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2 紅真珠
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差し出した手のひらに、ころんと一つ、薄桃色の真珠が載った。
源氏の末の姫は、目を大きくしてその輝きに見入った。
「綺麗だろう?」
少女の反応を面白がってか、高貴な生まれの若すぎる貴公子が、悪戯っ子のように笑った。
「ああ。見事な……ものだな……」
「それ、君にあげるよ」
いとも簡単に言われて、源氏の末の姫は、驚いた様子で少年貴公子と真珠を忙しく見比べた。
彼が差し出した真珠は、大人の親指の爪より少し大きいくらいの完全な球体をした見事なもので、しかも珍しい薄桃色をしている。あでやかな八重桜のような、春早く咲く桃花のような。これほど見事な真珠は、武家の名門で、大変な富豪と知られる源頼光の姫といえども見たことがない。ましてや、源氏の「鬼姫」など。
「こんな立派なもの、賜るわけにはいかぬ」
「どうして? キミは源氏の姫じゃないか。君だって、こういう綺麗なものや美しいものが好きだろう?」
「だとしてもだ! こういうものは、帝に献上するべきではないのか。そ、そなたは、そうでなくとも、父君を」
わずかに声を震わせた少女に、少年はかすかに唇をゆがめるように笑った。
「宮中へ献上する分は、もう君の御父上に頼んである。キミが気にすることはないよ」
「……そうか」
頼光の末姫は頷いて、そっと指先で薄桃色の真珠に触れた。その手首をつかんで、少年貴公子は素早く彼女の手の中に桃色の大粒の真珠を二粒、落とし込んだ。手を重ねるようにして、そっと握らせる。
「これは、余りなんだから。キミが持っていればいいよ」
源氏の末姫は、苦笑した。
「余りか」
「余りだよ」
「それなら、私のような『鬼姫』ではなく、私の姉である三の君にお渡ししよう」
四の君はそう言って微笑んだ。その微笑みは、『鬼姫』という名が似合わぬ、藤の花のような気品があった。
源氏は臣下に降りた宮家の末裔である。しかし、元宮家と言っても、今は高貴な一族ではなく、下級貴族の「武士」とされる。都で天下一の豪のものとして、藤原保昌と並び称されている源頼光も、今は藤原摂関家の頂点に立つ道長に仕えていた。今源氏の末姫の前にいる美貌の少年も、本来ならばこんなに気安い口を利ける相手ではない。彼は藤原摂関家の中でも下位の家柄ではあるが、中関白家の閥に属するもの。源頼光一族にとっては、主家の若君に当たる。
「鬼姫」と呼ばれる頼光の四番目の姫が、この藤原摂関家の若君と気安く語らえる中であるのは、たまたま年齢が近く、たまたま末の姫の母が若君の乳母となり、乳兄弟として育ったからこそである。しかし、それももう間もなく消える。二人は年が明ければ、十を超える年齢になる。そうなれば、いかな「鬼姫」といえども、裳着を行い婿を迎えるべく、和歌や琴などの教養を本格的に磨かねばならないし、若君は一時身を寄せている頼光の元を離れて、寺へ預けられ学問を学ばねばならない。
物心ついたときから、源氏の四の君は、姫らしからぬ少年のような小袖姿で庭に飛び出し、刀を振るい弓を引き、暴れ馬をも乗りこなす、幼い姫ながらもいっぱしの武士のようにふるまう姫であった。あまりに猛々しく武技を磨く末の姫の姿に、頼光に仕える女房はおろか、下働きの賤女までもが、四の君を「鬼姫」と呼んで恐れた。
源頼光には、すでにこの末の姫の上に三人の姫がいる。特にすぐ上の三の君、後に「相模」と呼ばれる姫は、和歌の才を持ち教養豊かな美しい姫として、名を広めつつある。いずれは藤原摂関家の入内する姫に女房として仕えさせ、宮中に仕えさせたいと父頼光は考えている。
四の君もそれを知っており、年齢が近いということもあって、相模という姉姫を尊敬し慕っていた。後に恋多き姫としても知られる相模が、主家にあたるこの美貌の少年に心ひかれていることも知っていたので、彼からの贈り物としてこの真珠を渡したら、さぞかし喜ぶだろうと思ったのである。
