…病死だった。調査を頼んだ所轄の刑事の同僚がこの刑事をよく知っており、退職後の連絡を取っていたそうで亡くなった事がわかった。
捜査一課の刑事は捜査一課三係係長の名刺だった…階級でいうと警部になる…十年前に定年退職をしていて退職した後の、住所や所在の確認は出来なかった。警視庁の捜査一課であれば知っている者もいるかもしれない。ネットで名前を検索しても何も出て来なかった。どうしたものかと考えながら小説の執筆とコメンテーターを続けていたが、報道番組で一緒になった沢渡涼子が久住の微妙な変化に気づいた。
沢渡『…久住先生…どうかされましたか?』
久住『え?ちょっと考え事をしていただけですよ。』
沢渡涼子はしげしげと久住の顔を覗き込み、首を傾げながら少し嬉しそうに微笑んだ。いつも冷静な久住が考え込む姿が、彼女には可笑しかったようだ。
沢渡『そんな表情をされる先生は初めて見ました(笑)。何か悩み事でもあるんですか?』
久住『そんなに可笑しいかな~…悩み事では無いんですが…退職した刑事の所在を調べる方法はないかと考えていてね。』
沢渡『警察はこういった情報の漏洩は厳しいですからね。所轄ですか、本庁ですか?』
久住『本庁の捜査一課ですよ。十年くらい前に定年退職した係長です。』
沢渡『じゃあ、私が聞いてみましょうか。捜査一課長にインタビューの予定がありますから。その時に知り合いの刑事に聞いてみましょうか?なんて名前の方ですか。』
餅は餅屋というか流石にジャーナリスト、沢渡涼子の取材力は侮れない。涼子は警視庁のインタビューの際に、捜査一課長に何気に聞いてみた後、ベテランの刑事を捕まえて聞いてくれた。一課長はその名前を聞いた時に、何か含みのある表情だった。ベテランの刑事は涼子の問いに、腕を組んで宙を見上げていた。
刑事『園田さんか…俺も世話になった方だよ、人情のある正義感の強い人だったよ。沢渡さん、何を知っているんだい?何を調べているんだよ。』
沢渡『何かあるんですか?じゃあ、正直にいいますね。久住先生が気にされているんですよ。先生は特別ですから気になるって事は、何かあるのかなって思ったんです。』
刑事『異能作家、久住晴翔か。いいよ、教えるよ。俺も心配でな。』
定年した刑事の名前は園田彰(そのだあきら)。捜査一課で傷害や殺人事件に従事した、正義感の強い熱血漢の刑事だったそうだ。十年前に定年した後は東京を離れ、上京する前に住んでいた田舎に移り住んだ。妻は定年前に亡くなっていて園田は一人暮らしだった。子供は二人いたがすでに結婚し、都内で家族と暮らしている。その園田が三年前に失踪していた。
園田が移り住んだのは長野県上諏訪町、高校卒業後、東京の短大に入る前まで両親と暮らした実家だ。両親は園田が定年する十年前に亡くなり、誰も住まない空き家になっていた。定年後、東京の官舎を出て実家に移り住んできたそうだ。子供の頃からの古い友人達も数人はまだ上諏訪に住んでいて、湖で釣りをしたりハイキングにいったりと、級友たちと楽しい余生を過ごしていた。
園田の捜索願いが警察に出されたのは、三年前の春先の事だった。突然、連絡の取れなくなった父を心配し、長女が上諏訪の実家を訪ねた。まるで直前までそこで生活していたかのような部屋の中に、園田の姿だけがなくポストに新聞が一週間分溜まっていた。近所の人に聞いても一週間ほど前から、姿を見ていないという話だった。
諏訪署に捜索願が提出されたが事件性の形跡はなく、一般の家出人に分類され捜査はされなかった。園田の家に出入りしていた人は数人いたが、近所の人や古い友人達ばかりで、誰も園田の行方はわからず不審な事もなかったと言っていたらしい。退職後七年が経ってはいたが、警視庁捜査一課の元刑事の失踪の連絡は警視庁にも入った。過去の事件絡みでの報復等の可能性もあり、園田が過去に関わった事件との関連性を調べたようだ。しかし…それらしき事件はなかった。
果那『久住先生、お呼びですか?』
久住『果那さん、先生はやめましょうよ。久住か晴翔でいいですよ。』
果那『じゃあ…晴翔かしら(笑)。年下なのに呼び捨ては駄目ですね。晴翔さんにします。』
今日の報道番組に出演した際、久住は時計を嵌めていた。果那への連絡の印だ。その夜、果那は久住の部屋に移動した。果那の両親の事件の際に担当した刑事、園田の失踪に関して久住が果那に話をした。失踪した時には両親の事件から十六年の歳月が流れており、関連性はかなり低いが久住は気になっていた。
久住『ジャーナリストの沢渡さん経由で警視庁の刑事に聞いたんだけど、人柄や周りの人達との接し方とか…失踪するような人には思えないんだ。果那さんの事件絡みなら退職後に捜査をしていた可能性もあるけど。それ以外の事に巻き込まれている可能性もありそうでね。』
果那『異能作家の直感ですか。どうされますか。』
