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第三十二話 義理と犠牲

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杉江勘兵衛は明るく自分が無知であることを隠さず、誰にでも気安く話しかける。
今も織田秀信救出の援軍のためにやって来た。

「勝利が難しい状況であれば、武士の誇りなど捨てて逃げ帰って来い。お主は大名になるのだぞ」

石田三成は優しく杉江勘兵衛に言った。

「そんな……俺、槍とか兵の動かし方しか父上に教えてもらってねぇから……」

「何を言うか? ならば、この三成が与力となり、お手伝いいたす」

勘兵衛は困惑の表情となるが、周囲の人間たちはさらにふざけ出す。

「良いですな。この十郎もお供いたす」

「ガハハ、ならばこの清正が城を作ろうぞ」

十郎と加藤清正もその冗談に乗ると、

「亡き太閤殿下ですら、私、清正、十郎を直属にしなかった。お主は殿下を超えたな」

周囲は笑いに包まれ明るい空気に包まれる。

ーー戦なんて起こらんでええ。ずっとこうしていたい。

勘兵衛は幸せな毎日を過ごしていた。
しかし、幸せというものはいつも崩れやすいものである。
彼は三成とは違う思いを描いていた。

ーー東軍は鳥居元忠殿、細川忠興殿が内府さんに忠誠を誓い、必死に闘った。だが、こちらはどうか? まさに烏合の衆。自分があの者たちと同じくらいの忠誠を見せないと直接対決でも同じようになる。

勘兵衛は死を覚悟していた。

「余計なことは考えるな。少し闘って、逃げる。それが上の狙いだ」

勘兵衛の狙いに平兵衛は気づいていた。

「俺たちが死ぬべき時はここじゃない」

平兵衛はそう話して、消え去っていく。

ーーありがてぇが、多分其方にはわからへんのよ。武士の道理ってヤツがな……平兵衛、幸せにな。

勘兵衛は心の中で呟き、微笑んだ。

「おぬし、アレやな! 死ぬ気ちゃうけ?」

続いて後藤又兵衛が話しかける。
平兵衛に続き、又兵衛にも見破られてしまった。

「オモロいわ! ワシと一緒に行くか? 藤堂や黒田長政、福島の大軍や。相手に不足はあらへんな」

勘兵衛は寂しそうに微笑みながら返す。

「又兵衛殿、其方は生きてください。そして、治部殿を支えてください」

又兵衛は真剣な表情をして黙る。
彼は死に場所を探していた。
元主君の黒田長政には冷遇され、黒田官兵衛が亡くなれば自分は追放されてしまうだろう。

ーーどうせなら華々しく散りたい。



後藤又兵衛はそう考えていた。

しかし、地面に小さな破裂音と小さな穴が空く。

川を挟んだ前方には鉄砲を構えた兵士たち。

舞兵庫が鉄砲隊を指揮して銃撃戦が開始される。
一進一退の銃撃戦が開始されるが、西軍は威嚇射撃にしか過ぎない。

ーー小競り合いをして退却。

しかし、ジリジリと前進してくる東軍。

ーー逃げるしかない!

舞兵庫は頃合いを見て退却を命じようとするが、又兵衛が首を横に振り命じる。

「突撃や!」

兵士は混乱する。

「又兵衛殿! 向こうは数万の兵で黒田や藤堂の配下の猛将揃い! 無駄死にします。お引きくだされ!」

と、舞兵庫が又兵衛を静止する。

しかし、

「アホンダラ! 今退けば追いつかれて間違いなく全滅じゃ。兵庫殿と勘兵衛殿は逃げれば良い、ワシはここで黒田長政を討つ」

又兵衛の言葉に誰も反論できない。

ーー又兵衛殿、華々しく死ぬ気であるな。死を覚悟した者を静止させるのは至難の極みよ。

舞兵庫がそう思った瞬間、

「お二人とも逃げなされ! 殿軍はワシが務めましょう!」

勘兵衛の声が聞こえてきた。



一方、
姿を消した平兵衛は有力な武将を暗殺するために見晴らしの良い場所を探し、準備した。

ーー引っかかったな。

勢いに任せ、川を渡る東軍勢。
鎧を着て、川を渡る兵士など平兵衛からすれば格好の的でしかない。

十郎、島左近から、狙うべき武将の特徴を聞いており彼らに照準を合わせた瞬間。

百人ほど兵士が黒田隊目掛けて突撃したのだ。

ーー殿軍が突撃だと? 銃で威嚇しながら、有力武将を俺が狙う手筈だった。いったい誰だ?


平兵衛が照星を合わせながら味方部隊の方を見た。

ーー勘兵衛だと!?


平兵衛は粛々と自分の仕事をするタイプだが、勘兵衛には情に近いものがある。

ーー犬死にはさせない。

平兵衛は彼が何をしようとしているか一瞬で理解した。


敵である東軍は鳥居元忠の奮戦により、一致団結した。
しかし、西軍は烏合の衆であり岐阜城での闘いは地理的に有利であったが、一日で陥落している。

ーーせめて、華々しく散れ。

勘兵衛の周囲に群がる兵士たちを正確に狙撃させていく。

「黒田長政の首を獲りゃ10万石や!」

勘兵衛の周囲には大津にいた賊、そして、彼の弟子や友人たちがいた。

「侍大将じゃぁ!」

百人といえど、アドレナリンが噴き出し、士気が頂点に近い兵士を止めることは難しい。
勘兵衛たちは口々に夢を語り、相手兵士を斬り伏せていく。


杉江勘兵衛

彼のまっすぐな性格に部下や石田三成たちも魅了されていたのだ。

ーーあの距離では弓矢、鉄砲など撃てば同士討ちになろう。

しかし、銃声が鳴り響いた。


見かねた田中吉政が火縄銃と弓矢で攻撃を開始した。

西軍の兵士が何人か倒れていくが、それ以上に黒田長政隊の兵士にも当たり、倒れていく。


「アホウが!? 黒田が崩れ始めたわい!」

黒田軍の主力となる武将は九州に止めており、後藤又兵衛も今や西軍。
長政が苦戦しても仕方ないのだ。
しかも、平兵衛の援護もあり、たった百人満たない兵数で川を渡らせてしまった。

「ここからは大将首だけ狙え! 持って帰れば大名や!」

すでに三十人くらいしかいない勘兵衛の部隊だが、その決死の突撃に黒田長政の部隊は後退を余儀なくされ、藤堂高虎、田中吉政の部隊も投入される。

ーー三成様……ありがとう! たくさん夢見させてくれて楽しかった! この夢の続き、歩いてください!


杉江勘兵衛も鳥居元忠も思いは同じだった。
彼らは主君のために殉じたのだ。


やがて、杉江勘兵衛の部隊は全滅し、周囲に静けさが戻り始める。

西軍は百人ほどの戦死者を出したが、東軍はその何倍も兵士を失い、黒田長政隊は一時的に撤退を余儀なくされた。
しかも、西軍の主力はすでに戦場を離れている。

「……やられたわ」

長政は苦虫を噛み潰したような表情で西軍がいた方向を睨みつけた。


そして、平兵衛は一時的に姿を消した。





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