しかし、若君の方は顔をしかめた。
「嫌だ。それはキミに渡したものだ。三の君へのものじゃない」
「どうして? 私よりも、姉上の方がよく似合うと思うが」
「もしキミの姉上のようなひとに渡すのなら、ちゃんと文と花を添えて、もっと綺麗な入れ物に収めて渡している。……いや、そうじゃない、とにかく嫌だ。キミが持っていてくれないと」
「しかし……」
「とにかく、キミに持っていてもらいたい。どうせ僕が持っていても、宝の持ち腐れだ。僕はこれから元服まで、寺に預けられるんだから」
若君の秀麗な顔が、ふと歪んだ。
「元服までという話だけど、いったいそれまで何年かかるかな」
本家ではないとはいえ、そしてまだ十代に入ったばかりの年若い少年とはいえ、彼は権門の貴公子である。しかし、この若君は後ろ盾となる父を海の事故で亡くし、彼自身もあわや命を落とすところだった。運よく陸に打ち上げられ、そこを警備のために通りかかった源頼光の末娘に救い出された。それからしばらく、頼光の屋敷で養生していたが、彼はこの先当分の間寺に預けられることが決まっている。出家するわけではない。だが、この権門の若君は、しばし俗世を離れる必要があった。
少年は美貌であった。あまりにも美しく生まれついた、光り輝くような貴公子だった。
この時代、平安の御世が続いたためか、千年の命を持つ文化が花開き、「伊勢物語」「源氏物語」「枕草子」といった作品が世に広まっている。その影響を受けてか、この美貌の少年は「今業平」「光る君」と至上の名作の主人公にちなんだ呼び名がつけられている。それほどまでに美しい少年だった。まだ元服前でありながら、すでに彼の元へは多くの女性から男性から雨のごとく文が届けられ、父を失っても、多くの名門の貴族から養子の申し出があるほどである。
しかし、この時代女性から恋文を貰うのはあまり褒められたことではない。彼自身も、まだ元服前ということもあり、女性には興味を示さない。源氏の四の君と仲がいいのは、彼女が「鬼姫」と呼ばれる男勝りのおてんば娘で、女性らしく和歌を詠み琴を奏でるよりも、男のなりをして剣を振りまわしている方を好む女性だったからだろう。逆に、女性らしい姫である三の君こと相模からは、会うたびに御簾越しに熱い眼差しを向けられているが、彼はむしろ彼女を忌避していた。相模のみならず、女性という女性を忌避していた。というより、蔑んでいた。いかにこの少年が美しく聡明で、権門の生まれであろうとも、傲慢に他人を蔑み、傍若無人にふるまうなど、これでは先が思いやられる。
そう危惧した周りの大人たちによって、この少年は寺院で己の身の上と心を見つめ直すことになったのだった。
「それはさっきも言ったように、余りだ。粒のそろった珠がもっとたくさんあるならば、飾りにも数珠にもできただろうが。たった一粒二粒では意味がない。たいそう大きくてきれいな真珠ではあるけれどね……。さすがにその大きさのは、その二つが精いっぱいだった」
若君は何かを思い出したように、唇をゆがめて笑った。
「知っているかい? 普通の真珠は特別な貝が月と交わって生まれるそうだが、これみたいに特に見事な真珠は、わだつみの……海竜王の娘の涙だと言われているんだよ。桃色の真珠は竜王の姫の官能の涙だってさ。恋の真珠なんだって」
若君はそう言って、源氏の四の君の手に乗る真珠を、彼女の手ごと両手で包みこんだ。
「キミみたいなガサツな『鬼姫』だって、わだつみの姫の涙の真珠を持てば、少しは女らしくなるのではないかい?」
四の君は声を立てて笑った。
「女らしい女にそばにいられるのはごめんだと、言っていたではないか」
「なんだ、キミのその姿は僕のためだったのかい?」
「私も、女らしい女と言われるのはごめんだ」
四の君はぱっと若君の手を振り払うと、懐から、普段持ち歩いている翡翠の数珠を取り出した。
「私は、鬼姫でいい。この真珠のように美しいものもかわいらしいものも好きではあるが、それを愛でるだけより、守るものになりたい。父上のように、父上に仕える皆のように」