久住『まずは上諏訪の実家に行ってみようと思う。彼の周囲の人に話をきいてみて…現場に行けば何か感じるかもしれないからね。果那さんの力が必要な時は…どうやって連絡しようか?』
果那『(笑)フリーアドレスです。ここにメールをください。』
久住は次の週、コメンテーターの番組の出演を見送り休暇を取った。いつもは隣に擦っている久住が、沢渡涼子には何の連絡も無しに欠席した。沢渡涼子は久住が園田の件を調べるのだろうと思っていた。
沢渡『一人で何かを調べているのね…私は蚊帳の外なんて…ちょっとな~。』
涼子は心の中で少しむっとした感じで呟いていた。園田の住む上諏訪は新宿から特急あずさで二時間ちょっとで着く。朝早く家を出て上諏訪には十一時に着いた。レンタカーを借りて一先ず園田の家を目指した。園田の自宅は駅から車で十五分くらいの住宅街の中にある。閑静な住宅街…というよりも人をあまり見かけない。
久住『諏訪市の人口は五万人弱か…中心部でも人はまばらなんだな。』
園田斧自宅前に着いた。平屋建ての一軒家だが屋根の上に、二階部分のような建物があり増築したような建築物だ。広さは一軒家としては普通というところか、庭も普通…広くもなく狭くもない、何処にでもありそうな田舎の一軒家だった。自宅前に車を止め玄関に向かうと、家の中から人の気配が漂っていた。久住の気の力は部屋の中に一人の女性の気を感じ取った。敵意のある悪しき気配ではない。久住は玄関の呼び鈴を押した。
女性『はい、どちら様ですか?』
久住『突然すみません。久住と申します。園田彰さんの事をお聞きしたくて、訪問させて頂きました。失礼ですが、貴女は?』
女性『私は娘の晶子と言います。…久住、作家の久住先生ですね。本は読ませて頂いています!大ファンなんです。先生にお会いできるなんて!』
玄関に出てきたのは晶子という名の女性で園田彰の長女だった。晶子は読書家で久住の書いた小説は全て読んでいるそうだ。倒れ込んできそうな勢いで、晶子は久住の腕にしがみついて話しかけていた。
久住『娘さんでしたか…えっと…』
女性『父の事を聞きたいって先生が仰るという事は、父が失踪している事も御存じの上で来ていらっしゃるんですね?』
久住『はい、お聞きしております。三年前から行方が不明とか。』
晶子『先生が調べて下さるなんて…感激です…お上がりください。中でお話ししましょう。』
園田の娘、晶子は月に一度は実家を訪れ、父が戻った形跡は無いかを確認し、部屋の掃除や空気の入れ替えを行っていた。二カ月に一度は弟の昭雄も来るそうで、今日は昭雄も間もなく到着するという事だった。アキラの娘でアキコ、息子がアキオ…安易な名づけではあるが…作家、久住晴翔にとっては疑問の名づけだったようだ。
弟が来る前に訪問の理由を簡潔に伝えた。勿論、十九年前の事件については伏せて、園田の失踪に関して気になった事だけを伝えた。姉の晶子は弟が来てからの方が良いだろうと、家の中の様子を先にみる事を許してくれた。一階は十二畳の和室の居間、寝室は八畳の和室と八畳の客間があり、奥に六畳の納戸があった。二階部分と思われた場所は、園田が定年後に増築した書斎だった。久住は一階を見回った後、二階部分の書斎に入っていった。
久住『綺麗に整理された書斎ですね。』
晶子『父は職業柄か、書類の整理はきちんとしてましたから。どうぞ、お好きに調べてください。私達はみてもわからないものばかりで、殆ど読んでいません。』
久住『では、お父様の行方がわからなくなってから、この部屋の状態は変わっていないという事ですね。』
晶子『はい、そのままの状態です。一階の居間とかは片づけましたが、電気ポットも炊飯ジャーも電源は入ってましたし、居間の座卓には湯?みも置いてあって。本当に消えてしまった感じだったんです。』
部屋は整理され荒らされた形跡は無かった。書類もファイルもきちんと並んでおり、何かを抜き出した痕跡も無い。卓上にパソコンが一台とプリンタが置いてあった。机の上の本棚には何冊かの本とノートが置いてある。久住は本棚から本を抜き出しノートも抜きだした。本は刑法と民法の本で後は小説だった。ノートは四月始まりの三年日記、園田がつけていた日記のようだ。定年後から書き始めたのか《三》と書かれてあった。三年日記で三という事は一と二もあるはずで、定年後から失踪する七年間の日記があるはずだ。手元にある日記は定年後の七年後、失踪する約一年前から書かれてあった。
久住『日記が他に二冊あると思います。探してもいいですか?出来れば日記をお貸し頂ければ。』
晶子『ええ、勿論です。父の捜索に久住先生が乗り出してくれるなんて、弟もきっと驚くでしょうし喜ぶはずです。』
書斎の中を久住が捜索し、二冊の日記を見つけ出した。それ以外で目ぼしい資料は確認できない、パソコンはパスワードがわからないそうで、失踪後、家族が起動させたことは一度も無いそうだ。そんな話を書斎でしていると、一階の玄関から弟の昭雄が入ってきて、姉の晶子を下から呼んでいた。
