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 上海での自室にてパソコンに向かっていた蒼は、眼鏡を外して伸びをした。
 小腹が空いたから何か食べたい。
 そう思い部屋を出ると、よりによって一番遭遇したくなかった人物と鉢合わせたのである。

「あ、ドモ……」
「………………」

 雑な会釈をして、即座に近くの別の部屋に引っ込む情報屋。
 「聞いてねーんすけど!?」との声が、廊下にまで響いてくる。
 こっちには聞こえていると言ってやりたい。

 情報屋のお陰で、蒼は騎良達の所に行くのまで億劫になった。
 思い返せば事実とはいえ随分と酷いことを言い放ち、遊びの誘いをにべもなく断って来たのだ。
 目的が定まると、周りが見えなくなってしまう。蒼の悪い癖だった。

 そんなこんなで俯きぼーっとしながら歩いていたら、誰かとぶつかる。
 相手が小柄だったから受け止めてどちらも転ばずに済んだ。
 もしも騎良にぶつかっていたなら、蒼は2メートルほど吹っ飛んだのだろう。

「ン゛ッ、不好意思ブーハオイースー……ン? アイムソーリー? ゴメンナサイ?」
「どっちでもいいけど……」

 相手は蒼を組織の者ではない国籍不明の人間と認識し、使う言語を尋ねてくる。
 ものぐさそうな見てくれの割には親切だ。
 進学校を卒業して現在は名門大学に通っている蒼は、英会話もそれなりに出来る。
 目の前のモサモサ頭が話しやすい方に合わせようとしたが、日本語で更に話し掛けられた。

「きみ、お客さんだよね?」
「あぁ。なんていうか……ここに詳しいのか?」

 ここはチャイニーズマフィア・青龍のアジトだ。
 子供はそもそも出入りすらすべきでない場所なのに……と蒼は訝しむ。

「いや~? ここいつもオッサンばっかり。こんなキレーな人居ねーから」
「き、綺麗……?」

 分厚い前髪の下に、輝くものを見つける。
 それは少年の瞳で、ずっと自分を見ていたのだと蒼は気付く。
 一度意識してしまうと、強烈な存在感を放つ双眸からは逃れられそうにない。

「俺、赦鶯シャオウ。よくシャオって呼ばれる!」
「相馬、蒼……」
「あおい、あおい……覚えた!」

 互いに自己紹介をし合う。
 後天性で重度の人見知りがある蒼は、不自然なほど滑らかに懐に入ってきた赦鶯に戸惑っていた。
 特別安心する雰囲気でもないのに、どうして……と。

 そして、空腹は忘れた頃にぶり返す。蒼の腹がグウウウと盛大に鳴った。
 蒼の白肌が真っ赤に染まる。

「あはは。腹減ったよな、分かる」

 腹が鳴ってもいない奴に同意されて、ますます顔が熱い。
 弱みを握られた怯えとは違った。赦鶯は蒼を嘲笑いもしなかったから。
 身に覚えのある感覚は、やはり三年ぶりだ。
 上海に来て初めて、蒼はあの日に戻った気分になった。

「俺、飯食いに行くんだ。あおいも来る?」

 多分、ついて行っても美味しいとは思えないだろう。
 高校一年の夏休みに入った、小洒落た喫茶店のように。
 蒼は屋敷に残り、一人でラーメンでも食べるべきだった。

 最善を蹴ったと気付いたのは、頷いた後だ。
 おかしな少年に連れられて、蒼は安全な屋敷を飛び出す。
 謎の高揚感に支配された蒼は、青龍の庇護を自ら捨て、たった一人の少年に命運を握らせていた。
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