翡翠の数珠は長い。幼いころから男のなりをして、一心に刀を振るう末姫の姿に、彼女の母君はたいそう心配をした。姫が男のようななりをするのは、あるいは天狗か何かに祟られているのではないか、と思い込んで、高名な僧侶や陰陽師に祈祷を頼んだこともある。姫は頑としてそれを拒み、これは自分の意思で行っていると叫び続けた。その姫の真意を聞きだした一人の陰陽師が、彼女にお守りとしてこの翡翠の数珠を与えて、首にかけた。
以来、彼女がずっと肌身離さず身につけている数珠である。翡翠の珠十粒おきに、一回り大きな水晶が輝く数珠である。その末は、ひときわ大きな水晶と赤紫の絹糸を編んだ房で留められている。
「だが、お前の気持ちもわからないではない。私は『鬼姫』と呼ばれようが一向に構わないが、周りの者に不躾な目を向けられるのは嫌だからな。お前も、そうなのであろう?」
「……」
「ほら。これは、お守りにしよう。私と、お前と、一粒ずつ。恋がどうとかはわからないが、私はお前を、かけがえのない友だと思っているから。お前のことを、神仏によく祈っておくから……」
若君もまた、長い数珠を身に着けていた。ごく最近に父を亡くした少年は、祈りのために紫水晶の数珠を持たされていた。紫水晶と翡翠の数珠の絹紐が解かれて、巧みに小さな網籠が編まれた。その中に一粒ずつ、淡紅色の真珠が収められた。
「穴をあけて通せればよかったのだが」
「いや、これでいいよ」
数珠を留める絹紐の房の根元に、二つの宝石が輝いた。一つは翡翠を連ねた赤紫の絹紐の先に、透明な水晶の珠と、紅真珠。一つは紫水晶と濃い紫の絹紐の先に、紅真珠。そろいの二粒の真珠は、二つの数珠に分かたれて、そっくり同じ絹網に守られて静かな光を放っている。
「数珠であれば、どこでも持っていられるだろう?」
源氏の四の君は、両手で翡翠の数珠を掲げて、藤の花のように微笑んだ。鬼姫という呼び名にしては、余りにも綺麗な笑顔だった。
それから間もなくして、藤原の若君は見事な真珠を数多く朝廷に献上したが故に、帝から「珠輝王(しゅきおう)」の名を与えられ、比叡山などの寺院で修養を積むことになる。
彼がどこの寺院に入ったのかは、様々なうわさが流れただけで、誰もはっきりとは知らなかった。
源氏の末の姫は、目を大きくしてその輝きに見入った。
「綺麗だろう?」
少女の反応を面白がってか、高貴な生まれの若すぎる貴公子が、悪戯っ子のように笑った。
「ああ。見事な……ものだな……」
「それ、君にあげるよ」
いとも簡単に言われて、源氏の末の姫は、驚いた様子で少年貴公子と真珠を忙しく見比べた。
彼が差し出した真珠は、大人の親指の爪より少し大きいくらいの完全な球体をした見事なもので、しかも珍しい薄桃色をしている。あでやかな八重桜のような、春早く咲く桃花のような。これほど見事な真珠は、武家の名門で、大変な富豪と知られる源頼光の姫といえども見たことがない。ましてや、源氏の「鬼姫」など。
「こんな立派なもの、賜るわけにはいかぬ」
「どうして? キミは源氏の姫じゃないか。君だって、こういう綺麗なものや美しいものが好きだろう?」
「だとしてもだ! こういうものは、帝に献上するべきではないのか。そ、そなたは、そうでなくとも、父君を」
わずかに声を震わせた少女に、少年はかすかに唇をゆがめるように笑った。
「宮中へ献上する分は、もう君の御父上に頼んである。キミが気にすることはないよ」
「……そうか」
頼光の末姫は頷いて、そっと指先で薄桃色の真珠に触れた。その手首をつかんで、少年貴公子は素早く彼女の手の中に桃色の大粒の真珠を二粒、落とし込んだ。手を重ねるようにして、そっと握らせる。
「これは、余りなんだから。キミが持っていればいいよ」
源氏の末姫は、苦笑した。
「余りか」
「余りだよ」
「それなら、私のような『鬼姫』ではなく、私の姉である三の君にお渡ししよう」
四の君はそう言って微笑んだ。その微笑みは、『鬼姫』という名が似合わぬ、藤の花のような気品があった。