昭雄『姉さん、上に居たんだ、父さんの部屋にいるなんて珍しいね。あれ?どなた?』
晶子『作家の久住先生だよ。父さんの事を調べに来てくれたのよ。』
昭雄『ええ、あの久住晴翔…さんですか!』
久住『初めまして。』
姉弟が揃ったところで事情を聞く事になった。園田彰は退職後、刑事時代の資料を纏める為に田舎に引っ越し、実家の二階に書斎を増築した。元々、本が好きで刑事時代の資料を元ネタに、刑事ものの小説を書こうと思っていたらしい。そういえば書斎には様々な種類の本があった。歴史小説から推理小説、自伝的な本や童話まで揃っていた。
それ以外にも気になったニュースは、自身の手で調査もしていたらしい。刑事の捜査というよりは小説の為だった。気になるとどんな所にも出かけていく事が多く、旅に出る事も多かったと姉弟は言っていた。
昭雄『だから最初、近所の方から連絡があった時も、何処か旅に行ったと思ったんですよ。でも部屋に入ったら旅に出た様子も無かったので。携帯に電話しても、電源がはいっていないのか繋がらないし。』
久住『携帯電話の最期の基地局はわかっているんですか?』
晶子『それは警察が調べてくれて。旅先ではなく近くの公園の辺りだったんです。そこからは湖にも山の方にも行けますから、ひょっとしたらって。』
昭雄『父は泳げないですから。湖に落ちたのかもしれません。先生はどう思われているんですか?』
久住『まだ確かな事は言えませんが…ただの失踪にしては不可解な点が多いです。部屋は失踪時から殆ど変わってないという話でした。書斎の様子を見る限り、今まで椅子に座っていたという感じです。晶子さんの話では居間もそんな状態だったそうですし。突然…何らかの理由で家を出る必要が出来たか、何者かに拉致された可能性は捨てきれません。何日か諏訪に留まって調べてみようと思います。』
晶子『それでしたらこの家をお使いください。私達は夕方には東京に戻りますが、鍵は先生が東京にお戻りになった時に、お返し頂ければ結構ですので。』
その後も世間話を交えながら、園田の人生を子供達から聞いていた。沢渡涼子が警視庁の刑事から聞いた通り、正義感が強く熱血漢という印象の男だった。子供達は園田の刑事時代の事はあまり知らなかった。家では仕事の話は殆どしなかったそうだ。晶子は父が三度だけやけ酒を飲む場面を見たといった。捜査が思い通りに出来ずに、悔しそうな感じで呑んでいたそうだ。
晶子『未解決で終わった事件はないって言ってました。けど…何でしょうね?悔しそうで…一番、憶えているのは私が会社に入って、半年も経っていない時でした。事件は解決したって言ったんですけど、何故か悔しそうで。もう二十年近く前ですよ。』
晶子の言う時期と果那の事件は一致する。恐らく果那の両親の事件の事だろう。夕方、晶子と昭雄は久住に見送られて東京に戻っていった。二人が帰った後、久住は果那にメールを入れた。果那の《特殊能力》を全て知っているわけではないが、彼女の力が必要だと直感的に感じた。メールを発信して一分後、居間に座る久住の前に果那が実体化した。
果那『晴翔さん、ご飯は食べましたか?』
久住『あれ…お腹が空いているのかい?』
果那『はい、夕食の準備をしようと思ってたら呼び出されましたから…ちょっとご機嫌斜めです。』
久住『じゃあ、僕が何か買ってくるよ。二人でいるところを見られても困るから、果那さんは家で待っていてよ。家の中を見て周ってもいいよ。二階が園田さんの書斎になっていて…パソコンはパスワードがわからなくて起動しないけど…部屋の中は見てもいいって娘さん達から承諾は得ているから。じゃあ何か買ってきますよ、リクエストはあるかい?』
久住が家を出た後、果那はバッグに入っていたお菓子を頬張りながら、二階の書斎に入った。果那は書斎の中で自分の身体を霧散化させ、部屋の隅々に至るまで調べ尽くした。果那の能力の一つだが細胞レベルに霧散化した状態で、自分が探したいと思うものに触れると認識する事が出来た。部屋の中には棚の奥に幾つかの捜査資料が隠されてあった。
果那『パソコンのパスワードね。』
パソコンを起動するとパスワードの入力画面ではなく、指紋認証の案内画面になった。しかしパソコンに指紋認証用のポートはなかった。USBタイプの指紋認証リーダーが発売されている。園田の机の中を探すとリーダーがあった。指紋認証リーダーの上に指を置き、指の表面を霧散化させていった。リーダーの表面を果那の霧散化した細胞が覆い、リーダーに残された園田の指紋を指に写し取っていった。園田の指紋は今、果那の指の指紋は園田の指紋になっていた。
果那『これで解除出来るわ。』