源氏は臣下に降りた宮家の末裔である。しかし、元宮家と言っても、今は高貴な一族ではなく、下級貴族の「武士」とされる。都で天下一の豪のものとして、藤原保昌と並び称されている源頼光も、今は藤原摂関家の頂点に立つ道長に仕えていた。今源氏の末姫の前にいる美貌の少年も、本来ならばこんなに気安い口を利ける相手ではない。彼は藤原摂関家の中でも下位の家柄ではあるが、中関白家の閥に属するもの。源頼光一族にとっては、主家の若君に当たる。
「鬼姫」と呼ばれる頼光の四番目の姫が、この藤原摂関家の若君と気安く語らえる中であるのは、たまたま年齢が近く、たまたま末の姫の母が若君の乳母となり、乳兄弟として育ったからこそである。しかし、それももう間もなく消える。二人は年が明ければ、十を超える年齢になる。そうなれば、いかな「鬼姫」といえども、裳着を行い婿を迎えるべく、和歌や琴などの教養を本格的に磨かねばならないし、若君は一時身を寄せている頼光の元を離れて、寺へ預けられ学問を学ばねばならない。
物心ついたときから、源氏の四の君は、姫らしからぬ少年のような小袖姿で庭に飛び出し、刀を振るい弓を引き、暴れ馬をも乗りこなす、幼い姫ながらもいっぱしの武士のようにふるまう姫であった。あまりに猛々しく武技を磨く末の姫の姿に、頼光に仕える女房はおろか、下働きの賤女までもが、四の君を「鬼姫」と呼んで恐れた。
源頼光には、すでにこの末の姫の上に三人の姫がいる。特にすぐ上の三の君、後に「相模」と呼ばれる姫は、和歌の才を持ち教養豊かな美しい姫として、名を広めつつある。いずれは藤原摂関家の入内する姫に女房として仕えさせ、宮中に仕えさせたいと父頼光は考えている。
四の君もそれを知っており、年齢が近いということもあって、相模という姉姫を尊敬し慕っていた。後に恋多き姫としても知られる相模が、主家にあたるこの美貌の少年に心ひかれていることも知っていたので、彼からの贈り物としてこの真珠を渡したら、さぞかし喜ぶだろうと思ったのである。
しかし、若君の方は顔をしかめた。
「嫌だ。それはキミに渡したものだ。三の君へのものじゃない」
「どうして? 私よりも、姉上の方がよく似合うと思うが」
「もしキミの姉上のようなひとに渡すのなら、ちゃんと文と花を添えて、もっと綺麗な入れ物に収めて渡している。……いや、そうじゃない、とにかく嫌だ。キミが持っていてくれないと」
「しかし……」
「とにかく、キミに持っていてもらいたい。どうせ僕が持っていても、宝の持ち腐れだ。僕はこれから元服まで、寺に預けられるんだから」
若君の秀麗な顔が、ふと歪んだ。
「元服までという話だけど、いったいそれまで何年かかるかな」
本家ではないとはいえ、そしてまだ十代に入ったばかりの年若い少年とはいえ、彼は権門の貴公子である。しかし、この若君は後ろ盾となる父を海の事故で亡くし、彼自身もあわや命を落とすところだった。運よく陸に打ち上げられ、そこを警備のために通りかかった源頼光の末娘に救い出された。それからしばらく、頼光の屋敷で養生していたが、彼はこの先当分の間寺に預けられることが決まっている。出家するわけではない。だが、この権門の若君は、しばし俗世を離れる必要があった。
少年は美貌であった。あまりにも美しく生まれついた、光り輝くような貴公子だった。
この時代、平安の御世が続いたためか、千年の命を持つ文化が花開き、「伊勢物語」「源氏物語」「枕草子」といった作品が世に広まっている。その影響を受けてか、この美貌の少年は「今業平」「光る君」と至上の名作の主人公にちなんだ呼び名がつけられている。それほどまでに美しい少年だった。まだ元服前でありながら、すでに彼の元へは多くの女性から男性から雨のごとく文が届けられ、父を失っても、多くの名門の貴族から養子の申し出があるほどである。
しかし、この時代女性から恋文を貰うのはあまり褒められたことではない。彼自身も、まだ元服前ということもあり、女性には興味を示さない。源氏の四の君と仲がいいのは、彼女が「鬼姫」と呼ばれる男勝りのおてんば娘で、女性らしく和歌を詠み琴を奏でるよりも、男のなりをして剣を振りまわしている方を好む女性だったからだろう。逆に、女性らしい姫である三の君こと相模からは、会うたびに御簾越しに熱い眼差しを向けられているが、彼はむしろ彼女を忌避していた。相模のみならず、女性という女性を忌避していた。というより、蔑んでいた。いかにこの少年が美しく聡明で、権門の生まれであろうとも、傲慢に他人を蔑み、傍若無人にふるまうなど、これでは先が思いやられる。