指紋を写し取った指を指紋認証リーダーに触れると、パソコンが解除され起動を始めた。果那はパソコンの認証システムを、指紋認証からパスワード認証に設定を変更して、新しいパスワードを登録した。これでいつでもパスワード認証で起動させる事が出来る。久住一人でもパソコンをみる事が可能になった。画面には幾つかのフォルダーのアイコンが並んでいた。定年後に気になって調べた案件毎にフォルダーを作り、資料と記録を保存していたようだ。
久住『果那さん、買ってきたよ。食べてからにしないか。』
一階から久住の声が聞こえた。果那はパソコンの電源を切って、階下の久住の元に戻った。増築した二階の書斎に続く階段は、小さな板で出来た階段だ。果那の降りてくる勢いで、階段は悲鳴を上げているようだった。居間に来ると何も言わずに、久住が買ってきた袋の中を覗いていた。
久住『なんか、果那さんというかダーク・テミスのイメージが変わってくるよ。本当にこんなのでいいのかい?』
果那『晴翔さんが私にどんなイメージを持っていたかは知りません。わ~美味しそうですね。』
果那は久住が買ってきたタイ焼きと今川焼にかぶりついていた。果那の大好物は小豆だ。小豆を使った食べ物なら何でも好きだが、特にタイ焼き今川焼系は大好物だった。久住は普通の幕の内弁当を食べ始めた。果那の為にサンドウィッチも購入していたがタイ焼き二つと今川焼を二つ食べたあと、ミックスサンドにも果那の手は伸びていた。久住はそんな果那の様子を優しく目を細めて視ていた。
果那『そうそう晴翔さん、園田さんの現職の頃の捜査資料が三つ、あとパソコンも解除してパスワードも変えておきましたよ。ご飯食べ終わったら書斎で確認してください。』
久住『…それもダーク・テミスの能力なのか…果那さんの力は凄く興味深いよ。』
夕食後、久住と果那は書斎に向かい捜査資料を手元に置き、園田のパソコンにパスワードを入力して起動した。最初に園田の残した三つの捜査資料に目を通した。資料の二つは傷害事件と暴行事件の捜査資料だった。二件とも検挙した被疑者は証拠不十分で釈放され、その後、犯人は特定されず迷宮入りとなっていて、すでに時効も成立していた。
久住『園田さんが悔しそうに酒を飲んでいたのを、晶子さんが三回ほど見たと言っていたが…この事件なのかもしれないな。容疑者は…やはり政治家の息子か…。』
傷害事件と暴行事件の容疑者として浮かび上がった男は二件とも同じ人物だった。久住はその男の苗字に見覚えがあった。時効になった事件でもあり調査をしても無駄だろう。そして三つ目は…十九年前の果那の両親の事件だった。園田は事件の幕引きに疑念を持っていたのかもしれない。当時の捜査資料を園田は大切に保管していた。
果那がずっと閲覧したかった当時の捜査資料…探す術もなく今までみる事は出来なかった。その捜査資料が目の前にある…久住は果那に資料を渡し内容の確認を任せた。果那は資料を受け取ると椅子に座り、瞬きするのも惜しい感じで資料を読みふけっていた。そして久住自身はパソコンのデータを確認する事にした。
果那『晴翔さん、やっぱり捜査に不審な点があったようです。犯人と思われる遺体の男の毛髪が家に中から見つかったのも、事件発生から数日経ってからだったそうです。紛失した資料もパソコンも見つかっていない。園田さん、かなり怒った感じで赤ペンを入れています。退職した後に記載したんでしょうけど。』
久住『そうか、何か上からの圧力が働いたという事かもしれないね。後は何かあったかい?』
果那『はい、二課も動いていたようで現場検証にも立ち会っています。園田さんのメモ書きだと父が何かを二課に密告したようで、二課の事情聴取を受ける前日に、あの事件があったと書いてありました。』
久住『二課がらみだと汚職か疑獄事件だね。ODA絡みで裏で不正があった可能性が高いね。慎重に調べてみようか。』
果那『でも園田さんの失踪とは関係なさそうですね。そっちはどうですか?』
久住『うん。定年後に追いかけていた案件が四つあったよ。資料はフォルダーに纏めてあった。小説の題材に考えて調べていたんだろうね、パソコンには小説もあったから。気になったのはこの《消えていく人々》というフォルダーだ。書きかけの小説も入っていた。』
《消えていく人々》小説のタイトルにもなっていた。小説のストーリーは様々な理由で、世間から忘れさられていった人達の物語だ。歳を取り一人暮らしになった人、貧しい中、何とか生き繋ぎ社会の隅っこでひっそりと暮らす人。親族や友達もなく忘れられた人々、そんな人達の物語だった。ある日、一人の女性がいなくなった、しかし、女性がいなくなった事さえ誰も知らない。日本の暗部を切り取る様な小説だった。
資料フォルダーに入っていたファイルは各地を取材した記録だった。新聞の記事を写した写メも数枚あり、各地で行方不明になった人の記事が並んでいた。そして…それとは別に《不明者リスト》というエクセルのファイルもあった。そこに掲載されていたのは七人の男女の名前だった。年齢も性別も場所も一切関連性がない男女。不明者リストというファイルであれば、行方不明という事なのだろう。