そう危惧した周りの大人たちによって、この少年は寺院で己の身の上と心を見つめ直すことになったのだった。
「それはさっきも言ったように、余りだ。粒のそろった珠がもっとたくさんあるならば、飾りにも数珠にもできただろうが。たった一粒二粒では意味がない。たいそう大きくてきれいな真珠ではあるけれどね……。さすがにその大きさのは、その二つが精いっぱいだった」
若君は何かを思い出したように、唇をゆがめて笑った。
「知っているかい? 普通の真珠は特別な貝が月と交わって生まれるそうだが、これみたいに特に見事な真珠は、わだつみの……海竜王の娘の涙だと言われているんだよ。桃色の真珠は竜王の姫の官能の涙だってさ。恋の真珠なんだって」
若君はそう言って、源氏の四の君の手に乗る真珠を、彼女の手ごと両手で包みこんだ。
「キミみたいなガサツな『鬼姫』だって、わだつみの姫の涙の真珠を持てば、少しは女らしくなるのではないかい?」
四の君は声を立てて笑った。
「女らしい女にそばにいられるのはごめんだと、言っていたではないか」
「なんだ、キミのその姿は僕のためだったのかい?」
「私も、女らしい女と言われるのはごめんだ」
四の君はぱっと若君の手を振り払うと、懐から、普段持ち歩いている翡翠の数珠を取り出した。
「私は、鬼姫でいい。この真珠のように美しいものもかわいらしいものも好きではあるが、それを愛でるだけより、守るものになりたい。父上のように、父上に仕える皆のように」
翡翠の数珠は長い。幼いころから男のなりをして、一心に刀を振るう末姫の姿に、彼女の母君はたいそう心配をした。姫が男のようななりをするのは、あるいは天狗か何かに祟られているのではないか、と思い込んで、高名な僧侶や陰陽師に祈祷を頼んだこともある。姫は頑としてそれを拒み、これは自分の意思で行っていると叫び続けた。その姫の真意を聞きだした一人の陰陽師が、彼女にお守りとしてこの翡翠の数珠を与えて、首にかけた。
以来、彼女がずっと肌身離さず身につけている数珠である。翡翠の珠十粒おきに、一回り大きな水晶が輝く数珠である。その末は、ひときわ大きな水晶と赤紫の絹糸を編んだ房で留められている。
「だが、お前の気持ちもわからないではない。私は『鬼姫』と呼ばれようが一向に構わないが、周りの者に不躾な目を向けられるのは嫌だからな。お前も、そうなのであろう?」
「……」
「ほら。これは、お守りにしよう。私と、お前と、一粒ずつ。恋がどうとかはわからないが、私はお前を、かけがえのない友だと思っているから。お前のことを、神仏によく祈っておくから……」
若君もまた、長い数珠を身に着けていた。ごく最近に父を亡くした少年は、祈りのために紫水晶の数珠を持たされていた。紫水晶と翡翠の数珠の絹紐が解かれて、巧みに小さな網籠が編まれた。その中に一粒ずつ、淡紅色の真珠が収められた。
「穴をあけて通せればよかったのだが」
「いや、これでいいよ」
数珠を留める絹紐の房の根元に、二つの宝石が輝いた。一つは翡翠を連ねた赤紫の絹紐の先に、透明な水晶の珠と、紅真珠。一つは紫水晶と濃い紫の絹紐の先に、紅真珠。そろいの二粒の真珠は、二つの数珠に分かたれて、そっくり同じ絹網に守られて静かな光を放っている。
「数珠であれば、どこでも持っていられるだろう?」
源氏の四の君は、両手で翡翠の数珠を掲げて、藤の花のように微笑んだ。鬼姫という呼び名にしては、余りにも綺麗な笑顔だった。
それから間もなくして、藤原の若君は見事な真珠を数多く朝廷に献上したが故に、帝から「珠輝王(しゅきおう)」の名を与えられ、比叡山などの寺院で修養を積むことになる。
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