果那『行方不明者のリスト。園田さんがいなくなった件と関連性がありそうですね。捜索願いは出されているんでしょうね。』
久住『それはどうだろう?小説の内容だといなくなっても、わからない人々って感じだからね。いなくなっているけど、捜索願を出す人もいない。そういう事かもしれない。沢渡さんに警視庁のデータベースで、調べられないかお願いしてみるよ。』
果那『七人の人の住所もまちまちですね。失踪時期が記載されているのは三人だけですから、調査の途中って感じですね。この七人の調査は私がします。晴翔さんは園田さんの足取りをお願いします。』
果那は霧散化して自宅に戻っていった。久住は園田の日記に目を通していた。パソコンの記録や資料には園田が失踪する理由になるものは無かった。あるとすれば日記の中に、ヒントがあるかもしれない。七人の中で失踪時期の記載のある三人は、十年前の三十七歳の女性、七年前の六十九歳の男性、そして五年前の四十五歳の男性だった。フォルダーが作成された日付は五年前、園田が六十五歳の時だった。三年日記だと二冊目になる。久住は二冊目のフォルダーが作成される一月前の日記から読み始めた。そして沢渡涼子にも一報を入れた。
久住『沢渡さん、久住です。さっきメールでパソコンの方にファイルを送ったのですが、沢渡さんに調査をお願いしてもいいですか。』
沢渡『先生、番組の出演をキャンセルしてまで、一体何を調べているんですか。ああ、このファイルですね。これは何ですか?』
久住『前に調べて頂いた捜査一課の元刑事の、園田さんのパソコンにあったファイルです。多分…全員が失踪者のはずですが、捜索願いは出されていないと予測しています。警察のデータベースで照合できませんか。』
沢渡『失踪したという元刑事の方の資料ですか…わかりました。この間の刑事さんにお願いしてみますよ。ただし先生、条件があります。私にも教えてください、私も混ぜてください!それが条件です。』
久住『う~ん、仕方ないな。わかりました。でもまだ何もわからないから、もう少し待ってください。視えてきたら報道特集でやっていいですよ。』
翌日、沢渡涼子は警視庁の刑事を訪ねた。刑事に園田のパソコンにあった不明者リストを渡し、園田はこの件を一人で調査しているうちに、失踪した可能性が高い事を伝えた。データベースで家出人として捜索願が出ていないか、或いは犯罪歴や指名手配がされていないかの調査をお願いした。刑事は事の重大さを認識したようだ。すぐにデータベースで七人の検索を行い、捜索願いは出ておらず指名手配もされていない事が確認された。
刑事『沢渡さん。園田さんは事件に巻き込まれているって事なのか?』
沢渡『それはまだわからないと、久住先生は仰っていました。でも先生がこれほど気にされるという事は、ただ事ではない感じがします。』
刑事『この前にも話したが…園田さんには大変世話になったんだよ。何とか無事に見つけ出してくれ。』
久住は園田の日記を読みふけっていた。日記の中に初めて不明者の事が書かれていたのは五年前だった。フォルダー作成日の一カ月前の事だ。七年前に失踪した六十九歳の男性について記載されていた。小説の題材を求めて取材と調査に行った地で、たまたま園田はこの男性の話を耳にしたようだった。その話に不審なものを感じたのだろう。
人里から少しだけ離れた家に住んでいた男性が、ある日忽然と姿を消した。その男性を訪ねる者は殆どいなかったが、いなくなった事がわかったのは新聞受けに溜まった新聞だった。月に一度、男性の家に集金に行っていた配達員が、その事を近隣の住民に話をしていたようだ。園田はその後、その家を訪問している。日記に書かれた二週間後だった。
久住『二週間後、訪問して家の中に入ったのか。』
園田の日記に当時の事が書かれてあった。失踪から一年が過ぎた家は外観も荒れた感じだ。元々そうだったのか、住民がいなくなって荒れたのかはわからない。鍵も壊れており園田は家の中に入っている。不法侵入になるが仕方なかったのだろう。部屋は食事の支度がされていて、テーブルの上に干からびて腐敗したご飯とおかずが並んでいた。食事をしていた人間が出かけた気配もなく、忽然と姿を消した…まるで神隠しだ。
園田はこの事を皮切りに、同じような事はないか調べ始めていた。刑事時代の人脈も使って情報を集め、地道に調査を行っていたようだ。事件にもならない噂話程度でも警察の耳には入ってくる。そうして集まったのが七人の名前だった。四年前の日記に五年前、四十五歳で失踪した男性の名前があった。情報はその地区の元警察官から、園田の元に寄せられたらしい。そこからこの五年前の男性の失踪の調査を、情報を伝えた元警察官と始めていた。
久住『この五年前の失踪者の調査がキーになるかもしれないな。』
果那は特殊能力を使って七人の家を周っていた。部屋の中にも入り失礼ではあるが、写真も撮影し状況を確認した。ある家では部屋の中に洗濯ものが干されたままの状態だった。名簿の中には賃貸住宅に住んでいた人も三人いた。すでに部屋は整理され別の人が暮らしていた。残りの四人は自宅を保有しており、失踪後、誰も来る事も無く寂れて行くばかりになっていた。失踪時期の特定も手間取ったが、賃貸契約の者は不動産会社や大家に聞いた。そして失踪時期が全て判明した。
果那『晴翔さん。名簿に失踪時期を加えてみました。七人の失踪者で最初の一人は十三年前になります。その後、十二年前に一人、十一年前に一人、十年前に一人、そこまでは一年毎に一人ですね。そして七年前、六年前、五年前…一人ずつですね。ほぼ同じ月に失踪していました。』
久住『年に一人かもしれないね。園田さんが調べられなかったのかもしれない。そして三年前の園田さんの失踪か。果那さん、五年前に失踪した人の情報を提供した元警察官の方がいるらしくて、園田さんはその方と一緒に調査していたようなんだ。明日、僕も五年前の失踪者の自宅を見て、その元刑事にも会ってみたいと思う。甲府だから朝早く出れば夕方には戻って来られるだろう。』
果那『仕方ないですね。お連れしますよ、運搬料金は貸しておきます。』
久住『…?…特急で行っても一時間だから大丈夫だよ。沢渡さんも連れて行こうと思うんだけど。』
果那『私は会う訳にはいきませんね。現地で落ち合う感じですよね。私もそっとついてきます。』
沢渡涼子は一流のジャーナリストだ。こういった取材は彼女の得意分野、涼子の力は必要だと感じた。それに関わらせないと…そろそろ怒り出しそうな感じもあった。沢渡涼子とは現地、甲府の駅前で待ち合わせをした。朝十時、駅前のロータリーで待ち合わせてタクシーに乗り、園田の情報提供者の家に向かった。
その元刑事は園田の同期で、定年退職も一緒だったようだ。甲府と上諏訪、近いと言えば近い。たまに会っては?んだりもしていたらしい。タクシーの中で涼子に現時点の調査内容と、事実に基づいた内容の報告だけを行った。仮説はまだ久住の中に出来上がっていなかった。果那は…耳を久住の胸ポケットの中に実体化させていた。眼は必要な時に移動させるつもりでいるようだ。
沢渡『ここですね。洗濯物が干してあるから、いらっしゃるかもしれませんね。』
久住は気の感覚で家の中に、複数の人がいる事はわかっていた。不穏な気を持つ存在は感じなかった。沢渡涼子が元刑事の家の呼び鈴を鳴らすと、中から声が聞こえた後、初老の女性が玄関に出てきた。家の中からは子供の声が聞こえている。女性は沢渡涼子を見て唖然とした表情になった。
沢渡『こんにちは、突然すみません。私はジャーナリストの沢渡涼子と申します。こちらは作家の久住晴翔先生です。御主人にお話を聞きたくて参りました。お取次ぎ頂けますか?』
女性『主人にですか。あ!報道番組の!ちょっと、玄関に来て』
玄関口に出て来たのは園田の同期の元刑事、桂木の妻でたか子だった。たか子に呼ばれて玄関に出てきたのは息子の孝之だった。園田の同期の元刑事の名は桂木渉一…渉一には妻と息子と孫がいた。息子の孝之も涼子と久住を見て驚いている。いきなりテレビに出ている有名人が、家を訪問するとは思いもしないのは当たり前だ。涼子が息子の孝之にも桂木渉一(かつらぎしょういち)に話しを聞きに来た事を伝えた。
孝之『父は三年前に亡くなりました。』
沢渡『え?まさか、殺害されたのですか?』
孝之『え?…いえ事故です。出かけてくると言って家を出た後、夜になっても戻って来なかったんです。警察に連絡して捜索して貰ったんですが、川岸で倒れているのが発見されました。溺死だったそうです。川に何かのひょうしに落ちたんだろうと警察は言っていました。』
久住『詳しく聞かせて頂けませんか。あと御主人の遺品とか…何か書類的な物をみせて戴きたいんですが。孝之さん、お父さんは殺害された可能性が高いですよ。』
たか子『え?本当ですか。』
たか子は久住と沢渡を家の中に招き入れた。たか子がお茶の支度をしている間に、孝之が渉一の遺品であるノートや書類関係を持ってきた。園田彰のように日記を書くタイプの人間ではなく、残っていたのは捜査ノートと書かれたノートが一冊と書類が数枚だった。久住がノートを読んでいる間に沢渡涼子が、たか子と孝之に訪問した理由を話していた。
たか子は園田彰の事を憶えていた。何度かこの家にも遊びに来た事があり、五年ほど前からは二人で出かける事も多かったようだ。二人で話す時にはたか子や息子、孫も傍には寄せ付けずに、小さな声で真剣な顔で話をしていた事を憶えていた。桂木渉一の死因は溺死だった。付近に争った形跡も無く川に嵌って岸まで辿り着く前に、溺れたというのが警察の見解だった。
久住『このノートは園田さんと一緒に調べたんだね。園田さんのパソコンの中身と同じことが書いてあった。やっぱり一緒に調査をしていたんだ。奥様、御主人が亡くなった日はいつ頃ですか?』
たか子『三年前の三月二十二日です。寒い朝だったんですがね、駅に行くと言って出かけたんです。』
沢渡『三月二十二日ですか。その前日の午後、園田さんがいなくなりました。失踪しています。』
たか子『え?本当なの?主人の事を連絡しようと、携帯に電話をしたんですが繋がらなくって…そんな…まさか』
久住『奥さん、警察まで同行して戴けますか。遺族の方なら捜査資料もみせて貰えるかもしれません。』
久住と涼子を連れてたか子と孝之が甲府警察署に赴いた。当時の捜査の担当刑事を呼び、たか子が事情を説明した。桂木渉一は山梨県警甲府警察署の、刑事課勤務の刑事だった。定年する十五年前に甲府警察署に異動となり、その後は定年まで勤めあげていた。当時の所轄の警察署員は先輩の死を悼み、捜査には万全を期していた。今回も遺族の妻と息子が訪問した事に対し、警察署長まで出てきて対応してくれた。
署長『これは奥様、お久しぶりです。資料は本来、申請が必要ですが、ご遺族ですし桂木さんには世話になりました。お見せしましょう、後ろにいる方は…どこかで見た事が…あ、久住晴翔!あ、失礼しました、久住先生、それに沢渡さんですね。』
沢渡『突然押しかけてすみません。どうしても確認したい事があるんです。宜しくお願いします(笑)』
署長『そんな美人に微笑みかけられたら断れないでしょう。しかしあなた方が来たって事は、桂木さんの事に事件性があるという事ですね。もしそうだとすると警察の失態になりますが、先輩の事は私も知りたいですからね。協力します。』
甲府警察署の署長は新人の時に桂木に世話になった男だった。捜査資料の閲覧だけではなく当時の捜査員も呼んでくれた。久住は捜査資料を読みながら、捜査員に幾つか質問していた。遺族は見るのも辛かろう遺体の写真をみて、身体に付いた傷や状態、発見された現場の状況を確認していた。果那が久住から離れ桂木の遺体発見現場の河原で実体化した。
果那『ここにうつ伏せで倒れていた。川に流されてきたという見解だったけど、額の傷は川底で擦れた感じじゃない、何処からか落下した時の裂傷に近かった。本当の殺害現場を探った方がいいわね。』
果那はたか子と孝之の話を思い出していた。桂木が家を出たのは朝十時だった。発見されたのは夜十一時、死後十二時間が経過していたと鑑定結果が出ている。桂木の自宅から川まではニ十分弱、殺害された時間は十時半から十一時の間だと推測できる。自宅から三十分で行ける範囲の上流の川沿い…そこが殺害現場のはずだ。
この川の遺体が発見された場所は、ちょうど折れ曲がったように川が曲線を描いており、そのせいで川岸に遺体が漂着したのだろう。川の水が増水していたら、そのままもっと下流に流されていたかもしれない。地図を見ながら桂木の自宅、遺体発見現場、自宅から三十分圏内の川の上流地点…三つの事象を重ね合わせた時、おおよその位置は思い浮かんだ。後は確認するだけだ。果那は眼だけを残し身体は自宅まで戻した。実体化させた目を上空に飛ばし、ドローンで撮影するように上から見ながら上流に飛んでいった。
果那『この辺りだわ…きっと此処よ。』
人が川岸に近寄れる該当の場所はそんなには無かった。目安をつけた場所で果那は再び自宅から霧散化し実体化した。川に突き落とされたという感じではない。恐らく川の中に落とされて、上から押さえつけたのだろう。その時に額に傷が出来た可能性が高い。事件から三年の月日が経過しているが、水の中でなければ血痕は残っているはずだ。久住に連絡し出来れば鑑識班をこの場所に派遣させたかった。
果那『ダーク・テミスの名前を使うしかないかしら。でも今はまずいわよね、久住晴翔との関係がばれるかもしれないし…』
考えた末に久住の耳元で声だけを届ける事が出来ないか試してみた。口を霧散化し久住の耳元で、視界で捉えられない程度に実体化させ、囁くように呟いてみた。試みは成功し久住に果那の声は届いた。久住晴翔も捜査資料を読みながら、捜査員の話を聞き同じことを考えていた。果那からの連絡で殺害現場が特定でき、署長やたか子、孝之に自分の考えを伝えた。
久住『皆さん、これは事故ではなく事件だと思います。そして桂木さんだけではなく恐らく…十人以上の被害者がいる殺人事件になるでしょう。桂木さんと園田さんはその事案を調査中に、犯人に襲われたのだと思います。』
署長『え?そんな大事件なのですか。』
久住『殺害現場はここではなくもっと上流でしょう。この額の怪我はその時の傷ではないかと思います。三年が経過していますが血痕は発見できるかもしれません。署長、鑑識班を出動して戴けませんか。』
署長『わかりました。おい、鑑識班に連絡してくれ。手の空いた刑事も同行だ。』
久住『沢渡さん、警察庁に知り合いはいませんか?この事件は幾つかの県にまたがっています。警察庁が主導してくれるのなら警察と協力しますよ。』
沢渡『刑事局にいますよ。わかりました、連絡を取ってみます。まずは現場検証ですね。』
刑事や鑑識班と一緒に久住達も現場に向かった。最初に遺体発見現場に行った後、果那が久住に示した場所に、鑑識班や刑事達を久住が誘導していった。鑑識班が来る前に果那は身体を霧散化し、周辺の殺人の痕跡を拾おうとしていた。事件から三年の歳月で風化した現場に、僅かな血痕の痕跡を発見していた。果那から久住にこの事も伝わっていた。
久住『この地形の感じだと…あの辺りが怪しいですね。鑑識さん、あの辺を中心にルミノール反応を調べてください。』
鑑識『あ!ありました。ルミノール反応です、血液も僅かに残ってます、これならDNA鑑定も可能です。採取します。』
刑事『周辺を捜索するぞ。チリ一つ見逃すな、必ず何かがあるはずだ。』
刑事達は遅くまで捜索を行い、周辺をくまなく捜索し幾つかの足跡を、川から登った林の中で発見した。それ以外にも被害者の物と思われる、ハンカチや靴なども発見に至った。鑑識と科捜研の捜査の結果、血痕は被害者と一致し、ハンカチや靴も被害者の物だった。靴跡は被害者の靴跡と別に二つが発見された。それを元に甲府署は事故死と断定した桂木渉一の事案を、殺人事件として再捜査する事を決定し山梨県警本部に連絡をした。
県警本部長『署長、報告を聞く限り、とてつもない事件になるという事か。』
甲府署長『は!あの異能探偵が出てきた以上、恐らくは。久住氏からはまだ連続殺人については極秘にとの事です。』
県警本部長『犯人の目星がつくまでは、慎重にしないといかんからな。記者会見の準備だ。事故死と見せかけた殺人事件…この件が発表されれば、真犯人にもプレッシャーがあるだろう。何か動きがあるかもしれん。』
翌日、山梨県県本部は本部長と刑事部長、甲府署署長が同席し記者会見に臨んだ。県警本部長の急遽の異例の会見は、多くの報道関係者が集まり、全国ネットの報道番組でも流された。三年前の甲府警察署の元刑事の事故死が偽装された殺人事件になった事で、報道陣からは現職時代の事件に関係する事かかとの質問も出ていた。
刑事部長『元刑事の現職時代の案件は全て調査しました。しかし彼が命を狙われるような事件には、関わっていない事は判明しています。』
報道陣『では犯人は元刑事と知らずに、犯行に及んだという事ですか?』
刑事部長『それもわかりません。ただ一つ言える事は通りすがりの殺人ではなく、明らかに彼を狙った殺人だという事です。特定の個人を狙った以上、必ず接点があるはずですので、我々は根気よく捜査を続けていきます。』
この事件は各テレビ局が取り上げ、事件の真相を追う報道が増えていった。一方で沢渡涼子の紹介で久住は、警察庁刑事局長と面会していた。警視庁の刑事に連行されたり、テレビ局に入り込んで受信傍受した件で、久住は警視庁への協力を拒んでいた。警察庁としても異能作家、久住の力は認めており、関係の修復と協力体制の構築を望んでいた。久住の申し入れは警察庁にとって有難く、特例中の特例だが刑事局長、羽生浩二(はぶこうじ)が直接会うことになった。
警察庁刑事局長に会う前に、久住と果那は園田のリストを完成させ、時系列に並べるだけではなく、被害者の住む地域、最後に目撃された地区をマップ上に記していた。七人の失踪者は長野県、群馬県、山梨県、栃木県、新潟県、福島県の六つの県が所在地だった。時系列でみると最初の十三年前から一年毎に県が変り、七年目に最初の県に戻っていた。
羽生局長『七年目に最初の件に戻ったという事ですか。何の為に…しかも一年後だったり三年後だったり…そこに法則性が無いという事ですか』
久住『いえ、恐らくはそこも法則性があるはずです。園田元刑事の調査では見つからなかった失踪者がいるはずです。一年に一人であれば一年で一県、七年目に最初の県に戻る事になりますからね。被害者がいない年にも必ず失踪者がいるはずです。そして恐らく…これは今も続いている可能性があります。』
羽生局長『わかりました。極秘で六県の県警と合同で捜査し、久住先生の予測された失踪者を探してみます。それとリストの失踪者の捜査も行います。』
久住『有難うございます。私達は私達の視点と切り口で、犯人のプロファイルをして調査します。わかった事があれば情報交換をしながら、次の犯行が起きる前に。』
羽生局長『ええ、早く犯人を確保しましょう。』
果那の両親の事件を調査して事が、結果的に大きな連続殺人の捜査に繋がった。現時点でわかっている事は少ないが、警察庁が協力し六県警の合同捜査になった。事件は大きく動き出した。
第三章 邪神の住む館 後編に続く。
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